都営バス資料館

都01・×深夜01・RH01・×急行01

[都01][深夜01][急行01][RH01]←[橋89]←[506]←[504]←都電6、[RH01]

担当営業所

渋谷営業所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
RH01 渋谷駅~南青山7(←六本木けやき坂)~六本木ヒルズ 2.520/3.510km 51 51 37 37 38 38
都01甲 渋谷駅~南青山7~六本木駅~赤坂アークヒルズ~新橋駅 5.510km 113 114 94 94 78 78
都01甲折返-2 渋谷駅→南青山7→六本木駅→赤坂アークヒルズ→溜池 4.050km 1 1
都01甲折返-3 渋谷駅→青山学院中等部→南青山7…南青山6→渋谷駅 3.240km 1
都01甲折返-4 渋谷駅~南青山7~六本木駅~赤坂アークヒルズ 3.750km 91 94 50 52 36 37
都01甲折返-5 六本木駅→赤坂アークヒルズ→新橋駅 2.780km 1


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
504 S42.12.10 (青山) 5.890km 都電6系統(渋谷駅~新橋)の代替で渋谷駅~新橋が開通
506 S43.2.25 (青山) 5.890km 系統番号を506に変更
橋89 S47.11.12 (青山) *** 新番号化、橋89とする
橋89 S52.3.7 渋谷 5.890km 青山分車庫の廃止により渋谷に移管
都01 S59.3.31 渋谷 5.510km 都市新バス化、系統番号を都01に変更。青山通り・骨董通り経由から六本木通り経由に変更(渋88と経路振替)
都01 S59.6.21 渋谷 *** 愛称をグリーンシャトルと決定
深夜01 S63.12.5 渋谷 5.510km 渋谷駅~新橋駅が開通
深夜01 H** 渋谷 5.390km 渋谷駅~新橋駅北口に短縮
急行01 H12.12.12 渋谷 5.510km 渋谷駅~新橋駅の急行系統が開通。途中停留所は南青山7・六本木駅・赤坂アークヒルズ・新橋駅北口
急行01 H15.4.25 渋谷 *** 渋谷駅~新橋駅の急行系統を廃止
都01折 H15.4.25 渋谷 2.520/3.510km 渋谷駅~六本木ヒルズを開設
RH01 H15.10.10 渋谷 2.520/3.510km 渋谷駅~六本木ヒルズの急行系統が開通、途中停留所は六本木けやき坂
都01 H16.4.1 渋谷・新宿 5.510km 新宿支所との共管とする
都01 H18.4.1 渋谷・新宿 *** 新宿支所を新宿分駐所に格下げ
都01折 H19.3.26 渋谷・新宿 *** 渋谷駅~六本木駅を開設
都01折 H19.4.21 渋谷・新宿 *** 渋谷駅~六本木駅を渋谷駅~東京ミッドタウンに延長
都01折 H21.4.1 渋谷 *** 渋谷の単独所管に変更
都01折 H23.3.28 渋谷 *** 渋谷駅~東京ミッドタウンを廃止
深夜01 H25.12.20 渋谷 渋谷駅(西口)~六本木駅の終夜バスを開設
深夜01 H26.10.31 渋谷 渋谷駅(西口)~六本木駅の終夜バスを廃止
RH01 H29. 4. 1 渋谷 2.520/3.510km 渋谷駅~六本木ヒルズの都01折とRH01を統合、各停に統一し系統番号をRH01とする
都01 R 1.10. 1 渋谷 *** 英字系統名を追加(都01…T01)
深夜01 R 4. 4. 4 渋谷 *** 渋谷駅~新橋駅北口の深夜バスを休止

