都営バス資料館

都06・×深夜06

[都06][深夜06]←[橋85]←[534]←都電34

担当営業所

渋谷営業所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
都06 渋谷駅~渋谷車庫~天現寺橋~赤羽橋駅~大門駅~新橋駅 8.510/8.310km 81 83 72 73 59 60
都06折返-1 渋谷駅~渋谷車庫~天現寺橋~赤羽橋駅 5.950/5.530km 41 43 20 21 29 30
都06折返-2 天現寺橋→赤羽橋駅→大門駅→新橋駅 5.740km 3 2 1
都06折返-3 天現寺橋→赤羽橋駅 3.180km 2 1


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
534 S44.10.26 目黒 8.510/8.310km 都電34(渋谷駅~一の橋~金杉橋)の代替で渋谷駅~一の橋~新橋駅が開通
534折 S44.10.26 目黒 5.950/5.530km 渋谷駅~赤羽橋を開設
534折 S47.4.1 目黒 5.740km 渋谷駅~天現寺橋を開設
橋85 S47.11.12 目黒 8.510/8.310km 新番号化、橋85とする
深夜06 H1.6.19 目黒 5.530/6.630km 深夜バス開通、渋谷駅→恵比寿駅→赤羽橋、赤羽橋→天現寺橋→渋谷駅を開設
橋85乙 H1.6.19 目黒 6.630km 深夜バス開通により、渋谷駅→恵比寿駅→赤羽橋を開設
都06 H2.3.31 目黒 8.510/8.310km 都市新バス化、都06とする。愛称はグリーンエコー
都06 H11.7.20 渋谷・目黒 8.510/8.310km 渋谷営業所との共管とする
深夜06 H1410.15 目黒 *** 渋谷駅~赤羽橋駅を廃止
都06乙 H14.10.15 目黒 *** 深夜バスの廃止により、渋谷駅→恵比寿駅→赤羽橋駅を廃止
都06 H15.4.1 渋谷 8.510/8.310km 渋谷の単独所管とする
都06 H20.3.30 渋谷・品川 *** 品川との共管とする
都06 H21.4.1 渋谷 *** 渋谷の単独所管とする

