都営バス資料館

上26

[上26]←[601]←トロリー101 →分割[亀26]

担当営業所

青戸支所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
上26-1 亀戸駅~太平3~とうきょうスカイツリー駅~根津駅~上野公園 9.400/9.850km 21 21 22 21 15 15
上26出入-2 亀戸駅←太平3←とうきょうスカイツリー駅←言問橋 3.497km 2 1 1
上26出入-1 上野公園←根津駅←隅田公園 6.043/5.593km 1
上26-2 亀戸駅~太平3~とうきょうスカイツリー駅~根津駅~上野公園 9.400/9.850km 7 6


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
601 S43. 9.29 今井 16.388/16.058km トロリーバス101系統(今井~上野公園)の代替で今井~上野公園が開通
601 S45年度 今井 16.808/16.478km 一部経路変更
上26  S62. 5. 5 臨海 16.808/16.478km 今井支所・江戸川営業所を臨海営業所へ新設統合、臨海へ移管
上26  H 2. 7.21 大塚・巣鴨 9.400/ 9.850km 上26:亀戸駅~上野駅、亀26:今井~亀戸駅に系統分割、大塚・巣鴨に移管
上26  H11. 3.31 大塚・江東 *** 巣鴨の運用分を江東に移管
上26  H19. 3.26 南千住・江東 *** 大塚の運用分を南千住に移管
上26  H21. 4. 1 青戸 *** 全て青戸に移管、はとバスに運行を委託

路線概要

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 上野公園から亀戸駅を結ぶが、言問通り経由で浅草の北側を経由し、言問通りからはとうきょうスカイツリー駅・押上・亀戸天神とジグザグに進む。かつては今井まで達する長大路線だったが、今井側は[亀26]に分割された。
 上野公園から亀戸駅に向かうバスは、とりあえずの行き先の不忍通りとは反対方向に出発する。上野公園・上野広小路近辺を時計回りループ状に折り返しているためで、右折して中央通りに出て、上野松坂屋を右折、さらにすぐ先の天神下を右折して不忍通りへと入る。上野公園よりも他との乗り換えに便利な上野広小路からの乗客も目立ち、実質的な起点とも言える。
 不忍池と上野動物園を右手に見ながら根津駅前を右折し、しばらく言問通りを走って行く。
 この一帯は通称「谷根千」。谷中・根津・千駄木の頭文字をつなげたもので、地域のミニコミ誌の出版社が名付けたという説もある。戦災被害をほとんど受けなかったことや、山手線の内側で駅から徒歩圏内にもかかわらず大規模開発が行われなかったため昭和の町並みや商店街が残っており、散策ブームもあって雑誌が色々と取り上げて有名になったエリアである。
 言問通り沿いには多くの寺社が集まっており、地図を見てもそのことがうかがえる。上野桜木停留所は谷中霊園の最寄り。上野桜木停留所は徳川歴代将軍15人のうち6人が眠る天台宗別格大本山寛永寺の最寄り停留所で、普段は閑散としているこの路線も、桜の季節や春秋の彼岸シーズンともなると、臨時便を運行しないと乗客をさばききれないぐらいに混雑する路線へと変貌する。
 寛永寺陸橋でJR線をまたぎ一気に坂を下ると鶯谷駅の最寄りとなる下谷二丁目となる。陸橋の真下には鶯谷駅の停留所もあるのだが停まれず、下谷二丁目が鶯谷駅の最寄りと案内される。といっても、初見で道路の奥に引っ込んだ鶯谷駅へ向かうのはなかなか土地勘が要るだろう。ここからしばらく[草41](足立梅田町~浅草寿町)・[都08急行]と併走する。
 朝顔市で有名な入谷鬼子母神を過ぎる。日比谷線の入谷駅の最寄りでもあり、昭和通りと交差する。かつての新谷町車庫の最寄りである入谷二丁目を過ぎ、西浅草三丁目からは浅草エリアへと入っていく。ここで[草41]と分かれて[都08]と合流する。浅草二丁目は浅草寺の最寄り停留所で、谷根千巡りと合わせて周遊する客の姿も多い。
時間帯によっては乗務員交代が行われる隅田公園停留所を通過し、言問橋を渡る。橋の名前にもなっている「言問」の名は、在原業平が古今和歌集で「名にし負はばいざ言問はん都鳥我が思ふ人はありやなしやと」と詠んだことにちなみんでいる。そして言問といえば言問団子が有名だが、団子屋は言問橋の近くではなく、隅田川を上った桜橋のそばに店がある。
日本一の電波塔である東京スカイツリーの最寄りであるとうきょうスカイツリー駅前を過ぎ、業平一丁目交差点でバスは左折し再び[都08]と合流し、浅草通りを押上方向へ入る。浅草通り上のスカイツリー駅入口には停まらないので注意。
 押上交差点で四ツ目通りへと右折し、精工舎工場跡地に立てられた商業施設オリナスの前をバスは蔵前橋通りへと左折し西へと進んでいく。ここからは[草24](浅草寿町~東大島駅)と合流する。橋を渡ると亀戸天神で、5月の藤まつりや初詣の時期などは大変に混雑する。亀戸四丁目交差点を右折し、商店街を抜けると終点の亀戸駅で終点となる。
 亀戸駅では分断された[亀26]の乗り場の横で終点となり、そのまま[亀26]に乗り換えることもできる。[上26]の亀戸駅着最終は22:50頃、[亀26]の今井行き最終は23:05と終バス同士が遅い時刻に乗り継げるのがトロリーバス代替で一本で運行していたかつての名残で、乗り換える人の姿も僅かながら見られる。

