東野交通/いすゞ/P-LV314K(富士重)
東野交通には富士重ボディが多く在籍したが、自社導入では貸切車と一部の路線車に限られる。路線車は7Eボディのみで、3E・5E は基本的に移籍車によ...
東野交通には富士重ボディが多く在籍したが、自社導入では貸切車と一部の路線車に限られる。路線車は7Eボディのみで、3E・5E は基本的に移籍車によ...
平成6(1994)年に都営から1台キュービックが移籍した。この車種は少数派だったこともあり、やや珍しい存在だった。僅かな自社導入のいすゞ車もIK...
都営移籍車の歴史は古く、平成5(1993)年頃のモノコックの移籍が始まりとなる。同型のいすゞは4台が移籍し、いずれも川重ボディ。 平成に入ってか...
関東自動車に移籍した都営日野車は5台のみで、スケルトンボディは移籍しなかった。 都営時代の晩年にはバンパーが黒色化されていたが、関東自動車で...
都営の日デ中型は1台のみ移籍した。日立電鉄には自社導入のほか、都営に続いて大阪市、西武、新京成、岳南、京急や観光マスクの同型も移籍しており、見...
日立製作所の自家用にも元都営バスが存在した。都営バスは移籍でバス事業者以外へ の自家用登録は非常に珍しい。勝田駅から日立製作所水戸事業所などへの...
日デ車はいすゞ・日野に遅れて平成6(1994)年の移籍が初。自社のU-UA440 や西武のP-U32 シリーズがまとまった数あり、少数派の予室燃...
モデルチェンジ後の丸みを帯びたエアロミディ。この車体は全国各地で見られたが、都営ではこの世代は4台の導入に留まり、除籍後は日立電鉄・徳島市営・佐...
元々三菱車の配置が非常に少なかったこともあり、都営からの移籍は平成8(!996)年が初で中型車に限られる。 逆T 字窓にもかかわらず、1971号...
U- 規制の日野中型路線車は都営では7台と少数派で、うち2台が日立に移籍した。 262号車は令和2(2020)年現在も現役で、元都営バスで最長老...
平成11(1999)年移籍の日野中型車。乗客数の減少とともに移籍車もこの時期は中型が中心になり、元都営は少数派に留まった。 いすゞと同じく方...
モデルチェンジ後の日野大型車・HTは3台のみ移籍した。既にこの時期は中型車が移籍の主力になっていたこもあり数は少ない。P 代からは車掌設備が廃止...
スケルトンボディへとフルモデルチェンジされた日野車のRTシリーズが7台移籍した。 側面方向幕の移設方法が車と時代によって異なる。1781 号車は...
日野車はモノコックからスケルトンまで多数が移籍している。1599号車が都営バスの日野移籍車第一号と思われる車。当時の都営バスは新しい排ガス規制...
日立では最後となった都営いすゞ移籍車。 元々は中型の特定車で、リフト無しが幸いしたのか移籍し、一般路線車として改造転用された。前面表示器を窓内...
平成8(1996)年頃から日立は中型移籍車が目立つようになり、元都営の移籍車数が少なくなった後の平成10(1998)年頃に、初のいすゞ中型の元都...
モデルチェンジしてスケルトンボディになったキュービックの初期世代も2台移籍した。 大きくなった側窓が目立ち、側面方向幕の埋める鉄板も目立っている...
いすゞ+富士重の5Eボディは4台のみ移籍した。いずれもM代車。平成6(1994)年より塗装が改められ、白地に明るい桜色・青色の波模様となった。太...
モータリゼーションによる乗客減やバブル経済崩壊後の不況もあってコスト削減が進み、平成4(1992)年頃と早くから都営バス移籍車の導入が進んだ。L...
平成16(2004)年に2台の日デ車が移籍し、元都営ではこれを最後に移籍がしばらく途絶えた。関東自動車には沿線の鶴田に富士重工の工場があったこと...