都営バス資料館

王40・×急行03

[王40][急行03]←[10]

担当営業所

北営業所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
王40甲 池袋駅東口~西巣鴨~王子駅~豊島5団地~荒川土手~西新井駅 11.090/11.010km 134 136 134 133 142 141
王40甲折返-2 池袋駅東口←西巣鴨←王子駅←豊島5団地←荒川土手操車所 7.630km 1 1
王40甲折返-3 池袋駅東口~西巣鴨~王子駅~豊島5団地 5.990/5.830km 1 1 1
王40甲折返-4 豊島5団地~荒川土手~西新井駅 5.100/5.180km 3 8 9 11 8 9
王40甲折返-5 宮城2→荒川土手→西新井駅 4.650km 1 1
王40甲出入-1 北車庫~王子駅~豊島5団地~荒川土手~西新井駅 9.580/9.660km 8 3 7 3 3 3
王40甲出入-2 池袋駅東口~西巣鴨~王子駅(←溝田橋交差点)~北車庫 6.970/6.860km 17 13 18 18 18 20
王40甲折返-1 王子駅→豊島5団地→荒川土手→西新井駅 6.850km 1 1 1
王40甲折返-6 池袋駅東口←西新井駅←王子駅←豊島5団地←宮城2 6.280km 1 1
王40甲折返-7 池袋駅東口→西巣鴨→王子駅→豊島5団地→荒川土手→江北4 8.740km 1 1 1
王40丙 王子駅→豊島5団地→江南中学校→宮城都営住宅→豊島5団地→王子駅 5.930km 25 25 25
王40丙折返 王子駅←豊島5団地←江南中学校 3.020km 1 1 1


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
10 S21.3.15 大塚 *** 王子駅~荒川土手が開通
10 S22年度 大塚 *** 荒川土手~西新井大師を延長
10 S23.11.1 大塚 6.250km 西新井大師~西新井駅を延長
10 S25年度 滝野川 6.250km 滝野川営業所に移管
10 S26.4.28 滝野川 8.750km 王子駅~千住八千代町に延長
10 S32.1.12 滝野川 10.833km 池袋駅東口~王子駅を延長
10 S38.8.15 滝野川 10.933km 豊島橋の架け替えによる経路変更?
10折1 S41.9.21 滝野川 3.070/2.500km 王子駅~宮城町循環を開設
10 S41.12.22 滝野川 10.933km 橋の新設により新江北橋経由に変更
10折2 S43.10.27 滝野川 6.870km 王子駅~西新井橋を開設
10折1 S43.12.29 滝野川 7.553/6.583km 池袋駅東口~宮城循環に延長
10折3 S47.9.1 滝野川 7.066km 豊島5→豊島5団地に改称、王子駅~豊島5団地を開設
王40 S47.11.12 滝野川 *** 新系統番号化、王40とする
王40折1 S51.6.14 滝野川 3.250/2.680km 池袋駅東口~王子駅を短縮
王40乙1 S54.11.23 滝野川 3.250/2.680km 王子駅~宮城循環を王40乙とする
王40 S55.4.4 10.933km 昭和町分車庫・滝野川営業所の統合により北営業所に移管
王40甲 S60.1.11 10.933/11.013km 西新井駅の終点をループ状経路とする
王40甲 S61.12.8 11.093/11.013km 池袋駅東口の乗り場変更により終点ループを変更
王40乙2 S63.10.31 4.200km 王子駅~豊島循環が開通、乙とする。従来の宮城循環は丙に
王40丁 H1.1.23 11.553km 西新井駅→江北橋下→池袋駅東口を開設、丁とする
急行03 H12.12.12 5.990/5.830km 池袋駅東口~豊島5団地が開通。途中停留所は西巣鴨・王子駅・豊島3・豊島4・豊島6
急行03 H15.3.17 *** 池袋駅東口~豊島5団地を廃止
王40甲 H18.4.1 11.090/11.010km キロ程の修正
王40丙 H18.4.1 2.910/3.020km 告示上の終点を宮城二丁目から江南中学校に変更
王40丁 H18.4.1 *** 西新井駅→江北橋下→池袋駅東口を廃止
王40乙2 H19.4.1 *** 王子駅~豊島循環を廃止
王40折返-7 R 5. 3.27 8.740km 池袋駅東口→江北4を設定

