都営バス資料館

×126

[126]

担当営業所

新宿営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
永福町~大原町(←渋谷栄通り、渋谷駅→)青山一丁目駅~六本木~新橋駅  13.736/14.586km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
126 S25.10.16 新宿 13.302km 永福町~渋谷駅~新橋駅が開通、京王と相互乗り入れ
126 S26. 1. 1 新宿 13.301km 調査により路線長変更
126 S32. 7. 1 新宿 13.569km 渋谷駅付近で経路変更、西口ターミナルを経由しなくなり、往復とも渋谷区役所(現宮下公園・神南一丁目)経由に変更
126 S33. 9. 1 新宿 13.799km 渋谷地区の経路変更?
126 S37.11. 1 新宿 13.736/14.716km 富ヶ谷~渋谷地区について、永福町発は神山経由に変更。渋谷駅~六本木を六本木通り経由から青山1・外苑東通り経由に変更?
126 S39.12. 1 新宿 13.736/14.586km 富ヶ谷→青山地区について、宮下公園を経由せず渋谷駅前をショートカットする経路に変更
126 S44. 4. 1 新宿 ***  永福町~新橋駅を廃止

路線概要

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 新橋駅と永福町を渋谷駅・井の頭通り経由で結ぶ。新宿担当の系統の中では珍しく渋谷駅を経由していた。同じく沿線から新橋駅まで至る系統としては[111](→[橋78])があったが、新宿駅・新宿通りを経由しているということもあり、経路は全く異なっていた。
 新橋駅~渋谷駅は、初期は[橋89](渋谷駅~新橋駅→[都01])と同じように、溜池まで外堀通りを走った後、溜池で左折して六本木通りに入り、そこから六本木・霞町(現西麻布)・青山南町(現南青山五丁目)を経由して青山通りから渋谷駅方面に出ていたが、末期は六本木で右折して外苑東通りに入り、北青山一丁目(現青山一丁目駅)まで北上して青山通りに抜け、外苑前を経由して渋谷駅方面に出ていた。
 この系統が特徴的なのは渋谷駅周辺の経路で、渋谷駅のロータリーからは離れた部分に停留所があり、往復で経路が大きく異なっていた。時代によって異なるが、末期について述べる。永福町行きは青山から宮益坂を下った後、東映前の宮益坂下で右折して「渋谷駅(宮益坂下)」停留所に停車した。現在の[池86](池袋駅東口~渋谷駅東口)の渋谷駅東口停留所の位置である。そこから宮下公園を左手に見て、山手線のガードをくぐりUターンした現在の電力館前で「宮下公園」(現神南一丁目)、南下して、渋谷駅のハチ公前を目前にして、現在の西武百貨店前の井の頭通りを右折して「松竹国際前」(現西武百貨店前)と進み、そこからは今の[渋66](渋谷駅~阿佐ヶ谷駅)と同じように富ヶ谷まで抜けていた。
 新橋駅行きについても、富ヶ谷から[渋66]と同じように一方通行に入り、神山から現在の東急百貨店本店に向かうが、現東急本店の前には停留所がなく、渋谷駅のハチ公スクランブルの近くに「渋谷栄通」の独自停留所があり、そのままハチ公前を通過して山手線をくぐり、青山通りへと入っていた。停留所配置と経路は独特であったと言える。
 富ヶ谷から先は井の頭通りに入り、大原二丁目の交差点で環七と交差する。バスはそのまま直進し、和田堀給水所の敷地を回り込むように井の頭通り上をクネクネと進む。途中には代田橋駅の入り口がすぐのところにあり、近辺に代田橋駅前の停留所があった。そのまま井の頭通りに沿って進み、甲州街道を越えると終点までは近く、永福町の駅が左手に見えたところで終点となる。

