135号車が元都営バスとしては長生きしたこともあり日野レインボー(RJ)の印象は強いが、移籍例は少ない。
日野車は当初の羽後交通移籍車の中では少数派で、まず青梅所属だった日野レインボーRJ が608号車の1台のみ移籍した。シフトがロッド式でエンジンの調子がよかったのか各路線で活躍したという。
135号車は、羽後交通で平成28年度まで残った最後の元都営中型車となった。
163号車は横手に配属され、在籍後期は大曲に配置された。車体広告の釣りキチ三平は増田町の旅館の広告で、作者の矢口高雄氏が羽後交通の沿線である雄勝郡西成瀬村(現在の横手市増田町)出身という縁で描かれたという。