路線概要

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 渋谷駅と新橋駅を六本木通り・外堀通り経由で結ぶ。都市新バス第一号、乗客数や本数の多さ、渋谷と六本木を直結する利便性等々、名実ともに都営バスの絶対的エース系統といえよう。枝線が多いのも特徴と言える。定期の行先だけでも、渋谷駅~南青山七丁目・六本木ヒルズ・赤坂アークヒルズ・溜池・新橋駅北口・新橋駅と数が多い。
 渋谷駅は東急百貨店の東館前の乗り場から発車する。常に多くの乗客が行列を作るためか、前後のバス停との距離は長めに取られており、六本木ヒルズ行きは一つ後ろの乗り場から出るようになっている。朝ラッシュ時は2輛の車を並べ、同時乗車という混雑路線ならではの光景も見られる。
 渋谷駅を出ると六本木通りに入る。渋谷警察署から青山学院の敷地をトンネルで潜り抜ける辺りは首都高3号線とほぼ同じ高さで並走するが、それ以外の区間は高架が頭上に被さるシーンが溜池まで続く。なお、途中で[学03]の渋谷三丁目の停留所を通るが、[都01]は停車しないため、。渋谷駅を出るとトンネルを抜けた先の青山学院中等部まで停留所がなく、この区間だけ停留所間隔がかなり開いている。
 ここからは港区に入り、オフィスビルやマンションが立ち並ぶエリアとなる。次の南青山七丁目は、駅から遠いこともあって通勤客が大量に降車する。平日の朝ラッシュ時はここ止まりの短距離運行もある。[渋88](渋谷駅~神谷町駅~新橋駅)の同名停留所とは場所が離れているので注意。
 側道に入って谷を下り西麻布に停車し、外苑西通りを越えて坂を上る。六本木六丁目を過ぎ最近完成した環状三号と交差するところは六本木ヒルズ入口。六本木ヒルズへの枝線はここで分岐する。枝線については後述するとして、直進して明治屋ストアー・麻布警察署を過ぎると六本木駅の停留所に到着する。都内有数の繁華街かつ夜の街である六本木へのアクセスとして渋谷から一直線で便利なためか、乗降も終日多い。車の多さゆえ昼も夜も発着は一苦労といった感がある。港区コミュニティバス「ちぃばす」の停留所が近辺のあちこちにあり、その姿を見る機会も多い。
 なお、六本木交差点で左折して東京ミッドタウンの周囲を回る枝線が平成19に開設されたが、平成23年3月に廃止された。
 六本木を過ぎると坂を下り、谷町ジャンクションの真下に六本木一丁目駅前(旧称:六本木二丁目)の停留所がある。南北線と乗換できるものの出入口が分かりづらい。この次が赤坂アークヒルズ(→ターミナル点描も参照)で、都営バスも専用の折返施設を持ち、現在は終日折り返し便の設定がある。六本木通りから右折して構内で終点となるため、本線の停留所とは異なることに注意。本線の場合は、停留所のそばにアークヒルズに通じる地下道がある。ちなみにアーク(ARK)の名は、赤坂(Akasaka)・六本木(Roppongi)の結び目(Knot)……という由来らしい。
 アークヒルズを過ぎるとすぐに溜池。停留所を発車後、溜池交差点の右折レーンにハンドルを切って入っていく姿はなかなか見応えがある。交差点を右折し外堀通りに入るとようやく首都高から離れ、頭上の解放感が増す。
 特許庁周囲の緩やかなカーブを進む。右手に分岐する方向には汐留まで地下を一直線で抜ける環状二号線が鋭意建設中(平成25年度完成予定)で、将来的pには勝どき・晴海まで運河を渡って一直線で結ばれる予定である。新橋界隈の渋滞にも効果が高いだろう。特許庁の先は左手に高層ビルの代名詞だった霞ヶ関ビルの最寄り停留所である霞ヶ関三丁目を過ぎると虎ノ門。外堀通りを直進し、JR線のガード直前に新橋駅北口の停留所がある。都市新バス化と同時に増設された停留所で、SL広場側の繁華街やJR新橋駅へのアクセスはこちらが便利なため、ほとんどの乗客はここで下車してしまう。
 
