都営バス資料館

×立73

[立73]←[302]

担当営業所

八王子支所

運行区間

系統 区間 距離 備考
八王子駅北口~大和田坂下~日野駅~日野橋南詰~立川駅北口 11.700/ 11.600km
日野駅~日野橋南詰~立川駅北口 4.950km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
302 S24.12.15 八王子 38.950km 八王子駅~立川温泉(現日野橋交差点)~新宿駅西口が開通、京王と相互乗り入れ
302 S25. 7. 1 八王子 41.300km 立川温泉~立川駅を延長、途中で立川駅に寄るように変更
302 S33.12.10? 八王子 43.550km 一部経路変更?
302折  S41. 8. 1 八王子 11.600/11.700km 八王子駅北口~日野駅~立川駅北口を開設
302 S47. 5. 1 八王子 11.600km 八王子駅北口~日野駅~立川駅北口に短縮
302折  S47. 5. 1 八王子 4.950km 日野駅~立川駅北口を開設
立73 S47.11.12 八王子 *** 新番号化、[立73]とする
立73  S57.11.18 八王子 11.700/11.600km 立川駅北口のターミナル変更による一部経路変更?
立73 S60.12.15 八王子 *** 八王子駅北口~立川駅北口を廃止

路線概要

atozc_279 ▲都バスガイドブック(昭和57年版)より
 立川駅北口から八王子駅北口までを結び、八王子・立川エリアの唯一の都営バスの路線であった。昭和47年までは、新宿駅西口~八王子駅北口を結ぶ路線であり、当時は都バスでも一二を争う長距離路線であった。
 バスは立川駅北口の駅前ロータリーではなく、駅前通りを少し進んだ伊勢丹(現ビックカメラ)向かいの0番乗り場から発車する。次の曙橋交差点を右折し、立川通りを道なりに進んで中央線のガードをくぐり、日野橋へ向けて南下する。立川駅南口を発着しないのは、かつて南口側が未整備であった名残だろう。
 日野橋交差点で甲州街道と合流、直進して日野橋を渡り、日野市に入る。この区間は渋滞が多いことでも有名であった。あとは甲州街道を進むだけであり、建物の数が少しずつ多くなってきて、中央線のガードをくぐると日野駅の停留所となる。ここで半数は折り返してしまい、八王子駅まで達する便は少ない。日野駅からは京王バスの[日50]日野駅~八王子駅北口などが多く走っていることもあり、京王バスに紛れて少しばかり走っているような感じになる。
 日野駅を出て急坂を登り中央自動車道をくぐる。日野台を進むと、右手に大きな工場が見えてくる。日野自動車の本社・工場で、戦中に国策で特殊車輛を製造するヂーゼル自動車工業日野製造所が独立したのが会社の始まりとなっている。
 ここを過ぎると右手に小西六(現コニカミノルタ)の工場が見えてくる。町名の「さくら町」はかつてのフィルムブランド、サクラカラーからの命名である。この工場を過ぎると八王子市に入る。大和田町で八高線を陸橋で越え、現国道16号の八王子バイパスと交差する。大和田橋で浅川を渡るといよいよ八王子市街の中心部だが、京王バスがそのまま直進して京王八王子駅を通るのに対し、[立73]は明神町で右折し、国道20号の経路に忠実に沿い、南多摩高校の前を通って、八王子駅の正面に伸びる道路を経由して八王子駅北口を終点としていた。途中には南多摩高校、横山町の停留所があったが、現在はこの経路を通るバスはない。

