平成9(1997)~10(1998)年に日野RTとともに元都営が大量に移籍してきた。この世代はエアロスターKのみとなっている。N・P代が混在しており、中扉直後の車掌窓つきがN代、車掌設備なしがP代と見分けやすい。
川中島バスの三菱車は平成4(1992)年まで自社導入が続いたが、いずれも新呉羽ボディだった。都営からの移籍車はほとんどが三菱ボディだったのが面白いところ。また、前面の塗り分けがセーフティウィンドウにデザインがかかっているものとそうでないものが混在している。
平成10(1998)年の長野五輪時には全面車体広告になった車も存在した。
10年ほど使われ、平成17(2005)~18(2006)年に相次いで引退した。
N483長野22あ2101
(き)
N484長野22あ2102
(h)
N480長野22あ2103
(き)
N496長野22あ2108
(き)
(塩)
N493長野22あ2109
(h)
N494長野22あ2110
(き)
N497長野22あ2113
(h)
N498長野22あ2114
(h)
P529長野22あ2143
(h)
P535長野22あ2144
(h)
P530長野22あ2147
(h)
P531長野22あ2148
(h)