バスはガードをくぐり、右折して新橋駅前ビル前のロータリーで終点となる。5.5kmと短い路線ではあるが、混雑の激しい六本木通りを走り抜けるため、休日の早朝であれば20分で走破するところが平日では所定で40分弱の所要時間がかかるなど、所要時間の変動が大きいのも特徴的と言える。
 渋谷駅~六本木ヒルズの枝系統も[都01]を名乗るが、本線と独陸して引かれていることや、渋谷駅の乗り場も別で急行[RH01]の存在もあって、[都01]本線とは独立性が幾分か強い感じである。行先表示には「都01折返」と折返の字が入り、方向幕だと地色も緑色と、本線の青色とは区別されている。
 渋谷駅から西麻布までは本線と共通だが、西麻布を過ぎると右側のレーンに入り、六本木六丁目は停まらず(渋谷駅方向は停車)に六本木ヒルズ入口の交差点を右折し、六本木ヒルズの構内に入り、森タワー地下1階のバスターミナルに直接乗り入れる(→ターミナル点描も参照)。超高層ビルの地下駐車場のような一角に路線バスで乗り入れるのは案外珍しい光景ではないだろうか。
 入口とは反対のグランドハイアット側から地上に出て六本木けやき坂通りに左折すると「六本木けやき坂」停留所。循環系統扱いなので渋谷駅からここまで乗り通すことも可能である。11月~12月には街路樹が白と青のイルミネーションに輝き、正面の東京タワーのライトアップと相まって美しい夜景を見せてくれる。突き当りを左折し、環状三号線でヒルズ下の短いトンネルを抜けると六本木通りに戻り渋谷駅に向かう。
 [RH01]は、[都01折返]と同じ区間を走るが、停車停留所は渋谷駅・六本木ヒルズ・六本木けやき坂の3ヶ所に絞られ、渋谷駅を出ると六本木ヒルズまで無停車となる。車輛も基本的に専用車で運行しており、再開発を主導した森ビルの力の入れ具合が感じられる。なお、途中無停車である特長を生かして、西麻布交差点の前後は側道でなく陸橋を通過するのが[都01折返]との違いであり、少しばかり違った車窓が楽しめる。厳密に乗りつぶす際は要注意。
 これ以外に、本線と同じ経路で深夜バスも運行されている。ただし、新橋側はタクシー渋滞で新橋駅ロータリーに出入りするのを避けるため、新橋駅北口発着になっている。また、渋谷駅着に関しては、最終便のみ東急の深夜急行と接続を取る目的で東急側のバスロータリー着となっている。渋谷警察署からそのまま渋谷駅の東横線・山手線のガードをくぐり、右折して東急プラザ側のバス停で終点となる。