歴史

 戦後の甲州街道沿いのバス路線の開通としては、まず昭和23年7月に京王バスが八王子駅~日野駅を開通し10月に八王子駅~立川駅に延長、さらに立川駅~府中駅も開通させるなど急速に復旧が進んだ。昭和24年6月には新宿追分~調布を新宿追分~府中駅・立川駅に延長し、甲州街道にバス路線が整備された。そのような中で、多摩地域の振興を目的として郊外から都心への直通路線を要望する声が高まったようで、昭和24年6月には八王子市議会保安委員会が八王子まで都営バスを敷設する陳情を行っている。さらに、10月には市長・議長らが都に請願しており、かなりの熱意が持たれていたことが窺える。この運動が実り、昭和24年12月に青梅地域の路線開設(荻窪駅~青梅車庫)に少し遅れて、新宿駅西口~八王子駅北口が開業した。沿線が京王のエリアであり、京王が既に路線を敷設していたことから、共同運行の扱いとなった。
こちらも青梅の路線に負けず劣らずの長距離路線であり、新宿駅西口から甲州街道(旧道)をひたすら一直線に走り、日野橋交差点で左折して八王子駅北口を終点とするという系統であった。
 途中のかなりの区間で京王線と並行しているが、まだ戦後当時は軌道線を由来とする部分が目立ち、今のようなスピードが出る環境ではなかった。昭和28年で新宿~東八王子で72分を要しており、道路渋滞もなかった時代はバスで所要100分程度と、並行していても成り立つ土台があったと言える。
 開業当初は立川駅を無視していたが、直後の昭和25年7月に立川駅北口に立ち寄るコースに変更され、路線長は41.3kmとなり、都営バスで最も長い路線となった(後に43.5kmに変更)。京王との共同運行路線として設定されたが、本数は二社局でバランスを取っていなかったようで、京王の運行回数は非常に少なく、都営がほとんどを占めるような形態だったようだ。おおむね1時間に1本の運転で、都営は1日15回程度を運転していた。昭和27年度の調査では平均2,185人/日、昭和35年の調査では1,263人/日となっている。
atozc_284 ▲都バス案内図(東京都交通局、昭33)
 新宿駅西口の乗り場は、昭和30年代までの旧バスターミナル時代は駅前の島から出ていたが、現バスターミナル整備後は24番乗り場からの発車となった。京王バスが発着する20、21番乗り場の目の前の緑地帯に2本の換気塔の円筒が見えるが、かつてはその前が車道になっており、島中に乗り場と地下道への出入り口があった。現在は緑地帯と閉鎖された地下道の入り口が確認できる以外は全く名残がなくなっている。(下図)
atozc_285  [302]は長大路線・鉄道並行路線ということもあり、急速なモータリゼーションによる渋滞の悪化、そして鉄道の高速化という日本各地で見られた状況がここでも起こった。さらにこの系統の場合、昭和38年に並行する京王線の昇圧(600→1500V)によるスピードアップというのも無視できない要素と言えるだろう。新宿~八王子が50分台だったのが特急の登場により40分で結ばれるようになった。渋滞の面でも条件が悪く、昭和40年代は所定で片道2時間程度の路線だったようだが、ダイヤ通り走れた日はほぼなかったと言われている。停留所間隔が長く、京王線に並行する府中以東は特に乗客が少なく、昭和43年の乗降客調査では東府中~調布~上北沢の間は1台あたり平均2.0人以下という輸送密度で、空気輸送と言っても差支えないだろう。そのため、比較的乗客の多かった立川駅~八王子駅の折返便を昭和41年から運転するようになり、昭和43年現在では八王子駅~立川駅は1日25回、立川駅~新宿駅は17回、京王が並行して全線2回となっていた。
 このような情勢の中、都は全線の廃止を決定した。しかし自治体や職員組合は都営バスの撤退に難色を示したため、存続の条件として、京王が別に走らせていた八王子駅~立川駅を譲渡してほしいと申し入れた。都と京王との協議の末、合意に至り、新たに八王子駅北口~立川駅北口の路線として生まれ変わった。ただし、元から日野駅~八王子駅北口の間は京王が多数運転しており、立川駅北口~日野駅についても少数ながら都営と並行して運行していたようだ。昭和47年の新番号化によって[立73]と名乗った。
 しかし、短縮した路線がかなりの赤字であることには変わりがなく、昭和50年代の営業係数は160程度と、都営バスの系統の中ではかなり悪い方であった。交通局が単独で維持するには限界があり、昭和59年に、路線の存続を図る目的のもとに、沿線自治体との間で公共負担を行うという協定を締結した。青梅の各系統についても同じ協定を結んでいる。[立73]については、八王子市・日野市・立川市と締結し、あわせて都営バス初の中型車であるいすゞLRを7輛導入して冷房化を行った。
 しかし、翌年度は青梅の系統と明暗が分かれた。日野市は公共負担を計上したものの、八王子市・立川市については計上を行わなかったため、合意は崩れ、路線は廃止されることになった。昭和60年12月に全線が廃止され、36年運行した八王子から都営バスは撤退することになった。
 廃止後は再び京王バスが引き継ぎ、バス停の位置はそのままで[立73]立川駅北口~日野駅として継続して運転を行った。廃止直後は1日15回の運転だったが、平成に入る頃には6回となった。この状態が長らく続いたものの、平成18年春に平日夕方1往復だけと大幅に削減され、その後は土曜のみ1回、平成24年春には休日朝に1回のみと変化し、今や完全に「走ることに意義のある」路線となってしまっている。
 甲州街道の他の区間も、昭和40年代を中心に撤退が進んだ。新宿~調布の間については、長らく空白だった後平成12年に小田急バス(現在は小田急シティバス)が一部季節の休日のみ新宿駅西口~よみうりランドを走らせており、路線としてつながっていると一応言えるが、これやコミュニティバスを除くと、代田橋~八幡山、給田~つつじが丘~国領、飛田給~府中、谷保~日野橋交差点と半分以上の区間で一般路線バスが走っていないる。立川側では、甲州街道沿いの路線として京王バスが[立62](立川駅~府中駅)を長らく走らせてきたが、平成18年1月に廃止されてしまった。都心近郊での鉄道に並行する路線ともなると、維持困難ということだろう。そしてついに、平成27年春で京王バスの[立73]も全線廃止され、僅かに残っていた名残も完全に消えた。

