都営バス資料館

門33

[門33]←都電23

担当営業所

江東営業所・南千住営業所

運行区間

系統番号 枝番 起点、経由地、終点 備考 キロ程(往) キロ程(復)
門33 豊海水産埠頭~勝どき駅~門前仲町~緑1~本所1~押上~亀戸駅 10.604 10.604
門33 プロム 豊海水産埠頭~勝どき駅~門前仲町~緑1~本所1~押上~亀戸駅 10.604 10.604
折返-2 亀戸駅←押上←本所1←緑1←門前仲町 7.484
(休日12:00~18:00の間、亀戸駅~亀戸4間で迂回)

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
門33 S47.11.12 江東 10.520km 都電23系統(福神橋~月島通八丁目)の代替で豊海水産埠頭~亀戸駅が開通
門33乙 S47.11.12 江東 11.490km 晴海埠頭~亀戸駅(朝夕のみ)を開設
門33折 S47.11.12 江東 9.080km 柳島~豊海水産埠頭を開設
門33折 S47.11.12 江東 10.050km 柳島~晴海埠頭を開設
門33折 S47.11.12 江東 5.960km 門前仲町~柳島を開設
門33折 S53.11.1 江東 *** 柳島~晴海埠頭、門前仲町~柳島を廃止
門33折 S53.2.1 江東 9.430km 押上~晴海埠頭を開設
門33折 S53.2.1 江東 7.400km 亀戸駅~門前仲町を開設
門33折 S53.2.1 江東 8.460km 押上~豊海水産埠頭を開設
門33折 S53.2.1 江東 6.590km 両国駅~豊海水産埠頭を開設(両国折返しが開通)
門33折 S53.2.1 江東 5.650km 緑1~豊海水産埠頭を開設
門33乙 S53.11.1 江東 *** 亀戸駅~晴海埠頭、その他晴海埠頭発着折返しと押上~豊海水産埠頭の折返を廃止
門33折 H2.11.5 江東 8.180/7.710km 墨田区役所~豊海水産埠頭を開設(朝夕のみ)
門33折 H4.7.21 江東 *** 墨田区役所~豊海水産埠頭を廃止
門33折 H12.12.12 江東 *** 豊海水産埠頭~両国駅、豊海水産埠頭←押上を廃止

