都営バス資料館

秋26・×東26

[秋26][東26]←[26]

担当営業所

臨海支所

運行区間

系統 区間 距離 備考
葛西駅~江戸川車庫~境川~清澄白河駅(←小伝馬町、馬喰町→)神田駅~秋葉原駅 平土
葛西駅~江戸川車庫~境川~清澄白河駅(←小伝馬町、馬喰町→)秋葉原駅
出入 葛西駅~臨海車庫

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
26 S22.8.5 洲崎 *** 境川~村松町(現東日本橋駅)~浅草橋~浅草寿町が開通
26 S22.9.20 洲崎 *** 浅草雷門経由に変更
26 S22.12.1 洲崎 *** 洲崎(現東陽操車所~村松町(現東日本橋)~浅草橋~浅草寿町に変更
26 S23.8.20 洲崎 7.877km 洲崎~(三ツ目通り)~深川三ツ目(現白河)~馬喰町~鳥越~竹町(現元浅草1)~上野広小路に変更延長
26 S24.6.1 洲崎 9.093km 上野広小路~浅草寿町を延長
26 S24.11.1 洲崎 9.986km 葛西橋(現・旧葛西橋)~学校通り~洲崎車庫を延長
26 S25春 洲崎 10.186km 葛西橋~(清洲橋通り)~上野広小路~浅草寿町に変更
26 S27.7.13 洲崎 8.307km 葛西橋~(清洲橋通り)~神田駅~秋葉原駅に変更短縮
26 S29.7.10 洲崎 8.402/8.212km 折返し経路を変更
26 S32年度 江東 8.402/8.212km 江東営業所に移管
26 S35.12.1 江東 11.395/12.145km 秋葉原駅~上野広小路~上野駅~国立博物館~寛永寺を物日のみ延長
26折 S35.12.1 江東 8.402/8.212km 葛西橋~秋葉原駅を折返し系統とする
26 S36.5.1 江東 12.495/13.245km 北砂10(現・東砂2)~葛西橋(現・旧葛西橋)を延長
26折 S36.5.1 江東 9.502/9.312km 同上
26折 S38.11.1 江東 6.952/7.202km 境川~秋葉原駅を開設
26 S42.2.1 江東 11.645/12.345km 28系統(現亀24)が葛西橋まで延長されることに伴い新葛西橋~上野公園に変更短縮
26折 S42.2.1 江東 8.652/8.462km 同上
26乙 S45.4.1 江東 (8.232km) 新葛西橋~箱崎町~東京駅八重洲口が開通、26乙とする。朝夕のみの運転。
26 S46.3.18 江東 11.744/12.395km 水天宮・馬喰町付近の一方通行規制により一部経路変更
26折 S46.3.18 江東 8.751/8.642km 同上
26乙 S46.8.15 江東 (8.472km) 東40の都庁前~東京駅北口短縮により新葛西橋~都庁前に変更延長?
26乙 S47? 江東 (8.670km) 新葛西橋~東京駅八重洲口に変更?
26 S47.10.15 葛西 14.061/14.661km 葛西営業所に移管、葛西車庫~上野公園に変更延長
26折 S47.10.15 葛西 11.070/10.940km 同上
26乙 S47.10.15 葛西 10.890km 同上、葛西車庫~東京駅八重洲口に変更延長
秋26・東26 S47.11.12 葛西 *** 新系統番号化、[26]→[秋26]、[26乙]→[東26]とする
秋26 S54.10.1 葛西 11.950/11.820km 葛西車庫~上野公園を廃止、折返しを本系統として葛西駅~葛西車庫を延長
東26 S57.12.26 *** 葛西車庫~東京駅八重洲口を廃止
秋26 S59.11.13 葛西 11.950/11.900km 葛西駅ターミナルの変更による一部経路変更
秋26 S62.4.1 葛西 11.950/12.000km 神田駅→東神田を神田平成通り直進から岩本町3交差点左折→岩本町右折経由に変更
秋26 H16.4.1 臨海 11.950/12.000km 臨海に移管、はとバスに運行を委託
秋26 H17.8.24 臨海 秋葉原駅ターミナル完成により、秋葉原駅付近で一部経路変更。休日の歩行者天国の秋葉原駅~岩本町の経路を変更

