都営バス資料館

ヘッドマーク・愛称板

都営バスの各車の正面に輝く銀色のヘッドマーク。都のシンボルマークとして制定されたもので、仕様のコストダウンが進む中、このパーツだけは昔ながらの金属製の重量感のあるヘッドマークとなっている。
また、一部の車では都市新バスの特徴的なヘッドマークを掲げた車も存在する。ここでは、そのようなヘッドマークや掲示物を紹介しよう。

交通局章

元々は東京都交通局章が掲げられていた。小さな六角形から六方に伸びて大円となるマークは東京都(市)章を元にしたもので、明治44年の東京市電気局(交通局の前身)成立時に決まったもののようだ。市バスの運行初期から側面に局章を大きく掲示したものとなっており、「都バス・東京旅情」の各写真を見る限り、戦後の昭和24年頃から前面に金属板を掲出するスタイルになっている。ボンネット型への掲示は小さいものだったが、昭和20年代後半のキャブオーバーやリヤエンジンの新車になると今と変わらないサイズとなった。
中央の円は赤色に塗られた。昭和34年以降にクリーム・えんじ帯の塗装になった際も変わらなかった。

▲昭和34年8月1日 交通局告示第6号「東京都交通局章」より

▲昭和20年代後半 小型のヘッドマークを掲示[河]
▲昭和30年代 [河]

昭和43年の白地に青帯の通称「美濃部カラー」になると、中心の円は車体色と同じく白に塗られた。次の昭和56年からの赤黄塗装では中心の色は黄色に、昭和57年からのナックルラインの塗装では緑色と車体色にそれぞれ合わせられたのが特徴となっている。

最後に局章を取り付けた新車は平成2年後半のW代中期車である(後期の超低床車は除く)。平成3年度に全車イチョウのシンボルマークに変更したため、W代の交通局章での運行は短い間だった。局章のヘッドマークについては、多くが同年都庁で開催された80周年記念の「とえいこうつうワンダーランド」にて部品販売に回り放出された。

▲S-W213(平成2年10月入籍)

なお、近年走っている復刻ラッピングについては、局章に取り替えて運行している。渋谷は局章の中央の塗色は緑のままだが、巣鴨の復刻車は時代に合わせて赤に塗り替えられている。

▲渋谷の復刻車 中央の色は緑

イチョウマーク

今われわれが目にすることが多いイチョウマークは、平成元年6月に東京都が制定した「シンボルマーク」である。東京都の頭文字"T"を図案化した。
昭和末期になると企業のイメージ刷新などを目的として、CI(コーポレート・アイデンティティ)策定による新たなロゴマークなどの制定が盛んになった。これもその流れの一貫で生まれたものである。
 
交通局では平成2年12月に「都営観光バス車体デザイン検討委員会」でシンボルマークを車体に取り入れることを決定し、このマークをデザインした事務所にヘッドマークデザインを委託。3点の試作品の中から現行のデザインを選び、一般車全車に取り付ける方針を固めた。貸切車はイチョウを各面にあしらった車体デザインとの兼ね合いで、また特定車や都市新バスは既に別途ヘッドマークが付いていることから取り付けないこととなった。
イチョウマークの取り付けは平成3年3月導入のW代超低床バスが第一号となり、既存の車についても平成3年内に取りつけられた。
イチョウ全体が平板ではなく、曲面のように盛り上がっているのが特徴となっている。このマークは除籍なった車両から取り外し、再度磨いて新しい車に取り付けている。基本的に部品即売会でも出回ることはない。
 

▲最初のイチョウマーク W代

都市新バス

昭和59年の「都市新バス」制定後、それぞれの都市新バスには愛称板と専用のヘッドマークが掲出されるようになった。初代「グリーンシャトル」([都01]、渋谷駅~六本木~新橋駅)のみ開通の数か月後に、それ以外は開業前に愛称が公募され、あわせてヘッドマークデザインはデザイン事務所等が競作したものから選ばれた。
 
都市新バス8系統のうち[都03]~[都05]は共通となったため、ヘッドマークデザインは6種類ある。いずれも金もしくは銀色の円が外周で、中にモチーフのデザインが描かれている。開通当時作ったものをずっと使い回しているため、色褪せやひび割れが目立つものも多い。特にグリーンスターの散りばめられた星などはほとんど見えなくなっている。色のついたプラスチック板を切りぬいて貼り付ける加工をしているため色あせには強いが、グリーンリバーの空・川の部分のみペイントだったため、末期はその部分が完全に色あせていた。コストダウン仕様で、白い円盤に専用のステッカーを貼りつけたヘッドマークも考案されたようだが、使われることはなかった。
現在は[都02]グリーンライナー、[都08]グリーンリバーのみ付けている車が現存しない。
 
