都営バス資料館

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担当営業所

品川営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
品川車庫~品川駅~田町駅~新橋駅~東京駅八重洲口 7.952km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
114 S23.12.15 品川 15.288km 東京駅八重洲口~品川駅~大森駅~池上駅が開通、東急と相互乗り入れ
114 S34. 6. 2 品川 16.588km 通3~東京駅八重洲口について、日本橋・日本橋室町(日本橋三越)を経由する大回り経路に変更
114 S38. 2.27 品川 15.468/16.469km 東京駅行きについて、日本橋を通らない従来の経路に変更
114 S41.11. 1 品川 15.468/15.348km 池上駅行きについて、日本橋大回りの経路を廃止し従来の経路に戻す
東94 S52.12.16 品川 7.952km 品川車庫~東京駅八重洲口に変更短縮、東急との相互乗り入れを中止
東94 S54.12.17 品川 *** 品川車庫~東京駅八重洲口を廃止

路線概要

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 東京駅八重洲口から東急バスのエリアの池上駅までを結ぶ長距離路線である。東急との共同運行路線であった。
 八重洲口発車後、すぐに中央通りに入り、京橋・銀座・新橋と銀座地区を抜けて、第一京浜を南下する。この辺りはかつての[東90](東京駅八重洲口~五反田駅/丸子橋)と同じ経路である。山手線に沿うように品川駅まで南下すると、八ツ山橋を抜けてさらに京浜急行沿いに第一京浜を南下する。青物横丁で第一京浜と別れて右折し、仙台坂を上り大井町駅の商店街を抜けて大井町駅のロータリーに到着する。ここからは並走する東急バスの系統も多くなり、現在も多くの本数が確保されてい。池上通りを進み、左手に大森貝塚の遺跡庭園と東急バス大森操車所を見るとすぐに大森駅に到着する。大森駅の山王口側は狭隘でターミナルがなく、池上通りの路上に乗り場が散らばっている。これは昔から変わっていない。
 大森駅を出ると商店街が続き、環七と立体交差すると左手に大田区役所(現在大田文化の森)が、さらに少し進むと東急バス池上営業所が現れる。共管相手の東急は池上の所管だった。
 本門寺のバス停で本門寺の新参道入口が右手に見えると、すぐに池上駅となる。昔ながらの駅舎と駅に併設された乗り場や数台分のバスの折返スペースがある地方駅のような佇まいで、ここで終点となる。

歴史

 東急との共同運行路線として昭和23年に開通した路線で、経路は路線概要に記した通りである。この経路は昭和52年の短縮まで基本的に変更がなかった。
 昭和22年に誕生した相互乗り入れの各系統は好評をもって迎えられ、さらなる拡充を目的として昭和23年12月に開設された。なお、相互乗り入れの協定は都営・京急・東急の3社局で結ばれた。八ツ山橋~青物横丁の区間は京急の路線免許だったためで、実際の運行は2社局で京急の区間に一方向乗り入れをする形となった。このような形は昭和40年代までには解消していたと思われるが、詳細は不明である。
 地下鉄の直通という要素はなかったが、銀座地区の渋滞など、沿線から都心への直通の維持が困難になつていく中で昭和40年代は生き延びたものの、ついに経営再建の中で分断されることになった。なぜかこの時点では全線廃止とならず、[東94]東京駅八重洲口~品川駅~品川車庫という路線になり、品川駅以南は東急バスが[品94]品川駅~池上駅として引き続き運行を続けた。ただし、残った区間はほとんど[東90](東京南口~丸子橋:当時)と共通しており、もはや独自性はほとんど存在しなかった。これで路線が維持できるはずもなく、あっさりと2年後の昭和54年の改編で廃止された。
 残った東急バスは地域の幹線として本数も維持されていた。系統番号が94番というのがかつて都心まで乗り入れていた名残でもある。しかし乗客は昔に比べると確実に減っていたのか、平成12年4月に合理化で[井03](大井町駅~池上駅~蒲田駅)等を含めて統合され、[品94]は池上駅から蒲田駅まで延伸された。
しかしながら実態は減便改正であり、[品94]と[井03]が重なる大井町駅~池上駅のは大幅な減便となった。そして、平成15年3月の時刻改正で品川駅発着の終バスが大幅に繰り上がって20時になり、それ以降は大井町駅~蒲田駅での折り返し運転となった。平成22年のダイヤ改正ではさらに減便が進み、品川駅発着は1時間2本と半分になっている。近年の急速な合理化が進む中、今後の推移が気になるところだ。

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