歴史

 トロリーバス101系統(上野公園~今井)の代替として、昭和43年9月に開通した。トロリーバスは、かつて新時代の乗り物として期待されていた。道路上空に張った架線から取った電気を動力として走るバスで、路面電車のような軌道敷設が必要なく、運営コストも路面電車と比べると安くでき、バスのように排気ガスを出さないというメリットがあった。また、昭和20年代はバスエンジンの信頼性や出力も低く、大型化が難しい中で、電車の技術を応用できるトロリーバスに注目が集まっていた。
 東京都交通局でも、まだ路面電車が本格的に敷かれていなかった都営エリアの外周部の交通を改善する目的で建設が始まり、まず第一期開業として101系統・今井~上野公園が昭和27年に開通した。
 しかしながら、敷設後はデメリットが目立つようになる。架線のあるところしか走れないために結局自由度が低いこと、他の路面電車や踏切とクロスするときには補助エンジンの力を借りる必要があること、床下モーターのため風雪に弱いこと、折り返しにスペースが必要なこと、そしてバスのエンジン改良が進んで大型化が進んだことなど、様々なデメリットが山積したこともあり、再建計画でトロリーバスを全廃した。
 101系統は昭和43年9月に廃止され、代替バスは[601]を名乗った。江戸川区から都心直通できる路線として利用価値が高かったこともあり、亀戸駅までの乗客は特に多く、代替後も多くの本数が走った。亀戸駅くまでは約200往復、上野公園までは約100往復とおおよそ半数が亀戸駅で折り返す設定になり、東小松川~今井の今井街道では他の系統とは段違いの本数で運行されていた。今でも松江など亀戸方面のいくつかのバス停は他の系統と別に建っており、バス停を独立させる必要があるほどの乗客がいたことがうかがえる。なお、代替当時に設定された上野桜木折り返しだが、折り返し方法は不明である。芸大の一角を使って折り返していたのだろうか。
 この代替に際して、トロリーバス今井支所がそのまま代替バスの今井支所になった。
 昭和47年からは[上26]と名乗り、城東の長距離の幹線として君臨した。しかし、都営新宿線の延伸で大きな影響を受ける。特に、昭和61年の篠崎延伸で一之江駅が開業すると、西一之江~今井は丸ごと駅勢圏に入
るために乗客数が落ち込んでいった。その後も流出は少しずつ続き、平成2年にはついに亀戸駅で系統分割がなされ、[上26]と[亀26]と2系統体制になり、所管も別々になった。ここから先の今井側については臨海の[亀26]の項も参照のこと。
 その後も[上26]は赤字が目立つ系統として引き続き削減対象になり、平成8年3月の減便改正以後は1時間2本にまでなってしまった。分断前は亀戸以遠から亀戸天神・押上・浅草へ向かう需要もあったと思うのだが、分断後は域内ローカル路線となったため、そもそもの需要が少ないことや、浅草を通るとはいえ言問通り経由で雷門や松屋へは別の系統を使ったほうが便利であることを考えると、こうなるのも仕方なかったのかもしれない。
 [上26]は現在は30~40分間隔で運転され、つつじ祭り等、需要が見込める日には臨時増発される。本数はそういう意味では安定しており、下町を結ぶローカル路線としてひっそりと生きていきそうだ。
 所管については二転三転した。[上26]分断前までは今井支所→臨海営業所が所管し、分断後は大塚・巣鴨での共管となった。路線を見ると江東が一番近いが、余裕がなかったのであろう。始発の1往復のみ臨海が代走で運用に入っていたが、いつ頃まで続いたのかは不明である。撤退後は大塚車庫から亀戸駅まで回送するという光景が見られた。
 その後、平成11年に巣鴨の持分を江東に移し、以前よりは効率的な体制になった。しかし、大塚車庫の再開発とともに平成19年3月の改編で大塚の持分が南千住に移管された。そして、平成21年4月の改編ではとバスに委託され、全便が青戸担当となった。担当したことのある営業所・支所は歴代7箇所に及び、[東15乙](東京駅八重洲口~住友ツインビル)の特殊例を除けば歴代で最も所管の多い系統となっている。