路線概要

atozl_191  都電23系統の代替である。亀戸駅から押上・スカイツリー駅入口(業平橋)・吾妻橋を経由し、そこから隅田川沿いに清澄通りを南下し、豊海水産埠頭を終点とする。Jの字を180度回転させたような線形が面白い。系統番号も都心寄りを基準としたのか、路線途中でありながら門前仲町の「門」を取っている。
豊海水産埠頭から亀戸駅へ向かう路線。とだけ聞けば錦糸町の辺りを通りそうな路線だと重いそうだが、この路線は一本道ながら江東区の外縁を意外と遠回りして行き、そして近年になってからは沿線に超有名観光名所が加わったという特徴も持っている。
豊海水産埠頭は中央区の南の外れにあり、川を挟んで対岸は築地である。水産埠頭の名に相応しく船から水揚げされた品を貯蔵する倉庫が建ち並ぶ倉庫街であったが、近年、それに加えて住宅の都心回帰によって倉庫街の隣にはマンションが建ち並ぶようになった。あと百メートルもすれば海が見えるという場所にあるバス停から出発する。
豊海水産埠頭を出発したバスは、隅田川に沿った清澄通りを走っていくことになるが、その隅田川の姿を見ることができる区間はほんの僅か。最初に見えるのは次の月島警察署前までの区間で、フェンス越しに見える船着き場の奥に隅田川の姿を確認できる。
月島警察署前を過ぎると、いかにも最近立てられた感じの高層タワーマンション群に囲まれるような景色の中を走り、大江戸線との接続駅である勝どき駅前へに到着する。この先は大江戸線が地下を走る区間で、[門33]の半分以上の距離を併走している。
平成12年の大江戸線開通時にも規模縮小が取りざたされたが、本数こそ減らされたものの、路線の形は基本的にそのままの姿で残ることとなり、バスと鉄道、互い同士を補完する関係となった。
勝どき駅を出発して橋を渡ると古くからの町並みが残る街、月島。もっとも、清澄通りから見える沿線は多くはマンションとなった。商店街に近い月島三丁目では買い物客の乗降が多く見られる。新大橋通りの陸橋をくぐると月島駅で、かつて「新佃島」と名乗ったところである。有楽町線とも接続し、乗り降りも多い。相生橋で晴海運河を渡ると越中島、そして門前仲町へバスは進んでいく。
門前仲町は江東区の商業集積地であり、都営交通の結節点だけあって、[門33]の各停留所の中でも乗降客が多く見られる。この先も大江戸線と並行するように清澄通りを北上、清澄庭園、清澄白河駅と過ぎて森下駅前に着く。清澄庭園近くの平野一丁目付近には、昔ながらの家々が沿線に残る。郷土資料が豊富な深川図書館もすぐそばだ。このあたりは下町の住宅街という雰囲気で、駅と駅との中間地点からの利用客多くも見られる。土休日は並行して急行運転を行っている[急行06](森下駅~日本科学未来館)とすれ違うことも。
ここから先は墨田区に入り、緑一丁目で京葉道路を越えてさらに北上する。特徴的な外観の江戸東京博物館辺りで都営両国駅前に到着する。大江戸線の両国駅は目の前すぐだが、JR両国駅は線路沿いに数分歩かなければならない。かつてはここから左折して、JR両国駅を終点とする枝線も運転されていた。
石原一丁目で長らく並行した都営大江戸線とは分かれる。[都02](大塚駅~錦糸町駅)との乗り換えも便利だ。本所一丁目辺りでは隅田川が再び至近距離になるが、建物や堤防に阻まれて川の水面を見ることはできない。
さて、隅田川と寄り添うように走ってきた[門33]は駒形橋からは隅田川と離れ、浅草通りを押上方面へと走る。この辺りからは、亀戸方面への足として利用する客が乗車してくるようになる。
今まで遠くに見えてきた東京スカイツリーの姿がはっきりと前方に見えてくると、「とうきょうスカイツリー駅入口」。元は業平橋と名乗っていたが、東京スカイツリーのオープンと業平橋駅の改称に伴い、バス停の名前も変更となった。あまりに近すぎてバスからはツリーの姿が見えなくなるが、スカイツリータウンもすぐである。[門33]もスカイツリーアクセスを少しばかり意識しているのか、開業後は側面の行先表示にも「スカイツリー」の文字が入るようになった。
押上で浅草線・半蔵門線と連絡した後、横十間川が左側に合流してきて、再び江東区内へと戻る。川沿いの少しばかりゆったりとした下町の景色で、スカイツリーも眺めることができるほか、隅田川花火の隠れた観覧スポットにもになっており、打ち上げ時は地元の人が集まることも。
柳島はかつての都電車庫跡地があり、小学校に転用された後、現在は老人ホーム等となっている。福神橋で明治通りへとバスは右折し、亀戸駅前の商店街を抜けると亀戸駅に到着する。

