羽後交通/いすゞ/K-CLM470V
平成3~6年頃にかけて、計10台以上が移籍した。都営バスの移籍の中でもごく初期の出来事で、当時の排ガス規制強化で10 年で除籍となったH代を導入...
平成3~6年頃にかけて、計10台以上が移籍した。都営バスの移籍の中でもごく初期の出来事で、当時の排ガス規制強化で10 年で除籍となったH代を導入...
東野交通には富士重ボディが多く在籍したが、自社導入では貸切車と一部の路線車に限られる。路線車は7Eボディのみで、3E・5E は基本的に移籍車によ...
平成6(1994)年に都営から1台キュービックが移籍した。この車種は少数派だったこともあり、やや珍しい存在だった。僅かな自社導入のいすゞ車もIK...
都営移籍車の歴史は古く、平成5(1993)年頃のモノコックの移籍が始まりとなる。同型のいすゞは4台が移籍し、いずれも川重ボディ。 平成に入ってか...
市925, 926 号車は都市新バス仕様である。この2 台はいずれも方向幕仕様のまま平成26(2014)年末の抹消まで活躍したようだ。 (き) ...
平成13(2001)年に移籍した元都営バスのうち、2台がいすゞ+富士重だった。元都営バ ス移籍の最終期にあたり、これ以降は新車を少々入れた以外の...
平成11(1999 年にはいすゞ車ばかり4 台が登場し、うち2台がこのページの一般車仕様だった。平成17(2005)年頃に行先がLED になって...
日立では最後となった都営いすゞ移籍車。 元々は中型の特定車で、リフト無しが幸いしたのか移籍し、一般路線車として改造転用された。前面表示器を窓内...
平成8(1996)年頃から日立は中型移籍車が目立つようになり、元都営の移籍車数が少なくなった後の平成10(1998)年頃に、初のいすゞ中型の元都...
モデルチェンジしてスケルトンボディになったキュービックの初期世代も2台移籍した。 大きくなった側窓が目立ち、側面方向幕の埋める鉄板も目立っている...
いすゞ+富士重の5Eボディは4台のみ移籍した。いずれもM代車。平成6(1994)年より塗装が改められ、白地に明るい桜色・青色の波模様となった。太...
モータリゼーションによる乗客減やバブル経済崩壊後の不況もあってコスト削減が進み、平成4(1992)年頃と早くから都営バス移籍車の導入が進んだ。L...
元都営は平成15(2003)年に元都営からの移籍車で3台が登場した。全ていすゞ-富士重ボディである。当初は那覇交通名義だったが、すぐに第一交通傘...
JRバスの中でも外観が特徴的で、"REDLINER" の赤一色の塗装を早くから採用した同車。路線車は'90~'00 年代にかけてコスト削減のた...
いすゞキュービックは平成16(2004)年に集中的に移籍し、富士重ボディに次いで元都営の中で勢力が大きかった。398, 399, 408号車を除...
林田バスの平成15(2003)年登場の309からのグループが、いわさき系の路線車において初の移籍車となった。林田バスでは初の全面広告車でもある模...
都営時代のデザインをほぼそのまま継承している特定車。都営の除籍後は広島のエンゼルキャブ→第一タクシーで使われていたが、再売却されて九州に渡ってき...
荒尾市営からの引き継ぎ車。中型は旧荒尾市営の路線が中心で、熊本市街に顔を出すことはあまりなかったようだ。こちらは大型より長生きし、平成21(2...
荒尾市営バスからの引き継ぎ車。過渡期の姿で、荒尾市営の塗装に「産交バス」と書かれた車が存在した。移管後は熊本市街地でも見られるようになったが、平...
平成10(1998)年移籍のうちの1台。都営の中型車はこの時期、側面窓が逆T 字で投入されていた。側面幕の移設に際して二段サッシ窓に比べ改造に...