都営バス資料館

行き先表示(方向幕)

方向幕黎明期

 昭和30年代の都営バスの行き先表示は前面と側面の出入口の扉上だけで、前面は行き先のみで系統番号が表示されていなかった。系統番号・行き先が分離され、背面にも表示がつくのが昭和35年度車からであるが、それぞれ手動で回転させる必要があり、表示を変更する際は各所で手回ししなければならなかった。ただし、往復で兼用の表示だったため、同一の区間運用の中では幕を変えることはなかった。

▲昭和35年頃 背面は往復兼用 [河]


▲昭和40年頃の背面幕の例(布) 練馬

▲昭和40年代の側面幕の例(布) 目黒

 しかし、ワンマン化が進む中で方向幕の切り替えは運転士の労力が増えるため、ワンマン化以後は背面は「都営バス」等の固定表示になり、前面も往復兼用の表示になっていった。また、W代(昭和45年度)の途中からは背面幕は準備工事だけした状態で省略された。交通局60年史によれば、昭和45年12月1日から背面方向幕が廃止となっている。
なお、前面についてはサービス改善のためか、T代(昭和44年代前期)までは前面が双方向表示だったのが、V代(後期)からは前面方向幕ハンドルの位置が運転席側に寄り、原則として往復別に行き先を表示するように戻ったほか、W代からは前面行き先は電動化された。なお、巻取機は基本的に全て羽深製作所製のものを用いていた。


▲前面が双方向の例(昭和43年)交通局60年史より

▲背面が「都営バス」固定 昭和53年[真]

 しかしこれでは「後ろから見たらどの行き先だか分からない」という苦情も目立ったようで、Z代(昭和47年度)車の登場時には車体背面の中央に小型の表示がついた。通称「弁当箱」である。幕の大きさは前面の系統番号幕と同じで、背面幕のなかったW~Y代にも順次取り付けが進んだが、見づらいという意見も多かったという。当初は系統番号を大きく表示していたが、後に運行区間も表記するスタイルとなった。
 
 側面方向幕の位置もワンマン化の進展とともに変わってきた。当初は中扉からの乗車を想定して中扉上にあった側面幕は、S代(昭和43年度後期)から中扉戸袋直前に、さらにW代(昭和45年度)からもう一つ前に移り、前扉のすぐ脇まで移ってきた。


 
▲~R代 中扉の上[真]

▲S~V代 中扉の手前に[上]

▲W~G代 前扉直後に[上]

3連動化


▲Z代「弁当箱」 昭和48年頃の系統番号表示[河]
▲弁当箱のアップ[志]
▲前面系統部分に弁当箱用が[n]
▲Z代の後期三菱から復活[三]

 Z代の最末期の渋谷導入の三菱車からは再び背面幕が復活した。弁当箱時代の車は、前面の系統番号部・背面が連動する2連動だったのだが、A代(昭和48年度)からは全車とも3連動となり、前面の系統番号部・側面・背面が電動で回転するようになった。同時期に、それ以前の古参車も順次3連動に改造され、背面の表示も復活して利便性が高まった。
 側面・背面が行き先のみの場合、前面の系統番号の部分は空白となっていた。系統・行き先の表示は別動だったため、出入庫の際は行き先だけ車庫行きにして系統番号はそのままということもあった。
 A・B代の辺りからは布幕からフィルムへと材質が変化し、手書きから活字に近い書体となり、見た目も近代化された。長体の系統番号の数字が特徴的なほか、側面は系統番号に枠が入るようになった。
 縦幅が小さいサイズゆえ、省略表記が頻繁に使われた。(東)(南)(西)(北)…東口・南口・西口・北口、(一)~(九)…一丁目~九丁目、(小)(中)…小学校・中学校が代表的な例である。時代が下るにつれて、前面・側面の途中経由地以外はこれらも省略なしで表記する例が多くなっていった。


▲前面行き先の例(1)

