都営バス資料館

学06

[学06]←[56]

担当営業所

渋谷営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
恵比寿駅~東4~日赤医療センター 1.620/1.600km
急行 恵比寿駅←東京女学館(構内) 平午後のみ

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
56 S33.12.15 渋谷 2.565km 恵比寿駅~赤十字産院(現日赤医療センター)が開通
学06 S47.11.12 渋谷 *** 新番号化、学06とする
学06 S47.11頃 渋谷 *** 終点の停留所名を日赤医療センター別館とする
学06 S51.4.1 渋谷 2.230km 恵比寿駅~日赤医療センター(新)に変更短縮
学06 S62.12.14 渋谷 1.686km 恵比寿駅~広尾高校間を恵比寿区民会館経由から駒沢通り経由に変更
学06 H18.4.7 渋谷 3.220km 再開発に伴い東四丁目~日赤医療センターの経路を変更、循環化
学06 H19.3.26 渋谷 1.620/1.600km 日赤医療センターで一旦運転を打ち切るよう変更
学06急行 H28. 9. 6 渋谷 東京女学館→(直行)→恵比寿駅を開設

路線概要

atozb_087  恵比寿駅と日赤医療センターを結ぶ。[学03](渋谷駅~日赤医療センター)の補完として運行され、本数も大差があるが、それなりに使いやすい頻度で運行され、JR駅にも手早く出ることが出来、こちらも利便性が高い。
 恵比寿駅は駅のアトレ前のロータリーから発車する。[田87]は駅の裏手を通ってしまうので、唯一ロータリーから発着する都営バスとなっている。乗り場は駅の出入口からすぐそばの一等地を確保している。
 恵比寿駅を発車すると右折して駒沢通りに入り、明治通りとクロスするところで渋谷橋に停車、ここから広尾高校に向けて緩やかな坂を上っていく。坂をほぼ上り切り、広尾高校の校舎が左手に見えてくると広尾高校停留所、そして校舎を過ぎて200mも行かないところで東四丁目停留所に停車する。今はマンションが並ぶ住宅街でもあり、台地の上にあるのでバスもそこそこ利用されている。この次の広尾三丁目の交差点でバスは右折して[学03]の経路に合流すし、終点の日赤医療センターに到着する。
歴史
atozb_090 ▲渋谷区詳細図(昭和12年、東京地形社)
 恵比寿駅から日赤にかけてのエリアは、かつては東京横浜電鉄(現東急)がバスを運行していた地域である。日赤へのバスとしては、昭和10年頃に日本興業という会社が運行を始めた渋谷駅(南口)~代官山~恵比寿駅~比丘橋(現東三丁目付近)~赤十字病院という路線を開設したのが始まりで、昭和12年に東京横浜電鉄に吸収された。まだ恵比寿駅より内側の駒沢通りが開通していないため、恵比寿駅から明治通りを比丘橋まで走り、比丘橋まで明治通りを通った後、今の東三丁目交差点で右折して坂を上り、広尾高校裏の交差点で左折、国学院で右折した後は今の[学03]と同じく日赤まで進んでいた。恵比寿駅~渋谷駅は現在のハチ公バスの夕やけこやけルート(渋谷区役所~恵比寿循環)に非常に近い。
atozb_091 ▲昭和17年2月現在 市営バス路線図
後に笄町(こうがいちょう、現在の西麻布付近)まで延伸されたようで、これが昭和17年の東京の交通調整の成立により恵比寿駅より山手線の内側の部分について東京市に譲渡することになった。統合後は、新たに[6]田町駅~恵比寿車庫~高樹町(現南青山七丁目)という路線になった。今の[学06]と[田87](田町駅~渋谷駅)を合わせたような形だが、[田87]の路線も元は東京横浜電鉄が運行していた路線である。なお、恵比寿~笄町の開通時期は昭和10年代前半の開通で、田町~恵比寿はそれよりも古い。こちらについては[田87]も参照のこと。