歴史

 言わずと知れた都市新バスのエース[都01]であるが、出自をさかのぼれば都電6系統の代替系統である。都電代替系統中、最も出世した系統と言えるのではないだろうか。
 六本木通りを通る都電は、昭和初期は渋谷駅~青山六丁目(現南青山五丁目)~六本木~溜池~田村町一丁目(現西新橋一丁目)と来た後、日比谷通りを北上し、馬場先門から鍛冶橋通りを直進して京橋経由で永代橋を終点としていた。系統番号を付与した当初は市電12系統、昭和6年に7系統に改番され、昭和14年頃の改編で田村町一丁目から外堀通りを直進して新橋方面に振り替えられ、昭和通り経由で三原橋が終点の6系統となった。
その後、昭和19年5月の戦中の路線休止で新橋までに短縮されて戦後と同じ姿となる。戦中の空襲による休止を経て戦後すぐは8系統を名乗ったが、昭和22年秋に6系統(中目黒~日比谷:当時)と系統番号を交換して再び6系統と名乗った。
 都電6系統は昭和42年12月の都電第一次撤去で廃止され、区間もそのままに代替バスが運行されることになったのが[都01]の前身[506]系統である。同一区間に郊外直通の[123]→[橋85](幡ヶ谷~渋谷駅~新橋~東京駅八重洲口)が既に走っていたこともあり、バスになってみるとそれほど独自性を持った系統というわけではなかった。新番号化されて[橋89]を名乗るようになり、昭和50年代の路線再編成で廃止が続いたことで、渋谷駅から六本木・都心方面は[東82][橋89]に集約されていったが、[橋89]の運用に入る車輛はそれほど新しいとも言えなかった。
とはいえ、鉄道の不便だった南青山・西麻布・六本木・溜池をつないで走っていたために代替後も乗客は多く、収支係数も70~90と黒字続きで良好であった。そこに都市新バス第一弾として白羽の矢が立ったのである。
その際、渋谷駅~南青山七丁目についてはバスレーン設定やスピードアップも考え、青山学院・骨董通り経由から六本木通り経由に変更した。この区間は既に[渋88](渋谷駅~東京タワー)が通っていたが、経路を交換することになった(下図、点線→実線)。
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 昭和59年3月31日、[橋89]は[都01]に生まれ変わり、早朝の渋谷駅前のバスターミナルでは盛大に開通式が執り行われた。渋谷営業所では都市新バス仕様の専用車を一気に33輛導入した。いかに交通局が都市新バスに力を入れていたかが伺える。車輛については後の車両通史の項でも述べよう。
また、同時に、渋谷駅~南青山七丁目の間の経路を、バスレーン設定やスピードアップも考え、青山学院・骨董通り経由から六本木通り経由に変更している。 [渋88](渋谷駅~東京タワー)と経路を交換したことになる。また、「霞が関三丁目」「新橋駅北口」の停留所を増設している。
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▲開業時のチラシと愛称募集のお知らせ
 同時に渋谷駅前のバスターミナルでは盛大に開通式が執り行われた。普通の新規系統でもこれほどのものは行わないところから見ても、いかに交通局が都市新バスに力を入れていたかが分かる。
 このように鳴り物入りで開通した[都01]だが、効果ははっきりと表れた。昭和58年度の[橋89]の一日平均乗降客数は15,668人だったが、昭和59年度の[都01]のそれは23,493人と5割増に、昭和60年度は24,923人、昭和61年度は27,411人と増加、[渋88]の分も吸収しているとはいえ、3年で2倍近くにまで増加している。
 昭和61年には赤坂アークヒルズが開業して新橋側の乗客も増え始め、効率の良い輸送が行えるようになった。どんどん乗客数が減っていく当時の都営バスでも、やり方次第で増客・増収できるという成功体験は、交通局や現場にとって大きな励みになったに違いない。昭和63年には深夜バスも設定された。
さらに平成に入る頃には、朝ラッシュ時限定で渋谷駅~南青山七丁目の短距離の折り返し線も開設されて総本数も増加し、都営バスのエースとしての地位を揺るぎないものとした。全体ではバスが減る、乗客が減るという負のスパイラルに陥っていたが、やり方次第では客を大いに取り込むことができるという成功体験は、交通局にとって大きな励みになったに違いないだろう。
 平成初期の数年間はダイヤも大きな変更はなかったが、バブル崩壊とともに乗客数は全体的に落ち込みを見せ始めていた。大きな転機となったのが、平成9年9月の南北線・銀座線の溜池山王駅の開業である。特に新橋方は乗客の落ち込みが大きく、2~3割もの減少となったと当時の東京新聞でも報道された程である。絶対数の多さを考えると大きな痛手であった。
 これを受けて、平成10年3月の改正では、朝夕を中心に、従来なかった渋谷駅~溜池の折り返しが多く設定された。このときは一旦渋谷駅~南青山七丁目の運行が廃止されるが、平成11年1月の改正では再復活している。
 そして、平成12年12月の改編では、大江戸線全通により六本木駅が開業したこともあってさらに減便、総本数は最盛期から3割近く減少、新橋駅発着に至っては実に半分程度にまで減ってしまった。このとき、溜池折り返しをほぼ全廃し、赤坂アークヒルズ折返しへと振り替えた。また、新たな試みとして、[都01]の本線と同じ区間に急行バス[急行01]を平日朝夕のみ走らせることになった(後述)。
 その後も改正の度に本数は微減ていき、このままジリ貧かと思われたが、沿線の再開発とともに、積極策が打たれるようになる。
 まずは、平成15年4月に六本木ヒルズの完成と街開きにあわせ、早速[都01折返]渋谷駅~六本木ヒルズを開設した。交通局も宣伝のパンフレットや車内広告を出すなど、積極的にPRを行った。さらに半年後の10月には途中ノンストップの直行バス[RH01]も開通した(後述)。六本木ヒルズ開業後は交通局も宣伝のパンフレットや車内広告を出すなど、PRも積極的に行っており、力の入れ具合が感じられる。
六本木ヒルズへのアクセスはこれだけに留まらず、半年後の10月には、森ビルが資金を出して専用車輛を導入し、途中ノンストップの直行バス[RH01]も開通した(後述)。開通当時は井の頭線などに交通広告を出すなど、路線開設のCMというのは都営バスでも異例のことだったと言えるだろう(前ページ)。
 また、平成19年、六本木の防衛庁跡地に「東京ミッドタウン」が開業したのにあわせ、[都01折返]渋谷駅~東京ミッドタウンを開設した。ただ、こちらは本数が中途半端だったことや、肝心のミッドタウン停留所が外苑東通り沿いでミッドタウン構内に停留所がなかったこともあってか、利用が定着しなかったようで、平成23年3月限りで廃止されてしまった。
 余談だが、ミッドタウンの折返系統は平成19年4月に開業したが、ダイヤ改正は他系統と同じく3月末に行われたため、この3週間程度の間だけ、ミッドタウン行きとしてダイヤが引かれた便は渋谷駅~六本木駅で営業運転、六本木駅~東京ミッドタウンは回送とする特別ダイヤになっていた。まるで鉄道の新線開業の直前のようだが、これだけのために「六本木駅」の行先表示が新たに用意されたのは、マニアックな視点では興味深い。
 このような積極策もあり、平成15年以降は渋谷駅発の総本数は増加傾向にある。平成23年のダイヤ改正では東京ミッドタウン行きは廃止されたものの、ほぼ全便が赤坂アークヒルズ行きに振り替えられ本数は減っていない。急行も含めれば渋谷駅発の本数は300回を超え、最盛期に匹敵する。
 近年は路線沿線の特性なのかコロナ禍で大きく影響を受けており、赤字に転落して本数も削られていっている。深夜バスも休止となり[RH01]の本数を中心に減っており寂しいところだ。

