都営バス資料館

新宿の夜はふけゆく追分廻り

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 [都03](新宿駅西口~晴海埠頭:以前)は、都電11系統の代替系統である。その証拠に、新宿駅西口~新宿三丁目の間は靖国通りを経由していた。かつて数多くあった新宿から四谷方面へと向かう路線は全て新宿駅東口・新宿通りを経由しており、バス通りとしては新宿通りがメインルートだったのだ。なぜこういうことになったかと言えば、代替の際に都電のルートを忠実になぞったからである。かつての新宿都電ターミナルは靖国通り上にあり、バスの歌舞伎町停留所は昭和40年代までは「(新宿)都電終点」という名称だった。
 さて、新宿地区の夜の渋滞は昔はさらにひどかったようで、新宿三丁目から靖国通り~大ガードの間が詰まって進めなくなってしまうこともあった。それを回避するために登場したのが通称「追分廻り」のようだ。どういうものかというと、新宿二丁目→新宿駅西口の間は新宿通りをそのまま直進し、新宿駅東口停留所を経由するというものである。該当区間を午後9時以降に通過する便は、全て新宿通り経由に迂回する措置をとっていた。新宿三丁目は停留所が移設され、新宿通り上の停留所に停車していた。なお、この措置は新宿駅西口行きのみの取り扱いだった。
 通常の迂回だと、新宿通り経由の系統が歩行者天国で靖国通りに振り替えるというのはすぐに思いつくが、逆のパターンが存在したのが面白い。方向幕は通常と同じもので、放送のみの対応となっていた。車内路線図にも記載されていた時代もあり、割とポピュラーな迂回でもあった。昭和50年代前半の路線図から既に記載があり、路線のかなり初期からこの設定があったことがうかがえる。
 同じく都電代替系統である[秋72](新宿駅西口~市ヶ谷駅~岩本町、昭和53年廃止)にも追分廻りの設定が存在した。こちらも四谷~新宿は[都03]と全く同じルートだったため、午後8時以降は同様の迂回を行っていた。
 配布路線図には掲載がなく、車内路線図にひっそりと掲載される程度であった。
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