4月1日に春の改編が実施された。交通局から改編の内容が発表されたのは、今までよりかなり早い3月1日だった。それもそのはず、今回は外周部や不採算路線を中心とした路線廃止が目立ち、路線の廃止キロで言えば平成12年の大江戸線改編以来の規模とも言えるものであった。
この改編は、それ以外の路線の組み換えや、既存路線の増便も目立っており、一言でいえば「選択と集中」が目立つ改編と言えるだろう。東電株の無配当による赤字要因を抱える中、経営計画において3ヶ年での収支均衡を目指しており、他社でカバーできるものや、著しく乗車の少ない系統を中心に手をつけたと考えられる。
そのような中で都営として廃止される路線や短縮路線は、 [虹01](浜松町駅~東京ビッグサイト)のようなかつての看板路線、そして[東98](東京駅南口~等々力操車所)のような東急と長らく運行していた共同運行路線も対象となっているのが特徴的である。廃止・短縮系統の多くは、他で代替手段があるとは言え、近年路線廃止が少なかった都営バスとしての撤退は衝撃的であった。
また、昭和23年以来東急との共同運行だった[東98]は、4月以降は東急バスが肩代わりし、本数は維持されることになった。これにより、目黒区から都営バスが撤退し、23区で唯一都営バスが走らない初の区となった。
それ以外の廃止・短縮の主なものでは、[南千47](日暮里駅~南千住駅東口)の全線、[東42乙](南千住車庫~東武浅草駅~秋葉原駅)の浅草以南など、コミュニティバスに役割を譲ったもの、[有30](亀有駅北口~足立区役所)の全線、[宿91](新宿駅西口~新代田駅~駒沢陸橋)の新代田駅以南、[新小29乙](東新小岩四丁目~春江町)など、都営バスエリアの外縁部に当たる部分からの廃止・短縮が目立つ。
これ以外では、[新江62](新江古田駅~大泉各園駅)も1日4回と大幅に本数が減少し、代替で西武バスが[練48](新江古田駅~大泉各園駅)が開通した。かつて、この路線は西武が昭和48年に撤退した系統であることを思うと感慨深いが、[新江62]も余談を許さない状況となった。
ここでは、各系統についてもう少し細かく改編の内容を見ていこう。 [虹01]……浜松町駅からレインボーブリッジを経由してお台場一帯を結んでいた。都心部からのアクセスの場合、ゆりかもめに乗った場合は台場駅まで310円、ビッグサイトまでは370円なのに対してこの系統は均一運賃の200円と安価なため、観光や通勤の固定客も見られた。
方向幕も都営バスでは珍しい水色地、そして側面にはレインボーブリッジのイラストと手が込んでいた。当初はお台場輸送の看板系統として活躍したが、ゆりかもめと全線で競合することや、乗客の入れ替わりが少ない中で200円均一という設定に収支上の無理があったのか、本数が減り続けて、ついに全廃された。ただし、同一区間をケイエム観光が運行する kmフラワーバスがほぼ同じ本数で代替運行しているため、最低限の利便性は保たれている。ただし、Suica・PASMOは使えなかったり、バスロケーションシステムがなかったりという不便はあるが……。
なお、出入庫として運転されていたうち、港南四丁目→浜松町駅については、4月以降も平日2本運行されている。これらは浜松町駅前(路上)着に短縮された上
で、[橋86]・[都03]の出庫として運転されている。
沿線にマンションが増加して混雑度合いが激しくなったことや、廃止される[虹01]の分の手当てという意味合いもあるのだろう。これと同時に増便も行われたことで、土休日は東京テレポート駅まで10分間隔と非常に利便性が高まった。同時に品川との共管比率が変化し、品川の担当分が多くなっている。また、[虹01]の廃止に伴い、従来港南が休憩していたビッグサイトのスペースに品川・深川車が休憩するようになった。 [波01出入]……平成18年4月の開設以来、路線図に載らない系統として品川駅東口(港南口)~東京テレポー駅をひっそり運行している。[虹01]の廃止により、レインボーブリッジを渡る路線はついにこれだけとなったが、[海01]の担当便増加により、[波01出入]の本数は少々増えた。