路線概要

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 池袋駅東口と西新井駅をむすぶ北営業所の基幹路線。池袋駅東口から北東へとほぼ一直線に走り、北区・足立区の沿線住民の池袋へのなくてはならない足となっているほか、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)への乗り換え客も多い。それ以外に枝線で王子駅~宮城地区を循環する[王40丙]が走っているほか、北車庫発着などの出入庫も運転されている。
都心側の起点である池袋駅東口の停留所には絶えずバスを待つ乗客が並んでいる。バスが到着すると乗客は一斉に吸い込まれていくが、立っての乗車を嫌ってか、次の便を待つ乗客の列もすぐに伸びていく。
池袋駅東口を出発したバスはすぐに交差点を左折して池袋駅東口10番乗り場。この停留所の向かい側には寿司屋があり、シブがき隊のあの曲が絶えずBGMとして流れていた。バス停で並んでいる客への刷り込みには絶大な効果があっただろう。明治通りへ右折して東へ、この区間は[王40]以外に[草63]や[草64]、[王55]と4系統が運行されており、西巣鴨までなら[草63]を利用するなど一種の遠近分離が自然発生的に行われている。
明治通りの区間は都市間高速バスも様々に走っており、さながらバス街道という趣である。
六ツ又交差点を抜け、かつては山手貨物線が踏切だった堀之内橋を渡る。西巣鴨は都営三田線との乗換停留所。西巣鴨停留所の先にある交差点を右折した先には都営バス滝野川自動車営業所があった。(営業所の章参照)

