都営バス資料館

都市新バス仕様

 昭和末期から平成10年代までの都営バスを代表する存在と言えば、何と言っても「都市新バス」と言えるだろう。
 昭和40~50年代の都市部のバスは、渋滞での定時性の低下と利用者・本数の減少という悪循環が続いていた。そのような中で、バス離れを食い止め、魅力ある輸送機関として再生させることを目的として作られたのが都市新バスである。
 上屋・接近案内つき停留所や運行管理が可能なバスロケーションシステム、バスレーンの設定による定時性の向上といったシステム面のほか、幅広中扉4枚折戸や上部引き違いの逆T字窓、ツートンカラーの少し高級なシート・次停留所案内装置・行灯式の愛称表示・ヘッドマークなどの装備を備えた専用車両を導入し、都営バスのイメージアップに大いに貢献したと言える。
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▲[都01]の開通式典 昭和59年3月(n)
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▲横から (真)
 昭和59年3月に[都01](渋谷駅~新橋駅)が開通し、33輛の専用新車を一気に導入した。これを引き金に、平成5年の[都08]まで順次各地に開通させていった。これに伴って都市新バス専用車も各所に配備されていった。

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▲[都02]専用車 G-P254[き]  昭和61年3月登場の[都02](大塚駅~錦糸町駅)に伴って導入された都市新バス仕様はエアサスペンションを本格的に採用した初の車で、登場時は車体にも「エアサス車」と表記してアピールしてしまうぐらいに特別な扱いであった。車体部分では初代車と同じく側面窓は上部引き違いの逆T型の窓を採用した。ハイグレード感を出すためか、下側の固定窓部分をサッシ窓ではなく貸切バスで見られるような隠し柱(ヒドゥンピラー)方式とした。都営は中型車もこの窓仕様だったが、工数が増える分車輛価格も上がるようだ。

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▲(左)エアサスをアピール[き]、(右)グライドスライドドア[塩]

前扉は中央から両側に開くグライドスライドを採用した。前扉は左右がそれぞれ可動することから、ドアエンジンを2個用いている。また、ドア開閉動作に空気を使うことや、エアサス車であるため、エアタンクを通常よりも1個多く乗せていた。
「自動扉」が左右両方に書かれているのも、ドアエンジンを2個使っていて保安基準上では左右それぞれが独立したドアという考えになるからだそうだ。なお、昭和62年頃に保安基準が緩和され、「自動扉」の表記や「ワンマン」表示が省略可能になり、都営でもS 代(昭和62年度)車以降は省略している。これ以後に登場した日野・日デの都市新バス仕様車も前扉には同様なドアを採用していたが、三菱だけはW代(平成2年度)からの採用となった。

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▲グリーンシャトル/グリーンライナーの行灯・ヘッドマーク
都市新バスの外観で目立つものとしては愛称板の行灯がある。IK コーチの車体の場合は、行灯とそれと一体化したデザインのヘッドライトベゼルに取り付けるカバー部分が特注品となっている。後にこれらのパーツも正式なオプション品となり、他社でも見られるようになつた。
また、都営バスの超低床バス・低公害車でも流用されるようになった。
なお、行灯・ヘッドマークについては、一般系統での運用時のためにカバーが別途用意された。カバーの留め方はボディメーカーによって異なる。都市新カバーの項を参照。
以下の座席定員は、全て乗務員席を除く客席の座席人数である。S代以前は登場時は扉側最前席がなく、後に増設されている。

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▲[都01]初代、[都02]初代専用車の車内 [n]

車内は一見すると都市新バス用の別注仕様に見えるが、既存のカタログパーツの上級品やオプションを組み合わせた内装となっている。
座席は天龍工業の座席のパーツを組み合わせたもので、座席の背もたれはセミハイバック、座面は左右一体型という組み合わせである。[都01]と同じく黄色・緑のパステル調ツートンカラーであった(Z代以降は車体更新時にイチョウシートに貼り替え)。内装は化粧版の木目調デコラ板で、降車ボタンも都営の標準仕様ではなく、交通局から型番が指定されていた(稲垣工業DBS-100/200)。いすゞの都市新バスはB代まで採用されていた。
この第二世代で採用されたこれらの仕様は「都市新バス仕様車」の基準となり、交通局の仕様書にも「都市新バス」と書かれて各メーカーへと発注されるようになった。都市新バス仕様車については、一般車に比べると1台あたり約数百万円のコストがかかっていたという。

