[錦13]←[75]
担当営業所
深川営業所
運行区間・運行回数
系統・枝番 | 起点、経由地、終点 | 備考 | キロ程(往/復) | 平日 | 土曜 | 休日 | |||
→ | ← | → | ← | → | ← | ||||
錦13甲折返-1 | 錦糸町駅~住吉1~東陽3~豊洲駅 | 6.350/6.390km | 12 | 13 | 4 | 6 | 2 | 3 | |
錦13甲折返-3 | 錦糸町駅←住吉1←東陽3 | 3.440km | 2 | 2 | 2 | ||||
錦13甲折返-4 | 東陽1→豊洲駅→晴海3→晴海埠頭 | 6.200km | 1 | 2 | 1 | ||||
錦13乙 | 錦糸町駅~住吉1~東陽3~辰巳駅~東雲駅~深川車庫 | 8.420/8.460km | 44 | 44 | 47 | 47 | 40 | 40 | |
錦13乙折返 | 東陽1→辰巳駅→東雲駅→深川車庫 | 4.790km | 1 | ||||||
錦13甲 | 錦糸町駅~住吉1~東陽3~豊洲駅~IHI~晴海3~晴海埠頭 | 44 | 41 | 48 | 44 | 34 | 31 | ||
錦13出入 | 深川車庫~東雲都橋~豊洲駅~IHI~晴海埠頭 | 4 | 3 | 2 |
現在
年表
系統 | 年月日 | 営業所 | 距離 | 概要 |
75 | S34.7.1 | 洲崎 | 7.780/7.790km | 錦糸町駅~晴海埠頭前(現晴海3)が開通 |
75 | S37.1.20 | 洲崎 | 8.700/8.710km | 晴海埠頭前~貿易センター(現ほっとプラザはるみ入口)を延長 |
75 | S39.1.10 | 洲崎 | 8.620/8.630km | 弁天町(現東陽3)~塩崎町(現塩浜2)を木場3(現木場駅)経由から深川八中経由に変更 |
75 | S39.10.10 | 洲崎 | 9.320/9.330km | 貿易センター~晴海埠頭終点(現晴海埠頭)を延長 |
75 | S43.5.27 | 深川 | 9.320/9.330km | 洲崎営業所の深川への移転改称により深川に移管 |
75乙 | S45.9.25 | 深川 | 7.850/7.840km | 錦糸町駅~深川車庫を開設 |
錦13 | S47.11.12 | 深川 | *** | 新系統番号化、錦13とする |
錦13乙 | S63.6.8 | 深川 | 8.310/8.300km | 有楽町線開通に伴い辰巳橋経由から新末広橋経由に変更 |
錦13甲 | H7.11.1 | 深川 | 9.390/9.430km | 錦糸町駅→住吉1間を江東橋3・江東橋1経由から住吉駅経由に変更 |
錦13乙 | H7.11.1 | 深川 | 8.270/8.300km | 同上 |
錦13乙 | H8.3.30 | 深川 | 8.420/8.460km | 深川車庫付近の経路変更 |
錦13甲 | H11.11.11 | 深川 | 9.420/9.460km | 枝川1付近の橋の架け替えにより一部経路変更 |
錦13 | H17.3.28 | 深川・江東 | *** | 深川・江東の共管に変更 |
錦13甲 | H18.4.1 | 深川・江東 | 9.610/9.430km | 豊洲駅ターミナルの完成により、晴海方面はターミナルを経由するよう変更、キロ程修正 |
錦13 | H21.4.1 | 深川 | *** | 深川の単独所管に変更 |
錦13 | H22.4.1 | 深川 | *** | ホテルマリナーズコート東京~晴海埠頭の経路をほっとプラザはるみ経由に変更 |
錦13折 | H24.4.1 | 深川 | 東陽町駅~豊洲駅を開設 | |
錦13折 | H26.3.24 | 深川 | 東陽町駅~昭和大学江東豊洲病院に延長 | |
錦13折 | H30.10.11 | 深川 | *** | 東陽町駅~昭和大学江東豊洲病院を陽12-1として独立 |
錦13甲 | H30.12.25 | 深川 | 9.630/9.450km | 晴海埠頭の一部経路変更 |
錦13甲折返-2 | R 2. 3.30 | 深川 | 7.010/ 6.830km | 錦糸町駅~豊洲駅~IHIの設定廃止 |
錦13甲折返-5 | R 3. 6. 1 | 深川 | 9.630/9.450km | 錦糸町駅~ホテルマリナーズコート東京を設定、オリパラ期間中運転 |
錦13 | R 4.10. 7 | 深川 | ほっとプラザはるみ~晴海埠頭の経路変更 |
路線概要
錦糸町駅と江東区南部・中央区を結ぶ系統。錦糸町駅から大門通りを経由して豊洲駅・晴海埠頭に向かう[錦13甲]、塩浜から分岐して辰巳・深川車庫へと向かう[錦13乙]、さらに途中で経路が重複する東陽町駅~昭和大学江東豊洲病院の[錦13甲折返]の主に3系統からなっている。