転々とした出入庫

 大塚時代の出入庫は、大塚車庫→湯島三丁目、上野広小路→大塚車庫という運転を行っていた。上野公園~春日通りの間は回送していたが、中途半端な行き先にするくらいならば上野公園まで営業運転しても良かったのではと思う。巣鴨は上野公園~巣鴨車庫を、また江東は亀戸駅~江東車庫を回送しており、大塚や南千住が江東車庫に休憩する姿も見られた。
 南千住移管後は上野公園~浅草二丁目、亀戸駅~隅田公園という出入庫が設定された。浅草警察署・泪橋経由で回送していたと思われる。ただし、全便がこの方法ではなく、亀戸駅・上野公園と南千住とを回送する設定もある程度残った。
 平成21年の青戸移管後もしばらくはそのままだったが、平成23年4月改正から上野公園~隅田公園、亀戸駅~言問橋と停留所が一つずつ亀戸に寄った。言問橋東から水戸街道経由で回送する意図があったのだろうが、言問橋東の交差点が右折不可のため、言問橋止まりのバスは一旦水戸街道を左折し、東武線をくぐってすぐの現森橋を右折、墨田区役所前を左折して本所吾妻橋の五差路から浅草通りに出て本所吾妻橋を左折、という面倒な経路で水戸街道の下り方面に出ていた。
 結局平成24年4月の改正で改められ、亀戸駅からの入庫はとうきょうスカイツリー駅止まりで[墨38]ルートを使って水戸街道に回送するようになった。なお、上野方面の出庫は引き続き水戸街道から本所吾妻橋・吾妻橋・花川戸と大回りして隅田公園に出ているようだ。

鶯谷駅入口

 [上26]は、代替当初は言問通りを鶯谷駅まで進み、山手線手前で取り付け道路の急坂を登り、そこから寛永寺陸橋で山手線を越えていた。しかし、昭和50年頃に陸橋の取り付け道路が付け替えられたことに伴い、鶯谷駅の手前から陸橋に入る必要が出てきたため、鶯谷駅の停留所には停まれなくなった。仕方がないので、1つ亀戸寄りの下谷二丁目の副名称を鶯谷駅入口として、電車連絡をここで行うように案内が変更された。もっとも、車内路線図はしばらくの間鶯谷駅の表記が残り、「ここには停まりません」という案内がついていたようだ。
 下谷二丁目から鶯谷駅の改札への乗り換えは徒歩で6~7分はかかり、周囲の雰囲気と相まって、一発でたどり着くのはなかなか難易度が高い。

大型車の運用

 南千住移管後は輸送力が足りるということか、中型ロングでの運用が多くなった。現在の青戸においては原則として全て中型ロングでの運行となっている。といっても例外はあるもので、5月の根津・亀戸での藤まつり・つつじまつり開催時は[上26]が最も混雑する季節となる。特にゴールデンウィークは大型車で臨時便を出すこともあり、臨時時刻表が掲出されることもあった。現在はそこまでのことはないが、大型の運用が見られるときもある。

僅かに変わった経路

 [上26]の経路は分割を除くとトロリーバス代替後から全く変わっていないように見えるが、実は上野公園付近が少しだけ変わっている。上野公園~今井時代は→上野広小路→上野公園(終点)→池之端…と反時計回りだったのが、[亀26]の分割後は→上野公園(終点)→上野広小路→池之端…と時計回りに逆転した。上野広小路から乗る乗客が多かったからだろうか、さりげない変更である。

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