都営バス資料館

×橋14

[錦14]←[47]

担当営業所

深川営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
深川車庫~豊洲埠頭~晴海3~銀座4~新橋 7.009km
折1 豊洲郵便局←新橋(急行?) 4.500km
折2 晴海3←銀座4←新橋 3.300km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
47 S28. 3.15 洲崎 6.155km 東雲都橋~豊洲埠頭(現豊洲駅)~月島3~新橋が開通
47 S31. 9. 3 洲崎 6.155km 東雲都橋~豊洲埠頭~晴海埠頭前(現晴海3)~新橋に変更
47 S36 .4.20 (東雲) 6.155km 深川営業所東雲分車庫に移管
47 S43. 5.27 深川 6.155km 洲崎営業所・東雲分車庫の深川への移転改称により深川に移管
47 S46. 2. 6 深川 7.099km 深川車庫~東雲都橋を延長
橋14 S47.11.12 深川 *** 新系統番号化、橋14とする
橋14折 S51.10.10 深川 *** 豊洲埠頭~新橋を廃止
橋14  S63. 6. 8 深川 *** 有楽町線の新木場延伸により深川車庫~新橋を廃止

路線概要

新橋から江東区の湾岸部を結び、豊洲・東雲への重要な足となっていた。石川島播磨重工輸送で急行系統が運転されていたのも特徴。
 新橋から銀座・晴海・豊洲・東雲を経由して深川車庫を結んでいた。
 新橋の発車停留所は駅から少し離れた[業10]と同じバス停で、経路も晴海地区以外は[業10]の出入庫とほぼ同様であった。[業10]は勝どき橋を渡った後に左折して月島地区を回るが、[橋14]は[東15]と同じく晴海三丁目・晴海アパートを経由する。
春海橋を渡ると豊洲エリアに入り、石川島播磨重工の造船所等の敷地が左右に広がる工業地帯となる。豊洲埠頭の停留所を過ぎ、東雲橋を渡ると車庫まで南下。東雲都橋に折れ、脇道に入り車庫の前の大通りにぶつかる直前で深川車庫(現・東雲二丁目)の終点となる。

路線の歴史

 東雲方面の初のバスとして開業した[19](→[門19])に引き続き、昭和28年に開通したのがこの路線である。開通当初は勝どき~晴海は現在の[業10]と同じように月島四丁目を経由していたが、昭和31年9月に晴海埠頭前(現・晴海三丁目)経由に改められた。
 それ以降はほとんど変化がなく、昭和46年に東雲都橋から深川車庫まで延伸された程度である。
 豊洲には石川島播磨重工の大きな工場が存在し、このバスは通勤でにぎわったという。たとえば昭和35年当時の乗降調査記録だと、新橋から豊洲郵便局(現・IHI)まではラッシュ時に30本という頻発ぶりである。この勢いは続き、新橋から豊洲郵便局(現・IHI)までの急行便も系統廃止まで運行されていた。通勤時間帯は、さながら工場の雰囲気をそのまま持ち込んだかのような車内だったという。この他、晴海の公団住宅や豊洲地区の石川島播磨の社宅、また昭和40年代以降は東雲の都営住宅の主要な足としても使われた。
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 昭和50年代後半の乗客数は6,000人/日弱で安定し、昭和60年に入ると一気に7,000人/日近くまで上がっている。営業係数も90台と黒字だった。
 しかし、昭和63年に有楽町線の新木場延伸にあわせて存在意義を大きく失う[橋14]は廃止となった。東雲から都心への直通は[東15]が、豊洲から新橋方面は[業10]が本数を増やして役割を継ぐことになった。現在では、新橋の業10の降車ポールに「橋14」の文字が残るのみとなっている。
 石川島播磨重工の工場も移転し、跡地はマンションやオフィスビル、商業施設ららぽーとなどに変化、街の姿も大きく変わった。

豊洲郵便局急行

 平日の朝ラッシュ時のみ、新橋から豊洲郵便局までの直行便が運転されていた。方向幕には系統番号がなく、昔の小型幕の時代は「新橋-豊洲(急行)」、後に「新橋-豊洲郵便局(急行)」「急行・豊洲郵便局」という表示になった。
 新橋の乗り場は[橋14]とは異なり、本線の乗り場先を左折したKK線(東京高速道路)沿いの旧十仁病院前にあった。昭和40年代までは[橋89](渋谷駅~新橋→[都01])が停車していた場所である。中央通り寄りには急行バスが何台か待機する姿も見られた。
 乗り場案内や交通局の路線図からは基本的に無視されていたため、この系統の扱いは不明な部分も多い。確実なのは、[橋14]と同時には廃止されず、減便されてしばらく生き残ったことである。ただし長くは生き残らなかったようだ。

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