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錦糸町駅を出発すると四ツ目通りを南下し、住吉駅前で新大橋通りへと進んでいく。錦糸町駅バスターミナルの構造上、京葉道路の都心方向へ右折できないため、[錦13]の錦糸町駅付近はラケット状の経路になっているが、錦糸町駅を跨いだ乗り通しはできない。
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住吉一丁目交差点を左折し、大門通り(親不孝通り)をしばらく南下していく。この付近は清澄通り・三ツ目通り・大門通り・四ツ目通りと数百メートル間隔で南北方向にバス路線が存在するが、どの時間帯も満遍なく混雑している印象を受ける。本数がさらに多い[東22](錦糸町駅~東京駅北口)と数百メートルも違わず並行しているが、それぞれ近隣の需要をうまく拾っているということなのだろう。
新扇橋で小名木川を渡る。橋の両側には「新扇橋」と書いた扇形のモニュメントが置かれており、それがちょっと可愛い。橋を渡ったところには以前、スポーツクラブとスーパーがあったが、2013年頃に大規模マンションに建て替えられた。[錦13]沿線も近年の都心回帰によりマンションの数が増えているが、他の系統と比べると増便までには結びついていないようだ。永代通りで東西線と接続していないのもあるのだろうか。
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扇橋一丁目の先、左側に見えてくるのが「肉の田じま」。東京食肉市場の卸問屋直営の肉屋で、店舗自体が「黒毛和牛のデパート!」と宣伝するように、1階は精肉店、2階は焼肉、3階はすき焼きを食することができる。1階の精肉店で販売しているコロッケは絶品との声も。
さらに大門通りを南下。石島は東京都現代美術館の裏手にあたり、同館へのアクセスとして[錦13]が案内されていたこともあった。永代通りの前後にある東陽三丁目、東陽一丁目は東京メトロ東西線木場駅にも近く、乗降も多い。洲崎橋跡を渡るとやや道路が広くなるが、ここが洲崎遊郭の跡。大正・昭和初期には吉原に並ぶほどの人気を博した。今まで通ってきた大門通も、この洲崎の入口の大門へと向かう名が由来となっている。通りを北に向かえば言問通りに出て吉原へとつながる道になっており、親不孝通りの別名もそのような立地に由来しているようだ。現在はかつての賑わいはなく、僅かに周囲に名残が見えるのみである。
前方に東京メトロの車庫が見えてくると右折。塩浜通りを西へ進むと左側に中央自動車学校が見えてくる。たまに構内に都営バスの姿が見られるが、江東運転免許試験場の講習用シャトルバスである(後述)。
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そしてバスは三ツ目通りへと左折、運河を渡りデニーズの先の交差点から行先により進行方向が別れる。晴海埠頭行きは交差点を右折して枝川二丁目停留所に、深川車庫行きはそのまま直進して八枝橋に停まる。この二つの停留所はさほど離れておらず、別名というのも意外な気がする。深川車庫行きはさらに三ツ目通りを進む。左側に大きな公園が見えてくるが、これは都立辰巳の森海浜公園。道の反対側には辰巳団地があるが、防音壁に阻まれて団地の姿は見えない。なお錦糸町駅方面は防音壁の内側にある側道を通る。
辰巳ジャンクションの下にある辰巳駅停留所を過ぎ、国道357号線の先、突き当たりの交差点を右折し東雲駅へと向かう。東雲駅はバス乗り場が整備されていることから、車庫方向も駅前バス乗り場に入って客扱いを行う。
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鉄鋼団地入口交差点を右折し、再び国道357号線との東雲交差点を進んでいく。東雲交差点を右折すればほどなく終点の深川車庫である。
一方の晴海埠頭行は、[業10]と同経路で枝川地区を抜け豊洲エリアへと向かう。高層マンションが林立し、IHIの跡地に商業施設が並ぶ現在の姿を有楽町線開業の時点で予見できた人はどのくらいいるのだろうか。
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豊洲駅バスターミナルに入り乗降を行い、晴海通りをバスは進んでいく。IHIは日本を代表する重工業企業の一つである旧石川島播磨重工で、平成19年に略称を正式な社名にした。かつての周囲に広がった造船所は再開発され、今は本社ビルが残るのみ。なお、朝や深夜には通勤需要の段落ちや入庫で豊洲駅止まりやIHI止まりが設定されている。