これ以外には、[都05]の路線改編で台場二丁目~東京テレポート駅を通らなくなることにより、1往復だけであるが、路線免許の活用ということもあるのか、この区間を通って東京テレポート駅行きとなる便も誕生した。この場合、船の科学館駅・テレコムセンター駅は通らなくなることから、時刻表にはその注意書きが書かれている。
LEDについても専用の表示が用意され、[波01出入]の表示が消えて無番表示となったのも特徴である。系統番号表示をすると却って紛らわしいということだろうか。
有明中高にも停車するようになった。有明地区のマンション住民からの要望もあったようで、有明から勝どきまで10分前後まで出られるとあって、なかなか野心的な設定と言える。
これに合わせて、従来は土休日のみ運転だったのを毎日運行として、通勤需要を主体とした運転になった。イベントの行き帰りにも使える設定で、都心の速達性を考えると、[虹01]の代替とも言えるだろう。方向幕車については、[都05]の橙色地に黒字(従来は白字)のものが新たにデザインされた。
[亀21]……最終便の亀戸駅→亀高橋の設定がなくなった。元々は平成10年頃に新設されたもので、深川所管だった時代に豊住操車所(現東陽七丁目)に直接入庫する運用として誕生したものである。平成12年に江東に移管された後も最終便の行き先として残り続けた。亀高橋からは清洲橋通り、明治通りを回送で進んで車庫に戻るという形態だったが、今回の改正でついに消滅して、終バスの数分の繰り上げとともに東陽町駅まで延伸された。ある意味発展的解消と言えるだろう。
[上23]……昨年の改編で誕生した上野松坂屋~押上駅の設定がなくなった。スカイツリー関連の路線増強にあわせて誕生した折返系統だが、需要も一段落したということや、押上交差点の渋滞で交通広場に入るのに時間がかかるといったこともあったのか、より混雑する[草39](浅草寿町~金町駅)に振り分ける形で消滅した。
なお、[新小29]の臨海移籍後は方向幕が作られず、全車 LED限定となった。LED改造も進み、多数派となった
ことからできる措置だろう。
今回の改編では、その春江町への枝線が全廃され、原則、東新小岩四丁目~葛西駅・東京臨海病院の運転に改められた。同時に臨海支所に移管され、[新小30]の系統番号は[新小29-2]に改められた。
これ以外の[新小29出入](一之江駅~(新大橋通り)~東小松川車庫)については、[臨海28出入]と名を改めて江戸川で引き続き担当している。ただし、本数は平日1往復に削減されている。
元々は環七の開通に合わせて、[王49](王子駅~千住車庫)とともに昭和45年に運行を開始したが、昭和末期以降は本数がどんどん減り続け、平成15年4月の改編で足立区役所を境に分割され、亀有側の[有30]はわずか平日8往復となってしまった。その後も削減されて6往復になり、平成18年には青戸に移管された。この時点で所要台数は1輛だが、その維持も最早不要という判断だろうか。 [南千47]……平成17年5月に平日昼のみで開業した。汐入地区と区役所連絡も目的にあったのだろうが、区役所連絡としては平成17年4月に荒川区コミュニティバス「さくら」(南千住駅西口~荒川区役所循環)が開通しており、さらに平成18年10月には「汐入さくら」(南千住駅西口~汐入地区~南千住駅東口)が運行を開始し、一部便は「さくら」~「汐入さくら」で直通運転を行うようになった。こうなると、この路線の役割と競合することになり、汐入から日暮里駅方面に直通する需要も少なかったということか、今回の改編で廃止されてしまった。