歴史

 昭和25年10月に開通した路線で、昭和20年代に相次いで開通した相互乗り入れ系統としては後発のほうに当たる。既に各地の主要街道をまっすぐ走る系統はあらかた開設した後であり、やや毛色を変えた系統が作られることになった。永福町~富ヶ谷の井の頭通り沿線から都心に出ることを目的として作られたのだろう。渋谷駅を経由するが新宿担当となったのもポイントだが、終点の位置や受け持ちのバランスを考えた結果だろうか。渋谷駅から北側の京王線方面のエリアは、戦前は東急系が開設した区間ではあるが、終戦後の大東急分割に際して京王のエリアになったという経緯もあり、この系統は都営・京王の相互乗り入れであった。
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▲昭和30年10月現在
井の頭通りの該当区間は、[126]の開通によって戦後初のバス路線となった。昭和27年度の成績では、2社合わせて63回、輸送人員は平均4,885人/日と他の系統に比べるとやや少ない。
昭和30年現在では、永福町方面は渋谷駅西口のターミナルに入って停留所が置かれていたが、新橋方面は渋谷駅の東西のターミナルに入らず、今の渋谷駅西口の停留所付近に「松竹国際前」停留所を置き、それを渋谷駅の代わりとしていた。現在の西武百貨店の土地には、かつて渋谷松竹(現西武A館)・渋谷国際(現西武B館)という映画館があったことによる(昭和37年閉鎖)。なお、永福町方面も、現在のA館前にあった停留所に停車していた。
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▲昭和33年1月現在
 この状況を変えたのが昭和32年の[131](渋谷駅~阿佐ヶ谷駅→[渋66])の開通である。京王バスは、都営バスのエリアとなる環七・青梅街道を抜けて阿佐ヶ谷への路線を開設することは当時の悲願だったようで、当時の社史にも経緯について記載されているほどの重要な扱いであった。協議の末、ようやく系統が開通することになったが、渋谷駅ターミナルは増える路線に対して追いついておらず、発着回数制限があったようで、[126]を渋谷駅ターミナルから追い出し、新たに[131]を入れることで解決した。
 [126]は永福町行きの乗り場を西側の都営エリアに変更し、さらに宮下公園を回り込んで迂回するうな経路に変更され。
渋谷駅の停留所は当初は2箇所設置されたようで、東口ターミナル内(永福町方面のみ)と、現在の渋谷駅東口に当たる位置(両方向)である。渋谷駅東口のほうは便宜上「宮益坂下」とも呼ばれていた。
 また、昭和37年頃には富ヶ谷~渋谷駅の道路の一方通行化が行われ、新橋方面は神山経由となった。ここで不思議なのが、同じ区間を通る[131]は大向停留所(現東急百貨店本店)に停まったが、[126]はここを通過して「渋谷栄通り」という名の停留所を作ったことである。栄通りは東急本店の脇から松濤・山手通りへと抜ける通りの名称だが、当時の路線図からするとハチ公交差点の近くにあったと思われる。両方とも都営・京王の共同運行であり、わざわざ変えようとした意図はよく分からない。
 また、同時期に六本木~渋谷駅の経路も変更となり、従来の六本木通り経由から、青山一丁目を回る外苑東通り経由となった。同じく渋谷駅~新橋駅で六本木通りを経由するのは[123](東京駅八重洲口~幡ヶ谷→[東85])があったが、それらとの差別化を図ろうとしたのだろうか。
 その後、渋谷駅近辺の経路が再度変更される。往復とも宮下公園まで大回りするのは不経済ということか、昭和39年頃に新橋方面は宮下公園を回らず、そのままハチ公交差点を直進して渋谷駅前のガードをくぐるように変更された。現西武A館前の松竹国際停留所が廃止されたこともあり、新橋方面は「渋谷栄通」が渋谷駅の最寄りとされたが、ここまで来ると渋谷駅入口など他の名称にしたほうがいいのでは、と思ってしまう。神山と渋谷栄通の間は間隔が開いていたことになるが、最後まで大向には停まらなかったようだ。
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▲昭和44年1月現在
 昭和44年10月に、井の頭通りの渋滞等や乗客の減少、そして他の系統に輸送力を回すという理由もあったのか全線廃止された。
 廃止前の昭和43年には松竹・国際跡に西武百貨店がオープンしたが、停留所の名前は相変わらずであった。ここが西武百貨店前に改称されたのは[126]系統の廃止ののち、昭和45年頃のことである。
 富ヶ谷から先の井の頭通りは、他にも京王単独で渋谷駅~富ヶ谷~代田橋駅~世田谷車庫という路線が走っていたが、こちらも同時期に廃止された。それ以降は長らくバスが走らない空白地帯となっていた。京王バスが路線開設に意欲的になり、井の頭通りの拡幅も進む中で渋滞も少なくなったと判断したのか、平成15年に[渋67]渋谷駅~富ヶ谷~(井の頭通り)~笹塚駅を開設して多くの区間で復活したものの、多くの乗客の定着には至らなかったようで減便され、平成24年現在では30分間隔で運行されている。また、平成22年には渋谷区ハチ公バスの上原・富ヶ谷ルート(渋谷駅~代々木上原駅、右写真)も途中までではあるが20分間隔で運行され、ある程度の利便性は確保されるようになったと言えるだろう。ただし、大原から和田堀給水場方面については、他には京王バスの渋谷駅~世田谷車庫が走っていたが、この系統と同時期に廃止されて以降はバスが通ったことはなく、忘れられた区間となっている。

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