歴史

 郊外から何らかの繁華街・都心に向かうという放射状の設定の多い都電の系統の中では、なかなか珍しい環状タイプの路線設定である。沿線の繁華街としては門前仲町が挙げられるが、昭和初期の時点で既に市電36系統・柳島~門前仲町~月島(現勝どき駅)という設定であり、ほぼ現在の姿が完成していた。当初は並行して門前仲町脇を現葛西橋通り経由でショートカットして永代通り方面に転じる35系統・柳島~黒江~日本橋~大手町という設定もあったが、昭和6年頃の改編で森下駅で分岐するようになり26系統(柳島~森下町~水天宮~茅場町~日本橋~市役所)、27系統(柳島~月島)となった。しかし昭和10年代前半に26系統は系統集約の中で廃止され、27系統だけが残った。都心直通のほうが残らなかったというのが面白い。
 戦中の改編も関係なく生き残り、昭和20年3月の東京大空襲後も、被害の大きい下町地域にありながら6月の時点では復旧、戦後の番号振り直しの際には23系統と名前を変えて昭和47年の最後の廃止まで生き残った。そういう意味では、この沿線の結びつきは非常に強いものがある、と言えるのかもしれない。昭和33年には柳島から少し延伸されて明治通りと交差する福神橋発着となった。
 昭和47年11月のバス代替に際しては両端が延長され、福神橋からそのまま明治通りを南下して亀戸駅に、月島通八丁目からそのまま清澄通りを南下して豊海水産埠頭まで延長された。都電時代は国電駅と連絡がなかったが、ようやく亀戸駅で接続するようになった。通常のバス路線であれば駅から放射状に伸びるところだが、この「J」をさかさまにしたような線形が都電の名残を今に伝えている。
 代替当初の計画では、半数以上の便が柳島止まりだった。都電時代の乗客流動を考慮したのだろうが、国電駅に接着したときの乗客流動は大違いであり、それほど経たないうちに亀戸駅発着がメインになったと思われる。系統番号が[門33]と、亀戸の名を冠していないのも、当初は亀戸接着がそれほど重要視されていなかったことや、都心寄りのターミナルを原則基準としていたこともあるのだろう。当時は唯一の「門」を冠する系統であった。
 昭和40年代後半には、所管の江東営業所が建て替えのため、一時は柳島に車庫の本拠を移していて、出入での柳島止まりもあったと思われるが、昭和53年には柳島止まりは全廃されている。
 また、南に目を向けると、勝どき二丁目(現勝どき駅)から先、晴海埠頭行きも運行されていたが、一本化させるためか昭和53年に廃止されてしまった。
 代替当時から現在に至るまで路線にほぼ変更がなく、そういう意味では市電の系統以来、優に80年以上そのままの形で結ばれていると言える。途中の両国駅折り返しや墨田区役所発着等の設定はあったが、それら枝線については次の項にて述べよう。
 平成12年の大江戸線開業時には、勝どき~両国まで6駅も並行することになった結果、[門33]の本数は半減した。しかしこの後はバスの底力を見せつけることになる。他の系統がダイヤ改正の度に少しずつ減っていく中で、[門33]の本数は早朝深夜を除きそこまで削減されておらず、何とか実用的な本数を保っている。確かに、乗ってみると各停留所での客の入れ替わりが多く、地下鉄の駅以外での乗降も多い。
 もともと本数が多く、沿線住民等の利用客もバスに抵抗がなかったことで手軽なバスの利便性が評価され、それなりの実績を出しているのだろう。渋滞が少なく定時性が高いという要因もあったのだろうが、なかなか羨ましい話である。平成24年の改正ではスカイツリーの最寄りを走るということもあってか全線にわたり若干増便され、利便性が高まった。沿線に誕生した観光名所とともに今後とも走り続けてほしいものだ。