トリトンスクエアの前を通り晴海三丁目交差点を直進。この交差点の角にホテル浦島があった。晴海見本市会場時代にコミケに参加していた方には馴染みのホテルで、昭和時代の湾岸エリアでは数少ない大規模ホテルだった。どうやら南紀勝浦の「ホテル浦島」の系列のようで、館内には「熊野路」「紀ノ川」というレストランもあった。老朽化に伴い平成15年閉館。現在では跡地に晴海センタービルが建っている。
次の停留所名となるホテルマリナーズコート東京は、実は全日本海員組合の海員福祉研修会館で、東京都心にほど近い場所にありながら低価格で宿泊できる穴場スポットである。
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晴海見本市会場跡地に一番最初に建設されたのが中央清掃工場と温浴施設「ほっとプラザはるみ」である。最寄りのバス停も「晴海見本市会場」から「ほっとプラザはるみ」に改称されたが、道路の関係でバス停から施設まで若干歩く必要があったが、東京2020の選手村等の建設が進む中で道路が付け替わり、現在は施設の前にバス停が置かれるようになった。ガラス張りの天井が特徴的な客船ターミナルの建物が見えてくると、終点の晴海埠頭である。
路線の歴史
昭和34年と、戦後発展した路線網の中では比較的に後のほうに開業した系統である。主に大門通りを南北に結び、木場からは三ツ目通り・豊洲経由で晴海埠頭(現・晴海三丁目)を結んだ。[33](→[業10])と通るところはかなり近く、バスのなかった大門通りのアクセス向上と沿線から錦糸町駅直結を狙ったものだろう。戦前はこの経路にバスが設定されたことはなく、この系統が初となった。
昭和37年に見本市会場目の前の貿易センターまで、さらに昭和39年には晴海埠頭終点(現・晴海埠頭)まで延伸し、本線の形が完成した。昭和39年には洲崎弁天町(現・東陽三丁目)から先を永代通り・三ツ目通りから今と同様に洲崎の旧歓楽街を通るように変更され、現在の経路とほぼ変わらなくなった。
錦糸町駅付近では開通時からループ状に折り返していた。当初の錦糸町駅発は四ツ目通りに入ってすぐ右折し、首都高沿いの細い道を通って大門通りの江東橋一丁目停留所に戻っており、途中に江東橋三丁目停留所があったが、狭くて定時性を保てないということか、平成7年に現在と同じ住吉駅・新大橋通り経由に変更された。末期は、20時以降は現在と同じく住吉駅経由になる旨停留所に注意書きがあった。
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昭和40年度は乗降調査では豊洲埠頭まで130往復、晴海埠頭までは100往復程度と現在よりも非常に多い本数で運転され、乗降客数は7,000人/日前後だったが、調査日は晴海でのイベントも特になかったためか、豊洲郵便局(現・IHI)から先はかなり閑散とした様子だったことが分かる。
昭和45年には辰巳団地のアクセス向上のため、[75乙](錦糸町駅~深川車庫)が開設された。三ツ目通りをそのまま南下し、湾岸道路を右折して深川車庫で終点となる。昭和63年に湾岸道路の一本南の現行経路に変更された。後に辰巳三丁目、東雲駅の停留所が増設されている。
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深川車庫発着は出入庫扱いでなく、まとまった本数が確保されるようになり、昭和末期の時点で既に晴海埠頭よりも深川車庫発着のほうが多くなっていた。
平成6年度には深川初の超低床バス運行系統として指定され、A代のリフト付き超低床バスが専属で走るようになった。高齢者比率が多かったのだろうか。
現在は深川車庫発着の本数がやや多くなっている。豊洲駅と江東区北部や錦糸町とを結ぶ貴重な存在だが、途中に2本深川車庫行きが挟まると30分近く空いてしまうこともあるのがつらいところだ。
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乗降客数は昭和50年代から平成初期にかけて11,000人前後で推移しており、有楽町線豊洲駅・辰巳駅開業後の影響もほとんど受けていない。営業係数も80前後と黒字の優秀な系統だった。近年は平成27年度で10,516人/日、28年度で9,520人/日とデータ上の乱高下が激しいがそこまでは減っておらず、営業係数は111とやや赤字の系統に転落しているのが気がかりなところだ。
江東との共管
平成17年~21年までの4年間は江東との共管になっていた。担当余力の都合で半数近くの運用を肩代わりしたもので、日産ディーゼルのノンステップなど深川では見られない車種が運用に入る姿も見られた。運用を大きく変えなかったため、深川車庫~江東車庫回送のような無駄にも見える運用も存在したほか、運用中は深川車庫で休憩するようになっていた。