立川駅0番ポール

atozc_293 atozc_292 ▲バスルートマップ(運輸経済研究センター、昭50)
 [立73]は、立川駅の乗り場は0番乗り場からの発車となっていた。0番乗り場といっても他と離れていたわけではなく、当時は北口駅前のバスターミナルが未整備だったこともあって、駅前通りにバス停が広く散らばっており、他のバス停とも並んでいた。しかし、6番と7番の間に0番があったというのも面白い。後から立川駅に乗り入れたため、番号の振り直しをしなかったためだろうか……。
この0番乗り場は[立73]専用だった。都営バス撤退後も、京王バスが引き続き0番乗り場を使い続けた。平成12頃に駅前の再開発により新たなバスターミナルが作られ、ほとんどのバス停は駅前に集約されたが、京王バスの運行する系統は引き続き駅前通りに置かれ、他の系統と合わせて新たに14番乗り場と名乗った。その際にわずかながら移転し、駅寄りの乗り場から発着となった。
かつての0番乗り場の位置は電柱となった。すぐ近くには16番乗り場があり、立川バスが[国15](立川駅北口~国立駅南口)を土休日1回のみ運行している。
 ちなみに、立川駅付近でもかつては休日に歩行者天国が実施されていた。実施時は、0番乗り場から北上して駅から離れ、曙橋交差点の北側、立川通り近くのミドリヤ前(今の菊屋ビル付近)から発車していた。ここから直接立川通りに出て、日野橋方面へと向かっていたようだ。
 歩行者天国の扱いが廃止になった時期だが、昭和60年代のころと思われる。もっとも、都営バスの[立73]自体が昭和60年12月に廃止となっているため、路線の廃止が先か、歩行者天国の廃止が先かは分からない。

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