都市新バスシステム

昭和50年代は、都市部の渋滞における定時性の低下と利用者の減少、本数の減少という悪循環が続き、交通局自体も財政再建の真っ只中にあった。そのような中で、バス運行のシステム化、効率化、そして輸送サービスの改善ということで始められたのが、バスロケーションシステム(バス総合運輸管理システム)である。駅単位では昭和49年頃に渋谷駅で、そして昭和54年頃に新宿駅西口バスターミナルでスタートし、昭和57年には早稲田営業所管内で路線単位で導入された(前ページ)。
これは、バスが現在どこを走っているかを把握するもので、いつ来るのか分からないという利用者のイライラを解消する一助になった。また、局内でも運行管理の効率化を行うことができた。
 これで培ったノウハウをもとに、バスを魅力ある輸送機関として再生させることを目的として、新たなるバスシステムが誕生した。それが「都市新バス」である。当時の運輸省はバス離れを改善すべく、「都市新バス」システムを作る事業者に助成金を出しており、その助成金が利用されている。総投資額は8億3300万円(うち補助金1億700万円)、このうち9割近くの7億3400万円が車両代であり、1輛あたりのコストは普通のバスよりもかなり高価だったことがうかがえる。
なお、後の運輸省の定義では、「都市新バス」とは、乗客サービスの向上に資する車輛、停留所のシェルター化やバスロケの設置・運行管理、バス専用レーンの
設置といったシステム全体を指している。
ワイドドア、冷暖房、シートの改善、次停留所案内装置といった車両面のレベルアップ、そして停留所のシェルターやバスロケーションシステムの設置、さらにバスレーンをほぼ全区間に設定して定時性を向上させるという[都01]のシステムは、運輸省の条件に全て当てはまるものであり、当時でいえばまさにレベルの違うサービスを提供しようとしたのだろう。
なお、他都市の都市新バスシステムとしては、中央の専用レーンが特徴的な名古屋市営・名鉄の基幹バス(昭和57/60年)、新潟駅から市西部へ至る路線に導入した新潟交通(昭和59年)、北陸鉄道の金沢市外中心部(昭和59年)などが黎明期のものある。その後、東急の目黒通りを中心とした「新交通システム」(昭和61年)、大阪市営のグリーンエース(昭和61年)、神戸市営のかもめライン(昭和62年)、遠鉄・静鉄(昭和62年)など各地で都市新バスの事業が広がっていった。

