都営バス資料館

田87

[田87]←[1]→[2]分割

担当営業所

渋谷営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
渋谷駅~渋谷車庫~恵比寿駅~恵比寿3~魚籃坂下~田町駅 5.700km
出入 渋谷車庫→恵比寿駅→恵比寿3→魚籃坂下→田町駅 4.970km 平土始発のみ
出入 渋谷駅~渋谷車庫←東2 0.830/ 1.010km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
1 終戦時 渋谷 *** 渋谷駅~田町駅が存在
2 S21. 3.15 渋谷 4.075km 渋谷駅~追分が開通
1 S23.11. 1 渋谷 9.870km 2系統と統合、追分(現新宿伊勢丹)~渋谷駅~田町駅に延長
1 S24. 6. 1 渋谷 5.700km 1系統:渋谷駅~田町駅と2系統:渋谷駅~新宿追分に分割
2 S24.12. 3 渋谷 4.982km 新宿追分~新宿駅西口を延長
2 S25. 9.17 渋谷 *** 渋谷駅~新宿駅西口を小滝橋に移管
田87  S47.11.12 渋谷 5.700km 新番号化、田87とする

路線概要

atozb_141  渋谷駅から恵比寿駅を経由して、白金・三田といった地域を東西に横断し、田町駅を終点とする。
 渋谷駅のターミナルを出たバスは、[都06]と同じく明治通りを南下する。かつての渋谷町のメインストリートに当たる部分でもある。副都心線と東横線の相互乗り入れ工事が進む中、渋谷駅近辺は詰まることも多い。渋谷車庫の停留所手前の交差点で、車庫の入口が右手に現れる。頻繁に運転される渋谷車庫行きは本線の停留所の手前で交差点を右折して狭い道に入り、車庫の入口が終点となる。
 渋谷橋で[都06]と別れて右折すると、目の前に山手線のガードが現れる。「次は 恵比寿駅」と案内されるものの、駅前ロータリーではなく、ガード手前の停留所で停車する。恵比寿駅というよりは、[学06](恵比寿駅~日赤医療センター)の渋谷橋停留所のほうが近い。バスはガード手前を左折して細い道に入る。この辺りに戦前は東横乗合由来の小さな車庫があったというが、今では面影は全くない。こちらの恵比寿駅停留所も駅出入口からはすぐであり、利便性は高い。
 バスは恵比寿駅東口交差点を曲がり、付近では恵比寿通りと呼ばれる都道305号線をまっすぐに進む。
次の恵比寿四丁目の停留所は実は恵比寿ガーデンプレイスにも近く、目の前を横切る道路に曲がって南下するとすぐである。付近では、渋谷区役所を発着して恵比寿ガーデンプレイスに乗り入れるハチ公バス・夕やけこやけルートともすれ違う。[田87]の通る都道305号線は昔からのバス通りで、恵比寿二丁目・三丁目付近といった鉄道駅から離れた部分を通るため、乗客は多い。だいぶマンションの姿が増えたものの、山の手の住宅街であることを実感できる。
恵比寿三丁目で外苑西通りと交差して首都高をくぐると北里大学を通過する。薬学部の入る白金キャンパスがあるが、バス停は北里研究所という名になっており、大学の名を冠さない。聖心女子の裏手を通ると三光坂下。右手に見える坂道が停留所名の元となった三光坂の上り坂が見える。目黒通りに抜けられる裏道で、坂の上は高級住宅街といった趣だ。寺が幾分多くなった沿線を抜けると、白金高輪駅で桜田通りに合流する。この駅の開業で[田87]も少なからず影響を受けた。そのまま直進して魚籃坂下から慶應義塾の正門へと至る。バス停は「慶応義塾大」と省略形になっているのが面白い。この区間は[東98](東京駅南口~等々力)と並走するが、慶応義塾大だけ停留所が別々になっている。
 ここから終点の田町駅までは8の字のループのように描いて折り返していく。田町駅行きは桜田通りの突き当りとなる三田二丁目を右折し、札の辻を左折して第一京浜に入るとJR田町駅の正面で終点となる。浅草線の三田駅A3出口の目の前で、浅草線との乗り換えは非常に便利である。田町駅発は停留所を発車した後、次の小道を鋭角にターンするように入り、[反90](五反田駅~三田駅)と同じ経路に入る。その後は旧道のような三田図書館の裏手の道を道なりに進み、慶応義塾の正門で合流する。ちなみに、この田町駅裏手の片側1車線の道路は、渋谷駅行きが走る車線だけがバスを考慮したのか、僅かに幅が広い。
札の辻付近には、かつて[田70](新宿駅西口~港区スポーツセンター)が停まっていた芝五丁目の停留所があったが、[田87]は昔から通過していて、[田70]廃止時も特に救済されることなく停留所ごと廃止されてしまった。