路線概要

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 都電34系統(渋谷駅~金杉橋)の代替として誕生したバスで、渋谷駅と新橋駅を結ぶ。と書くと[都01](渋谷駅~六本木駅~新橋駅)と同じように聞こえるが、
経路も路線の雰囲気も全く異なっている。こちらの沿線主要地は麻布十番で、古くから庶民的な繁華街として栄え、山の手と下町の双方の雰囲気が同居している。
 金杉橋までは古川(渋谷川)に沿って走ることから、停留所名には「橋」が付く名が非常に多い。
渋谷駅を出ると、[田87](渋谷駅~田町駅)と同じく明治通りを南下し、渋谷車庫の脇を通って渋谷橋から単独区間に入る。この区間の明治通りは拡幅が完成して、沿線の風景も新しいマンションや雑居ビルが整然と並ぶように様変わりしたが、明治通りから一歩中に入れば、住居や低層マンションが所狭しと並ぶ。
 昭和50年代と比べると停留所もいくつか増設され、広尾五丁目(新橋方面)と広尾病院(渋谷方面)などは向かい合わせといってもいい位置である。その広尾病院の停留所を過ぎると、目の前に大きな交差点が、そして左手に古めかしい団地が見えてくる。この団地は都電広尾車庫の跡地にある。代替前の都電を管轄した車庫だが、痕跡は隣接する公園に案内板が立っているのみだ。天現寺橋の交差点を越えるとすぐに天現寺橋の停留所で、交差点前後で2回停車しているようなものと言えるだろう。目黒営業所管轄だった時代は、ここで右折し、医科研西門・白金台を経由して目黒駅までの出入庫便が頻繁に走っていた(下写真)。
 緩やかなカーブを抜けると右手から首都高が合流してくるが、[都01]が走る六本木通りとは違い、首都高は道路の上でなく古川の上を走るため、視界は良好である。道路の真ん中に現れた天現寺入口を横目に見ながら光林寺・四ノ橋(しのはし)を過ぎると、古川橋を左折して麻布十番に抜けるバスのメインストリート(都道415号線)。
かつては様々な路線が走ったこの道路も、今はマトモに走るのは[都06]と[反96](五反田駅~六本木ヒルズ)だけになってしまった。
 古川橋からは三ノ橋、二ノ橋と来て一ノ橋……といいたいが、平成12年12月に「麻布十番駅」に改称されてしまった。だが副名称で今も一ノ橋の名は残っている。麻布十番商店街の最寄りで、都心の住宅街としても人気が高い。
 麻布十番駅を過ぎると、右折レーンに大きく寄せて十番商店街入口の一の橋交差点を右折する。北側の首都高を挟んで環状三号線が並行するため、こちらは旧道のような存在であるが、近年は再開発がすすみ右手にはタワーマンションが建ち並ぶ。中ノ橋停留所前には国際医療福祉大学三田病院(旧専売病院)、済生会中央病院と病院が並び、通院目的での乗降も多い。ちなみにこの辺りで見る「三田」の名は幾分奇異かもしれないが、住所としては第一京浜から赤羽橋辺りまでの一帯が三田である。
 病院を過ぎると赤羽橋駅停留所で、朝夕は半数がここで折り返す。といっても折り返し所があるわけではなく、麻布十番駅~赤羽橋駅は首都高を挟んで一本北の道路を通ってPの字状に折り返している(→ターミナル点描も参照)。
 大江戸線の赤羽橋駅は古川の北側(環状三号線地下)にあるため、停留所からはやや離れている。この赤羽橋駅を過ぎると麻布の雰囲気も薄れ、オフィス街といった雰囲気が色濃くなってくる。芝園橋で日比谷通りとクロスし、金杉橋で第一京浜に突き当たる。
 第一京浜は幅広い道路で、渋滞も少なく快調に走る。すぐに大門駅に到着、JR・東京モノレールの浜松町駅は多少離れているが乗換案内が入る。お台場方面の[虹01](浜松町駅~東京ビッグサイト等)の案内も入るのが都営バスらしい。
 そのまま第一京浜を道なりに進み、JR線のガードをくぐり、ゆりかもめの新橋駅をくぐれば、新橋駅前の停留所。第一京浜に降車専用のバス停があり、新橋駅前ビルの間の小道を通ればJRの駅前にすぐに出ることができる。普通はここで全員が下車するのだが、本当の終点はこのもう一つ先。新橋駅前ビルを回り込むように左折していき、新橋駅ロータリーの入口に本当の終点の停留所が建っている。
今なお昔ながらの手書きのダルマポールが残り、都市新バス化前の系統番号[橋85]がうっすらと見えている貴重品だ。案内放送も2回降車に対応しているためか、最後の終点を「新橋駅前(降車専用)」としているため、途中の停留所案内でも「新橋駅前(降車専用)ゆき」と表示しているのが少し面白い。
新橋駅の乗り場は新橋駅前ビルに並ぶ乗り場の端にあり、そこからゆりかもめ駅の下に出て第一京浜に戻るようになっている。

歴史

 都電34系統は渋谷駅~天現寺橋~金杉橋を結んでいたが、渋谷駅~天現寺橋までは玉電が大正13年に敷設した区間、そこから先は東京市電の区間であった。ちょうど天現寺橋が旧東京15区の境となっていたためであり、運行が一体化したのは昭和13年のことである。天現寺橋以東は、昭和初期は市電6系統として、エビス長者丸~天現寺橋~金杉橋~銀座~京橋の間を運行していた。これが昭和13年に渋谷駅~金杉橋に改められたことから、銀座方面には金杉橋で乗換が必要になった。当時は乗り換えても運賃は変わらなかったので、そこまで不便ではなかったのだろう。エビス長者丸側は盲腸線になり、昭和19年5月の不要不急線休止で廃止された。ガーデンプレイス裏手、日の丸自動車教習所から山手線を挟んだ向かいに廃線跡の路地が残り、付近には長者丸を冠したマンションが多く建つ。