▲前面行き先の例(2)

▲側面の例(1)

▲側面の例(2)

▲背面の例(1)

▲方向幕原稿の例 前面(系統)・
側面・背面が同じ並びなのが分かる

方向幕の大型化

 この仕組みはG代(昭和54年度)まで続いた。翌年度のH代(昭和55年度)より全車で前面・側面で大型方向幕を採用することとなり、前面は系統番号と行き先が一体化した。今までの小型幕は「並型幕」と呼ぶようになった。
 大型幕になるとともに、以下の点を改めた。
★側面幕の位置を前扉から一つ分後ろに
★一部の短距離/臨時系統を除き、往復別々の表示に改める
★代ごとにバラバラだった幕順を一本化し、幕にコマ番号を振る
★コマ番号で指令できる選択機を装備(K代~)
★系統番号が緑、経由地が黒、行き先が紺色という色使いに統一
★「貸切」表示の整備(「都営バス」表示は昭和63年頃に一斉に追加)

 
 背面は波型幕時代を引き継いで、始発地も引き続き記すようになった。背面幕に「始発→行き先」の形で書いてあるのは全国を見渡してもかなり珍しい仕様となっている。


前面の例(北)

側面の例(品川)

背面の例(巣鴨)

カラー化・ローマ字併記

 昭和59年3月の都市新バス[都01]の開業とともに、都営バスでは初めて色地の方向幕(青色地)を採用した。他の系統とは違うことをアピールしたかったのだろう。これ以降は都市新バスは色幕となり、昭和63年の[都04](東京駅南口~豊海水産埠頭)は緑色、[都05](東京駅南口~晴海埠頭)は朱色(橙色)地と青色地以外の幕も採用されるようになった。同じ通りを通る系統を色分けする意図もあったのだろう。
 これ以降の新バスは、[都06](渋谷駅~新橋駅)と[都08](日暮里駅~錦糸町駅)は灰色地、[都07](錦糸町駅~門前仲町)は青色地とそれぞれ異なっている。

▲[都03]と[都05]の色分け [塩]

 それ以外では、同じく昭和63年より各地で開通した深夜バスは黒地に黄色地という共通デザインになり、平成3年開通の[C・H01](新宿駅西口~都庁循環)は灰色地と、特殊な系統を中心に色地が広がっていった。同時期に青梅管内の系統が全て黒色地に切り替わった。
 地色以外の変化以外でも多様なカラーが使われるようになったのは、平成2年開業の[夢01](錦糸町駅~新木場駅)で系統番号の部分に熱帯魚のイラストが入ったのが最初と思われる(下)。熱帯魚は水色で、その下に「DREAM LINE」と橙色字で表記された。
 なお、平成2年に姿を消した並型幕は深夜バス・都市新バスの色地幕は作られず、最後まで色地の方向幕は採用されなかったようだ。[夢01]では系統番号の部分に採用された程度だろう。

▲初代レインボーバス [き]  平成5年開業の[虹01](田町駅東口~レインボーブリッジ)では虹のイメージイラストが4色カラーで入っている。この時期より、「急行」「直行」などの表記がカラー化され、橙色の文字で表示されるようになり、各車庫で思い思いに使われるようになっていったようだ。使われていない地色は、メジャーなところでは赤・ピンク・茶くらいだろう。

▲カラーを用いた方向幕の例

 23区内の都営バスで一般系統で最初に使われたのは、平成6年採用の[井91](大井町駅東口~大田市場)の黒色地と[茶51乙](東京駅北口~駒込駅)の灰色地だろう。いずれも並行する系統との経路違いのために採用されたと考えられる。これ以降は区別のために一般系統でも色地幕を使うことが増えて珍しいものではなくなり、特に平成12年の大江戸線に伴う改編以降は多用されるようになった。ただし、近年は行き先表示のLED化が進んでおり、見易さを工夫したカラー幕も平成29年度で絶滅となりそうだ。