歴史

 都営バスの旧系統番号[1]を名乗るトップナンバーだけあって、歴史は長い。というよりも、長い期間路線の形態がほぼ変わっていない稀有な系統とも言える。都営バスになる前の時代から数えると、田町駅と恵比寿駅の間を80年近く結び続けている。
atozb_146 ▲大東京乘合自動車路線圖(東京乘合自動車業組合、昭和7)
 この区間は、昭和3年にエビス乗合自動車が開業した恵比寿駅~田町駅が元であり、その後東京横浜電鉄に統合され、ヱビス営業所の所管で区間は変わらずに運行していた。この時は恵比寿三丁目方面から直進して、恵比寿駅東口(現アトレ前)の小さな駅前広場を終点としていた。今の恵比寿駅(渋谷駅方面)の停留所付近に小さな車庫があり、そこをヱビス営業所と名乗っていたようだ。
atozb_150 ▲渋谷区詳細図(東京地形社、昭和12)
これが昭和17年の東京の交通調整の成立で東京市が運行することとなり、複数の路線をまとめて[6]田町駅~恵比寿車庫~高樹町となった。この部分は[学06]の歴史の項も参照のこと。そして昭和18年6月の路線整理で[4]田町駅~渋谷駅に変更され、現在の形が出来上がった。和19年5月の改編では[6]、東京大空襲後の昭和20年4月の改編で[2]、山の手の空襲後の6月改編で[1]となり、以降はこの番号を名乗った。何回も番号が変わっているのは、戦中は改編のたびに番号を振り直していたためだ。以降は昭和47年の系統番号新番号化までこの番号を名乗り続けた。
atozb_152 ▲昭和17年の路線図
atozb_148 ▲昭和20年度の事業概要掲載の昭和21年3月現在の路線図(時計回りに番号付与)
番号が繰り上がった理由は、品川から時計回りに番号を付与し直していった結果である(図)。他の品川・五反田・目黒の系統が廃止されていく中、最後まで生き残っていた数少ない系統であり、この路線の需要が多かったことが分かる。この「品川から時計回り」というのは、これに限らず都電の系統番号、都市計画道路の放射部や鉄道の1号・2号…の振り方、さらには東京都の23区の公式な並び順(千代田区から渦巻き状に江戸川区)など、枚挙に暇がない。
 戦後の昭和23年11月から半年間だけ、渋谷駅から明治通りを経由しての新宿追分(伊勢丹)まで延伸されていたことがある。昭和21年3月に渋谷所管で[2]系統(渋谷駅~新宿追分)が開通したが、これと一本化されたのである。運行の効率化や沿線から新宿へ直通するという目的もあったものと想像する。なお、当時は明治通りの宮益坂下から宮下公園への区間は開通しておらず、ハチ公前から旧電力館の前を往復とも通っていた。
 この形は長続きせず、わずか半年後の昭和24年6月に渋谷駅で再び分割された。渋谷駅以北は[2]となり、後に小滝橋営業所に移管され、今は新宿駅西口~早稲田を結ぶ[早77]の礎となった。
 以後、[1]系統は路線形態を変えずに現在に至る。短距離で効率の良い路線として成績も良く、多くの本数で運行されてきた。平成12年12月改正で白金高輪駅開業による流出を想定してかかなりの本数が削減された。その後も減便傾向にあり、ピーク時に比べると本数は4割ほど減少しているが、今なお待たずに乗れる路線であることには変わりない。

田町駅の8の字折り返し

atozb_151 ▲8の字の折り返し
 路線概要でも述べた通り、田町駅には折り返し設備がなく、慶応義塾大~田町駅の区間は8の字のように折り返している(上図)。
atozb_155  この折り返しがいつから今の形態になったのかは定かではないが、昭和21年の路線図ではラケット状循環になっていることから、戦後すぐに少なくとも田町駅周辺はループ状に折り返す経路になっていたのは確かだろう(上図))。8の字のようになった正確な時期は不明だが、現在の田町駅→慶応義塾大の通る小道に桜田通りから入れなくなった時期と思われる。昭和40年代には少なくとも現在の経路だったのは間違いない。ただし、戦前については異なっており、昭和17年の統合当時までは、少なくとも慶應義塾大~田町駅は往復とも今の田町駅発のルートの旧道のようなルートを通り、そのまま田町駅の今のタクシー乗り場に突っ込んで終点となっていた。さすがに今では田町駅前にて転回するスペースがないため不可能だろう。
 停留所は終点の田町駅のほか、第一京浜と交わる辺りに「三田田町駅」という合成駅名のような停留所があった。今の[反90](五反田駅~田町駅)が停まる三田駅裏手にある田町駅停留所の位置あたりにあったのではと思われる。

北研止まり・白金一丁目止まり

 現在は、定期運用での途中折り返しは存在しないが、昭和40年代は北里研究所で折り返す運用や、昭和50年代後半までは始発時間帯に白金一丁目(現白金高輪駅)行きが存在した。
 前者はラッシュ時に僅かに運行されていたようで、北里大学の敷地近くに折り返し所があったものと思われるが、大学構内に入って折り返したのか、それとも道路沿いに小さな折り返し所でもあったのか、どこにあったのかは判然としない。
 白金一丁目行きは渋谷車庫の始発便が運行していたもので、折り返しの渋谷駅行きの時間を早めるためのものだろう。白金一丁目到着後は回送で直進し、魚籃坂下の交差点を左折して、太い新道に合流するところで鋭角に左折し、すぐに右折して本線の経路に戻って白金一丁目から営業運転を開始していた。
 昭和57年現在では存在が確認できるが、昭和60年には既に見られなくなっていた。ただし、行先表示自体はその後も残り続けた。筆者は1回太い道路上で回送の表示を出して待機する渋谷車を見たきりで、道路規制にしても後述の田町駅(臨時)折り返しで用が済むため、ほとんど運行されたことはないだろう。
 白金一丁目は平成12年の大江戸線改編で白金高輪駅に改称され、方向幕も作り直されたが、実際にこの表示が使われたことはほぼないのではと思われる。

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