都営バス資料館

池65

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担当営業所

練馬支所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
池65 練馬車庫~豊玉北4~江古田2~目白駅~池袋駅東口 8.330km 14 15 16 17 14 14
池65折返-1 江古田2~目白駅~池袋駅東口 5.650km 58 58 57 57 57 57
池65折返-2 目白駅→池袋駅東口 2.170km 1 1


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
20 S21. 8. 1 練馬 ***  哲学堂~目白駅~護国寺~江戸川橋が開通
20 S24ごろ? 練馬 6.804km 丸山(現江古田2)~哲学堂を延長
20 S26. 7. 1 練馬 5.760km 丸山~目白駅~池袋駅東口に変更
20 S26. 9.15 練馬 6.250km 池袋駅東口~池袋1(現豊島区役所)を延長
20 S31. 2. 1 練馬 10.090km 豊島園~練馬区役所入口~丸山を延長、豊島園~池袋1とする
20折  S43.10.21 練馬 6.500km 丸山1~江古田2~目白駅~池袋駅東口を開設
池65 S47.11.12 練馬 *** 新系統番号化、池65とする
池65  S48. 3. 1 練馬 9.490km 池袋駅東口~豊島区役所を短縮
池65折  S53.10. 5 練馬  *** 丸山1~江古田2~目白駅~池袋駅東口を廃止
池65  S53.10. 5 練馬 9.540/ 9.810km サンシャインシティ開業により、池袋駅東口~池袋サンシャインシティを延長
池65  S57.12.26 練馬 8.330km 池袋駅東口~池袋サンシャインシティを短縮

