都営バス資料館

×茶81

[茶81]←[46]

担当営業所

渋谷営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
渋谷駅~青山一丁目駅~隼町~九段下~御茶ノ水駅~順天堂病院※ 8.417/ 8.837km
出入 渋谷駅~渋谷車庫←東2(田87) 0.830km
※渋谷駅発は順天堂病院入口が終点

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
46 S41.11. 1 渋谷 ( 8.037km) 渋谷駅~隼町~御茶ノ水駅が開通
46 S42. 2. 1 渋谷 8.417/ 8.837km 御茶ノ水駅~順天堂病院を延長
46 S43. 9.27 (青山) 8.417/ 8.837km 青山分車庫開設により青山に移管
茶81 S47.11.12 (青山) *** 新番号化、茶81とする
茶81  S52. 3. 7 渋谷 8.417/ 8.837km 青山分車庫廃止により渋谷に移管
茶81 H12.12.12 渋谷 *** 渋谷駅~順天堂病院を廃止

路線概要

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 都電10系統(渋谷駅~須田町)の昭和38年以前の経路に近い形で渋谷駅~御茶ノ水駅(順天堂病院)を結んでいた。兄弟系統で経路違いの[茶80]も参照されたい。
 渋谷駅を出発すると、時代によって異なるが、最末期は往復とも金王坂を経由していた。青山学院から青山通りを進み、青山一丁目駅を過ぎても直進し、赤坂見附に向けて赤坂御用地の緑と長い塀を左に見ながら走る。渋滞が多い路線にあって、ここは停留所間隔も開いていたため快調に飛ばすことが多かった。

豊川稲荷を出て赤坂見附の交差点では、御茶ノ水駅行きは交差点を陸橋で越えていた。なぜか渋谷駅行きは交差点を経由していたが、赤坂見附の停留所には停車しなかった。これは運行開始初期から最後まで変わらなかった。
陸橋を渡ると首都高が上空から覆うように合流し、首都高の下を走り、平河町を過ぎ少し進むと鋭角ターンして国立劇場の裏手の道に入り、隼町に停車する。
 しばらく走ると新宿通りと交差する箇所に麹町二丁目の停留所がある。行先表示には道路渋滞や規制時用なのか「[茶81] 麹町二丁目」が用意されていたが、使われることはまずなかった。 ここを過ぎると急に坂を下り、今度は谷底から急坂を上っていく。途中には一番町・三番町の停留所も設けられていた。私立の中高も多い学園地帯で、麹町学園女子、女子学院、千代田女学園、そして大妻女子と、中高生の姿を登下校時にはよく見かけた。
 坂を上ると靖国神社の南門で、靖国通りに合流して九段上の停留所からは[茶80]と同じく神保町・御茶ノ水駅を経由して順天堂病院まで達していた。なお、昭和60年の時点で既に順天堂病院入口が終点で、渋谷駅行きは回送して順天堂病院から営業をとなっていた。