左方から首都高速中央環状線の高架橋が合流してくるが、飛鳥山公園をトンネルで抜けるために、次第に上下線の間に降りてきて、飛鳥山停留所付近では地下に潜ってしまう。このような構造もあって、首都高建設前の景色とは一変しており、かつての面影を探すのは難しい。
飛鳥山公園に突き当たると左折して都電荒川線も合流、音無橋を左手に見て坂を下っていく。ここは都内唯一となる路面電車との併用軌道区間で、また右折車線の都合で「軌道敷内通行可」の標識が設置されているため、自動車に囲まれるように走る都電の姿が見られる。この付近の自動車教習所では必ずといって良いほど実技教習で飛鳥山の坂道を習うという。
JR線のガードを抜けると、[王40]は行き先によって曲がる方向が異なる、西新井方面行は直進し明治通り上の停留所へ、出入庫系統は左折して王子駅バスターミナルへ向かう。
王子駅では駅から一番遠い場所に停留所が設置されている。豊島五丁目団地までの乗客を遠近分離するのだろう。ここも池袋駅と同じく、少し車間が開くと多くの乗客がバスを待っている。なお、豊島五丁目団地止まりは手前の[王57]の停留所に停まる。
溝田橋の交差点を直進し明治通りから都道補助88号線へ。豊島三丁目をすぎた辺りから降車客が増えはじめ、豊島六丁目までは片側一車線の狭い道路を走る
ため、流れが悪くなることがしばしばであったが、数年前より拡幅工事が行われており、整備の終わったところからバスベイも仮設され、以前よりも流れは良くなった。かつてはバス専用道として運用されていた区間でもある(コラム参照)。
前方に団地群が見えてくると豊島五丁目団地。西新井方面行は路上にある停留所で降車させるが、池袋駅東口発豊島五丁目団地までの便は構内の降車専用ポールで客扱いを行う。大規模団地なので乗客が入れ替わると思いきや、さほど入れ替わらずに、西新井方面へ向かう乗客が乗ってくる。
ここからは[王40]の出入庫となる豊島五丁目団地・宮城二丁目~西新井駅の便も合流して多少本数が増える。
隅田川を豊島橋で渡り隅田川・荒川に挟まれた宮城地区を抜け、江北橋で荒川を渡る。橋を渡りきると左折し、アプローチ路を下ると荒川土手(江北橋下)停留所。車内放送の広告で「むしゅうげんこうぎょうまえ」と、一度聞いたら忘れられないような会社名が流れる。この会社、漢字で書くと無臭元工業株式会社で会社のウエブサイトによれば「微生物を応用した脱臭剤にはじまり、排水処理薬剤の開発、特殊洗浄剤、尿石防止剤等のOEM、ODM商品の提供」という会社とのこと。
荒川土手停留所の先を右折すると細い片側1車線の都道307号線へと進む。程なく右手に見えてくるバスの待機場所が荒川土手操車所(折返所の章も参照)。[東43]の始発停留所でもある。この先は、道路の両脇に電信柱が立ち、大型車同士がすれ違うのもやっとの道
幅であり、ここを数分間隔でバスが行き交う姿は、昔の雰囲気を残し味わい深い。
日暮里舎人ライナーの高架が見えてくると江北四丁目。さらに都道を北上、池袋駅と王子駅から乗ってきた乗客が降車し、また西新井駅へ向かう乗客が入れ替わるように乗ってくる。途中の「阿弥陀橋(あみだばし)」停留所には川らしきものがさっぱり見えないが、昔この辺りを流れていた西新井堀という用水路に由来する。今は暗渠になったが、バス道路は阿弥陀橋停留所の先、あみだ橋交差点の手前の郵便局前の交差点に橋があった。
狭いバス道路ながら多い乗客を裏付けるように、王子方面の停留所は小さな十字路の角に道路から引っ込んでバス停が設けられ、屋根つきの待合スペースが設けられている。
環状七号線に合流して西新井大師前へ。正月ともなれば参拝客が多く利用するため、入庫回送を活用した臨時便や西新井駅~王子駅の区間増発便が設定される。環七の側道を進んで西新井陸橋停留所。東武線の線路の手前を右折すると終点の西新井駅はもうすぐである。なお、西新井駅発はターミナルを出ると整備された通りをアリオ側に進み、途中で右折して環七に合流する。このため、西新井警察署に停まらない代わりに西新井駅入口に停車する。
宮城循環についても記しておこう。王子駅は西新井駅行の乗り場後方にある停留所から出発する。本線の混雑を嫌って王子始発である宮城循環を待つ乗客の姿も見られる。
豊島橋を渡り、宮城交差点は路線の方角的には鋭角に右折するところを左折して本線と同じ停留所に停車、そこから江北橋へアプローチする道の側道を使って向きを変え、宮城地区へと進んでいく。大型車が右折するのは角度的に厳しいからであろうか。
向きを変えたバスは宮城交差点を左斜めに進み宮城地区へ。次の停留所はみやぎ水再生センター。
水再生センターとは下水処理場のことで、北区の大部分と板橋・豊島・足立区の一部から排出された汚水を処理し、隅田川へと放流している。以前は小台処理場と名乗っていたが、地域住民と協議し、処理施設が
足立区宮城にあることや、ひらがなにすることで親しみやすいイメージを持ってもらうことを意図して「みやぎ」となったそうだ。
そんな水再生センターを見ながらバスは進む。都営住宅が見えてくるとバスは左折して江南中学校前停留所。宮城都営住宅最寄りの停留所でもある。
ここからバス停に書かれる行き先が王子駅前となるが、逆にここまでの停留所に書かれている行先は、江南中学校であったり宮城都営住宅であったりと、バス停の行先部分を作った時期によってまちまち。ある意味都営バスらしいと言えばそれまでだが…。
江南中学校前を出発すると右側にバスの営業所が見えてくる。これは東京バスの足立営業所で、シャ乱Qのつんく氏が社歌を作ったことでも知られている。
突き当たりを左折して宮城都営住宅前、といっても都営住宅からはちょっと距離があるがあくまで同じ停留所に停車する[東43]からみた最寄り停留所ということなのだろう。
その先の交差点を左折し、再び宮城交差点で本線と合流し、王子駅へとバスは戻っていく。

