P-規制のいすゞ+富士重ボディは比較的まとまった数が茨交に移籍した。歴史の移り変わりの中では比較的珍しい富士重5Eボディ+中扉4枚折戸のT代、富士重7EボディのV代のみとなっているのが特徴。
2196は那珂湊所属だが、それ以外の5Eボディ車は茨大前に集中配置された。なお、2196のみ背面の補助ブレーキ灯・後退灯のコンビランプが汎用品に交換されていた。2197・36は平成25(2013)年頃まで残り、茨交最後の5Eとして雑誌に照会されることもあった。この代以降の中扉4枚折戸車は、茨交移籍時に半開スイッチを設置した。このスイッチをON にすると片側だけ開けて乗車扱いを行うことができるが、整理券不要の起点ターミナルやシャトルバス充当時などはスイッチをOFF にしてドアを全開にして一斉に乗るときに役立っていた。
200ナンバーとなって以降の車は、交通バリアフリー法もあって背面幕の行き先表示も使うようになったほか、乗降中表示灯も撤去せず活用している。
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44は平成14(2002)年頃に、タクシーなどで見られるホイールカバーを用いた広告(タイヤと一緒に回らずに天地が維持されるもの)が試験導入され、非常に特異な外観となった。ただしホイールの日常点検には不便だったためかほどなくして撤去されている。
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193以降は7Eボディ。都営から茨交に移籍する際は他事業者で見られるような方向幕移設は行わず、中扉上部の足元灯設置のほか、中扉脇にマイク設置と車外スピーカーの移設が行われた程度だ。背面の乗降灯は車によって有無が異なる。また、車内は座席モケットを緑色に張り替えている。213は浜田所属。この車輛は都営時代は座席レイアウト試験車で、一部座席が前向きではなくロングシートになっていた。茨交移籍後も都営時代のレイアウトのままで使われていた。