 恵比寿~高樹町については、統合前の区間を引き継いでの運行となり、東横バス時代と同じ経路だった。現在と違うのは日赤を越えて坂を下り、六本木通りに当たる高樹町で終点となった部分である。当時の市電への連絡を考慮していたのだろう。どこで折り返していたのかは不明だが、折り返すような道路もないため、小さな折返所があったと思われる。
 統合後の路線図を前ページに示したが、景丘・山下・上智(あげち)・羽沢は全て旧町名である。今は渋谷区東・渋谷区恵比寿となってしまったが、景丘緑地・羽沢ガーデンなどにその名を残している。ちなみに、渋谷車庫の出庫口から明治通りへと出る際に渋谷川を渡るが、その橋の名は「上智橋」と言う。意外なところに残っているものである。
 しかし、この路線は昭和18年6月の改編で恵比寿駅~高樹町の区間が廃止され、[4]田町駅~恵比寿駅~渋谷駅となり、後の[田87]の祖先となった。
 戦後は長らく恵比寿駅からの路線は復活しなかったが、昭和33年12月に[56]恵比寿駅~赤十字産院が開通して、ようやく恵比寿駅からのアクセスが復活した。なお、学バス最後の開通路線となった。
 経路は戦前とも異なり、かなりの遠回りの経路になった。恵比寿駅を出ると日赤とは逆方向に駒沢通りを少しだけ下り、右手に救世軍のビルが見えてきた辺りの恵比寿南交差点を右折してジグザグに進んで恵比寿区民会館を横に見ながら次を右折して山手線のガードを潜り抜けて渋谷川を渡る。これが比丘橋(びくばし)で、明治通りをまたいで南部坂にさしかかった辺りに「比丘橋」停留所があった。坂を上りきった現在の広尾高校の裏手が「広尾高校」停留所で、左折して國學院大學手前で[学03]と合流して日赤へと向かっていた。
 開通当初は恵比寿駅~比丘橋は無停車だったので、わざわざ区民館を大回りしようとした意図はよく分からない。東急バスも昭和50年頃までは[渋72](渋谷駅東口~恵比寿駅~目黒不動尊~五反田駅)が東二丁目から恵比寿区民館を経由して恵比寿駅に向かっていたが、都営もこの区間を何かに活用しようとしたのだろうか。
 路線形態は途中までずっと変わらなかったが、大幹線の[学03]に比べて[学06]はあまり成績が良いとは言えず、収支係数は150前後をさまよっていた。都営の中では係数はかなり悪いほうである。恵比寿駅まで遠回りなために一運用の時間が長くかかることや、渋谷駅と比べて優位性が日比谷線乗り継ぎ程度と少ないため、乗客が少ないというのが主な原因である。同じ昭和54年度は[学03]は乗車人員18,090人/日、[学06]は1,910人/日とおよそ10倍の差がついており、毎年ほぼ同じような感じであった。
 昭和55年頃に恵比寿駅~比丘橋に「恵比寿区民会館」停留所が増設されたものの、特に乗客が増えたということもなく、昭和61年度は1,210人/日にまで減少してしまう。これでは問題ということか大胆なテコ入れが行われ、昭和62年12月に恵比寿駅~東四丁目の経路を駒沢通り経由に載せ替えた。恵比寿区民会館・比丘橋・国学院大学に停車しなくなり、広尾高校は駒沢通り上に移設され、代わりに明治通りとの交差部に「渋谷橋」が新設された。
atozb_097 ▲都バスガイドブック(昭和57年版より)
 これにより、恵比寿駅への所要時間はかなり短くなった。乗客はあまり増えなかったが、運用効率が改善したため、昭和63年度以降の収支係数は110程度にまで改善した。
 なお、廃止された停留所のポールが渋谷車庫の出庫口の標語看板に転用されている。廃止から20年以上経った今も綺麗な姿で残っており、なかなか珍しい。
 これで基本形態は完成した。日赤の再開発に伴う経路変更については[学03]と共通のため、[学03]の歴史の項を参照されたい。
[学06]も恵比寿の再開発や賑わいで乗客が増えてきたためか、増便され、終車も19時台から20時台に繰り下げられるなど、利便性が向上している。坂道もあり、短いながらも乗客が見込める路線と言えるだろう。近年は渋谷駅の東横線が地下にもぐった影響なのか恵比寿側に向かう乗客が増えており、ダイヤ改正で増発の傾向にある。

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