急行バス~[急行01]と[RH01]

 平成12年12月の大江戸線改編とともに、速達性をアピールした急行バス(愛称はなぜかラピッドバス)が、全5系統に設定された。そのエースナンバーが与えられたのが[都01]の急行系統である[急行01]である。平日の朝夕のみ設定され、途中は南青山七丁目・六本木駅・赤坂アークヒルズ・新橋駅北口のみ停車となっていた。通過停留所が多く、いかにも急行らしい意欲的な設定ではあったが、[都01]の運行頻度をもってしても、先行する[都01]各停便をごぼう抜きにするほどの爽快な走りは都心部では望むべくもなく、むしろ先行する各停便が見えているのになかなか追い抜けず、ストレスのたまる走りであった。西麻布に停車しないのになぜか西麻布の陸橋を渡らなかったり、信号に引っかかったりと速達性は今ひとつで、認知度も低いまま2年半後の平成15年3月で廃止されてしまった。
 入れ替わるように平成15年10月に開通した急行系統が[RH01](渋谷駅~六本木ヒルズ)である。
渋谷駅から六本木ヒルズまで直行というこれまた意欲的な設定で、車輛は森ビルが資金を出して購入した専用車3輛、車体には六本木ヒルズのキャラクター「ロクロク星人」をあしらった大胆なデザイン、車内も液晶モニタを設置、ロクロク星人のシートモケットといった特別仕様づくしの車である。都バスではほとんどなかった少し長い標準尺の車ということもあり、独自性が高い存在であった。
 [RH01]は西麻布の陸橋を渡るため速達効果も高く、開通から現在に至るまで本数は維持され、混雑時は増便されるなど好評なようだ。ただ、車輛が交通局に正式に引き渡された後にロクロク星人のラッピングは解除されて通常塗装に戻り、液晶モニタは撤去され、シートの柄も通常のものに変更されている。それでも専属なのは変わりなく、他の路線に入ることはない。
検査時や渋滞によるダイヤ乱れ時は、一般車での代走も見ることができる。専用車は行先がLED表示だが一般車にも全車に方向幕・LEDデータは用意されており、ごくまれに[RH01]の白地色ながら急行の文字が入った特徴的な方向幕を見ることができる。

南青山七丁目行き

 [都01]の最混雑区間は今も昔も渋谷駅→南青山七丁目である。この需要に対処するため、朝ラッシュ時に渋谷駅→南青山七丁目止まりという短距離の運行が存在する。行先方向幕も始発と終点しか書いていない。
 さて、このバスは南青山七丁目に着くとどう折り返すのか? というと、[渋88]のルートで渋谷駅に戻るのが正解となる。[都01]の南青山七丁目で客を降ろし直後の高樹町交差点を鋭角に左折、骨董通りに入って次の南青山六丁目から乗車可能となる。方向幕は、かつては専用表示がなかったが、現在は「都01 南青山七丁目→渋谷駅」と青地の表示が用意された。「南青山六丁目」からしか乗れないのに幕は「南青山七丁目」と書かれているのも謎である。もっとも、これに乗る客はどの程度いるのかは定かでない。
かつては南青山七丁目にフジフイルムの本社もあったため、20本以上設定されていた。設定時間帯がラッシュの後半となる8~9時台だったのが面白い。本数は改正ごとに減少していったものの、現在も朝2本だけ運行している。

