都営バス資料館

局番札

現在、都営バスの車の前面・背面には、局番のうち年度記号+番号3ケタを札に書いて掲出した局番札が付いている。車体にステッカー貼りの事業者が多い中、このような形で掲示しているのは珍しい。車体に直接描かなかったのは、1枚の札で車内と車外両方から局番を確認できるようにという狙いがあったようだ。

ここでは、この局番号札について少し紐解いてみよう。
都営バス全車に前面に局番を示す札を取り付けるようになったのはV代(平成元年度)後期車からで、それまでは北(滝野川)・志村営業所のみの特徴だった。滝野川の担当していた[王40](池袋駅東口~西新井駅)は車庫前の停留所で乗務員交代を行っており、車庫での交代が原則(当時)だった都営バスとしては珍しい方法だった。滝野川は敷地の余裕もあまりなく、組数が多く間隔が短いため遅れるとダンゴ状態になってしまう。他の併走系統もあり、乗務員が交代で乗る車をすぐに判別できるようにしたようだ。
志村の場合も、担当系統と車庫が離れているという事情から王子駅での交代が多く同じ理由でつけられた。この習慣を引き継ぎ、北になった後も受け継がれたのである。

▲N-M569[上]  
側面の局番と似た書体で貼りつけていたが、本局で決めた仕様ではないため、代によって札の材質はまちまちだった。古い車は白い札に黒地が多いが、C 代(昭和50年度)からは透明もしくは黒地に白字の札というパターンが多くなる。転入車によってはついていなかったり、手書きの札がついたりと様々。他の代でも破損したのか手書きの札が存在した。


▲Y-X585 白地[冨]

▲N-C480 黒地[真]

▲N-E507 黒地手書き[o]

▲N-F159 黒地?[リ]

▲N-K376 黒地手書き[o]

▲N-M250 黒地[リ]

▲N-S137 透明地[リ]

それに触発されたのか、練馬・南千住・臨海などでもV代後期と同時、もしくは先行して前面局番札が付けられた。かつての「ワンマン」札の位置に取り付けたようだ。


▲K-H153 黒地[リ]

▲K-P531 黒地[リ]

▲R-V514 黒地[塩]

V代(平成元年度)以後も、年度や車体メーカーによって書式は異なっている。ここではメーカー別に見ていこう。なお、前面の局番札は路線車のみで、特定車・貸切車には存在しなかった。
平成19年からドライブレコーダーの取り付けが一部の車で始まったが、平成22年度からは既存車への取り付けが本格的に始まった。新しく取り付ける車外向けカメラが前面局番札の位置に干渉することから、平成24年度(X代)からは車外向けは無地になった。これを解決するため、平成28年から順次前扉寄りに局番札が移設されている。B代(平成28年度)車は新車の時点から前扉寄りに札が設置され、車外向けの表記が復活している。後に北・渋谷・巣鴨では独自施策でダッシュボードに局番を大きく印刷した紙を掲示している。交代等で車を探しやすくするためで、かつての局番札の意義がもう一度形を変えて復活したと言える。

▲無地になった局番札(X代)


▲大きさ比較(いすゞ系/日野系/富士重工) かつての即売会にて

前面局番札

IKC・いすゞ・J-BUS(LV/KV/LR)系車体


▲V代[塩] 大き目の黒地に白地で局番の文字ステッカーが両面に貼られている。字体は昔から局番に使われている標準的なもの。大型・中型を問わず、F代(平成11年度)までは札が大型サイズだった。両端の上に取り付け金具がついており、車体に留めるようになっている。
H代(平成13年度)で先行して入った中央区購入分以外のエルガボディから、かなり小型化して近づかないと見づらくなった。
側面の局番が既存の適当な書体になった後も、ここの部分だけは伝統的な英数字書体を維持しているようだ。
M・N・R代(平成16, 17, 19年度)は日野シャーシのブルーリボンIIも導入されたが、局番の右上に青い斜線が入っている。「ブルー」リボンに引っ掛けたのだろうか。


