都営バス資料館

×秋72

[秋72]←[512]←都電12

担当営業所

杉並営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
新宿駅西口~新宿3~四谷駅西口~市ヶ谷駅~九段下~須田町~岩本町駅 8.272/ 7.972km
出入 新宿駅西口~鍋屋横丁~杉並車庫(宿73)

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
512 S45. 3.27 杉並 7.972km 都電12(新宿駅~市ヶ谷駅~岩本町)の代替で新宿駅西口~市ヶ谷駅~岩本町が開通
512 S47. 4. 5 杉並 8.272/ 7.972km 須田町→岩本町を岩本町3経由に変更?
秋72 S47.11.12 杉並 *** 新番号化、秋72とする
秋72  S55. 3.16 杉並  *** 都営新宿線の開通により新宿駅~岩本町を廃止

路線概要

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 都電12系統(新宿駅~岩本町)の代替バスで、新宿駅西口~岩本町を結んでいた。都電13系統と同じ区間を結ぶ(代替バスは[秋76])が経路は全く異なり、南回りで靖国通りを経由していた。
 新宿駅西口を発車すると、四谷見附までは[銀71](新宿駅西口~晴海埠頭→[都03]、当時)と同じように歌舞伎町・靖国通りを経由し、新宿三丁目から新宿通りに転じて四谷を目指していた。都電の経路をなるべく忠実になぞったということだろう。
 四谷一丁目を発車後、四谷駅の手前の四谷見附で左折し [銀71]と別れ、四谷駅西口の停留所に停車する。四谷見附とは名前が異なるが、実質的に乗り換え可能な停留所であった。
 ここからは外堀通りを北上する。新宿駅からは[草79](新宿車庫~二天門)も同じように並走していた。しばらく走ると右手に水濠が現れ、ほどなくして靖国通りと合流する。ここで右折してお濠を渡り、国電市ヶ谷駅の駅舎を通り過ぎる。ここで靖国通りは90度左に曲がり、再び東を目指すようになる。ここからは現在の都営新宿線の真上を基本的に走ることになる。
 市ヶ谷駅の停留所を過ぎると、左手に靖国神社の緑が見えてくる。九段上で内堀通りと合流すると右手にも緑が広がり、武道館の入口である田安門を見つつ、九段の坂を駆け下りていく。左を振り返ると靖国神社の巨大鳥居も見える。
首都高5号線をくぐると、本の街神保町。本屋は右手、道路の南側に集中しているが、これは太陽が店頭に直接当たって本が日焼けするのを防ぐためだとか。神保町で白山通りと交差し、三省堂を過ぎて駿河台下の交差点を過ぎると小川町で本郷通り、淡路町で外堀通り、そして須田町で中央通りと交差する。
 ここから先は、目前の中央線、そして山手線のガードを連続で潜り抜ける。首都高が見えてくると都電時代の終点である岩本町の交差点だが、[秋76]が左折して秋葉原駅方面に向かうのとは逆に右折し、一旦昭和通りを南下する。すぐに次の角を左折して「岩本町三丁目」に停車となる。これが新宿発の実質的な終点で、岩本町に停まれない代替でもあった。付近にはアパレル・繊維関係の問屋が多く、問屋街であることを実感する。この付近は幅広の一方通行の道となっており、そのまま進むと大和橋交差点にて靖国通りに合流するのだが、ここで鋭角にターンして靖国通りの新宿方面の車線に入り、岩本町の交差点手前で「岩本町」停留所に停車となった。ここがこの系統の書類上の終点で、[草28](神田駅~葛西橋→[両28])の神田駅方面の停留所と共用となっていた。

歴史

 新宿から皇居北側の靖国通り方面に向かう系統は、戦前から存在していた。大正8年の時点では新宿~半蔵門~須田町~両国~水天宮~築地~半蔵門~新宿という、戦後の都電11(新宿~月島通八丁目)・12(新宿~岩本町)系統を合わせたような循環系統だったが、直後に分割されて新宿~半蔵門~須田町~浅草橋~雷門となり、昭和初期の改編で路線ごとの系統番号付与時には四谷見附~九段上が半蔵門経由から市ヶ谷経由に差し替えられ、昭和4年では[17]新宿~市ヶ谷見附~須田町~両国駅となっていた。
その後、昭和10年代に入って系統番号が整理されて[12]となったが運行区間は変化がなく、戦中の昭和18年の改編で岩本町までに短縮された。戦後も系統番号・区間ともに引き継いだが、昭和27年4月~昭和43年3月までの間は再び両国駅前まで乗り入れて、新宿駅~両国駅が運転区間になっていた。
 昭和45年3月に全線が廃止された。都電代替時は忠実に経路を引継ぎ、岩本町を終点とした。所管は杉並である。新宿のほうが近いが、杉並に余力があったためだろう。岩本町ではループ状の経路で折り返していたが、まだ地下鉄はなく、ターミナル性が失われた後となっては中途半端な終点であった。かつてと同じように両国駅に伸ばすのは非効率にしても、都電13系統(→[秋76])と同じように秋葉原に接着させるほうがよかったのではと思う。
よく考えると、秋葉原を通っていないのに[秋72]は変である。なお、中央通りを通らなかったこともあり、この近辺を走る系統の中では珍しく歩行者天国時も経路が変わらなかった。
 その後は特に変更もなかったが、昭和55年の都営新宿線の新宿延伸により、市ヶ谷~岩本町が完全に重複するためか、あっさりと廃止されてしまった。都電時代も、廃止直前の昭和43年は新宿駅~神保町で110回程度、神保町~岩本町は90回程度と本数が多いとは言えない系統だった。

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