担当営業所
品川営業所
運行区間
系統 | 区間 | 距離 | 備考 |
本 | 品川車庫~品川駅~魚籃坂下~赤羽橋~虎ノ門~赤坂見附~四谷駅 | 9.230/ 9.380km | |
本 | 品川車庫~北品川2~品川駅~魚籃坂下~赤羽橋~虎ノ門~赤坂見附~四谷駅 | 平朝のみ |
年表
系統 | 年月日 | 営業所 | 距離 | 概要 |
503 | S42.12.10 | 目黒 | 8.068km | 都電3(品川駅~飯田橋)の代替で、品川駅~札の辻~赤羽橋~虎ノ門~四谷見附~市谷見附~飯田橋が開通 |
503折 | S42.12.10 | 目黒 | 7.363km | 品川駅~札の辻~赤羽橋~虎ノ門~四谷見附を開設 |
503出入 | S42.12.10 | 目黒 | 10.688/10.386km | 目黒駅~五反田駅~品川駅~札の辻~赤羽橋~虎ノ門~四谷見附を開設 |
503 | S44.10.26 | 品川 | 7.363km | 四谷見附~飯田橋を短縮、品川に移管。また目黒発着の出入1を廃止 |
503 | S45. 6. 8 | 品川 | 8.118km | 品川車庫~品川駅を延長 |
四92 | S51.11.20 | 品川 | 8.403km | 四谷見附~四谷駅を延長 |
四92 | S54.11.23 | 品川 | 9.230/ 9.380km | 東91・橋99の廃止により品川駅~赤羽橋を札の辻経由から魚籃坂下・一ノ橋経由に変更 |
四92折 | S60頃 | 品川 | *** | 四谷駅~溜池→虎ノ門を開設 |
四92折 | S61 | 品川 | *** | 四谷駅~虎ノ門を廃止、四80(四谷駅~赤坂アークヒルズ)に統合 |
四92 | H12. 4. 1 | 品川 | *** | 品川駅~四谷駅を廃止、品川車庫~(第一京浜経由)~品川駅~四谷駅を開設 |
四92 | H12.12.12 | 品川 | *** | 反96と統合、品川車庫~一ノ橋~四谷駅を廃止 |
路線概要
品川車庫から桜田通りを中心に北上し、そこから外堀通りを四谷まで結ぶ路線である。都電3系統の代替路線でもある。品川車庫を出発すると、品川駅ターミナルに到着する。そこからは[東91]や[反96]の項でも述べたように第一京浜を泉岳寺で左折し、魚籃坂下からバス通りとなる大通りを進んで一ノ橋(麻布十番駅)まで達する。
そこからは麻布十番を右折して赤羽橋に、赤羽橋からは左折して飯倉の坂を登る。東京タワーを右手に見ながら坂を下ると神谷町、さらに進むと虎の門の交差点に出る。他系統は新橋方面に進むところだが、外堀通りを左折して溜池・赤坂見附と道なりに進み、赤坂見附からは首都高や弁慶濠に沿って坂を駆け上がる。左手には迎賓館と赤坂御用地の緑、そして右手にホテルニューオータニや上智大のグラウンドを見ながら
進む区間がこの路線のハイライトとも言える。坂を上がって迎賓館を背景に進むと四谷見附で、丸の内線の四ツ谷駅はこちらが近い。そこからはJR駅に回り込み、JR駅裏手の四谷駅で終点となる。
港区のビジネス街を通るためか平日と休日の乗客数の差が大きく、本数も休日はあまり多くなかった。
歴史
都電3系統の代替路線である。都心に向かうのと合わせて環状的な性格も強かった設定で、外堀通り沿いに東京電気鉄道が敷設した軌道がルーツになっている。昭和初期の時点で40系統(札の辻~虎ノ門~飯田橋)が設定されていた。このときは41系統(三原橋~新橋~飯田橋)とペアになっていたが、昭和5年頃に33, 34系統に改編された後、昭和10年頃には再編で前者だけが残った。当時の3系統は戦後の7系統に相当する品川駅~天現寺橋~四谷塩町(現四谷三丁目)に割り当てられており、1系統から順に品川から時計回りに割り振られた中から外れた付番となっていた。
昭和19年5月の戦時中の規模縮小で乗継制を廃止したときの再編で欠番だった7系統に入り込んだ。昭和20年の空襲で一旦運行休止となるが、終戦後の同年末に復旧したときは3系統の番号が与えられた。しかしこれは長くは続かず、昭和21年3月の改編で優先度の低い区間が廃止され、渋谷駅から天現寺方面の復旧とともに3系統(渋谷駅~天現寺橋~赤羽橋~虎ノ門~四谷見附)となった。昭和22年9月には飯田橋まで復旧し、昭和23年9月にようやく札の辻近辺が復活することになり、3系統(札の辻~飯田橋)、34系統(渋谷駅~金杉橋)に分離し、後に3系統は品川駅まで延長され廃止まで続く形が出来上がった。
