「HIMR」とは、日野自動車が東芝と協力して平成3年に発売開始したディーゼル・電気ハイブリッドバスで、HIMRは「HINO Inverter Controlled Motor Retarder System」の略である。
日野自動車のハイブリッド車における開発研究の歴史は古く、昭和40年代から電気バスの研究を始めていたが、バッテリーの重さや経済性から実用化に至らなかった。その後も排出ガスの低減と低燃費の両立という部分で研究が続けられ、電子制御技術の進歩でエンジンとモーターを電子制御することによって実用化を図った。
後世では「パラレル式ハイブリッドシステム」と呼ばれる方式で、エンジンとモーター、両者の特性を生かしたシステムである。
発進・急加速等の熱効率が悪いところはエンジンが苦手とする領域で、逆にモーターにとっては最大トルクを発生しやすく得意とする分野である。そのため、モーターがエンジンをアシストすることで、エンジンは余計な過負荷をかけず有害排出物を押さえて加速し、また、ブレーキ時にはモーターを発電機として動作する回生ブレーキシステムにより、車輌に搭載しているバッテリーへ充電を行うことを可能としている。充電した電気は、加速時にモーターを起動する時の電力として供給されているため、繰り返し作動することが可能となっている。この概念図も参照。
エンジンとトランスミッションの間に東芝製三相交流モーターを挟み込むように搭載し、VVVF制御機を用いてモーターを制御する。加速時のエンジンアシストを行うことで、燃料を大量に消費する加速時にモーターがアシストすることで低燃費を実現し、さらに公害の原因となるNOx(窒素酸化物)等をNOx約20%低減、黒煙約60%の低減を実現することが可能となった。
▲HIMR透視図
▲HIMR床下図
(いずれも都バス70年史より)
また、モーターを駆動するための鉛バッテリーを床下に大量に搭載し、ブレーキ時に発電した電力をここに貯めている。また、動力用の高圧バッテリーしか搭載していないので、サービス系の低圧電源にはDCコンバータを使用してDC24Vに降圧させており、大半の電気系統を賄うことも可能となっている。
HIMRの開発では内蔵モーターが課題となったが、東芝が名乗りを上げて実用化のめどがつき、共同開発から2年後、平成元年の第28回東京モーターショーに参考出品を行い、平成3年には運輸省の「バス活性化整備等補助事業」により実用試作車が東京都・川崎市・名古屋市・京都市・大阪市等の公営事業者を中心に納入された。
都営バスでは初年度にX516という局番で杉並に納車された。ハイブリッドの効果を引き出すためには走行パターンに応じた最適な制御が必要であるが、日野自動車と共同で4年余り[都03](新宿駅西口~晴海埠頭:当時)を専門に走行してデータを蓄積し、この結果をもとに「HIMR用都市内走行パターン」を確立した。
このような利点を持つHIMRだが、短所も目立つものであった。床下にバッテリーを25個と大量に搭載するため車両重量がかさみ、同世代の一般車が9,500kgなのに対して10,470kgと約1t重くなっていた。また、走行条件によってはHIMRの十分な特性を引き出す事ができないことや、定期的に鉛バッテリーを全交換しなければならず、燃費は抑えられても、全体的なランニングコストは嵩むものであった。
また、使用済み鉛バッテリーの廃棄処理自体の手間もかかるものだったという。
E代(平成10年度)まで継続的に約70輛が導入されたが、全車ノンステップ化とともに採用が取りやめられた。その後は少しずつ除籍が続き、平成25年3月限りで最後まで残った2輛も除籍し、全車引退となった。
X代車(平成3年度)
▲D-X516 (き)
平成3年12月にX516が杉並営業所(当時)に導入された。主に[都03](新宿駅西口~晴海埠頭)の運用に入り、都市新バス仕様車に混じって運用されていた。
この時代は、都市新バス系統=都市新バス仕様車というのが厳格に決まっていた時期であり、見た目は一般仕様車が混じって走る姿はある意味新鮮に見えただろう。また、今までの路線バスにはない新しい技術を搭載しているため、今までの癖で運転するとなかなかスムーズに運転できないことや、トランスミッションのギア比の問題で乗務員にも得手不得手が分かれる傾向があったようだ。
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導入当初のX516号車ではリターダースイッチの段数によって回生ブレーキによる制動力が異なっていた。もっとも強くすると回生ブレーキ音がまるで鉄道のVVVFインバーター音のように響いたという。ただし、その後の変更でリターダーをONにした場合、回生ブレーキが弱く掛かるだけで、音を奏でることはなくなった。また、都営バスの場合、頻繁に発進停止を繰り返すために日野自動車側が想定していた通りに回生ブレーキによる充電が十分に行われないという課題もあった。