▲都市新バス仕様の降車ボタン

ここでは都市新バス仕様で導入された車両を紹介していこう。なお、専用設備を備えた新車は平成10年度(E代)までで、それ以降はヘッドマーク・愛称板を掲出するのみとなっているため、ここではE代車までを取り扱う。
また、リフト車のように内装は一般車と同等だが、都市新バス車輛の扱いで都市新系統で運用されていた車についてもここでは含めない。

グリーンシャトル [都01]

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▲B-M227 三菱(呉羽) P-MP118K [き]

昭和59年3月登場の呉羽ボディの初代都市新バス車。運輸省(当時)の都市新バスシステム助成金を用いて33輛導入した。呉羽の先行試作モデルで、全国的にも稀少なものである。方向幕周りを青色にして方向幕の地色と合わせたのも特徴であり、後の仕様にも引き継がれた。なお、登場当初は愛称板の部分が「都市新バス」となっており、後に公募で愛称が決められた。座席定員29。

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▲B-R235 三菱(新呉羽) P-MP218K [き] car_201
▲B-S240 三菱(新呉羽) P-MP218K [き] car_202
▲B-V246 三菱(新呉羽) P-MP218K [き] car_203
▲B-W112 三菱(新呉羽) U-MP618K [き] car_198
▲B-X322 三菱(新呉羽) U-MP618K [塩] 昭和61年度に増車で登場した、都営バス初の新呉羽車体(エアロスターK)。ボディスタイルも大きく変わり、この後のX代(平成3年度)車まで同様なスタイルで増備され、'90年代の[都01]系統の顔であった。他の車が黒色のバンパーとなる中で、銀バンパーを貫いた。
V代(平成元年度)は登場時のみ仕様ミスで側面方向幕の枠が青でなく黒色になっていた。
W代(平成2年度)からは前扉がグライドスライドドアになっている。
R代は7輛、S代は2輛、V代は2輛導入。登場時の座席定員はR・S代が29、V代は前面最前列が追加されて30。W代からは初代の置き換え用として登場し、W代は16輛、X代は17輛導入された。同じく座席定員は30。

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▲B-Z350 三菱 U-MP618K [き] 平成6年1月に1台のみ登場した。[都08]の専用車と同じだが、車内座席配置や前面はグリーンシャトル仕様車に準じており、[都01]では唯一のボディとあって、南千住の同型式車と雰囲気が全く違って見える。[都08]の一人掛け主体とは異なり、こちらは二人掛け主体で座席定員は29。

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▲B-C177 三菱(MBM) KC-MP717KVF改 [五] フルモデルチェンジを行ってニューエアロスターとなり、平成8年度末に7輛登場した。都市新バス仕様車は今までとは異なり1人掛けの座席が多くなり、外観では愛称アンドンが小さくなったのが特徴である。らくらくステップ仕様でもある。渋谷の都市新バス専用車としては最後の世代となった。座席定員は27。


▲W代都市新(沿岸バス移籍後) [北]

▲C代都市新車内[北]

グリーンライナー [都02]系統

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▲G-P275 いすゞ(川重) P-LV214K [き] t_i04 (Custom) のコピー
▲G-T494 いすゞ(IKC) P-LV214K [き] v_i07
▲G-V638 いすゞ(IKC) P-LV214K [塩] x_i16 (Custom)
▲G-X390 いすゞ(IKC) U-LV224K [塩]

▲昭和61年3月に28輛登場した。エアサスやハイバックシート、前面扉が観音開き状に開くグライドスライドドア、角ばった降車ボタンなど、この車で都市新バス仕様が固まったと言える。一般路線車では初のエアサス車となり、当初は側面に「エアサス車」という表示が入っていたが、後に消去された。座席定員は29。登場時は上野松坂屋がメインスポンサーで、車内の細かいところにもロゴ広告が貼られていた。
T・V代は[都02]登場時に車が足りずに一般車を格上げした分を置き換えるべく追加投入された。T代は7輛、V代は14輛である。座席定員は29。その後、X代(平成3年度)で9輛導入された。X394, 395の2輛は機械式ATの試験車だった。座席定員は30。