[東42乙]……南千住車庫から隅田川沿いの橋場地区を通って浅草を結び、さらに一部便は蔵前から蔵前橋通りを走り、三井記念病院を経由して秋葉原駅にまで至る。今回の改編では、このうち浅草以南が廃止され、全便が浅草雷門止まりとなった。平成16年4月には上野駅→御徒町→三井記念病院→浅草橋駅北→鳥越神社→田原町駅→かっぱ橋→台東区役所→上野駅と、区の南側を循環する「南めぐりん」が開通した。役割が重複することもあり、平成16年10月のダイヤ改正で平日・土曜は朝夕のみ、休日は昼間の便のみに特化して大幅に本数が削減されたのが一種の予告だったのかもしれない。[白61]……日中の一部便(1本/時程度)が練馬車庫~練馬駅まで延長運転されるようになった。昭和52年に豊島園から撤退して練馬車庫止まりになって以来、久々の練馬車庫を飛び越える系統設定となった。[新江62]が廃止される前提だと練馬駅ターミナルの乗り場も含めて撤退となるため、それを避ける目的で設定したのだろう。[白61]全体としても増便され、力の入った系統になっている。 [新江62]……今回の改編では、[新江62]の本数は1/3以下の4往復にまで削減され、その代替で西武バスが同区間に[練48]という系統番号で走らせることになった。共通定期等の取り扱いはない。
これと同時に、早朝深夜に運転されていた練馬車庫への出入庫が全廃され、大泉学園駅~練馬駅・新江古田駅の運転のみに統一された。ちょうど[新江62]と[練48]を合わせると等間隔のダイヤになるが、既に廃止を匂わせるよ[草63][草64]……始発時間帯の大関横丁→池袋駅東口が消滅した。かつては池袋方面の始発は巣鴨車庫から回送して田端新町一丁目始発となっていたが、平成18年4月の南千住と共管になった改正で、始発便は南千住が担当し、大関横丁→田端新町一丁目→池袋駅東口を営業運転するようになった。
平成22年4月の改正で南千住が撤退したときに始発は荒川四丁目→池袋駅東口に短縮され、それ以降の2便(土休日は1便)は大関横丁始発のまま残ったが、今回の改正で全て荒川四丁目始発に改められ、大関横丁始発は消滅した。代わりというわけではないが、[草63]の池袋方面の始発として、新たに千駄木三丁目→池袋駅東口の区間運転が誕生した。 [橋86] ……目黒駅~東京タワー・新橋駅を結ぶ系統であるが、この改編よりついに港南支所に運行を委託
することになった。移管に際してはダイヤ改正も行われず、本線のダイヤは変更されなかった。行き先表示もそのまま品川時代のを継いでいるが、そのままコピーしすぎたのか、移管直後は車内放送の問い合わせ先が品川営業所のままになっていたが、夏の車内放送更新に合わせて直った。
[宿91]……新代田駅~駒沢陸橋の末端部が短縮され、新宿駅西口~新代田駅の運転となった。短縮区間は東急バスのエリアに乗り入れ、[森91](大森操車所~新代田駅)と並走するが、新代田駅を境に大幅に本数が減っており、駒沢陸橋を発着する便は十数往復程度となっていた。今となっては新代田駅をまたぐ需要も多くないということだろうか。[反96]……五反田駅から品川駅・麻布十番駅を経由し、六本木地域を循環して戻ってくるが、平成18年に延伸して以来の麻布十番駅~六本木地区の経路が大きなループを描いていたのを取りやめたる往復ともに六本木駅経由とし、六本木けやき坂を通らなくなり、六本木ヒルズ止まりの扱いとなった。通行止めや渋滞が多いことも一因だったのかもしれない。
また、始発・最終と[橋86]の入庫については品川車庫発着となるが、 [橋86]が港南に移管されて[反96出入]の出番がなくなることに合わせ、始発の1本も品川車庫→赤羽橋駅を品川車庫→六本木ヒルズに改め、[反96]としての赤羽橋駅発着は消滅することになった。
競艇バスにも変化があり、外向発売所の開設により通年で走るようになったことで、平成24年度より参入した巣鴨担当の[艇10](平井駅~ボートレース江戸川)については巣鴨が撤退し、平井駅・西葛西駅・船堀駅発着便の減便とともに、競艇バスはほぼ全て江戸川の担当に集約されることになった。そのため、巣鴨が競艇を担当していたのが見られたのは僅か1年間だけのことであった。これと同時に、LEDの行き先表示は、系統番号の部分が「艇0x」からビッグサイト臨時同様に「急行」表示に改められている。
ダイヤ改正に目を向けると特に豊洲・勝どき近辺など、乗客増が目立つエリアを中心に既存路線で増発が行われた。