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▲渋谷区詳細図(東京地形社、昭16)右端の線が長者丸への支線
 天現寺橋以西について。昭和12年に溝ノ口から来た玉電は、渋谷駅の乗り場が現在のマークシティの一部となった玉電乗り場に移設され、渋谷駅~天現寺橋は分離され渋谷駅の東口バスターミナルにホームを移して以来、渋谷駅~天現寺橋の短距離運転となった。昭和13年に同じく玉電が開通させた中目黒~渋谷橋間とともに東京市電に運行が委託された。当初は多摩川の砂利輸送で天現寺まで運び、市電に連絡する目的もあったようだが、この時から市電ネットワークに組み込まれた。
そのため、昭和17年に市内交通が東京市の運行に一元化されても運行形態は変わらなかった。戦前は都電35系統(渋谷駅~金杉橋)となり、空襲を経て終戦直後は30系統を名乗り、昭和21年3月の改編では3系統(渋谷駅~赤羽橋~虎ノ門~四谷見附)という大回り路線になった後、昭和23年9月に34系統として元の渋谷駅~金杉橋に戻った。ただし、昭和19年5月以降は都電の乗換制度がなくなったため、金杉橋で終点というのはやや不便だったと思われる。
その後は廃止まで番号・区間ともに変わらず、昭和44年にバス代替された際に[534]系統を名乗ったが、バスは金杉橋で折り返せる場所もないため、そのまま第一京浜を進んで新橋駅を終点とした。他の都電代替系統には見られないサービスと言えるだろう。両端のターミナルを結ぶことで、都電時代よりも利便性が上がった数少ない好例と言える。渋谷駅の乗り場も旧都電ホームを由来とする東急東横店寄りのホームで、今でも位置はあまり変わっていない。
 所管も面白く、沿線に渋谷営業所があるにもかかわらず、少し離れた目黒営業所が管轄した。渋谷車庫が建て替え工事中で、青山に車庫の機能を大きく移していたことや、青山は他の都電代替もあって余裕がなかったのかもしれない。渋谷駅に乗り入れる数少ない他営業所の路線でもあった。
そのため、車庫との出入庫路線として目黒駅~天現寺橋~渋谷駅を営業運転することとなり、本線の本数が多かったこともあり、出入庫もかなりの本数が運転されていた。
 麻布エリアが地下鉄空白域であったこともあり渋谷方の乗客は多く、都市新バス化の効果が高いと判断されたのか、[都01]に遅れること7年、平成2年3月より都市新バス第6弾「グリーンエコー」として新たなスタートを切った。[橋85]時代は終日にわたって赤羽橋止まりと新橋駅行きが交互に運行されていたが、都市新バス化に伴い、朝夕を除き全て新橋駅までの運行となり、利便性が大幅に上昇した。渋谷駅ターミナルでは、朝夕ラッシュ時は赤羽橋・新橋駅の交互発車のために「赤羽橋」「新橋」のダルマポールが設けられ、行列を分けて同時並行で乗車させる風景を見ることができた。
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▲都市新バス化のチラシ
都市新バス化後10年間は、運行形態・本数とも安定していたが、運用面の変化として、平成11年7月から沿線に車庫のある渋谷が一部便の担当を開始している。このとき、目黒から渋谷にV代日野の都市新バス車が転属したが、この転属車には[都06]用の方向幕しか装備していなかった。通常であれば管内全線の表示幕を入れるのだが、特例でこうなった模様である。平成12年12月の大江戸線改編で渋谷営業所は幕が全交換され、全ての車で[都06]が表示できるようになり、[都01]専用車が転用されるなど、バリエーションも広がった。
平成12年12月の改編でも、路線形態は変更されなかった。ただし、南北線・大江戸線の麻布十番駅の開業の影響は大きいと判断されたのか、新橋駅行きを中心に本数が2割以上削減された。
 その後、目黒営業所の縮小に伴い、段階的に渋谷が担当割合を増やしていき、平成15年3月末をもって
目黒は運行から撤退し、目黒駅~渋谷駅の出入は全て廃止された。
その後も改正ごとに少しずつ減便されていたが、平成16年を底に、わずかながら増便が続き、現在では底の時期より15%程度本数が増えている。沿線の住民が増えたのかは分からないが、乗客が増えたのは確かだろう。今後とも麻布十番を通る基幹系統として活躍し続けることを願いたい。
近年の面白い動きはまさかの品川との共管である(右写真)。平成20年4月のダイヤ改正で[都06]は品川との共管となり、品川車の運用が3輛ほど入るようになった。品川車が渋谷方面に入るのは史上初めてのことで、興味深い出来事であった。車庫ごとの運用数など何らかの事情があったのだろうが、1年後のダイヤ改正で早くも品川は撤退してしまったため、この共管はわずか1年の出来事であった。品川車庫からの出入庫は全て回送だが、渋谷駅・新橋駅の双方に回送ルートを設け、始発時間帯は天現寺橋までの回送もあったのも面白い。この運用も休憩は渋谷車庫で行っていたため、渋谷駅~渋谷車庫の出入庫表示が別途用意されていた。