歴史

 この幹線の成り立ちは、池袋~王子と王子~西新井でそれぞれ別の会社に由来する。前者は王子電気軌道によるもので、昭和5年2月に池袋駅~王子駅が開業した。電車線の通らない池袋への足として引かれたのだろう。後者は京北乗合自動車に由来する。昭和2年6月に西新井駅~西新井大師付近が開業し、昭和3年2月には荒川土手を経由して王子駅まで延伸された。東京圏のバスの中でもかなり早い開業であり、需要がそれだけ多かったのかもしれない。
 昭和7年3月には明治通りを南下して池袋駅~雑司ヶ谷(鬼子母神付近)まで延伸され、昭和10年9月に王子電軌が京北乗合を買収して一体的に運営されるようになった。昭和17年に東京市に事業が統合された後は、[32](池袋駅~荒川土手、縁日のみ西新井大師まで延長)、[36](王子駅~西新井駅)の2路線で運行されていた。
 戦中の路線網縮小に従い、昭和18年6月改正で両系統が統合され[18](池袋駅~西新井大師)となった。西新井駅が切り捨てられたのは大師前までの東武線があったためだろう。昭和19年5月改正では[15](池袋駅~王子駅)、[17](王子駅~西新井大師)に再び分割され、東京大空襲後の昭和20年4月からは王子駅~荒川土手だけで運転を継続していたが、6月改正で休止されてしまった。
 戦後の復旧は早く、さっそく昭和21年3月の改編では[9](池袋駅~王子駅)、[10](王子駅~荒川土手)が開通している。ただし、この時点での[10]は田端新町・小台橋経由であったことは注意が必要だ(→[東43]の項も参照)。
 8月には[23](荒川土手~西新井大師)が開通した。系統長は僅か2.0kmとぶつぎり状態だったのが不思議だが、事情があったのだろうか。なお、資料上は8月1日開通となっているが、この時期発行の「コンサイス・東京都区分地図帳」には記載がなく、実際の開通は後にずれ込んだ可能性もある。ただし、この状態も長くは続かず、昭和22年2月の再編で[10]王子駅~西新井大師となった。この時点で現在まで続く豊島橋経由になった可能性が高い。
 昭和23年11月には西新井駅まで、さらに昭和26年4月には千住八千代町まで延伸された。千住八千代町は現在の千住車庫付近の南側にある千住新橋の北詰付近で、西新井駅から現在の[王49](王子駅~千住車庫)と同じく梅島経由で伸ばされた。沿線はまだ他にバス路線がなく、王子へのアクセスを重視したのだろう。運輸省への免許申請資料によると、当初は単独で申請したが西新井駅より東側が東武バスのエリアに入るためかなわず、改めて東武バスの免許区間に片乗り入れする形で延伸している。
 昭和30年代前半には2つの大きな出来事があった。まず、昭和32年1月に池袋駅東口まで延伸された。明治通り沿いのトロリーバスの開業で並行する[9](池袋駅東口~浅草寿町)が廃止されるため、代わりに[10]が明治通り沿いに延伸されることになり、戦前の姿を取り戻した。また、昭和33年5月には[72](西新井駅~小石川橋)の開業で西新井以東はそちらに任せることになり、この前後で西新井駅発着に短縮された。
 これ以降、本線は今に至るまで基本的な姿は変わりがない。昭和40年前後に西新井大師~西新井駅が環七経由に変わったり、豊島橋・江北橋の架け替えで停車停留所に変化があったりしたものの(それぞれ後述)、細かい変化であろう。昭和47年には日産化学の工場跡地に豊島五丁目団地が完成し、団地の住民の足としても重要度はますます高まった。昭和47年9月には団地住民の利便性を図るべく、休日に限り池袋駅東口~豊島五丁目団地の折返が多く設定されたが、数年で僅かな本数になったようだ。
 昭和40年代以降は本線以外の枝系統が充実していった。昭和41年9月には隅田川・荒川に挟まれた宮城地区向けに[10折](王子駅~宮城町循環)が、昭和63年10月には豊島地区のバス通りや須賀貨物線跡の救済で[王40乙](王子駅~豊島循環)が開業した。それぞれの詳細については後の項を参照。
 平成12年には急行系統新設の一環で[急行03](池袋駅東口~豊島五丁目団地)が開業したものの、こちらは2年と少しで廃止されてしまった。豊島循環も[王55]に統合されて現在は運行されていない。
 この系統の特徴と言えば、何と言っても本数と乗客数の多さだろう。昭和35年の時点で既に24,000人/日と全系統でベスト3に入っていた。池袋駅~荒川土手は175往復程度、うち王子駅~豊島五丁目の間は225往復と特に多く運転されていた。その先も西新井大師まで140往復、西新井駅まで135往復程度と比較的多く運転されていた。
昭和50年度は26,742人/日だった乗客は昭和54年度に36,342人/日とピークを迎えた。その後は減少傾向ながら平成5年度で29,563人/日と堂々の多さで、[都02](大塚駅~錦糸町駅)とともに都営バスで一、二を争う乗客数の多い系統であった。
 現在も本数は多いものの、漸減気味である。豊島五丁目団地などの人口減や日暮里舎人ライナー開業の影響もあるのだろう。もっとも、5~6分間隔で走っていても池袋駅東口のバス待ち行列がすぐ伸びる様は他ではなかなか見られないレベルである。深夜バスがなかなか設定されないのが不思議なくらいだったが、平成18年4月から王子駅発深夜バスの一部を延伸する形で池袋駅東口→豊島五丁目団地が誕生した。といっても23時発の1本のみで、もう少し期待したいところ。
 [王40]に沿うように鉄道新線(池袋・竹ノ塚新線)が検討されたこともあったが、構想の域を出ず、実現するとしても遠い未来の話であろう。都営バス随一の幹線の地位は安泰といえそうだ。
 所管は戦後の一時期だけ大塚営業所だったものの、それ以外は一貫して滝野川→北営業所の所管となっている。出入庫はバリエーション豊かに設定されており、それぞれ後の項を参照のこと。