内装等はディーゼル車と同じだが、電気式ハイブリッドバスゆえ運転席側側面に蓄電用バッテリー用やVVVFインバーターにモーターへの通風口が設置され、リアの点検蓋の開く向きがディーゼルエンジン車と逆向きという妙な違いがある。
これ以外では、リアウィンドウに「HINO」のシールが貼られたが、メーカーロゴを原則としてつけない都営バスでは異例のことであった。
Y代車(平成4年度)
平成5年2月に11輛が登場した。実質的な先行量産仕様となり、また一般仕様車ではなく、都市新バス仕様車となった。配置も杉並・目黒・葛西に限られ、都市新バスを受け持たない品川には導入されなかった。
都市新バス仕様という豪華仕様で、ハイバックシートやグライドスライドドアを搭載していたため、車両重量的にはX代よりも300kg程度重くなっている。
車体部分では運転席側のルーバーの形状が変更され、都章のイチョウマークの部分には都市新バスヘッドマークが取り付けられた。行灯の部分は都市新バス愛称名ではなくX代同様に「ハイブリッドバス」となっていたが、ハイブリッドという名に馴染みがなかったのか、しばらくして「低公害バス」という表示に交換された。なお、後年はヘッドマークの部分はそれぞれイチョウに交換されている。
▲M-Y781(き)、D-Y786(塩)、V-Y790(き)
▲M-Y781(き)
また、Y代のHIMR車で特筆すべき部分は立川バスへの貸し出しが行われたことであろう。
これは、TAMAらいふ21(多摩新時代の創造 多摩東京移管100周年記念事業 国営昭和記念公園開園10周年記念事業)の一環で、昭和記念公園にて「多摩21くらしの祭典 VOICE'93」を平成5年7月31日より100日間開催した際のシャトルバスの輸送にあたったものである。立川バスが運行事業者となったが、不足する車輛を小田急バスから融通してもらったほか、東京都が主催するイベントという事もあり、都営バスからも最新鋭の低公害バス・リフトバスを立川バスに貸し出した。100日間という長期貸し出しのため、立川バスに一時的に籍を置いたのか、ナンバープレートも多摩ナンバーを取得し、車体にも「立川バス」と入れていたのは特筆すべき出来事だろう。
▲V-Y788 Voice'93貸し出し時
▲Y代HIMR 車内(北)
Z代車(平成5年度)
前年度とは異なり、一般車仕様で導入された。平成6年1月に12輛が全て杉並に導入され、一気に杉並のHIMR比率が高まった。これは、当時大気汚染の象徴の一つとされた環七雲(排気ガスで人工的に巻き起こる直線状の雲)が問題視されて、環境対策ということで環七の沿線を走る杉並にまとめて配置されたものである。
▲D-Z327 (き)
年を重ねるごとに改良が重ねられており、若干の軽量化が図られた。車体・内装等はディーゼル車と同じだが、電気式ハイブリッドバスゆえ、運転席側側面に蓄電用バッテリー用の通風口が設置されている。
それ以外では、屋根上のラインクロスファンがサイクルファンに2個に変更となった。一方、室内では手すりが変更され、今まで取り付けられていた緩衝材が薄いものに変更となり、出入り口付近の手すりは、目立つように黄色に着色されたものに変更された。
A代車(平成6年度)
22輛と前年度までに比べても多くの導入となり、平成7年1~2月に品川・目黒・葛西に導入された。この年より正式に型式認定を取得し、U-HT2MLAHとして型式から「改」の文字が外れたが、混乱防止のためなのか、都営車では引続きU-HT2MLA改という名で登録されていた。
▲Y-A463(ア)
これだけの数を入れたのは都市博を予定していたためだ。東京都はお台場で開催する地方博覧会として「世界都市博覧会」を計画し、そのシャトルバスには低公害バスを投入すると発表していた。しかし、バブル崩壊後に開催問題が取り沙汰されるようになり、都市博開催中止を公約に謳った青島氏が当選した。公約通りに都市博は中止となったが、低公害バスだけがそのまま大量導入されることになった。
また、このA代車より都営バスの車輌仕様コストダウン仕様へと転換が図られ、屋根上のラインクロスファン4個が換気扇2個へ削減されるようになった。部品点数では微々たる金額だが年間で100両近く新車を導入するとなると、ベンチレーターの削減&変更だけでもかなりのコスト削減効果が計られたという。
なお、目黒に配置されたA460~464の5輛は、後に前面に虹のイラストが入った仕様となった。
▲A代HIMR車内(北)
B代車(平成7年度)
