羽後交通/UD/P-U32K
日産ディーゼルの大型。平成6~12年頃に移籍し、合計で35台と一大勢力になった。同じ型式ながら、M/N代の初期型(車掌設備あり)、P代前期の車掌...
日産ディーゼルの大型。平成6~12年頃に移籍し、合計で35台と一大勢力になった。同じ型式ながら、M/N代の初期型(車掌設備あり)、P代前期の車掌...
いすゞのP-規制車も大量に移籍しており、キュービックと富士重ボディを合わせて34台とUDに次ぐ規模となっている。 ただしキュービックはどちらかと...
都営バスで最後の富士重工ボディのグループだった。日産ディーゼルK代車が3輛移籍した。平成30(2018)年春から順次営業を開始している。 これ以...
移籍最末期になって日野大型が多く入るようになった。平成13~15(2001~03)年頃にW, X代が10台移籍している。 長らく第一線で活躍した...
いすゞ+富士重7Eボディは2台で、いずれも都営でこの時代に試験的に導入された機械式AT のNavi-5 搭載車だった。都営でも除籍が早かったため...
呉羽の試作スケルトンボディを採用した初代都市新バス仕様車が12台移籍した。助手席側の前扉上部にある飾り窓は埋められているが、助手席側の運転席窓上...
富士重5Eボディにモデルチェンジした後の過渡期の型式で、11台が移籍した。予室燃焼式を採用し珍しい昭和57 年排ガス規制の型式(N-U36K)と...
羽後交通がいすゞ車の次にまとめて導入したのが旧・L代の三菱車で、平成6年頃にまとめて10台程度が登場した。同型は他に移籍例も少なく貴重と言える。...
平成3~6年頃にかけて、計10台以上が移籍した。都営バスの移籍の中でもごく初期の出来事で、当時の排ガス規制強化で10 年で除籍となったH代を導入...
都営から移籍した三菱のエアロスターM。1台のみで、前面方向幕は大型サイズだが、幅狭タイプを使用しているため、余剰部分を目張りしている。 東野...
通称ブルドッグと呼ばれるモノコックボディの三菱車も都営からは2 輛が移籍した。神奈川中央交通からの同タイプ車に混ざって活躍していた。 この車は...
都営から東野交通に移籍した日野車は平成6(1994)~平成7(1995)年頃の3台で、いずれも昭和58(1983)年度導入のM 代車。東野交通で...
東野交通には富士重ボディが多く在籍したが、自社導入では貸切車と一部の路線車に限られる。路線車は7Eボディのみで、3E・5E は基本的に移籍車によ...
平成6(1994)年に都営から1台キュービックが移籍した。この車種は少数派だったこともあり、やや珍しい存在だった。僅かな自社導入のいすゞ車もIK...
都営移籍車の歴史は古く、平成5(1993)年頃のモノコックの移籍が始まりとなる。同型のいすゞは4台が移籍し、いずれも川重ボディ。 平成に入ってか...
関東自動車に移籍した都営日野車は5台のみで、スケルトンボディは移籍しなかった。 都営時代の晩年にはバンパーが黒色化されていたが、関東自動車で...
元都営は平成10(1998)年~平成11(1999)年に3台が登場した。車両は左側通行化で日野が指定された事から、路線車は多くが日野となっている...
平成15(2003)~平成16(2004)年にかけて、元都営が追加で4 台登場した。財政状況は厳しく改造メニューは簡略化され、都営時代の塗装を...
日野についで琉球バスが導入したのが元々生え抜きが多かった日産ディーゼル車で、平成9(1997)年頃に5EボディのR代ばかりを17台と大量に導入し...
平成12(2000)年に1台だけ久しぶりに導入した都営の都市新仕様。都営時代の末期はお台場快速バスに使われていた車である。琉球バス仕様に合わせる...