直径は30cm程度で、車体のイチョウ用の穴にはめられるように、ヘッドマークの台座の裏側に取り付けるための金具があわせて必要となっている。

▲①…グリーンシャトル[都01]/②…グリーンライナー[都02]/③…グリーンアローズ[都03][都04][都05]/④…グリーンエコー[都06]/⑤…グリーンスター[都07]/⑥…グリーンリバー[都08]


▲グリーンアローズの際の各案
(交通局報 昭和63年2,3月号)

▲[都02]開通前の愛称公募

▲色あせたスター(平成28年)

▲色が抜けたリバー(現在は消滅)

合わせて、都市新バスを示す愛称板が用意された。初代のみ当初は「都市新バス」の表示で走り、後に愛称制定とともに正式なものが取り付けられた。アクリル板をバックライトで照らす電照式となっている。それ以降は開通時より以下のような愛称板を掲示した。E代(平成10年度)より車体にステッカー貼り付け、その後は板にステッカーを貼りつける形となり、コストダウンされている。
詳しくは、都市新バスの記事も参照。
愛称板・行灯のサイズはボディメーカーによって異なっており、三菱・MBM系のボディはかなり小型のものだった。そのため、グリーンシャトルは車の世代によってロゴが長体になったり変形している。
 
愛称の「グリーン」は都バスのイメージとして定着しているとの理由で、シャトル以来全てグリーンを冠する名となっている。その後の名はそれぞれ抽象的な名前やデザインが多い。例えば「ライナー」は頻発・快適・安全を端的に示すイメージ名として、「エコー」は「お客様と局職員及びお客様同士のふれあいや心の交流を感じさせる名前」(当時の交通局報より)、といった趣である。「リバー」だけは途中で渡る隅田川をイメージしたものとして、図案もやや具体的なものになっている。

▲愛称板のデザイン

その他のヘッドマーク

これ以外での歴史的なものでは、ヘッドマークとして掲げていた最初のものは都電・トロリーバス代替だろう。都電の定期券が代替後も使えるということを示す目的で、以下に示すような代替バスの看板を掲げて運行した。形状は時期によるものか、2種類が存在したようだ。また、円の部分の色は系統により異なっていた模様。これらは代替後1年程度で定期券の移行措置が終わるとともに取り外され、それ以後は一般路線と見た目が変わらなくなった。
この対応のため、前面局紋と背面ガラス部にヘッドマーク取り付け用の補助金具が付けられていた。この補助金具は一時期の全車についていたようで、都電代替と縁のない青梅の車でも確認されている。

▲交通局報 昭和46年4月号より 逆台形の看板が見える


▲前面の取り付け台座[河]

▲背面の取り付け台座[o]


▲都電代替の2種類の看板

目黒・渋谷の車のみ、この補助部分は昭和50年代に入っても存在していた。これは高速道路経由の系統([東98]東京駅南口~等々力、[東83]東京駅南口~桜新町)でもヘッドマークを掲出したためだろう。ラッシュ時の片道のみ高速道路経由となっていたため、復路は表示のみ取り外して白い円盤の状態で営業していた。

▲[東98]高速経由[L]
▲[東98]復路 表面の円盤だけ外せるような2段階目の取り付け金具が見える[河]

これ以外では、平成5年のレインボーバス(初代)[虹01, 02](田町駅東口・東京駅南口~レインボーブリッジ)は、専用のヘッドマークとしてレインボーブリッジをあしらったものを掲出していた。都市新バスとは異なり、円盤にペイントした簡易仕様となっている。開通後2年程度で使われなくなったようだ。
これ以外では、平成9年の新・[虹01](浜松町駅~国際展示場駅)開業でも開通前の記念運行に専用のヘッドマークが用意されていたが、記念運行でここまでするのは珍しい。

▲レインボーバス用ヘッドマーク

▲実際の掲出風景[き]
▲[虹01]開通記念[L]  
特定車は前後に「スクールバス」用の掲示を掲げていた。貸切車からの転用の場合も掲げており、元々からの特定車はスクールバスの下にコース名の看板を合体させたものになっていた(後にコース名のみ車内に掲示)。
一般車がE代でヘッドマークを取りやめた後も、特定車最終期となるG代でも小型のヘッドマークを掲出していた。


▲特定車D代(昭和51年度)[リ]

▲特定車A代(平成6年度)[塩]

▲特定車G代(平成12年度)[塩]

▲貸切車転用[リ]

平成初期まで残っていたツーマン運行においては、目黒ではこの特定車のヘッドマークを転用した「ツーマン」表示が見られた。それぞれの車掌が廃品を加工したようで、他の車庫ではあまり見られないものだった。

▲ツーマン運行時の掲示[き]

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