豊海水産埠頭と出入庫

 現在の[門33]は亀戸駅~豊海水産埠頭の運転が大半であり、わずかに朝の出庫として門前仲町→亀戸駅が運転されるものがある。平成15年までは[都04]の出入庫として豊海水産埠頭~緑一丁目の出入庫が運行されていた。これ以外にも[門33]の出入庫には多彩な運行区間が存在した。
 まずは豊海水産埠頭~両国駅。清澄通りを北上した後、現在の両国駅発着の[錦27][両28]と同じようにJR両国駅を回って折り返していた。朝夕のみ運転しており、両国駅でのJR接続というよりは、[門33]南部の本数増強のために走っていたが、平成12年の大江戸線改編に伴い消滅した。なぜか現在の方向幕でも残り続けているが、これは江東の方向幕を改編以前から交換作業を順次行うことで、一夜で一斉に入れ替える必要をなくすために、改編後の幕だが、改編前に使うことを想定して残しておいたものである。それが残り続けているのだが、もう廃止から12年が経ってしまった。
 さらに豊海水産埠頭~墨田区役所の区間便も運転されていた。かつて墨田区役所は両国駅近くの横網にあったものが、平成2年11月に現在地に移転したときに設定されたものである。日中のみで本数も利用客も少なかったようで、早々と廃止されてしまった。
 代替当時に存在したのは晴海埠頭行き。勝どきから晴海三丁目を経由して晴海埠頭を終点とするものだが、通勤利用を見込んでいたのだろうか。代替当初は豊海水産埠頭発着90回、晴海埠頭が110回と、晴海埠頭発着のほうが本数が多かったという点も面白い。これは昭和53年2月に整理されて全廃された。今あってもおかしくない設定だが、終点で行き先が分散されるのは却って不便ということだろうか。
 その他、朝ラッシュ時のみ存在した押上始発や門前仲町発着など、様々な枝線があった。方向幕には両方向からの門前仲町発着の表示がフルで用意されているが、今では東京湾華火で臨時に門前仲町発着を出す程度であろう。
 現在は[都04]の出入庫は全て回送となっている。かつては都市新バス専用車が入ることもあり、少しばかり特別な雰囲気であった。せっかくであれば、現在の[都04]でも、[門33]として出入庫を少し営業することも期待したいのだが……。

親不孝通り

 [門33]は隅田川花火では本所吾妻橋・石原付近の隅田川沿い一体が車輛乗り入れ禁止の規制となることもあり、とうきょうスカイツリー駅入口(業平橋)~緑一丁目の長い区間が迂回となり、大門通り(親不孝通り)と呼ばれる大横川に沿った道を京葉道路まで一直線に南下して抜け、京葉道路に出ると緑一丁目まで東に進む。この間は無停車で、大胆な迂回と言えるだろう。通りの名は、かつての洲崎・向島(玉の井)の遊郭の大門同士を結んだことに由来する。今となっては往時の建物が僅かに残るのみで、通り名に名残を留めるのみである。
ちなみに車内放送は迂回専用データが用意されているが、行先表示については他車庫のように専用品が用意されていないのがファンとして少々寂しいところである。

門前仲町二丁目atozl_212 ▲都バス・ガイドブック(昭57)
門前仲町二丁目は[門33]の豊海水産埠頭方面のみ停車する停留所で、門前仲町交差点手前の赤札堂近くに停車する。大江戸線の出入口にも近いため、ここで降りる乗客も多い。豊海方面の門前仲町停留所は交差点を越えた先にあるか゛、道路の向かい側は亀戸駅方面の門前仲町停留所があり、この停留所も「門前仲町」と名乗っても差し支えなさそうだ。
それもそのはず、元々はこの停留所も門前仲町名義であった。昭和56年の時点で、朝9時までは現在の門前仲町二丁目の位置、それ以降は現在の門前仲町の位置に停車していたことが読み取れる。降車客の利便性を図って、交差点の手前で早く降りられるようにしていたのだろう。
その後、大江戸線の工事で現在の門前仲町二丁目の場所のみに終日停車するようになり、地上工事があらかた終了した平成11年に、終日門前仲町二丁目・門前仲町の2ヶ所停車を行うようになった。なお、この工事期間は亀戸方面の[門33]も従来より北側の首都高下近くに移設されていたが、すぐ近くに深川一丁目停留所があったこともあり、2停留所の間は僅か数十メートルも離れていなかった。臨時停留所とはいえ、都営バスで一番停留所間隔が短かった筆頭候補かもしれない。

toeibus.com
都営バスの"非公式"総合ファンサイト。

※趣味的な事柄に関する現場(営業所等)への問い合わせは
 業務の大きな迷惑になりますので、お止め下さい。
Return Top