新宿支所の参入と撤退

 平成16年春のダイヤ改正で、新宿支所が[都01]の運行に参入した。わざわざ新宿が参入したのは不思議なものだが、当時は何かしらの計画があったのかもしれない。基本的に平日ダイヤでは3輛が一日中[都01]に入る運用をこなしており、車庫との出入りは一部を除いて回送となっていた。運転手は一日中働くわけではないので、山手線で移動して乗務員交代を行っていたのが面白い。運転手の休憩は渋谷車庫で行っていたため、新宿車でありながら渋谷駅~渋谷車庫の運行も行っていた。
車庫の出入りは渋谷駅から国道246号・神泉町・山手通り経由で新宿車庫との間を回送するが、早朝と深夜の1便のみ、[池86](渋谷駅東口~池袋駅東口)として、新宿伊勢丹~渋谷駅東口(新宿発は渋谷駅西口止まり)という営業運行を行っていた。
 方向幕のデザインは共通だったため、一見しただけは分かりづらかったが、局番が「C(新宿)」の表示だったり、渋谷の担当便ではまず見かけなかったいすゞのエルガや、渋谷には存在しない三菱のCNGノンステップバスが固定で入っていた。平成18年4月からは新宿が分駐所に格下げされ、局番が「B(渋谷)」の表記になったため、違いはナンバープレートの練馬ナンバー程度になってしまった。
 平成19年3月の改正で、新宿担当便の朝1本の出庫便が新宿車庫→渋谷駅西口に延長され、長らく都営バスが廃止されたままだった新宿駅南口の前を、片道1本ではあるが再び営業運行で走るようになった。
 しかし、平成21年4月で新宿がはとバスに委託されることにより、新宿は撤退して再び渋谷の単独所管に戻った。このときに新宿の[池86](新宿伊勢丹~渋谷駅)も廃止になるかと思いきや、 [渋88](渋谷駅~新橋駅北口)を所管することになったため、[渋88]に系統番号を挿げ替えて運行継続となった。現在も1日1往復なのは変わりないが、往復とも渋谷駅~新宿車庫に延長されて運行を続けている。