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▲G-Z337 いすゞ(IKC) U-LV224K [タ] 初代の置き換えをすべく平成6年1月に14輛登場。Z341・343~345はアイドリングストップ装置の試作車、Z346・347はニーリング装置の試験車となっている。末期は一般運用に格下げされた車も存在し、行灯が黒く埋められたほか、ヘッドマークは一般車と同じくイチョウマークになっていた。座席定員は30。

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▲G-B735 いすゞ(IKC) KC-LV280L [塩] 平成7年12月~8年1月にかけて10輛登場し、残ったP代都市新車を置き換えた。全車両アイドリングストップ・ニーリング機能を搭載。座席定員は30。

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▲G-C170 いすゞ(IKC) KC-LV280L [タ] 専用車としては最終世代にあたる。平成9年2月に3輛導入。段差を低くしたらくらくステップを採用した。座席定員は32とこの近辺の世代では最多だった。


▲Z代都市新車内(更新後)[北]

▲B代都市新車内(更新後)[北]

▲C代都市新車内(更新後)[ア]

グリーンアローズ [都03]

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▲D-S215 日野(日野) P-HU233BA [き] 昭和63年3月に第三弾の都市新バス用に34輛が導入された。座席の色は今までと異なり系統イメージと同じ青色系を採用した。屋根のクーラーユニットに外気導入型を採用しているのは都市新バス仕様の特徴と言える。座席定員は29。

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▲D-V234 日野(日野) P-HU233BA [き] w_h21 (Custom)
▲D-W768 日野(日野) U-HU2MLAA [塩] z_h03 (Custom)
▲D-Z348 日野(日野) U-HU2MLAA [塩] 増便用にV代(平成元年度)・W代(平成2年度)・Z代(平成5年度)車が1輛ずつ増備された。当初、V234は当初は運用が一般班の枠に入っており、[都03]で見かけることは少なかった。
W代は排ガス規制がU-規制になるとともに運転席のインパネがバックライト式に変更され、夜間の計器類視認性が向上した。 フロントの形状が変更になり、以前より丸みを帯びたデザインになった。
Z代はフォグランプが角型に変更になった程度で、大きな変更点はない。これら3輛は平成12年の大江戸線改編で深川に転属し、引き続き[都03][都05]を担当した。座席定員はいずれも30。

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▲D-D333 日野(日野) KC-HU2MLCA [塩] eh_07 (Custom)
▲D-E434 日野(日野) KC-HU2MLCA [塩]

初代車の置き換え用にD代が平成10年2月に10輛、E代が平成平成11年3月に10輛導入された。コストダウンが外見に大きく現われ始めた代で、D代からはハイパックシートと背面の局番札が廃され、車両の大きな差分はエアサスと逆T字の窓だけとなった。E代では行灯も省略されてステッカー貼りとなっている。平成12年12月の大江戸線改編で杉並残留組と深川転属組に分かれ、残留組は行灯やステッカーの表示が外された。座席定員はいずれも30。

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▲D-Y785 日野(日野) U-HU2MLA改 [塩] 平成5年2月に都市新仕様で導入されたHIMR。詳しくは低公害-HIMRの項を参照。平成12年12月の大江戸線改編後は杉並に残留し、ヘッドマークはイチョウに交換された。座席定員は28。


▲S代都市新(士別軌道移籍後) 青のツートン

▲Y代都市新(HIMR) [北]

▲Y代都市新(HIMR)更新後 [北]

▲D代都市新(更新後)[北]

▲E代都市新(更新後)[北]

グリーンアローズ [都04]

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▲L-S253 日デ(富士) P-UA33K [目] 昭和63年に開業した「グリーンアローズ」は複数系統からなり、方向幕の色分けで、[都04]系統は緑色となった。日産ディーゼル初の都市新バスで、車体が富士重工の先行試作モデルとして日本初の7Eボディを採用した路線車となった。座席定員は29。

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▲L-X600 日デ(富士) U-UA440HAN [き] 平成4年3月に増車用に1台のみ入り、日産ディーゼルの純粋な都市新バス車は最後となった。平成14年に行灯を塗られて一般車扱いとなった後に2003年に除籍された。座席定員は30。

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▲L-E422 日デ(富士) KC-UA460HAN [タ]