 方向幕のローマ字表記はV代(平成元年度)後期から始まった。国際化の時代に対応すべく、前面の経由地・行き先と側面の始発・行き先がローマ字併記となった。当初は写植書体のナールが採用されたが、文字のバランスが今一つということもあったのか、X代(平成3年度)から平成11年頃まではオリジナルの丸ゴシック体が使われた。やや癖のある書体で、この時代の西鉄・小田急バス・臨港バスなどでも使われており、印刷業者に共通点があったのかもしれない。それ以降は年によってモリサワの写植の見出し丸ゴシック系、フォントワークスのスーラのいずれかを使うようになっている。詳しくは別の項を参照。



(上)初代ローマ字、(下)2代目ローマ字


(上)初代ローマ字、(下)2代目ローマ字

 改編の後は旧車にもローマ字つきの幕が入ったため、モノコック車でも末期はローマ字のついた表示が見られた。また、その後も順次ローマ字入りのものに交換されたため、平成8年頃にはローマ字なしの方向幕はほぼ絶滅した。予備品の付け替えで巣鴨や江東ではごく僅かにローマ字なしの幕が残ったが、それも平成12年の改編による交換で全て消滅した。

▲平成12年までローマ字なしで残ったP-X568[ろ]

側面ワイド方向幕(リフト幕)

 W代(平成2年度)の都市型超低床バスで採用された側面がワイドな方向幕。前面と同じ寸法で、系統限定で走っていたが、共通化で絶対に入らないであろう系統も含め一般車と同じ内容が入っていた。色分け・側面の停留所並びは通常の仕様と同じで、ローマ字は行き先のみ入っていた。往復兼用の場合は片側だけ入っているので少し分かりづらいが、晴海やビッグサイト系統に入ることもなかったので実質的には問題なかったのだろう。この仕様は平成7年度(B代)のリフトバスまで同じ仕様で導入された。

▲C-A581[き]  
 平成15年春に目黒から渋谷に転属した車は、渋谷初の横長リフト幕とあって準備が間に合わなかったのか、転属直後のみ側面にも前面の内容を入れて走っていた。
 これ以外では、取り違えて入れてしまうことも。この写真では何と前面と側面の表示が入れ違いになっている。「回送車」等の表示は両方とも同じデザインのため、気づかなかったのだろう。これはこれで側面は見やすいと言える。前面は関鉄や昔の阪急バスを彷彿とさせる表示で、方向幕のデザインによってバスの印象が随分と変わることを実感する。
 こちらは途中で運転手は表示が間違っていることに気づいたのか、その日のうちに幕が入れ替わって直されたという。


▲側面が前面に

▲前面が側面に

大型幕の仕様

 前面・側面・背面とも、サイズは大型幕車導入以降変わっていない。他社の中には、一部車は前面幕が狭いサイズだったり、背面幕だけ小型だったりする例もあるが、都営は中型車・大型車ともに全車共通サイズである。
 幕番号の概念は今に至るまで存在しており、幕の裏側にはコマごとに2ケタの番号を示すシールが貼ってある。方向幕装置の車内の覗き窓から番号が見られるようになっている。このため、路線変更の際も、切り継ぎ・追加を行うとして幕番を意識した処理が必要である。具体的には、番号がズレてしまうために切り継いで追加することはできず、途中に追加する場合は、必ず同じコマ数だけ削除することが必要になる。
 
 方向幕を電動で指定のコマ数だけ動かすためには、いくつか方式がある。1コマごとに穴を開けたり、コマ番号を幕の脇にバーコードで記してセンサーで読み取ったりするなどの方式があるが、都営は羽深製作所(東京都文京区)の検地箔を使う方式を用いている。これは、コマごとの裏面の脇に銀色の検地箔を貼り付け、本体にはそれに対応する位置にセンサーを設置し、「箔を読み取った」=「1コマ進んだ」と判定する方法である。つまり、10番から50番へと表示を変えるときは、40コマ分下に動かせという指令を出しているものと思われる。
 このため、何もない白幕の部分に関しては、規定の幅を取らず、検地箔だけ連続してつけていることで1コマ扱いとしているような例も存在する。