深夜バス第一弾と深夜バスの歴史

 [都01]には深夜バスも運行しており、最終到着は午前1時頃と非常に遅い。この深夜バスは昭和63年に開通し、既に20年以上の歴史を持つ。都営バスでは民営各社に比べ深夜バス開設の動きは鈍かったが、深夜における公共交通の拡充という使命のもと、需要や採算性を考慮し、また乗務員・職員の深夜労働の条件についても協議を重ね、ついに合意が得られることとになり、昭和63年12月に深夜バスの第一期の4路線が開通した。その1つが[深夜01](渋谷駅~新橋駅)である。
 運賃は他社と同じく通常系統の倍額に設定され、一日乗車券等は差額を支払うことで乗車が可能となった。また、「ミッドナイト25」の愛称がつけられ、フクロウがトレードマークとなり方向幕にも表示された(右)。
行先方向幕は黒地に黄色字のものが統一して使用され、都営では初めての黒色地の幕の採用となった。
また、往復とも営業運転する設定となった。郊外の深夜バスでは駅→住宅地の片道運行で帰りは回送となる例が多いが、都営では住宅地路線であっても復路を営業しているというのが面白い。さて、[深夜01]の経路は [都01]とほとんど同じであるが、深夜バスは別建ての系統番号で、収入も別計算となっている。この路線の特徴としては、深夜バスとしては珍しく全線がビジネス街・繁華街であり、駅~住宅需要とはほぼ関係ない区間を走る点があげられる。眠らぬ都会の夜の足と呼ぶにがふさわしく、都営バスの深夜バスの特色が現れていると言えるだろう。なお、深夜バスは[都01]とは独立したダイヤのため、渋谷駅への出庫も営業を行っているが、さすがに渋谷駅からの入庫は回送している。
昭和63年の開設時のダイヤでは、本線の往復のほか、渋谷駅~赤坂アークヒルズの設定もあったが、赤坂アークヒルズの構内始発ではなく、六本木通り上の停留所から発車していた。折り返しの都合を考えると溜池始発でも良さそうなものだが、不思議である。
 開設時の昭和63年度は1日あたり250人だったのが、平成2年度には428人と見込み通り乗客も順調に増えて安泰かと思われたが、バブル崩壊の波が深夜バスにも押し寄せる。平成7年度は320人、平成10年度には256人と乗客減に歯止めがかからず、平成10年に2往復減便、赤坂アークヒルズ行きは消滅し、赤坂アークヒルズ始発渋谷駅行きが片道残るのみとなった。平成15年にはさらに1運用削減され2.5往復となり、赤坂アークヒルズ始発も消滅した。
 また、新橋駅前に大量に押し寄せるタクシーの洪水は運行のかなりの妨げになっていたようで、新橋駅の乗り場につけるのも、駅から出て外堀通りに進むのも大変ということがたびたび存在した。そのため、平成10年ごろから新橋駅北口発着に改められ、新橋駅前ターミナルからは発着しないようになった。渋谷駅から新橋駅北口到着後も、ターミナルに入らず、汐留方面に直進して適宜道路を使って折り返すようになっている。
 この送り込みとして[都01]にも新橋駅北口行きの設定が夜に片道1本だけある。新橋駅北口到着後は折り返し新橋駅北口発の深夜バスとなる。
 なお、先ほどルートは[都01]とほとんど同じと書いたが、厳密には正しくない。新橋駅北口発渋谷駅行の最終便は渋谷駅西口ターミナル行となる。
 これは、東急の深夜急行バス「ミッドナイトアロー」への接続のためである。JR渋谷駅南口改札前の東西自由通路が終電後は閉鎖されるため、特別に西口行として運行している。渋谷駅西口では基本的に18番停留所で降車となる。246の渋谷駅ガードをくぐる都営バスはこの運用だけであり、全線完乗には避けて通れない道である。なお、減便前は最終2本が西口着となっていた。会社をまたいで深夜バス同士の連携を取るというのは珍しいのではないだろうか。平成元年7月の東急初の深夜急行バスである高速青葉台線(渋谷駅→青葉台駅)の開通時からこの取り扱いを行っており、西口着の歴史は長い。
 なお、西口から渋谷車庫への回送ルートだが、国道246号に戻ってガードを抜けた後、明治通りへの直接の右折はできないため、そのまま六本木通りの坂を上って渋谷二丁目交差点を右折、八幡坂を下って並木橋に出ている。
 方向幕は側面も行先が大きく書かれるこの系統独自のデザインである。なお、現在の幕でも途中経由地が駅のない「六本木」表記だったり、行き先が北口でなく新橋駅表記だったりと昔を偲ばせるような表示だが、LED車は正しく表示して運行している。

終夜運行

 平成23年12月20日より運行を開始した終夜運転。金曜(祝日を除く)深夜に渋谷駅~六本木駅を試験的に4往復するもので、都市の24時間化する活動に合わせてライフスタイルを変えるという目的を掲げ、最も需要な見込めそうな区間で猪瀬前都知事の肝いりの施策として始まった。
 都バスの終夜運転としては、1960年代まで行われた正月の初詣神社めぐりバスや、1993年末の田町駅東口~レインポーブリッジの大みそかの終夜運転があったが、定期系統としての運転は初であった。運賃は通常の深夜バスと同じ420円(現金)で、一日話題性の高さから初日はマスコミ各社も集まり、大々的に報じられた。年末の盛り場需要とあいまって初日は300人を越える乗客数となったが、年明け以降は70~80人と客足は落ち込んでいるとの報道もある(読売新聞、平成26年7月3日)。
 しかし、客足は伸びず、1年後の平成26年10月限りで廃止されることとなった。廃止時のニュース記事によれば1運行あたりの乗客数は平均10人未満となっていた。10月末の最終運行日は再び報道陣が取材のために集まった。奇しくもその日はハロウィーンで渋谷も六本木も深夜まで大きく賑わい、各便ともに満員の乗客となった。

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