路線概要

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 池袋駅東口から目白駅を経由し、目白・新青梅通り沿いに江古田二丁目まで走り、練馬駅南側をくねくねと進みながら桜台駅を経由して練馬車庫を終点とする。江古田二丁目~練馬車庫は出入庫のみで、時間帯も限られ本数が少なくなっている。山手線の駅から郊外に一直線に向かうところは民営バスの路線のようでもある。
 池袋駅から目白通り・新青梅街道方面へ向かう路線は東口発の[池65]、「宿20」(西武バス)と、西口発の[池11](関東バス・国際興業バス)とがあるが、意外と棲み分けがなされている雰囲気である。バス乗り場には絶えず人が並んでおり、日中でも時間あたり4本は確保されている。 
池袋駅東口を出発すると、バスは明治通りを南下していく。途中の停留所で降車する客は少なく、むしろ乗車する客が多い。
千登世橋停留所を出ると、バスはおもむろに右車線へと車線変更し、明治通りから目白通りへの取り付け道路を登っていく。
 そしてバスは目白通りを西へと進路を変える。ここからしばらくは、[白61]と併走していくが、[白61]と合わせるとさほどバスを待たずに乗ることができる区間で、利便性は高いと言える。
 学習院大学の敷地に沿って走ると程なく目白駅前に到着する。目白駅の駅舎改築に伴ってバス停が改札口と目の鼻の先に移設され、乗換に非常に便利になった。乗車客も多く車内はさらに賑わう。学
目白駅を出発すると、停留所間隔も短く下落合三丁目・下落合四丁目とバスはこまめに停車する。池袋駅寄りで乗車した客の降車が目立つようになる。目白五丁目で山手通りと交差し、ここからは池袋駅西口発の[池11]と合流して哲学堂まで平行するようになる。この2路線の並行区間では、池袋駅エリアの目的地によって意外と棲み分けがなされており、[池65]の車内では西武百貨店の買い物袋を持った乗客をしばし見かける。
だが、目白5丁目から落合南長崎駅までの間は、山手通りと新目白通りを結ぶ連絡道路な使われ方をされるため、片側1車線の道路はしばし渋滞し、明治通りと併せて定時運行上のボトルネックともなっている。
 池袋駅を出発したときは混雑していた車内も、落合南長崎駅を過ぎると閑散とした車内となる。自動車ディーラーの店舗が右手に見えてくると、哲学堂停留所。同じ場所に[池11]も停留所を設けているが、こちらは哲学堂東と名乗っている。[池11]はすぐ先の交差点を中野駅(中野区役所前)方向へ左折した先の哲学堂停留所にも停車するため、そちらと区別するために別名にしているのだろう。ただ、記憶が確かなら、以前は新青梅街道上の停留所のみに停車していた気がするのだが……。
さて、[池65]は哲学堂公園を左手に見てさらに直進する。余談だが、蓮華寺下交差点を左へ曲がると間もなく[中63]の終点となる下田橋となる。
 ここから先は桜並木の中をバスは走っていく。桜のシーズンとなれば、車内から花見が出来るほどであり、散り際には桜吹雪の中を走る都営バスという、絵になる風景が現れる。
 江古田一丁目停留所を過ぎると、右手にバスの営業所が見えてくる。これは関東バス丸山営業所で、営業所の前には停留所が設けられているが、都営バスはここには停まらない。バスは緩やかな坂道を上り始め、右手に酒屋とファミレスが見えてくると、江古田二丁目停留所に到着である。
[池65]の大半は江古田二丁目が終点であるが、出入庫便としてこの先練馬車庫まで運転する便も設定されている。しかもこの先の区間は関東バスのテリトリーの中、都営バスしか走らない独自区間もあるから侮れない。
江古田二丁目停留所を発車すると、すぐの交差点を右折し、江古田通りを北へ進路を取る。百メートルぐらい進んだ右側に見えてくる小さな操車所が江古田二丁目操車所であり、江古田二丁目折返しの便が使用する。練馬車庫行きのバスは直進するが、この先の合同住宅前までの区間で、練馬車庫行と池袋駅行きとで経路が微妙に異なっている(上図)。練馬車庫行は手前の交差点を直進し次の交差点を左折、東福寺の山門の前を通ってから交差点を右折して、次の合同住宅前停留所へ向かうが、池袋駅方向は合同住宅前停留所を出発すると、交差点を東福寺の山門へ曲がらず一方通行路へ直進、中野江古田3丁目郵便局の前にある江古田3丁目停留所に停車し、次の交差点を江古田通りへと右折する。この郵便局前の僅かな区間が、[池65]だけの独自区間となっている。
 閑話休題。バスは江古田氷川神社の前を通って「合同住宅前」に到着。合同住宅とは聞き慣れない単語だが、ここには国家公務員の江古田合同住宅という団地形の宿舎が何棟も建てられていた。しかし現在は廃止され、現在は土地の整備が行われているが、停留所の名前は変わっていない。
 昭和の時代までは「国立療養所中野病院南口」という停留所名だった。合同住宅で下車して徒歩数分のところに開かれ、大正9年に東京市の結核等の療養所として建てられた歴史ある施設だったが、平成5年に国立病院医療センター([中63]、折返所の項も参照)と統合し閉鎖され、現在は跡地が江古田の森公園と福祉施設に再整備されて憩いの場となっている。
 さて、合同住宅を出発すると、「下德殿橋」を渡って新井薬師道を走って豊玉中一丁目停留所へ向かう。途中には「下德田橋」停留所があるが、都営バスは通過となる。この先も民営各社のみ停留所が設置されている場所があるが、営業エリアの事情だろうか。余談だが、橋の名前とバス停名で表記が違うのも不思議である。この下德殿橋から豊玉中一丁目までの区間も、実は[池65]しか走らない独自区間だ。
 豊玉中一丁目停留所を出ると、交差点を右折して環七方面へ向かうが、豊玉中二丁目交差点を右折してから北上、環七を渡ってすぐ右折して桜台駅方面へと細い道をさらに北上していく。また、目白通りとの交差点部分に豊玉北四丁目停留所があるが、この一角は、同じ所に停留所があるにもかかわらず、会社によりバス停留所名はバラバラである(左下)。色々と経緯があるだろうが、統一したら良いのにという気もする。
 桜台駅前の交差点をバスは右折して千川通りに入り、ほどなく練馬車庫に到着となる。
 池袋駅から西武池袋線なら約10分弱の区間を都営バスはぐるぐる回りながら約50分。しかし江古田二丁目~練馬車庫の区間が一番乗りバス的に面白い区間である。
本数は少ないが、機会があれば乗ってみるのも一興だろう。