深夜06

 [深夜06]は、平成元年6月に麻布十番・古川橋・魚籃坂下・恵比寿・白金といった地域への深夜バスとして設定された。この地域は地下鉄がなく不便であったこともあって設定されたのであろう。
 ルートは [田87]と[都06]を合体させたような独特の姿をしていた。具体的には、渋谷駅発は[田87]と同じルートで魚籃坂下まで来て左折し、一ノ橋(麻布十番駅)から赤羽橋駅まで至る。復路は渋谷駅に早く戻らせるためか、[都06]のルートとなった。
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 これとは別に、恵比寿三丁目までは[田87]のルートで、そこから[都06]出入と同じように白金台経由で目黒駅へと向かう入庫便が片道1本のみ運転されていた。しかも、最終便が入庫便というわけではなく、2運用あるうちの1運用は最終赤羽橋行きの運用に就いた後、赤羽橋から回送となっていた。なお、恵比寿三丁目は田町駅行きと外苑西通り上の目黒駅行きの停留所に2回停車するようになっており、車内放送もそれに対応していた。
 所管は一貫して目黒が担当していた。22時台から同じ経路で一般系統扱い(200円)の便を走らせていたが、これの書類上の名称は[都06乙]であった。走る経路を見ても分かる通り、魚籃坂下までは[田87]そのものであり、方向幕などの案内は「フクロウマークの白地田87」となっていた。音声合成設定機などでは夜前バスと書かれていた。ただし、渋谷駅の乗り場は[都06]の場所であった。復路は通常の[都06]の幕であったが、当時は[都06]の赤羽橋発はこの幕を使わず、新橋駅発の本線幕で代用していたため、赤羽橋発の表示は深夜前バス専用だった。
 方向幕については、夜前便も含めてローマ字のない時代のデザインを長らく使っていたが、平成12年の幕交換でローマ字が付加され、深夜バスでは唯一のローマ字つきの幕となった(下図)。
 平成6年頃まではそれなりに乗客もあったが、それ以降の乗客の落ち込みはかなりのものであった。さらに平成12年の南北線・三田線・大江戸線の開業で影響を大きく受けたと思われる。結局、平成14年10月に、深夜前バスもろとも全便が廃止されてしまった。平成14年の大江戸線ダイヤ改正で、麻布十番・赤羽橋への終電が1:00近くまで繰り下げられたことも響いたのだろう。もっとも、深夜前バスの乗車具合はなかなか良く、[田87]として、渋谷駅~白金高輪駅の便を23時ごろまででも残せなかったのかと思う。目黒所管時代は[都06]目黒駅入庫便の終車は22:45発であったのに、現在は入庫も全て渋谷車庫行きとなり、赤羽橋駅行き終車が21:55発となっているのは勿体ない感じである。

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