▲W代

▲X代

▲X代

▲Y代

▲Z代

▲A代

▲B代

▲B代

▲C代

▲C代

▲D代

▲D代

▲E代

▲E代

▲F代

▲H代 初期分

▲H代

▲K代

▲L代

▲M代 いすゞ

▲M代 日野

▲N代 日野

▲R代 日野

▲S代 いすゞ中型

▲T代
日野車体・J-BUS(HU)系車体


▲V代後期
濃いグレー(黒)地の札に丸みの強い丸ゴシック体が書かれている。W代からは背面の札もこの書体になった。文字間が離れているのが特徴。両端から取り付け金具が伸びている形はIKC・いすゞ系のものとほぼ共通。
なぜか中型車(W代~E代)だけは書体が異なり、いすゞ系の伝統的書体とほぼ同じもので札いっぱいに記されている。
F代(平成11年度)のみ文字の大きさと配置バランスが異なる。
H代(平成13年度)からは一新され、小型化して小さい板が車体に取り付けられる感じになった。書体はいすゞ系車体で使われていた「伝統的な書体」に近くなっている。
R代(平成19年度)のハイブリッド車からは、いすゞ車と同じく吊り下げ金具から2か所取り付けるようになっている。V777やZ500, 501の試験車は書体が既存のものを使っている。


▲W代大型

▲W代中型

▲X代

▲Y代

▲Z代

▲Z代 車内から

▲A代

▲A代

▲B代

▲C代大型

▲C代中型

▲D代大型

▲D代中型

▲E代大型

▲E代中型

▲F代

▲H代

▲K代

▲L代

▲R代ハイブリッド

▲S代ハイブリッド

▲V代ハイブリッド(試験)

▲V代ハイブリッド
三菱・呉羽系車体


▲V代中型

グレー地の札にいすゞと同じく伝統的な書体で書かれている。Y代(平成4年度)まではかなり横長の札で、取付け金具から札がはみ出していた。ボディによって微妙に異なり、新呉羽ボディは文字が大き目で取り付け部が外からでも見え、三菱ボディは文字が一回り小さめで余白が目立っており、外から取り付け部は見えないようになっていた。W代(平成2年度)の[都01]用都市新バスのみ文字の配置が広がっている。
Z代(平成5年度)でボディが統合され札のサイズが横に縮められた。旧三菱ボディに合わせ、外から取り付け部は見えないような処理になっていた。
なお、従来の新呉羽ボディを流用したリフト付き超低床車(Z~B代)は引き続き昔の札サイズのものを使っていた。
K代(平成14年度)は渋谷のごく一部で従来の大型が採用されたが、すぐに小型札に取り替えられた(後述のエラーの項目を参照)。K代からは全車サイズが小型化し、書体も既存の市販品のものに変わっている。大型・中型ロングともに共通で、両端で取り付けるタイプになって取り付け金具部が外から見えている。


▲V代大型

▲W代新呉羽

▲w代三菱

▲W代都市新

▲X代新呉羽

▲X代三菱

▲Y代リフト

▲Y代一般

▲Z代都市新

▲Z代リフト

▲A代一般

▲A代一般 車内から

▲A代リフト

▲B代MBECS

▲B代一般

▲B代リフト

▲C代都市新

▲C代ノンステ

▲D代中型

▲E代中型

▲E代ノンステ

▲F代

▲H代

▲K代

▲K代中型ロング

▲L代

▲P代

▲V代

▲W代
富士重工


▲V代

他の車体メーカーとは異なり、吊り下げ金具に黒い接着パーツで白い札を留めているタイプだった。札は他のメーカーより天地サイズがやや大きく、書体も他メーカーの伝統的な書体と似ているようで少し違う富士重工オリジナルのものだった。「4」の斜め線がカーブしているあたりにこだわりが感じられる。なお、いすゞ・日産ディーゼルにかかわらず同様な見た目だった。X代までは文字が大きいのバージョンもあった模様(札が小さく見える)。
このスタイルはB代(平成7年度)が最後になり、翌年のC代からは黒地に白字と他メーカーに揃えられた。
H代(平成13年度)からは他のメーカーと同じく札が小型化した。留め方は以前と共通である。
なお、江東営業所の一部車は運転席からの視界確保のためか、前面局番札を扉側に寄せていた。


▲V代

▲W代

▲W代超低床

▲X代

▲X代

▲Y代

▲Z代

▲A代(端寄り)

▲A代

▲A代

▲B代

▲B代

▲B代(端寄り)

▲C代

▲C代(端寄り)

▲D代

▲E代

▲E代

▲F代

▲H代

▲K代
西工


▲G代

西日本車体工業はG代(平成12年度)が初登場となった。吊り下げ方は富士重工に近いが、大番の黒地の札は富士重工よりも大きくかなり目立つものだったと言える。
ただしH代からは小型化し、書体も含め見た感じは三菱に近い。大型・中型ロングともにサイズは共通である。S代(平成20年度)が最後となった。


