川中島バス(アルピコ交通)/三菱/U-MP218K(三菱)
都営三菱車の導入はしばらく間が空き、平成15(2003)年に2台が移籍したのみとなった。エアロスターM・Kの一般車が1台ずつとなっている。 当初...
都営三菱車の導入はしばらく間が空き、平成15(2003)年に2台が移籍したのみとなった。エアロスターM・Kの一般車が1台ずつとなっている。 当初...
平成15(2003)~16(2004)年に5台が移籍。座席を2 人掛けに交換しているほか、また方向幕は中扉前方の窓を固定窓に交換して設置した。 ...
平成11(1999)年初夏に移籍した日野中型車。同型は3台移籍し、いずれも新町に配置となった。篠ノ井~新町方面の系統を 中心に活躍した。新町営業...
渋谷~新橋を走った都市新バス車の移籍で、同型は平成10(1998)年のこの1台のみの移籍だった。 前面方向幕回りのパネルは交換されたが、側面方向...
平成4(1992)年に初移籍となった元都営。この時代は日野のモノコックばかり計10台以上が登場した。昭和50年代から移籍車が見られ、神奈中・京阪...
平成6(1994)年末頃の移籍より、日野の移籍車もスケルトンボディのP-RT系ブルーリボンになった。川中島では昭和59(1984)年に自社導入で...
平成9(1997)~10(1998)年に日野RTとともに元都営が大量に移籍してきた。この世代はエアロスターKのみとなっている。N・P代が混在して...
平成7(1995),9(1997)年に1台ずつ登場した。元都営の川中島への富士重ボディはこの2台のみで、7Eは移籍していない(松電には移籍あり)...
元都営のいすゞはモノコック時代には川中島への移籍が見られず、M代のキュービック初期世代から見られるようになった。M代は平成7(1995)年頃の移...
平成11(1999)年頃に1台のみ移籍。川後線(長野~滝屋)用のいすゞ元都営車唯一の中型車。川後線は廃止代替で長野市が川中島バスに運行を委託して...
東磐交通の路線の始まりは、沿線人口減少とマイカー利用増による利用者減少でバス路線の廃止が進み自治体から代替バスの運行を委託されたことによる。その...
平成9(1997)年頃の東磐交通への最初の都営移籍車。写真は夏松線(夏山~猊鼻渓駅~岩ノ下駅)の表示を出している。側面方向幕は使用していなかった...
F代(平成11,1999年度)車のリフト付特定車。都営の特定バス事業休止により若い車齢で転入してきた。貸切バス転用にあたり、液晶モニターとビデオ...
JR 東北バスからの移管路線である一関線(一関駅~陸中箱石)で主に使われていた日野レインボー。W 代は貸切登録なのは21 条バス(貸切代替バス...
平成2年式の日野ブルーリボン貸切車の末期モデル。平成11(1999)年頃に移籍した。4メーカー4台在籍したV代貸切車のうち、唯一羽後交通に飛ばな...
平成16(2004)年に移籍。秋北バスのに移籍した車と同年式で、都営時代の末期はお台場快速バス(東京駅南口~お台場循環)で使われていたが、移籍後...
平成11(1999)年に移籍した元特定車。車いすを乗降させるために中扉にリフトを装着している。サスペンションはリーフサスながら逆T字窓と貸切バス...
岩手県一関市に本社を構える事業者で、貸切バス、旅行部門、送迎バス部門が主力となっているが、JRバス東北と岩手県交通の廃止代替バスとして路線バス事...
東急バスからの移籍が目立つ同社だが、都営も平成13(2001年)頃に4台のみ函館バスに移籍した。方向幕は中扉後ろに小型のものを取り付け、元々の幕...
占冠村トマムにある大規模リゾート施設。占冠村の振興策として1980 年代に開発が始まり、1983 年にホテルアルファトマムとスキー場がオープン。...