▲検地箔とセンサー(中央)

▲20, 21番は白幕のため検地箔のみ連続

 都営バスの場合、コマ数の最大は100コマ(00~99)であり、00は原則必ず空白となっているため、最大99コマを利用できる。もっとも、営業所が数多くある都営の場合、そこまでコマ数を使う車庫は少なく、使い切ったことがあるのは品川・臨海・江戸川・深川くらいだった。
 方式的には、100コマを超えることももちろん可能だろうが、制御する機械が99番までしか対応していないことや、100コマを超えて対応させる必要まではないこと、巻き取り部分が大きくなってしまうことから対応していないのだろう。
 なお、途中で番号が飛んでしまうような例はほとんどないが、南千住の「夢の下町」専用車のように、90からスタートしている例も存在する。
 

▲幕番号シール(左上)
 都営バスの幕は、車庫ごとに統一した内容になっている。中型車だからといって中型車限定系統の幕しか入っていないというようなことはなく、どの車でも同じ内容が入っているのが原則であった。そのため、目黒-港南のように分駐所を持っている場合でも、幕の内容は共通なのが原則である。
 昭和の時代には、都市新バス系統([都01]等)については都市新バス専用車だけ持つ(他の一般車は白幕)というものや、深夜バスは一部新車のみ、ビッグサイト関連の臨時は中型車には入っていないといった例もあったが、現在はそういった例はほとんどなくなっている。

 同じ車庫で、他の車とは異なる幕を搭載している例もあるが、いずれも特別な系統の専用車ばかりで、例外的な存在である。例としては、深川の銀ブラバス、目黒のお台場快速バス、南千住の台東区循環バス(めぐりん)、夢の下町用バスが挙げられる。また、観光車タイプの深夜急行・二階建てバス(臨海)は小型の専用幕を装備していた。
 一般車で完全に他系統と別の専用の幕を装備していたのは、渋谷の[都06]専用車程度である。平成11年の一部移管当時、渋谷から目黒からの転属車だけで運行することとして、全車への方向幕追加の負担を少なくするために行なったのだろう。これも平成12年の全交換を機に各車共通の幕となった。

方向幕の終焉

 方向幕装置を一手に引き受けてきた羽深製作所の廃業もあり、M代(平成16年度)からは全車行き先表示がLEDとなった。これに加え、平成18年からは順次行き先のLED装置への交換が進んだ。平成18年はコマ数の多い品川・深川・江戸川が、平成19・20年は全車庫のL代と品川・深川・江戸川の追加転入車が、平成21年は青梅のH代と全車庫のK代がLED化された。これにより平成20年にLED車は50%を越えた。これ以降は改造はなかったものの、順次置き換えが進み、平成22年春には75%、23年春には82%、24年春は88%、25年春は90%と徐々に上がっていった。
 これにより、青梅支所が平成21年に他に先んじて方向幕車が消滅した。それ以外も平成25年度から次々と幕車が消滅していき、まとまって最終期の幕車のH代(平成13年度)車が残っていた杉並・大塚も、平成26年春に杉並が、平成27年に大塚が改編に備えまとめてLED化されて姿を消した。行き先表示(LED)の項も参照。
 平成29年初頭では、方向幕装備車は渋谷・早稲田・千住・南千住・青戸に30輛程度残るのみとなっている。東京圏では近隣他社が経年車も含めて全てLED改造の方針をとる中、都営バスはこの時点でも方向幕車がまとまって残っている珍しい事業者と言える。それも平成29年度までには置き換えられると見込まれ、特殊車として方向幕のまま残る夢の下町バスを除けば、長らく続いた方向幕車も終わりを迎えるのだろう。

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