宮城循環の歴史

 隅田川と荒川に挟まれた足立区の宮城地区をぐるっと回る枝線が開通したのは昭和41年9月のことであった。宮城小学校・都営住宅には既に[17](→[東43])が走っており、新たに設けられた停留所は小台処理場(現・みやぎ水再生センター)・江南中学校の2つのみ。それも本線の宮城町(現・宮城二丁目)停留所からはさほど離れていないが、住民からの要請があったか、本線の混雑が酷く補完として設定したのだろうか。これの開業と入れ替わるように、[73](→[王45])は宮城土手上~小台町で宮城地区に寄っていたのをやめ、土手通りを走るようになった。詳しくは[王45]の項参照。
 昭和43年には池袋駅東口まで延伸されるが、昭和51年には王子駅発着に戻っており、それ以降は変化がない。ダイヤも長らく日中の運行がない朝夕ラッシュ偏重のダイヤだったが、平成18年4月改正から昼間も1時間に1本程度運転されるようになった。

 所管は面白いことに昭和60年頃から練馬となっていた。これは北の車両が不足したことに起因したもので、平成3年11月の営団南北線開通による他系統の減便で北に戻っている。もっとも、北と同じ日産ディーゼルの指定営業所だったため違和感はなかった。王子駅発の始発1便のみは北の担当で後述の豊島循環と組ダイヤになっていたが、車内路線図からは消されていた。
 この系統で特徴的なのは方向幕だろう。ラケット循環型の路線は他にもあるが、王子駅発車時は前面が「宮城循環」、側面の行き先は「江南中学校」で、その間を結ぶ線はまるで誤植で片方だけ抜けてしまったかのような配置になっている。

