担当営業所
江東営業所
運行区間
系統 | 区間 | 距離 | 備考 |
本 | 錦糸町駅→亀戸駅→境川→旧葛西橋→東砂団地→亀戸駅通り→錦糸町駅 | 10.250km | |
夜前 | 錦糸町駅→亀戸駅→東砂団地→大島駅→亀戸駅通り→錦糸町駅 |
年表
系統 | 年月日 | 営業所 | 距離 | 概要 |
深夜08 | H 1. 6.19 | 江東 | 4.180km | 錦糸町駅→東砂団地→大島駅→錦糸町駅が開通 |
深夜08 | H 1. 7.14 | 江東 | 4.340km | 錦糸町駅発のみ亀戸駅に寄るよう変更 |
深夜08 | H 1.12.15 | 江東 | 10.250km | 錦糸町駅→境川→旧葛西橋→東砂団地→錦糸町駅に変更延長 |
深夜08 | H 8. 1. 4 | 江東 | *** | 錦糸町駅→旧葛西橋循環を廃止 |
路線概要
城東地区を走る深夜バスであった。錦糸町駅~旧葛西橋循環とされ、錦糸町駅から[都07](錦糸町駅~門前仲町)のように明治通りを境川まで走るが、JR連絡で一旦亀戸駅に立ち寄るのがこの系統の独自のポイントである。錦糸町駅→亀戸駅については、京葉道路経由ではなく総武線の北側の道路を通っており、ノンストップだったようだ。
亀戸駅から明治通りを南下し、境川を左折して旧葛西橋まで進み、その後は番所橋通りを北上し、東大島駅入口の手前、東砂団地で左折して北砂五丁目団地を通り、北砂三丁目から明治通りに戻って錦糸町駅まで戻るという大きな循環線であった。なお、当時の路線図だと、亀戸駅通り→錦糸町駅についてもノンストップとなっていたようだ。
23時台以前のルートは[錦28](錦糸町駅~東大島駅)の枝線を名乗り、錦糸町駅から亀戸駅通り・大島一丁目を過ぎ、小名木川を渡った後に[錦28]の道に入り、北砂五丁目団地・東砂団地を経由して東大島駅入口に進み、そこからは新大橋通りから西大島駅を経由し、明治通りに出て錦糸町駅に戻るという「小循環」とも言えるルートとなっており、深夜と深夜前バスとで異なっていた。
歴史
[深夜08]は、平成元年6月に開業した。深夜バスに縁のなかった江東区の城東地区に向けて設定された。南北に走る軌道系交通がなく、遅い路線でも23:00ぐらいが終バスだったため、夜の遅い利用者には朗報であった。
開通時当初のルートは、深夜バスも含めて全て概要に記した小循環のルートとなっていた。一般系統の終わった22時台の運用として一般運賃で乗車できる「深夜前バス」が設定されたが、系統番号は[錦28丙]となっている。[錦28]と似たような所は通るが経路はかなり異なっており、系統番号を表示させる意味がどの程度あったのかは謎である。
開通して1ヶ月後には、錦糸町駅発のみ一旦亀戸駅ターミナルに立ち寄るように変更されている。深夜バスならではの利便性を考えてのことだろう。さらに、6ヶ月後の12月には路線が大幅に拡大されて、旧葛西橋を循環するルートになった。都営新宿線で代替できるとの判断からか、東大島・大島には深夜バスは行かなくなってしまった。しかし夜前バスは変わらず東砂団地の小循環のままであった。深夜バスと同じルートにしても、23:00まで[都07]の入庫便(錦糸町駅→葛西車庫)が同じ経路を走っているので輸送力過剰になってしまうと判断されたためであろうか。このように、夜前バスと深夜バスの経路が違うという珍しい路線になった。
しかし、この路線もバブル崩壊後はご多分に漏れず乗客数減少に悩まされることになった。絶対的な人数が他の深夜バス各系統よりも低く、平成元年度には1日平均102人あった乗車人員は平成6年度には81人に減っており、採算ラインには遠い状態だったようだ。結局、平成7年末に廃止されてしまった。平成8年1月4日が廃止日となっているが、年末年始は運休だったため実際の最終運行日は平成7年の12月末であった。
以降、この路線の名残と言えば、深夜前バスの名残で運行を継続した[錦28]錦糸町駅22:40発→東砂団地の少しだけ遅い最終便だけが残っていたが、それも平成16年4月の改正で東大島駅まで延伸された。
この後、城東地区には深夜バスが1つも設定されていない。錦糸町・亀戸~境川~旧葛西橋の区間や、錦糸町~東陽町などは今あってもおかしくないが、失敗の記憶が残っているのだろうか。住民が都心回帰で増えているところもあるご時世、1時台とは言わなくとも、23時台の運行があるだけでも、利便性は随分と違うと思うのだが……。