平成11年5月に初代車の置き換えで登場した都市新バス。当初、仕様ミスで一般車と同じ側窓2段で登場し、すぐに改修を受けて改めて年度をまたいでから逆T字で現れたという逸話を持つ。座席定員は29。
愛称行灯も廃止されて、日野と同じくステッカータイプになった。江東は平成15年に[都04]から撤退し、新たに[都07]を所管した際に前面のステッカー・ヘッドマークが交換された。都市新の交換も参照。


▲X代都市新(道北バス移籍後)

▲X代都市新 優先席

▲E代都市新 [北]

グリーンアローズ [都05]

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▲S-T308 いすゞ(富士) P-LV214K [塩]

昭和63年6月に15輛登場。深川の指定車種であるいすゞ-富士重工の組み合わせとなり、[都04]に引き続き7Eボディで登場した。座席の色と方向幕は赤色系となった。平成12年までに全車引退したが直接の代替はなく、それ以降は深川から転属してきた都市新バス車が[都03]に加え[都05]も担当するようになった。座席定員は29。

グリーンエコー [都06]

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▲M-V619 日野(日野) P-HU233BA [塩]

平成2年3月に登場。目黒に34輛が導入され、灰色地の方向幕を採用した。車両仕様は[都03]の初代車とほぼ同様である。平成11年より目黒から渋谷に順次運用が移管されたため、一部の車は渋谷に転属して最後まで[都06]用に活躍した。置き換えはH・K代(平成13~14年度車)の一般仕様のノンステップとなった。なお、この過渡期にグリーンシャトル用のW代車がエコーに付け替えて走ったこともあった。都市新の交換も参照。座席定員は30。

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▲B-Y780 日野(日野) U-HU2MLA改 [ア] 都市新仕様のHIMRとして平成5年2月に目黒に4輛導入。詳しくは低公害-HIMRの項を参照。当初は行灯の部分は「ハイブリッドバス」で、すぐに「低公害バス」に交換された。Y780のみ、平成15年の渋谷移籍後しばらくして「グリーンエコー」の愛称板を出すようになった。座席定員は28。


▲Y代都市新車内[北]

グリーンスター [都07]

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▲V-X601 日野(日野) U-HU2MLAA [き]

平成4年3月に葛西に30輛が登場した。[都06]と比べると外観の変化は少ないが、排ガス規制の変化に伴って駆動系部分のモデルチェンジが行われている。葛西の顔とも呼べる存在だったが、平成15年春の江東移管とともに転属して深川・江東などに散らばり、同年内に全車が除籍された。深川に移籍した分はグリーンアローズに付け替えて短期間ながら運行にあたった。詳しくは都市新の交換を参照。座席定員は30。

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▲V-Y787 日野(日野) U-HU2MLA改 [塩] 平成5年2月に都市新仕様で導入されたHIMR。詳しくは低公害-HIMRの項を参照。都市新仕様ではあったが[都07]に入ったことは果たしてどの程度あったのだろうか。筆者はカバーを外した姿を見たことがない。末期はヘッドマークがイチョウに交換された。座席定員は28。


▲X代都市新車内[北]

▲X代都市新(JHB移籍後)[北]

グリーンリバー [都08]

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▲K-Z359 三菱(三菱) U-MP618K [塩]
▲K-Z332 三菱(三菱) U-MP618K改 [き]

平成6年1月に南千住に17輛登場。三菱(名古屋)ボディ初の都市新バス仕様車となった。このうち2輛はニーリング機能装備である。車新呉羽ボディの都市新バスと比較してハイバックシートが採用し、グレードアップが図られている。平成18年に引退して一般ノンステップ車での運行となったが、それ以降はヘッドマーク・愛称板を出して運行する車もなくなったのが物寂しい。座席定員は26。
これ以外に、1輛は初のMBECS(蓄圧式ハイブリッドバス)仕様で登場した。詳しくは低公害-蓄圧式ハイブリッドの項を参照。MBECSは通常仕様と異なり、定員設定の都合上、着席定員重視の二人がけメインとなっている。座席定員は29。


▲A476車内[塩]

▲A476車内(更新後)[北]

▲Z代車内(更新後)[北]

▲Z代MBECS車内(更新後)[北]
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