都電時代は品川駅から山手線と沿うように第一京浜を札ノ辻まで進んだ後、左折して別れ、慶応義塾を左手に見ながら赤羽橋・飯倉・虎ノ門まで一直線に走り抜ける、その後は外堀通りに入り、赤坂見附・四谷・飯田橋と四分の一周ほどお堀に沿って走り、飯田橋の交差点で終点となる。赤坂見附~四谷見附は専用軌道で、都電ほぼ唯一のトンネルがあったことでも有名だった。現在は上智大学グランドに僅かに名残が残る程度である。
バス代替時は、不思議なことではあるが目黒営業所が担当した。ちょうど目黒は同居していた都電の車庫が廃止されて余裕があったためかもしれない。そのため、品川車庫は発着となっていない。基本運行区間は品川駅~四谷見附であり、本線の飯田橋までは朝夕のみの運転となった。総武線や他系統の並行もあるために重要性が低いと判断されたのだろう。
出入として目黒駅~四谷見附が開設されたが、この経路が一風変わっており、品川からそのままソニー通りを直進し、五反田駅を通り抜けて山手線沿いに目黒駅まで走っていた。わざわざ営業運転していたのが凄いが、果たして利用客はどの程度いたのであろうか。
この不思議な形態も昭和44年の改編時に取りやめとなり、品川に移管されて目黒発着の出入は廃止、また品川車庫まで延長された。同時に利用率の低かった飯田橋までの運転も取りやめ、原型が出来上がった。
この時はまだ泉岳寺から赤羽橋までの経路が札の辻・慶應義塾東門経由であったが、昭和54年の改編時に[東91]の項でも述べた通り改編で組み替えられ、最終形となる魚籃坂下・一ノ橋経由となった。なお、廃止に至るまで行先に「四谷見附」の文字が入っていたが、昭和51年までは四谷見附止まりだった名残である。実際は四谷駅を使って回送で折り返していたと思われるが、それが全区間営業することにしたのだろう。同じく品川車庫~四谷駅を結んでいた[四97]との区別もあったと思われる。
その後は長い間路線の形が変わらずにいた。特に途中折り返しも設定されず、渋滞時の臨時用に赤羽橋止まりの表示は用意されていたが、定期で使うことはなかった。
しかし、平成12年12月の大江戸線改編で赤羽橋以北は廃止対象となった。同年の南北線の全通で白金高輪・麻布十番~溜池山王・四谷が直接結ばれたこともあったのだろう。それでも赤羽橋や虎の門等地下鉄と並行ではなく、地下鉄では行きづらいところ同士を結んでいたのだが……。赤羽橋以南は現在の[反96]に引き継がれたが、以北はさしたる代替もなく廃止された。
第一京浜経由
品川車庫~品川駅の八ツ山橋の踏切はラッシュ時の悩みの種だったが、同じく踏切を通る[品93]・[四97]が第一京浜経由の迂回を設定していたのに対し、[四92]は品川駅折り返しをすることで京急の踏切通過を避けていた。折り返しは八ツ山側で行っていたが、道路の都合上か平成12年春のダイヤ改正に至って四92にも第一京浜迂回が登場した。その直後に路線自体が廃止されてしまったため、その寿命は7ヶ月と少しであった。なお、専用表示は特に作られなかった。
途中折り返し
定期運行では品川車庫~四谷駅の全線通し運転のみだったが、昭和60年前後の平日朝ラッシュに限り四谷駅~溜池→虎の門という運行が数本運行された。当時は溜池山王駅もなく、四谷駅からの通勤需要として運転していたのだろう。虎の門到着後は特許庁か通産省周辺の区画を回り込むように走り溜池に戻ったと思われる。「四谷駅-霞ヶ関三丁目」の幕を表示した記録も残っているが、実際の折り返しは霞ヶ関三丁目始発だったのだろうか。
昭和61年に[四80](四谷駅~溜池~赤坂アークヒルズ)が開業し、品川も朝のみ参入したことでこの折り返し系統は発展的解消を遂げた。[四80]の詳細は新宿の項を参照されたい。
[四92]の第一京浜経由
品川車庫~品川駅の八ツ山橋の踏切はラッシュ時の悩みの種だったが、同じく踏切を通る[品93]・[四97]が第一京浜経由の迂回を設定していたのに対し、[四92]は品川駅折り返しをすることで京急の踏切通過を避けていた。しかしどういうわけか、平成12年春のダイヤ改正に至って四92にも第一京浜迂回が登場した。その直後に路線自体が廃止されてしまったため、その寿命は7ヶ月と少しであった。