平成12(2000)年の噴火の後、平成17年に避難指示が解除されたことに伴い村営バスも事業を再開することになり、都営の深川のY代が5輛まとめて送られた。当時の末期転属の事情もあり、IK・富士重工両方のボディがいるのが特徴的。改造は最低限で、側面の局番も簡易的に消しただけである。方向幕も最初は機械の部分に紙で簡単に貼っただけで、後に手作り感あふれる表示を備えた。火山ガスによる経年劣化がかなり激しかったらしく、残念ながら数年で全て廃車となり現存しない。
これ以外に、平成13(2001)年には村民を対象に、限られた時間ではあるが一時帰島が始まった。元からいた村営バスは噴火と火山ガスの影響で全て走れなくなっており、帰島時の足の確保として元深川のいすゞ4台が用意された。立入禁止の措置が続く中、4 年にわたる一時帰島を支えた車となった。