新橋駅には2つの停留所が存在する。1つは「新橋駅前」、そしてもう1つは「新橋」。駅前のバス乗り場案内では一括して扱われているが、路線図や書類上では厳密に区別されている。すなわち、外堀通りより北側の土橋側にある停留所が「新橋」、それよりも南側の第一京浜上やロータリー内の停留所が「新橋駅前」である。新橋・新橋駅前に2回停車する系統は存在しないため、どちらでも良さそうなものであるが、「新橋」は駅から多少離れているということも考慮されたのかもしれない。
▲新橋駅前のりば案内図(昭和45年)
この使い分けがいつから始まったのかということだが、正確な日付は不明であるものの昭和37~38年頃から始められており、厳密に分けられるようになったのは昭和40年代前半からのようだ。それまでは全て「新橋駅(前)」で統一されていた。ただ、どこまでが「新橋」かというと多少興味深いところがある。この図は昭和45年の新橋駅の乗り場案内であるが、「新橋」の範囲に入っているのはGHJKLの5箇所の停留所である。系統で言うと、[40]([東72])、[102]([東82])、[123]([東85])、[506]([橋89])、[33]([業10])、[47]([橋14])、[32]([橋62])、[67]の8系統が該当する(カッコ内は昭和47年以降の新番号)。
これらはいずれも路線案内や方向幕で「新橋」と案内されていた。[506]系統は現在の[都01](新橋駅~六本木駅~渋谷駅)だが、十仁病院裏手の裏通りから出ていたのは面白い。現在の乗り場の位置に移動したのは昭和51~52年頃だが、小型幕車は最後まで「新橋」表示であった。
それ以外に「新橋」と「新橋駅前」の間を移動した系統はないが、現在でも[業10](新橋~業平橋)は午後8時以降になると乗り場が駅前に変更となるため、午後8時以降は「新橋駅前」を発着するという扱いになっている。もっとも、方向幕や停留所の案内は特に変化がない。
系統 | 行き先 | 経由 | 運行 | |
A | 14 | 築地中央市場 | 都営 | |
B | 120 | 下田橋(中野哲学堂) | 市ヶ谷駅・大久保駅・中野駅 | 都営・京王 |
C | 8 | 豊島園 | 溜池・四谷見附・江戸川橋・目白駅 | 都営 |
108 | 大泉学園駅 | 溜池・四谷見附・江戸川橋・目白駅・谷原町2 | 都営・西武 | |
D | 111 | 下高井戸 | 溜池・四谷見附・新宿駅南口・笹塚 | 都営・京王 |
E | 13 | 千住車庫 | 銀座・日本橋・浅草雷門・三ノ輪橋 | 都営 |
F | 76 | 渋谷駅 | 慈恵医大・東京タワー・六本木・南青山6 | 都営 |
G | 40・102・123 | 東京駅八重洲口 | 数寄屋橋 | 都営・東急 |
H | 40 | 東中野駅 | 溜池・四谷見附・千駄ヶ谷駅・代々木駅 | 都営 |
102 | 等々力 | 神谷町・六本木・渋谷駅・駒沢 | 都営・東急 | |
123 | 幡ヶ谷 | 溜池・六本木・渋谷駅・東北沢 | 都営・東急 | |
J | 506 | 渋谷駅 | 溜池・六本木 | 都営 |
K | 33 | 業平橋駅 | 築地・月島3・豊洲埠頭・木場5・白河町 | 都営 |
47 | 東雲都橋 | 築地・晴海3・豊洲埠頭 | 都営 | |
L | 32 | 池袋駅東口 | 銀座・日本橋・九段下・西早稲田 | 都営 |
67 | 日暮里駅 | 銀座・水天宮・浅草橋駅西口・鳥越町・鶯谷駅 | 都営 | |
M | 128 | 小岩駅 | 入船町・水天宮・錦糸町駅・江戸川区役所 | 都営・京成 |
N | 71 | 日本橋室町 | 銀座・日本橋 | 都営 |
