都営バス資料館

八王子支所(廃止)

車庫の概要

 八王子支所は、昭和24年に、八王子駅の北側、市街地の外れの浅川沿いに置かれた。営業路線の所管は多摩地域の振興を目的として開通した新宿駅~八王子駅の1路線のみであったが、昭和40年代からは多摩地域の養護学校等の特定車輸送も手広くこなすようになっていった。しかし、唯一の営業路線は昭和47年に立川駅~八王子駅に短縮され、昭和60年には路線自体が廃止されてしまった。しばらくは特定車専用の車庫として営業を続けたが、昭和62年に特定車の業務も青梅支所の大和操車所に全て転属となり、車庫は閉鎖された。

基本データ

住所 八王子…八王子市明神町四丁目30番地2号 (昭和44年5月1日住居表示実施)
開設期間 八王子…昭和24年12月25日~昭和62年3月31日
交通機関 八王子…バス:明神町 鉄道:
基本配置 旧基本車種:いすゞ

沿革

年月日 できごと
S24.12.25 新宿営業所八王子支所を開設
S60.12.15 一般系統の全廃により、新宿営業所八王子分駐所に格下げ、特定車の営業のみとなる
S62. 3.31 新宿営業所八王子分駐所を閉所

歴代所管一覧

年月日 所管開始時の区間 所管開始 所管終了 備考
302→立73 新宿駅西口~八王子駅北口 S24.12.15 S60.12.14 廃止

車庫の歴史

八王子支所は、多摩地域の振興を目的として青梅支所とともに昭和24年12月に開設された。八王子駅北口の北側、中心街外れの浅川沿いに設けられ、20輛程度が収容できる小さな車庫であったという。 [302](新宿駅西口~八王子駅)の開通により開設された車庫で、所管路線は支所廃止までこの1路線だけであった。
営業所の文字は「X」であった。アルファベットでいうと最後のほうの文字だが、支所格は最後のほうの文字を割り当てようということだったのだろう。青梅のWに次ぐ文字として決められたのだろうが、Wはどこから来たのかは謎と言える。
しかし、京王線の高速化、渋滞の悪化により路線を維持する意義は薄くなっていた。その中で、昭和40年代後半、交通局は[302]と支所まとめての廃止を決定したが、周辺自治体は都営バスの撤退に反発し、組合も支所の廃止に伴う配転に反発した結果、京王から立川駅北口~八王子駅北口(→[立73])を譲り受けることとなり、支所は維持された。

▲国土画像情報 (国土交通省、昭49)
八王子支所の特徴としては、やはり養護学校輸送の特定車輸送に言及しないわけにはいかないだろう。昭和48年度に専用車が配置されて以来、当時はこのような福祉向けの輸送は民間で引き受けるところが少なかったこともあり、次第に増車して多摩地域を手広く担当、最終的には一般路線車と特定車が同数の在籍となり、一大勢力であったことが分かる。
しかし、短縮しても[立73]が赤字であることには変わりがなかった。昭和59年に路線の存続を図る目的のもとに、青梅の各系統と同時に、沿線自治体(八王子市・日野市・立川市)が公共負担を行うという締結を交わしたたが、昭和60年度、日野市は予算計上したものの、八王子市・立川市が計上しなかったため、結局昭和60年12月に路線は廃止され、分駐所に格下げされ、特定車のみ運用を続ける拠点になった。だがそれも昭和62年3月に全て青梅の大和操車所に移管され、分駐所も廃止となった。

▲八王子市住宅地図(ゼンリン、昭和58)
跡地は「とうきょう社会保険センター八王子」(現在の八王子健康管理センター、八王子健康スポーツセンター)として再利用され、健康管理施設のほかジム・プールなどのスポーツ施設を備えた建物に生まれ変わっている(下写真)。

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