豊島循環の歴史

 かつて、北王子貨物駅から日産化学工業・東京セロファン・旭電化工業など沿線の工場を結ぶ貨物線として東西に走っていた須賀貨物線。公害が問題視されて相次いで工場が閉鎖され、昭和46年に廃止。跡地は道路となり、王子小学校付近から豊島五丁目団地まで比較的簡単にたどることができる。
この廃線跡の道路に北車庫移転後は豊島五丁目団地~北車庫の回送が多く走るようになったが、王子五丁目よりの一部を [王41][王45]が走るのみであったため、沿線住民から新たなバス路線の要望が起こった。地元区議・都議の活動もあって、昭和63年10月に開通したのが「豊島循環」である。ルートは王子駅から北本通り・須賀貨物線跡の道路を通って豊島五丁目団地に入らずに右折、そのまま本線に沿って王子駅に至る三角の線形で、系統番号は[王40乙]。従来乙を名乗っていた宮城循環がなぜか[王40丙]に枝番がスライドしたのが少し謎である。豊島七丁目南・トンボ鉛筆の停留所が新たに作られた。
 平日は朝夕、土曜は朝と昼~夕方の運行で、午前は北本通り先回り、午後は豊島六丁目先回りとなった。これは、[王40]本線や[王57]がラッシュ時に途中から乗れないくらいの混雑だったため、豊島六丁目以南から乗る利用者の救済措置も兼ねていた。また、成徳高校の通学用バスとしても設定されたため、土曜は朝・昼中心のダイヤとなった。
 方向幕は両方向とも「王子駅-豊島循環-王子駅」であった。もう少し工夫があっても良さそうだが、王子駅の乗り場が全く別で両回りが同時に走らないので、あまり問題もなかったのだろう。
 ダイヤは21世紀になってもほぼ変わらずにそのままだった。それが平成15年3月改正で利用実績をふまえたのか大幅に本数を削減。そして平成19年4月に[王55](王子駅~ハートアイランド東~新田一丁目)が新豊橋経由になることに伴い、既存の各停留所も[王55]が停まり大幅に利便性向上となるため廃止された。豊島五丁目団地からの混雑も一時期ほどではなく、発展的解消と言える。
 ちなみに、LEDの場合は経由地のところに「豊島循環」、行き先が「王子駅」となっていた。まだLED車が少数派だったこともあり、この表示は今考えるとレアだったと言える。
 今となっては[王55]の混雑で朝ラッシュ時はトンボ鉛筆や豊島七丁目南からは乗りきれないほどで、今度はこの停留所の救済のために豊島循環が走ってほしいほどになっているようだ。

急行03

 平成12年12月の大江戸線改編で各地に急行バスが誕生し、北管内にも[急行03](池袋駅東口~王子駅~豊島五丁目団地)が設定された。池袋駅を出ると西巣鴨・王子駅のみ停車で、道路が細くなる豊島三丁目以降は豊島五丁目団地まで各停留所に停車するというもの。平日朝夕のみ、通勤急行のような役割で他の急行バスよりは需要に合った設定だと思っていたが、残念ながら平成15年3月の改編で[王46](王子駅~加賀団地)に台数を捻出する目的もあるのか廃止されてしまった。[王40]はある程度の距離を乗る乗客も多いため、急行系統の需要はあると思うが、西新井駅から王子駅まで追い越せるような道路状況にないのが悩めるところだろう。

江北橋下経由

 昭和63年頃に中央環状線の都市計画に伴う江北橋の取り付け道路の作り直し工事に伴って江北橋~荒川土手側への取り付け道路が通れなくなり、逆側の取り付け道路を下ってすぐにUターンするように迂回することとなった。以前は土手に沿って細い道が走っていた一般道も、首都高の下に立派な道路が作られて
いった。その際に荒川土手停留所の移設が行われた。江北橋からは二股の片方のルートが消えたため、工事の間は渋滞だらけで[王40]も大きく影響を受けた。
 これが平成元年の工事終了後もサービスのためか途中に江北橋下停留所として宮城方面にのみ設けられ、朝の便のみ迂回するようになった。平日・土曜は荒川土手→江北橋下→王子駅の区間便がほとんどであったが、休日のみ西新井駅発の一部便が経由するかたちとなり、普段目にすることのない[王40]西新井駅→王子駅の表示を使いまわして走っていた。前面に「江北橋下経由」の札をさげて運転していたのも懐かしい。
 平成15年に[王46](王子駅~加賀団地)が開通し、朝のみ江北橋下経由の運転を開始すると[王40]の江北橋下経由は土曜・休日のみとなった。平成18年1月の[王46]経路変更によって江北橋から直進して尾久橋通りに抜ける新道上に江北橋下停留所が新設されると、従来の江北橋下経由は[東43]のみとなった。なお、この2つの江北橋下停留所は結構離れており、注意が必要だった。[東43]の江北橋下経由も平成22年4月に廃止され、[王46]も平成24年4月に統合・廃止されたため、現在は「江北橋下」には停まる系統はない。