100 | 東京駅南口 | 銀座・都庁前 | 都営・東急 | |
114・122 | 東京駅八重洲口 | 銀座 | 都営・東急 | |
P | 71 | 目黒駅 | 神谷町・赤羽橋・仙台坂上・広尾橋 | 都営 |
100 | 丸子橋 | 金杉橋・品川駅・五反田駅・洗足池 | 都営・東急 | |
114 | 池上駅 | 金杉橋・品川駅・大井町駅・大森駅 | 都営・東急 | |
122 | 多摩川大橋 | 港区役所・三田・五反田駅・馬込駅 | 都営・東急 | |
504 | 五反田駅 | 金杉橋・赤羽橋・魚籃坂下 | 都営 |
ここで謎になるのが、現在の文教堂書店の脇のF停留所に停車していた[76]([橋88])系統の扱いである。新橋駅を出た後、一旦山手線沿いに北上し内幸町に出てから東京タワーへと向かうという変則経路のためか、一貫してこの位置の停留所に停車していた。しかしながら書類上も「新橋駅前」ならば幕の表示も「新橋駅」と、そこは「新橋駅前」の扱いだった。離れ具合からすると「新橋駅第2」とでもしたほうがいいような位置(ただし、地下鉄銀座線の8番出口からはすぐ)だが、なぜこういった使い分けになったかは不明である。昭和54年に[橋88]は短縮されて[渋88](渋谷駅~東京タワー)になったため、この停留所も消滅してすっきりとした区分けになった。現在新橋駅を発着している[渋88]は、この時代の[東82](東京駅八重洲口~渋谷駅~等々力)の末裔となる。
ちなみに現在の乗り場番号であるが、原型は昭和52年頃に設定されたものである。駅前の築地市場ゆきが1番、向かいの吉野家のあるブロック、駅前ビル1号館前、外堀通り側、[業10]用、第一京浜上の順に振られた。この図は7番が欠番になっているが、前述の[橋88]が使っていたものと思われる。
▲新橋駅前乗り場案内図(昭和56年)
系統 | 行き先 | 経由 | 運行 | |
1 | 市01 | 築地中央市場 | 都営 | |
2 | 東01 | 東京駅北口 | 霞ヶ関・日比谷 | 都営 |
3 | 橋63 | 大久保駅 | 永田町・市ヶ谷駅・牛込北町 | 都営 |
4 | 橋89 | 渋谷駅 | 溜池・六本木・南青山6 | 都営 |
5 | 橋78 | 新宿車庫 | 溜池・四谷見附・新宿駅南口 | 都営 |
6 | 橋85 | 渋谷駅 | 金杉橋・赤羽橋・広尾橋 | 都営 |
8 | 東82 | 東京駅八重洲口 | 数寄屋橋 | 都営・東急 |
9 | 東82 | 等々力 | 神谷町・六本木・渋谷駅・駒沢 | 都営・東急 |
10 | 業10 | 業平橋駅 | 築地・月島3・豊洲埠頭・木場駅・菊川駅 | 都営 |
橋14 | 深川車庫 | 築地・晴海3・豊洲埠頭 | 都営 | |
11 | 橋86 | 日本橋三越 | 銀座・日本橋 | 都営 |
東90・東96 | 東京駅八重洲口 | 銀座 | 都営 | |
12 | 橋86 | 目黒駅 | 神谷町・赤羽橋・仙台坂上・広尾橋 | 都営 |
その後は路線廃止のたびに欠番が生じていくが、基本的な構成には変化がなかった。これが変化するのが平成12年12月の大江戸線改編で、一気に8,9,11,12番乗り場が廃止となるため、6番を5番に、10番を6番へと変更し、7番を新たに新橋駅北口停留所の渋谷駅方面の停留所とした。[渋88](渋谷駅~東京タワー・東京駅南口)が新橋駅北口発着に短縮されるため、ここに番号を振らないと無視されることになるためと思われる。
その後、平成18年4月に[渋88]が新橋駅構内まで延長されると、新たに駅前ビル1号館前に3番乗り場を作り、従来[橋63](新橋駅~小滝橋車庫)が使っていた3番は2番へと繰り上がったため、欠番はこれでなくなったことになる。