路線概要

 秋葉原駅から千代田区・中央区・江東区・江戸川区と郊外までを東西に結ぶ貴重な系統。途中折返しはなく、ほぼ全便が通し運転となっている。歴史上さまざまに路線の形が変わったため、上の概要図が点線だらけになっているが詳しくは歴史の項を参照。
葛西駅から秋葉原駅まで東西を横断する。全線所要は1時間近くかかるが、長距離を乗り通す客も目立つ臨海の幹線系統である。
葛西駅の乗り場を出て、環七を走ると長島町交差点を左折して葛西橋通りへと進む。長島町交差点は[秋26]だけ離れた葛西橋通り上にあるが、これも歴史的経緯によるもの。しばらくして進行方向左手に見えてくるバスの車庫が江戸川営業所である。平成16年3月までここが葛西営業所だったときは[秋26]も所管していた。
「豊かな暮らしのお手伝い、ジャスコ葛西店前でございます」という広告フレーズが懐かしい宇喜田停留所。今はイオン葛西店に名が変わり広告放送もなくなったが、買い物客に利用されているのは変わらない。
葛西橋東詰停留所を出発すると、中川と荒川を葛西橋で一気に渡る。橋は片側1車線強の幅しかなく、以前は大渋滞が発生していたが、一般道の荒川湾岸橋の開通でそれも昔話となった。葛西橋西詰の交差点をバスは右折するが、一般車は右折禁止となっている。しかし時には都営バスの後ろに付いて右折する乗用車の姿も……。
細い道を抜け左折すると旧葛西橋停留所。亀戸へ向かう[両28][亀29]とは別の[秋26]単独の乗り場が設けられている。葛西橋が始発だった時代の名残だろうか。
ここからは清洲橋通りを直進していく。丸八通りとの交差点の手前が亀高橋停留所だが、「亀高橋」という橋は現存しない。江戸時代の新田開拓で引かれた境川を跨いでいた橋の名が残ったもので、昭和初期に埋め立てられて清洲橋通りとなった。
亀高橋を過ぎてほどなく境川に到着。境川の名も停留所名として残っている。平成15年までは都営バスの操車所もあり(江戸川の巻参照)、跡地には定期借地権を活用して人気の回転寿司屋が建っている。
ここからは[秋26]の単独区間となる。小名木川貨物線のアンダーパスを抜け、横十間川親水公園にかかる岩井橋を渡ると扇橋地区。古くからの町並みが残るが、ここ十数年でマンションも建ち並ぶようになり、[秋26]の利用者数にも僅かながらよい影響を与えているようだ。大横川にかかる扇橋を渡ると清澄・白河地区。
清澄白河駅の手前で見えてくるレトロ感漂う茶色の4階建ての建物は清澄寮という集合住宅で、昭和8年の建築。近年では建物内の部屋をリノベーションした事で、若者が多く住むようになったという。
近くには近年の「サードウェーブ」コーヒーブームの立役者となったブルーボトルコーヒーの1号店が建つ。地下鉄の開通で、住宅と工場が混在した街も新しい風が入っているのだろう。
隅田川にかかる清洲橋を渡る。清洲橋は昭和3年にドイツのケルン市にあった大吊橋をモデルに、当時の最先端技術を駆使して造られた。
浜町中の橋交差点を左折して新大橋通りへと向かうが、ここからは大規模な一方通行規制により往路と復路で経路が異なっている。詳しくは次ページの図と歴史の項を参照。安産祈願で有名な水天宮の角を右折し、人形町大通り・水天宮通りへと進んでいく。

小伝馬町停留所を過ぎ、岩本町一丁目停留所から先は平日・土曜日と休日ダイヤで経路が異なる区間となる。平日・土曜ダイヤでは停留所の先の岩本町一丁目交差点を神田金物通りへと左折。今川橋交差点を右折して神田駅前に立ち寄り、中央通りを北上する。須田町を過ぎて万世橋交差点を右折してJR東北本線のガードを抜け、ワシントンホテルの前にある交差点を左折して秋葉原駅へ到着する。
 