東陽町駅の南側の変遷
深川八中南付近で[錦13]は経路が往復で異なる。どちらかに統一してもよさそうなものだが、かつての名残なのだろう。昭和40年代までは東西に貫通する塩浜通りが通っておらず、[錦13]は塩浜二丁目アパート寄りの細い道を通っていた。周辺は戦前の強制移住で形成された集落があり、今の塩浜通り上にも広がっていた様子が航空写真からうかがえる。昭和39年までは本系統が現在の木場駅経由から変更してこのエリアを通るようになり、その後の区画整理で塩浜通りが開通、現在の経路となった。昭和60年版の都バスガイドブックから往復で経路が異なるように描かれている。今は東西線の車庫の脇に区割りが狭い地域が名残のように残るのみとなっている。
あまり乗りたくないバス
塩浜東停留所の目の前に「東京駅から一番近い」を売りにする中央自動車学校がある。かつては中央自動車学校裏の停留所名だったが、平成21年に改称された。この構内に都バスの姿がたまに見られたが、これは講習用。江東運転免許試験場は所内に自動車コースがなく、中央自動車学校に違反者講習を委託しており、その送迎バスが主に深川車で運転されている。なるべくなら乗りたくないバス、かもしれない。
バスは試験場の脇の駐車スペースから出発し、永代通りに出て自動車学校へと向かう。現在も平日の午前と午後に1回ずつ運転されているようだ。
辰巳の堀割型バス停
辰巳駅・辰巳一丁目・辰巳団地の上り方面は掘割構造みたいなバス停になっている。辰巳団地の敷地が隣接し、植樹帯で区切られて歩道がかさ上げされているため、道路に面するバス停だけ掘り下げられたように見える。三ツ目通りの反対車線には防音壁もあり、環境に配慮した作りなのだろう。辰巳駅・辰巳団地は[錦13]と[門19]で2つポールがあり、有楽町線開業前の混雑を偲べる。
IHI・豊洲駅止まり
平日と土曜の朝にIHI(旧・石川島播磨重工)止まりが運転されている。ラッシュ時用の工員輸送として歴史は古く、昭和時代の停留所名が豊洲郵便局の時代から運転されていた。近年は工場の撤退や需要の変化とともに、現在は僅かに運転されるのみである。
折り返しは豊洲一丁目都営アパートの一角を回送していたが、平成25年春改正からは道路の回り方を変えたのか、復路は豊洲駅まで回送して豊洲駅始発になっている。
豊洲駅止まりは主に入庫用だが、朝にもIHI行きの代わりとして僅かに設定されている。
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かつて、豊洲駅止まりの最終便は豊洲交差点を左折して豊洲駅到着後、引き続き深川車庫行きとして便宜的に営業運転していた。時刻表には掲載されなかったが、引き続き乗車できるむねを案内した専用の放送も用意されるなど正式な系統さながらだった。その取扱いも平成17年頃までには終了し、現在は豊洲駅到着後は車庫まで回送となっている。
八枝橋
[錦13]の甲乙が分岐した直後の停留所。少し先の潮見へと渡る三ツ目通り上の橋の名で、何が八かというと、潮見がかつて八号地の名で埋め立てられたことに由来し、八号地と枝川の頭文字を取ったようだ。
それならば、次の潮見から辰巳(七号地)に渡る橋は七八橋……ではなく七枝橋と名乗っている。
八枝橋交差点近くにはCNGステーションがあり、深川構内の設備停止後はしおかぜ用のCNGバスがここで燃料を入れる姿も見られた。
晴海埠頭の出入庫
この系統の入庫として晴海埠頭→深川車庫が存在するが、逆方向の深川車庫→晴海埠頭は[都05]名義に統一されている。もともと方向幕の設定は[都05]が両方向、[錦13]は車庫発のみ存在し、平成12年以降は今の形に統一された。
といっても晴海埠頭発もほとんどは[都05]の入庫用で、[錦13]はほぼ回送で出入りしている。晴海埠頭から豊洲四丁目までは[錦13]本線の時刻表の中に深川車庫行きが混ざっており、少々紛らわしい。
事情があるのか、ダイヤによっては他系統メインだが深川車庫~晴海埠頭をおまけで往復するような設定もある模様。
待望の[陽12]
[錦13折返]は江東区議会の議事録や現地に準備された停留所掲示によれば、豊洲市場開場の際に豊洲市場まで延伸(時間帯によって水産棟経由便あり)、さらに一部便はお台場方面まで運転予定となっていた。[陽12]の番号が与えられる予定で途中の新豊洲駅などのバス停でも準備されていたが、平成28年の移転予定は延期となり、延伸区間のバス停も覆われたまま道路脇のオブジェとなっていた。
平成30年秋に改めて開場予定となり、無事に予定通りの番号で独立している。