系統番号

 都営バスの系統番号は「ターミナルの漢字+方面の2桁の数字」という法則になっている。40の足立方面はともかく、「王」はよく考えると不自然だ。池袋のほうが起終点だし、ターミナルの規模も各段に大きい。これが[池40]にならなかったのは、一つには渋谷・新宿・池袋の3大ターミナルは乗り入れる各社局で法則を決めたことがあるのだろう。
[池4x]は後に池袋から撤退した東武に割り当てられたため、都営の法則での名付けを優先して「王」を名乗ったように見える。その後、王子駅発着となった宮城循環・豊島循環は[王40]で違和感なく収まり、むしろ「王」で良かったのかもしれない。

出入庫あれこれ・溝田橋経由

 [王40]の出入庫は車庫と操車所の豊島五丁目団地の二か所の拠点があるため、様々なバリエーションが存在する。まずは池袋駅東口・西新井駅~王子駅~北車庫。全区間を営業運転するもので、池袋駅東口発着は比較的よく見られるが、西新井駅発着は始発・最終時間帯を中心に見られる。王子駅では池袋発が王子駅ターミナルから発車するのに対し、西新井発は明治通り側に停まりターミナルは素通りするのがポイント。
また、池袋駅行きのみ「溝田橋経由」という表示を出している。ところが、路線図のどこを探しても「溝田橋」という停留所は見付からない。存在しないからである。
「溝田橋」というのは、豊島二丁目付近、王40と草64が分岐する交差点の名称である。「溝田橋経由」のバスとは、北車庫からの出庫便で、王子駅まで北本通りを南下してきてしまうと明治通り上にある池袋駅東口行きのポールに停車できないため、王子三丁目から左に入って溝田橋交差点を右折するのである。王子三丁目は北本通りから分かれてすぐの専用ポールに停車、王子二丁目は停まらない……というよりも停まれない。ちなみに溝田橋は石神井川に架かる橋の名だが、実際に溝田橋を渡っていないのはご愛嬌。「環七」などではなく、交差点の名前が前面経由地に入るのは都営では珍しい。
 さて、これは出入庫全体の1/3程度で、多くを占めるのが西新井駅~北車庫を環七で走る回送便。平成28年現在の平日でも35往復程度が運行されている。実は北車庫が開設されたときの方向幕には「西新井駅-(環七経由)-北車庫」という内容があった。[王40]の出入庫用として考えられたものだが、会社の営業エリアの関係のためか、運行されないままボツ路線となってしまい、幕からも削除されてしまった。
 設定当初は環七の回送が多く走っていたが、当時は
今よりも環七渋滞が酷く、[王49](駒込駅~環七~千住車庫:当時)などが時間通りになかなか来ないのに対し回送がいっぱい走るため意見が寄せられたようで、昭和57年以降の主力となった出入庫は豊島五丁目団地~西新井駅である。豊島五丁目団地で休憩する便のほか、豊島五丁目団地からトンボ鉛筆経由で北車庫を回送する運用も存在する。西新井駅発着は特に多くの本数が走っていたが、乗客も少ないためか近年のダイヤ改正では削減気味である。
出庫は豊島五丁目団地発と宮城二丁目発の2種類があるが、前者は車庫から回送の、後者は構内で休憩した便が出庫する用となっている。豊島五丁目団地の構内から路上の本線に直接つけられないためだが、面白い違いだ。これ以外にも、始発時間帯を中心に王子駅・荒川土手操車所・池袋駅東口への回送も存在するほか、平成20年3月までは始発1本のみ回送出庫での西新井大師発も存在したが、こちらは西新井駅発に改められている。

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