▲H代

▲K代

▲L代

▲N代

▲P代

▲S代

背面局番札


▲背面局番札最初の世代 T-B529[u]
▲廃車体に残るステッカー H代[上]


▲H-N638[上]

▲U-T564[上]

▲M-Z437[o]

▲F-B480[o]

背面に局番札が取り付けられるようになったのはB代(昭和49年度)後期の車からである。この番号形式を制定したときからB代前期まではリアウィンドウの外側に直接白いシールで貼り付けられていた。シール状だったために風雨にさらされて途中で剥がれたりすることが多く、その度に張り替えを行っていた。また、剥がれた文字のみ貼り替えるので、それぞれの文字の色が真っ白だったり、汚れて変色しているものがあったりと美観を損ねやすいものだった。
これらの問題点を解決するために登場したのが専用の局番札である。前面局番札とは異なり札の材質は透明で、外側に見えるようにステッカーが貼ってあるというケースが多かった。背面幕の装置が車体に埋め込まれている車体はその直下に、装置が外付けの場合はその下に吊り下げるように取り付けられた。

▲車内から見た場合
 
この形式はC代(平成8年度)まで続いたが、翌年のD代からはコストダウンのため、車体に直接ステッカーを貼りつけるようになった。
ただし、全面ラッピング(車体広告)を貼った車は局番が隠れてしまうため、改めてリアウィンドウに局番のステッカーを貼った。ラッピングを剥がした際に元の局番と
ラッピング対策という意味もあったのか、H代(平成13年度)では札を背面幕の下か横につける形式が復活した(中央区購入分を除く)。前面局番札と同じく、三菱車以外は小型化されている。


▲リアガラスごと交換した例

 
▲ラッピングでガラスに局番貼り付け

K代(平成14年度)からはいすゞ車はリアガラスの左下に局番ステッカーを貼りつける方式になり、それ以外のメーカーは札の形で継続した。このため、リアガラスが破損した場合はいすゞ車の局番は車によってステッカーの色・サイズがバラバラで、容易に交換されたことが分かるものだった。A代(平成27年度)からはいすゞ車も再び札タイプになっている。
なお、特定車も路線車と同じく局番札が取り付けられていた。A代(平成6年度)までは札吊り下げ、F・G代は車体にステッカー貼り付けとなっている。

▲特定車 A・F・G代 [塩]

ここでは簡単にメーカー別の変遷を述べる。詳しくは背面局番札の変遷(詳細編)を参照。

川重・IKC・いすゞ・J-BUS(LV/KV/LR)系

B代(昭和49年度)後期~M代(昭和58年度)前期までは中央に窓の分割線があったため、左にオフセットして付けられていた。後の前面局番札と同じく両脇の金具で取り付けるタイプである。
M代後期からは車体がキュービックになった。背面幕が独立したためそこから吊り下げられるようになったが、位置は今までを踏襲して左側になっている。N・P代大型(昭和59, 60年度)のみ背面幕が一体化しており、かなり左に寄っている。
 
D代(平成11年度)からはリアガラス直下中央にステッカーを貼りつけるようになった。ノンステップの場合は点検蓋下に貼り付けとなっている。
H代(平成13年度)は背面幕左の天井に付ける小型札となった。当初は方向幕下に取り付けている車もあった。破損、取り外しでK代以降と同じようにリアガラスに貼り付けるようになった車もいる。
K代(平成14年度)からはリアガラス左下に貼り付けるようになり、Z代(平成26年度)まで続いた。翌年のA代からは背面幕の脇に取り付けるように小型札が復活した。


▲C代(昭和50年度)

▲M代(昭和58年度)後期

▲P代(昭和60年度)都市新

▲D代(平成9年度)

▲H代(平成13年度)

▲R代(平成19年度)

▲B代(平成28年度)
日野・J-BUS(HU)系

B代(昭和49年度)後期のみ左側に、C代(昭和50年度)~M代(昭和58年度)前期は埋め込んだ背面幕の直下に取り付けられていた。取り付け金具は同じ時代の川重系のものに近く、両端で取り付けるタイプとなっている。
M代後期からはスケルトンボディになり、背面幕が独立してそこから吊り下げるようになった。位置は幕直下中央である。
W代(平成2年度)3回目導入(W100番台~)から書体が前面幕と同じ丸ゴシック体になった。このため、V代後期・W代1, 2回目導入は前面・背面で札の書体が異なる。なお、前面と同じく、中型車はそれ以降も従来の書体の札だった。
 