歴史

 この系統は直接には都電代替とされていないが、実態は都電代替系統であったと言い切れる。旧番号[46]は、昭和29年9月に四谷駅~代官町~東京駅北口という皇居の北半分を回る官庁循環路線の一環として開通した。当初は武道館近辺にも官庁がいくつかあり、それらを結ぶ路線として機能していた。
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▲開通時のポスター
 沿線が北の丸公園として整備されるようになると乗客が少なくなっていき、昭和38年10月の都電経路変更時に[46]も変更し、四谷駅~一番町~代官町~九段下~一番町~四谷駅という両回り循環になった。都電が通らなくなる内堀通り周辺を四谷駅に繋ぐことで救済しようとしたのだろう。この系統が昭和41年10月に大きく姿を変えて、渋谷駅と御茶ノ水駅を結ぶようになる。系統番号は同じ[46]でも中身はほとんど別物である。この時代においては、都心部での新規系統の開業は珍しく、都電が元々走っていたルートで結ぶ要望が強かったたのかもしれない。
 昭和56年より大型化された方向幕では、[茶81]の渋谷駅方面の前面経由地は隼町となっていた。[茶80]との違いを示すこともあって途中の適当な停留所名を表示したものだろう。それにしても「隼町」を選んだのは興味深い。
 昭和56~58年頃は、半蔵門線の建設工事で、麹町二丁目→九段上は本来より一本西側の道路を走っていた。交通局の配布路線図では特に記載がなかったため、長期間ながら記録も少なく今や幻の迂回とも言える。
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▲東京交通マップの迂回区間の描写(塔文社、昭和56)
 その後は経路も変わらず、[東84][茶80][銀86]が廃止された後も青山通りを走破する唯一の路線として頑張っていたが、半蔵門線の開通・延伸が大きな影響を与えていく。
 渋谷駅~赤坂見附については既に銀座線が走っており、バスと地下鉄はある程度の棲み分けが図られていたが、昭和58年1月に半蔵門線の永田町~半蔵門が延伸、そして平成元年1月に半蔵門~三越前が延伸されると、[茶81]は大きく乗客数が減少していった。昭和56年度には7,529人/日であったものが58年度に6,112人/日、61年度に4,786人/日、そして平成元年度で大きく減って2,528人/日となった。平成5年度には1,616人/日となり収支係数は218。つまり100円稼ぐのに218円の費用が必要という都区部ワースト3の大赤字であった。
 平日の運行回数を見ても、昭和60年の81回が昭和63年3月に68回、平成2年3月に47回と一気に3割減、平成6年3月まで45回と保ったものの、赤字1億円・営業係数150より悪化している系統には赤字縮小のため手を入れることになり、平成7年11月改正で組数も大幅に削減されて27回と30回ラインを割った。最後の平成11年改正では平日24回・土休日16回まで減らされていた。青山通り・靖国通りと渋滞多発地帯を経由しているのも痛かったのだろう。
 平成11年には渋谷駅の新ターミナルの供用開始により新たな乗り場を手に入れたが、それも短い間のことで、平成12年12月の大江戸線改編により、便乗と言われつつも廃止された。

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コミュニティバス

 近年、一般路線の廃止によりコミュニティバスで代替される例が増えているが、都心部においても例外ではない。平成16年10月の港区コミュニティバス「ちぃばす」の赤坂ルート(六本木ヒルズ~赤坂見附駅循環)開業により、片道ではあるが赤坂見附→青山一丁目の区間が復活した。その後、平成20年2月には渋谷区のハチ公バスの神宮の杜ルート(渋谷駅~代々木駅)の開業で、表参道駅~南青山三丁目交差点の間が僅かではあるが復活し、表参道・原宿駅を通る大回りではあるが渋谷駅へのアクセスが戻った。
 さらに平成22年3月には、ちぃばすの青山ルート(六本木ヒルズ~赤坂見附駅)の開業で表参道~赤坂見附が往復とも復活し、表参道駅ではハチ公バスと同一停留所で乗り継げる案内もなされている。いずれも15~20分間隔での運転で、末期の[茶81]よりも便利だ。
 千代田区側は、福祉タクシーの風ぐるまが平成9年から運転を開始し、現在は「四谷・あきば便」として四谷駅~麹町~御茶ノ水駅~秋葉原駅の区間を1時間に1本程度運転している。福祉タクシーと銘打っているが実態は誰でも100円で乗車可能なバスで、[茶81]と四谷駅~九段下循環の[46]を継いだルートとなっている。多くの区間で実質的に路線が復活していると言えるだろう。
 惜しいのはコミュニティバスが区ごとに独立しているため、港区ちぃばすが区境手前の赤坂見附で終点となっていること。外堀通りを駆け上がって四谷駅にでも接続すればもっと便利になりそうなものだが、区をまたいだ連携に期待したい。

「降車専用」ポール

 [茶81]の廃止により、南青山五丁目~赤坂見附の間の青山通りは都営バスが全廃されたが、渋谷駅方面だけは停留所が残り、「降車専用」に表示が張り替えられている。これは劇場バス[劇04](国立劇場→渋谷駅)を継続して運行しているためである。国立劇場を出た後、三宅坂を右折して青山通りに入って渋谷駅に向かうもので、大歌舞伎などの大規模な催し物が開催された際に運行される。運賃は一般系統と同じ200円だが、途中では降りることしかできない。
 なお、青山一丁目駅の渋谷駅方面の停留所については、休日1回だけ[品97](品川駅~新宿駅西口)の青山一丁目駅の折り返しが発車している。

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