都営バス資料館

N代(S59)-いすゞ

総括 いすゞ 日野 三菱 UD N代データ

P-LV314K

《前期》一般車(P-LV314K)は川重ボディが大塚・小滝橋に7輌ずつ、富士重ボディが深川に7輌導入された。大塚に導入された7輌は、昭和61年3月の[都02]都市新バス化に伴い、専用車が不足するために格上げ改造された。前方向幕左右の板の色が黒から青に取り替えられ、専用のヘッドマーク・愛称板が付けられた。。
《後期》一般車(P-LV314K)は川重ボディが江戸川に7輌導入された。N代前期車との変更点としては共通変更のほか、方向幕部とフロントガラス窓との間の部分が黒色に、またバンパーも黒くなってブラックフェイスのマスクになった。また、富士重ボディは巣鴨に7輌導入された。共通仕様変更のほかはライトベゼル・バンパーが黒くなり、こちらもブラックフェイスのマスクになり、より引き締まった感じになった。細かな変更点としては、側窓下にあるピラーの形状が出っ張りが大きいものに変更になったほか、フロントガラス分割ピラーが細いものになった。
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▲G-N350 [] 格上げ
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▲G-N351[饂飩] 格上げ
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▲G-N353[はた] 格上げ
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▲G-N353[oka] 格上げ
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▲E-N357[oka] 1n_i_n359_ht40
▲E-N359[はた] 1n_i_n359_ud50
▲E-N359[饂飩] 1n_i_n361_0tak
▲E-N361 [] 1n_i_n361_ud50
▲E-N361[饂飩] 1n_i_n365_ok40
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▲S-N365[oka] 1n_i_n367_ok40
▲S-N367[oka] 1r_i_r624_0tak
▲S-N368 [] 1n_i_n369_ok41
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▲S-N369[oka] 1n_i_n370_ht40
▲S-N370[はた] 1n_i_n451_ok40
▲R-N451[oka] 1n_i_n452_ok40
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▲R-N452[oka] 1n_i_n501_ud50
▲P-N501[饂飩] 1n_i_n501_20
▲C-N501 [塩] 1n_i_n502_ud50
▲P-N502[饂飩] 1n_i_n503_ud50
▲P-N503[饂飩] 1n_i_n508_ok40
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▲R-N508[oka] 1n_i_n509_ht40
▲R-N509[はた] 1n_i_n511_ok40
▲R-N511[oka] 1n_i_n512_ud50
▲R-N512[饂飩] 1n_i_n513_0tak
▲R-N513 [] 1n_i_n514_ud50
▲R-N514[饂飩]

P-LR312J [中型]

《前期》中型車(P-LR312J)は八王子に7輌導入された。ちょうど昭和59年より生産を開始した中型バスが都営にも導入され、八王子支所初の冷房車となり旧世代車を置き換えた。側面窓には、逆T字型窓を採用したため、中型車としてはスマートな仕上がりになっている。また、多摩地区では乗降方式を後ろ乗り前降り方式に変更する計画があったため、車輌更新の際にこれに対応する仕様で導入された。例えば、前面に「後のり」の表示板を差し込む枠が取り付けられたことなどが挙げられる。しかし、昭和60年12月15日を持って唯一の担当系統である[立73](立川駅北口~八王子駅北口)が廃止になり、この枠に「後のり」の表示板が差し込まれることはなかった。
系統廃止後は新宿へ転属し、[秋76](新宿車庫~秋葉原駅東口)で朝夕を中心に使用されて枠をつけたまま運行していたが、特に他の使用方法もなく、結局この枠は一度も使用されることなくすぐに取り外されてしまった。
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▲C-N808 [] 1n_i_n809_ud50
▲E-N809[饂飩] 1n_i_n810_10
▲E-N810 [塩] 1n_i_n810_ok40
▲E-N810[oka] 1n_i_n811_ok40
▲E-N811[oka]

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