平成8年2月に、目黒・葛西に計5輛が導入された。この代より平成6年排ガス規制適合車になり、型式につく排ガス規制記号がU-からKC-に変更された。
▲M-B650, 652(き)
この代から、既存モデルのフィードバックを行い、今まで以上の回生効率の高さと低燃費を実現するために、マイナーモデルチェンジが行われ、「HIMR II」となった。
特徴としては、エンジンに中型車で用いられているJ08エンジンにターボを搭載したJ08T-I型エンジンを縦向きに搭載し、エンジンとハイブリッド機構の関係でギア比も大きく変更され、燃費は6.0km/lを実現した。最高速度は80km/hとなったが、自動車専用道路を走行するわけではないので一般的な都市型路線バスとしては妥当な速度であろう。
車輌型式はエンジンの向きが変わったため「HT/HU」から「RU」になり、さらにエアサスペンションが標準仕様となった。台車などの足回りの設計は共通だが、一般車のハイブリッドバスから、特殊性が高まったと言えるだろう。
エンジンルーム付近の設計が大幅に変わった関係で、エンジンルームへの張り出しが大きくなった。車体にも変更点があり、都営バスの標準的な仕様変更点(マーカーランプの省略や運転席上の換気扇がラインクロスファンに戻る)の他に、HIMR IIでは以下のような変更点があった。
・エンジンが縦置きになったためにエンジンルーバーが運転席側から助手席側に変更となり、形状も今までの2段ルーバーから3段ルーバーに
・エンジンルームへの吸気口と冷却水投入口、後部ナンバープレートの位置が運転席側に
・後部補助ランプの高さが変わり、乗降中表示機の設置位置に干渉するため、乗降中表示器が中央寄りに
また、HIMR IIより標準仕様ではアイドリングストップ&スタートシステムが搭載された。都営バスでもB650が一時期アイドリングストップ&スタートシステムの試験を行っていたが、今一つだったということか、翌年以降のHIMRには搭載されなかった。
▲B代HIMR 車内(北)
C代車(平成8年度)
平成9年1月に品川にのみ4輛が導入された。基本的には前年度導入のB代車に準じた仕様となっているが、車内最後部座席の中央部に手すりが設けられ、実質的には2名×2つ分の座席となっている。
▲A-C221(五)
▲C代HIMR 車内(北)
D代車(平成9年度)
平成10年2月に品川・目黒・葛西に計8輛が導入された。乗客減少などの厳しい台所事情から、背面局番板の廃止や、側面方向幕下の窓ガラス固定化、車内手すり本数の削減、都市新バス仕様車の着色ガラス廃止など、出来るところからコストダウンを行うべく施策が始まった。室内では床色がC代の灰色から青系の色へ変わり、中扉付近の点検蓋が2カ所になった。また、中扉のガラスの下部着色が青から青緑に変更されている。
また、車内座席レイアウトの見直しが行われ、最後部座席の手すりが無くなり、優先席が前向きにに設置された。運転席部分でもHIMRリセットスイッチと漏電ブザーOFFスイッチの設置位置がメーターパネル右側から左側に変更されている。
なお、Z代・D代の目黒の車輛は晩年一部が渋谷へ転属し、都市新バス「グリーンエコー」のヘッドマークを取り付けて活躍した。
▲M-D268(き)
▲B-D270
E代車(平成10年度)
都営バスのHIMRとしては最後の導入となり、平成10年12月に目黒・葛西に計4輛が導入された。D代に引き続きコストダウンがなされ、車両後部に掲示している局番板を廃止、車体に直接カッティングシートの切り抜き文字で貼り付ける仕様に変更された。タイヤホイールの塗装は無塗装になり、都市新バス仕様車や低公害車で取り付けられていた電照式行灯も廃止され、名称もしくは低公害車マークが印刷されたステッカーを貼るようになった。
それ以外では、日野車はクーラーがビルトインクーラーに変更されたため、屋根上が非常にすっきりした。
▲M-E365(き)
▲V-E367(五)
▲A-E365
▲E代HIMR車内(北)
その後、HIMRの一般路線車仕様としては、平成13年に低床化及びバッテリーの鉛バッテリーからニッケル水素電池を採用した「ブルーリボンシティHIMR」へモデルチェンジしたが、路線バスとしての導入はアルピコグループに4輛が採用されたに過ぎない。
その4年後の平成17年にはノンステップバスのブルーリボンシティをベースにした「ブルーリボンハイブリッドバス」が登場した。都営バスでも平成19年より導入が開始され、一大勢力となったのは記憶に新しいところである。(北天)
参考文献
・都バス70年史(東京都交通局自動車部) 平成8年
・JAMAGAZINE(一般社団法人 日本自動車工業会) 平成13年11月号
・「ELECTRO-TO-AUTO FORUM」http://e2a.jp/index.shtml