弘南バス/三菱/P-MP118K
都市新バス・グリーンシャトル初代専用車で、除籍後は弘南バスの他は羽後交通・関東鉄道と移籍例が少ない。弘南バスには少なくとも8台が移籍した。都営か...
都市新バス・グリーンシャトル初代専用車で、除籍後は弘南バスの他は羽後交通・関東鉄道と移籍例が少ない。弘南バスには少なくとも8台が移籍した。都営か...
H・K・L代の計30台が移籍し、同型式の配置数も元都営では最大の事業者となっている。 まず平成30(2018)年の春~夏にかけてH代MPが6台登...
前回の移籍から数年経ち、平成21(2009)年に突如元都営の蓄圧式低公害車・MBECS が鹿児島にまとめて移籍した。既に元都営バスは一時流通を中...
新呉羽ボディのエアロスターMはU-規制も2台が平成14(2002)年頃に移籍し、平成22(2010)年前半に姿を消した。 岐阜バスの歴史の中で名...
岐阜バスに元都営車が登場したのは平成13(2001)年の秋。移籍は新呉羽ボディが多数派だったが、岐阜バスのエアロスターで新呉羽のボディは初めてだ...
新呉羽ボディの一般車は2台が移籍。いずれもT代車である。UDの都市新車より一足先の平成21(2009)年に除籍された。 (き) (き)
都営バスからはエアロスターMのP-規制が2台移籍した。うち1台は都営で2台のみだったV代三菱大型車である。 広島バスのエアロスターM といえばヘ...
岐阜バスに移籍した元都営車はすべて三菱車だったが、250・251 号車だけ三菱ボディだった。自社導入や名鉄からの移籍車と同様ではあるが、車体の短...
U-規制でも三菱ボディにまざり、新呉羽ボディが1台のみ移籍している。この世代の福島交通移籍車の中ではかなり長生きし、平成29(2017)年5月で...
平成15(2003)~16(2004)年頃に三菱ボディばかり大量に移籍した。368, 372号車は機械式AT車。369号車のように後付けでアイド...
平成13(2001)年頃移籍の都市新バス「グリーンシャトル」用のV代(平成元,1989年度)車のエアロスターK。この年式のグリーンシャトルは2台...
福島交通で異彩を放っていた新呉羽ボディの三菱車。都営バスからの移籍車を一括して仕入れる際に型式だけで判断したのだろうかは謎だが、散発的に見られた...
平成11(1999)年から移籍が始まった。最初はT代(昭和63,1988)年度の4台で、側面方向幕は小型サイズのものを中扉直後の窓上に設置し、都...
三菱ボディはX代の2台が平成15(2003)年頃に移籍した。いずれもアイドリングストップを示すエコツムリステッカーが前面幕脇に貼られたままになっ...
渋谷所属だった都市新バス仕様は2台が移籍した。銀色バンパーはそのままに、前面の愛称行灯部は「トモテツ」 のプレートで埋め込んでいる。この世代よ...
平成14(2002)~15(2003)年頃にかけて、都営バスからの移籍車が現れた。生え抜きと同じく三菱・日産ディーゼル車で、三菱車の比率が高い。...
エアロスターMはU-規制が1台移籍した。170号車は富来配置である。北鉄グループでは前中扉4 枚折戸のエアロMはよく見られる車だっただが、側面窓...
エアロスターKが能登中央バスに1台移籍した。 能登中央バスは門前地域を分社した会社で、地元からは門前バスの愛称で親しまれていた。平成20(200...
ローカルエリアでは移籍車の導入が行われるようになった新潟交通グループで、平成13(2001)年に新交北貸切バスに2台登場した元都営。いずれも早稲...
日野に続き、平成10(1998)年頃に三菱は南千住に配属された中型2台が移籍した。こちらは前乗り車のため、前・中扉ともに上に蛍光灯を増設している...