平成12(2000)年8 月に三宅島雄山が噴火、9 月頭に全島民が避難することとなった。閉校が予定されていた都立唯一の全寮制だった秋川高校を受け入れ先とし、小中高校の分校を開校した。生徒などの送迎のため、元葛西の都営バス2台を転用して輸送にあたることになった。
都営バスの塗装そのままで、各種表記を消した程度となっている。平成17(2005)年2 月に全島避難が解除され、平成18(2006)年4 月には三宅高校が本島で再開。秋川はしばらく分教場として残り、平成19(2007)年3 月で閉鎖された。現在は更地になっている。