歴史

 戦前にルーツのある路線ではなく、昭和21年8月に[21]哲学堂~目白駅~江戸川橋として開業したのがこの路線の始まりである([白61]の項も参照のこと)。
 なお、この時は目白駅~江戸川橋は目白通り経由ではなく、護国寺から音羽を回っていた。
 昭和24年頃には丸山(現江古田二丁目)~哲学堂を延伸し、昭和26年7月には都心側を池袋駅東口発着に付け替えて現在の原型が完成した。
 さらに、昭和26年9月に池袋駅東口~池袋一丁目を1区間だけ延伸した。現在の豊島区役所停留所に相当し、区役所連絡も考えていたようだが、どの辺りに折返所があったのか、もしくは道路を使って折り返していたのかは定かではない。池袋駅東口の乗り場は現在の[草63](池袋駅東口~浅草寿町)付近の駅沿いから出ていたので、豊島区役所まで普通に一直線に行って終点になていたようだ。
 昭和30年時点で池袋~丸山が104往復、35年時点で池袋~丸山が130往復程度(豊島園発着を含む)、豊島園発着は60往復程度と、およそ半数が丸山で折り返していた。その後、昭和38年までには丸山折り返しの系統は池袋駅東口発着に改められたようで、昭和40年現在の調査では池袋駅東口~江古田二丁目は78往復、池袋駅東口~豊島園は37往復(うち豊島区役所発着は5往復)となっている。
 昭和43年10月には、江古田二丁目からさらに新青梅街道沿いに環七手前の丸山一丁目まで延伸した。同時に西武と共同運行の[142](池袋駅東口~上井草駅)も開通しており、都営単独で運行できるエリアまで[20折]も伸ばしたということだろう。ただし、昭和46年8月で[142]は廃止され、以降は[20折]のみが延伸区間を走るようになった。なお、[20折]についても豊島区役所発着は設けられなかった。
 昭和47年11月に系統番号が[池65]に改められた後、昭和48年に豊島区役所発着が全廃され池袋駅東口のみになった。さらに昭和53年10月の改編で両端の形を変え、サンシャインシティへの乗り入れを行い、丸山一丁目の枝線と豊島園乗り入れの廃止を行った、これにより、サンシャインシティor池袋駅東口~江古田二丁目or練馬車庫という4通りの運行区間に集約された。サンシャインシティ発着は朝夜以外の全便が乗り入れる形態だった。
 サンシャインシティは開業したばかりで、1階には立派なバスターミナルが作られた。しかし、乗客数の少なさやバスターミナルの利用料の高さやもあったのか、昭和57年12月の改編で全便が池袋駅東口発着に再び短縮された。
 昭和60年頃で平日90往復のうち6割が江古田二丁目で折り返すダイヤになっており、江古田二丁目~練馬車庫は数本に1本という割合で運行されていた。このエリアは関東バスも高頻度で路線を走らせており、西武池袋線の駅発着でない[池65]は利用率が低かったのだろう、昭和末期の改正で江古田二丁目~練馬車庫は出入庫のみ通る区間となり、運行時間帯が限られるようになった。池袋発で言えばラッシュ入庫の10時前後、午前番の入庫の昼前後、午後番の休憩の18~19時前後は連続して練馬車庫行きが運行されるため劇的に少ないとは言えないが、一般利用者は当てにしない区間に格下げされた。
 これ以降は、ダイヤ構成も含めてほぼ現在に至るまで変わっていない。本数は時代に応じて少しずつ減少しているが、1時間に4~5本と利便性は確保されている。池袋駅東口側から目白・丸山へはほぼ唯一の足であり、乗客も定着していると言える。難を言うなら、昔の都営バスの一般系統らしく、池袋駅東口の終発が21:50と民営に比べて早いことだろう。

迂回の謎

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 [池65]にリフト車が導入された頃、リフト車の練馬車庫発着便は江古田二丁目~豊玉中二丁目を通常とは異なる経路を迂回していた時期があった。この道路は極端に道路が狭いわけでもなく、都営バスの車輛よりも長尺である関東バスが同じ道路を頻繁に走っているので、車輛長が理由ではなさそうだ。一説には現在の総合東京病院脇の下徳田橋の重量の都合とも言われるが、練馬配属のリフトつきらくらくステップバス(14.2t)より、蓄圧式低公害車ことERIP(14.5t)のほうが車輛重量はむしろ重い。ベースとなった車(KC-UA460HAN)も同一である。なぜ迂回しなければならなかったのか、今となっては不明である。

目白駅始発

 平日・土曜は始発便で目白駅6:30の池袋駅東口行きという便が運行されている。練馬車庫から目白駅までは回送で、都営の一般系統の「始発地6:30」というかつての掟を守っているとも言えるのだが、この短区間だけ営業しているのが不思議である。池袋駅東口までは早朝だと5分もかからない程度で着き、折り返し6:40発の江古田二丁目行きとして帰って行く。

目白駅止まり

 LEDの行き先表示には「練馬車庫→目白駅」という表示が用意されている。一度も使われたことはないはずで、何のために用意されているのかも不明である。明治通りの交通規制時の折り返しを想定していたのだろうか。ちなみに、方向幕車で指示した場合は系統番号なしの「目白駅」表示となる。

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