都営バス資料館

Z代(S47)-いすゞ

総括 いすゞ 日野 三菱 UD Z代データ

BU05

標準床車(BU05)が川重ボディで大塚・滝野川に8輌、富士重ボディで滝野川に4輌導入された。BU05はいすゞ車最期の三方シート車である。エンジン型式は予熱式のDH100に変更になった。富士重工製は特徴のある前方傾斜マスクで、前扉上部に三角窓を持つ最期の車となった。前年までとは異なり、出力が低くない195psの車を導入した。

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BU06D

 低床車(BU06D)は大塚に川重ボディで15輌導入された。 BU06Dは前年度に続き導入された低床車である。エンジン型式も標準床車同様DH100に変更され、ホイールベースも標準的な4800mmに変更された。
また、外見的に特徴のあった前扉のグライドスライドドアは引き続き採用されたが、中扉は広幅化に伴い三分割の2枚ガラスが廃止され、他車と同様の小さい窓の扉になった。また、前扉すぐ脇の最前列の座席が廃止され、荷物置き場のようなスペースになった。 

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ECHK480 [ハイブリッド]

電気式ハイブリッドバス(EHCK480)が大塚・深川に川重ボディで4輌導入された。電気式ハイブリッドバスはディーゼルエンジンと鉛蓄電池を併用し、小型ディーゼルエンジンによって交流発電機を作動させ、その発電した電力で駆動するバスである。外部から充電して動力を得る電気バスとは思想が異なり、自力で発電して充電するというシステムあであった。すなわち、同じような名前であるが現在も運行を行っている日野のHIMR等のハイブリッドバスとも異なる。
 昭和40年代に入って光化学スモッグや大気汚染等の公害がクローズアップされ、対策が重要となってくる中で、低公害バスの開発が重要視された。他大都市の交通局が電気バスを低公害バスとして運行させる中、東京都は川崎重工・古河電池のハイブリッド技術の考えに乗って電気式ハイブリッド車の実用試験運行を開始することになった。
 いすゞの小型エンジンC330(43ps、排気量3,318cc)によって27kVA(380V・41A)の交流発電機を動かし、また充電装置としては420Vのクラッド式鉛蓄電池が並列に接続され、それが制御装置を経て電動機(連続定格67KW・400W・189A)でバスを動かす仕組みになっており、当時の技術を集めて作られた。一酸化炭素・炭化水素は少なく、窒素酸化物は1/3以下になるという触れ込みであった。
 なお、このボディはワンマン化の潮流を受けて車掌関連の設備がないワンマン運行専用車であり、都営バスでは初のワンマン専用車となった。車号もワンマン専用車と指定されながら使われることのなかった700番台が初めて使われた。4両(Z700~703)が川重のボディを架装し、昭和47年10月25日に都知事を迎えて旧都庁から皇居を一周する試乗会を行い、11月12日より運転を開始した。車体の4面(前面の局紋位置、中扉左横、中央非常口右横、背面左下)に専用のひまわりのマークを大きく掲げて運行を行った。
 しかしながら、当時はハイブリッドバスという概念が一般的ではなく、運行開始後も順風満帆とは行かなかった。事前の試算よりもエネルギーを消費してしまうことが分かり、低公害という面でもNOx(窒素酸化物)の排出量等が目標値を下回っていた。
 発電用エンジンの騒音が甲高かったのも特徴であった。住宅街用に、ディーゼルエンジンを回さず蓄電した電力のみで運行することも可能であったが、予想よりも補助エンジンを用いて充電しながら走行する割合が高く、信号待ちの時に周囲の車がアイドリングしている中で充電のためにエンジンがフル回転しながら高音を出しているのは奇異な姿だったという。
 公害対策としては有効な一面を見せたものの、コストの問題は大きく、車輌価格は一般ディーゼル車の3倍、また高価格なバッテリーも交換する必要が生じるなど、動力費では一般車の4.3倍かかった。また、故障にも泣かされた車輌であり、保守が大変ということで昭和51年10月には2輌が除籍(Z700,702)され、残った2両の部品取り用にされていたが、残る2輌もバッテリーの寿命が尽きてしまい、昭和53年3月限りで運行を終了することなった。
 非常にエポックメイキングな思想を持った車であったが、低公害であってもコストや使い勝手が優れているものでなければ継続使用は難しいという教訓を残した。バッテリーを持ったバスがもう一度都営バスに現れるのは、平成3年度(X代)のHIMRまで待たなければならなかった。

BU10 [特定]

 特定車(BU10)は富士重ボディで江戸川に2輌導入された。通常の車よりホイールベースがやや長く、後扉からはリフト装備で車椅子のまま乗車できるのが特徴である。新世代の装備を持った通学バスとして、養護学校からは好評をもって迎えられた。なお、特定車は900番台となるが、900台の前半は貸切転用車が改番されて使用されていたため、重複をさける意味で961からのスタートとなった。

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