D代(平成11年度)はノンステップも含めリアガラス直下中央にステッカーとなった。今までとは逆に、中型が丸ゴシック、大型が伝統的な書体となっている。
H代(平成13年度)からは小型の札になった。H代は背面幕の脇に、K代からは背面幕の左下に取り付けている。
R代(平成19年度)のハイブリッドノンステップバスからは、左下の取り付け位置は同様だが、U字型の黒い取り付け金具を介してセットしている。


▲E代(昭和52年度)

▲N代(昭和59年度)

▲W代3回目(平成2年度)

▲C代(平成8年度)中型

▲D代(平成9年度)ノンステ

▲D代(平成9年度)中型

▲H代(平成13年度)

▲V代(平成22年度)
三菱・呉羽系

B代(昭和49年度)後期からG代(昭和54)年度は中央に窓の分割線があったため、左にオフセットして付けられていた。
三菱ボディはF代(昭和53年度)後期から大きくモデルチェンジしたが、札の位置は呉羽ボディと合わせて左側のままだった。翌年のG代後期から三菱・呉羽の共通ボディとなり、その翌年のH代(昭和55年度)からは札の位置が中央になった。
 
N代(昭和59年度)から三菱ボディはリニューアルして「エアロスター(M)」となり、窓の分割線が中央に来たが、位置は中央のままだった。W代(平成2年度)3回目導入から右にずれ、翌年のX代からは左側にずれた。以後はその位置で固定されている。
R代(昭和61年度)から(新)呉羽ボディは「エアロスターK」となり、背面幕の機械が外付けになった。こちらは幕直下の中央となっている。
 
Z代(平成5年度)からは共通ボディとなり、左側にオフセットされた。B代(平成7年度)のリフト車のように、新呉羽ボディを使い回した車体でも左側に取り付け位置が寄っている。
C代(平成8年度)は中央に取り付け位置が戻った。翌年のD代はノンステップのみ伝統的な書体、それ以外は丸ゴシックとなったが、E代からは全て丸ゴシックとなった。
H代(平成13年度)は大型のグレーの札で伝統的な書体に戻ったが、翌年のK代からは丸ゴシックで札も小型化し、背面幕の左上に横付けするタイプになった。
V・W代(平成22, 23年度)は背面幕左下横に横付けするタイプになっている。


▲B代(昭和49年度)

▲H代(昭和55年度)

▲P代(昭和60年度)三菱

▲R代(昭和61年度)呉羽

▲W代(平成2年度)三菱

▲Y代(平成4年度)三菱

▲B代(平成7年度)リフト

▲C代(平成8年度)ノンステ

▲D代(平成9年度)ノンステ

▲E代(平成10年度)ノンステ

▲H代(平成13年度)

▲L代(平成15年度)

▲V代(平成22年度)
富士重工

C代(昭和50年度)からK代(昭和56年度)までは背面幕の埋め込み部分直下中央に取り付けられていた。
L代(昭和57年度)からは5Eボディとなって幕装置が外付けになったが、直下中央は変わりない。U字型の取り付け金具に外側2か所で留めるタイプだった。翌C代(平成8年度)まで同じ方式が続いた。
D代(平成9年度)からはフロントガラス直下にステッカーが貼り付けられるようになった。D代のノンステップのみ、点検蓋の位置の都合で左に寄っている。
H代(平成13年度)からは背面幕左の天井に付ける小型札となった。一部の車では方向幕下や背面幕右に取り付けていた。


▲C代(昭和50年度)

▲M代(昭和58年度)

▲N代(昭和59年度)中型

▲S代(昭和62年度)都市新

▲C代(平成8年度)

▲D代(平成9年度)ノンステ

▲F代(平成11年度)

▲H代(平成13年度)

▲K代(平成14年度)
西工

G代(平成12年度)は車体のリアガラス左下に青色の文字で貼り付けている。
H代・K代の中型ロングは背面幕の機械下に吊り下げて取り付けている。L代以降の大型は左上の天井に吊り下げている。
いずれも透明な札ではなく、前面とサイズはほぼ同じ材質・サイズと思われる。


▲G代(平成12年度)

▲K代(平成14年度)

▲S代(平成20年度)
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