休日ダイヤでは岩本町一丁目交差点をそのまま直進し、和泉橋を渡り書泉ブックタワーの角を左折して、ワシントンホテルの前にある交差点を右折し、平日経路と合流する。休日のショートカットの効果は大きく、例えば秋葉原駅→岩本町駅は平日の所要9~10分に対して休日は僅か2~3分となっている。
秋葉原駅発の平日・土曜はロータリー発車後、ヨドバシカメラの回りを一周して秋葉原駅行きの経路と合流するが、神田駅前に停車後、駅手前で左折して経路が分かれる。ガードをくぐった後、すぐに神田富山町にも停車するが、こちらは[草28](→[両28])の神田駅前のバス停を引き継いだもの。 
そのまま直進すれば大和橋で靖国通りに合流するところだが、手前の岩本町三丁目で左折し、岩本町交差点で鋭角に右折して合流する。以前は直進していたが、何らかの事情で変えたようだ。
靖国通りを走る区間は僅かで、すぐに東神田を右折して清洲橋通りに入る。[東42甲]の折返(東神田~南千住車庫・駅西口)と並走し、東日本橋駅で浅草橋からの道路と合流。ちなみに東日本橋駅より新宿線の馬喰横山駅の出入口のほうが近い。さらに清洲橋通りを南下し、久松町を過ぎると左手に明治座の建物が見えてくる。奥には中央区最大面積を誇る浜町公園があり、付近の憩いの場となっている。前方に再開発で誕生したトルナーレ日本橋浜町の高層マンションが見えてくると浜町中ノ橋の停留所で、秋葉原方面の経路と合流する。

歴史

 清洲橋通りを通るバスの歴史は古く、昭和5年後半に[17]南千住~田原町~浅草橋~浜町中ノ橋~扇橋~砂町が開通したことに始まる。当時の終点は小名木川橋を渡った先の北砂一丁目付近にあったようだ。昭和8年11月には終点の名は砂町のまま、清洲橋通りを境川手前まで延伸した。当時の城東電車にも砂町銀座入口付近に「砂町」停留所があったがそれとは別で、貨物線手前の南砂五差路交差点付近が終点だったようだ。
 昭和14年には系統番号を[25]に変え、昭和15年には砂町から南下して葛西橋通りに出て、明治通り上の南砂町(二丁目)まで延伸した。そのまま直進して境川に行かなかったのが不思議である。
 昭和17年2月の市内交通一元化の改編ではそのままの区間で残ったが、昭和18年6月の再編で浅草にて分割され、清洲橋通りを直進する[25](浅草~浜町中ノ橋~境川~葛西橋)となった。都電に先行して都心直通の路線を作ったのだろう。昭和19年5月に都電が葛西橋まで開通したことでバスは浅草~境川に短縮され、昭和20年3月の東京大空襲で運行休止となった。
 戦後の復旧は早く、昭和22年8月には戦前とほぼ同じ浅草寿町~浅草橋~浜町中ノ橋~境川が開通した。系統番号はこの時から[26]を名乗っている。境川は適当な空き地で折り返していたのだろうか。
 この後は比較的短期で経路が変わる。開通直後の12月には境川を一旦捨てて浅草寿町~洲崎(現・東陽操車所)に代わり、深川三ツ目(現・白河)~境川は一旦運休となった。動かせる車も多くない中、より需要の高いところに回したのか、それとも所管の洲崎営業所を終点にしただけなのだろうか。三ツ目通りでは戦後初のバス復旧であり、[業10]の祖先である[33]の開通(昭和26年)よりも早かった。

 また、昭和23年8月には浅草側の経路を変え、上野広小路を起点に春日通り経由で竹町(現・新御徒町駅)、そこから清洲橋通りを南下して豊島町(現・東神田)・浜町中ノ橋に至る経路になった。戦前はバス通りだった竹町~豊島町を救済しようとしたのだろうか。昭和24年6月には浅草寿町発着に戻り、上野駅・昭和通り・春日通り経由とかなり大回りしていた。(S25.3図)
 昭和24年11月には洲崎から袖ヶ浦経由で葛西橋(現・旧葛西橋)まで延伸したと当時の書類にはあるが、既にこの経路には[27](東京駅乗車口~葛西橋:当時、深川の[東21]参照)が走っており、どのような効果を狙ったのかはよく分からない。ただしこのように走った
期間は短く、昭和25年6月には清洲橋通りを直進して浅草寿町~境川~葛西橋になっていた。さらに昭和27年7月には[39](吾嬬西九丁目~東京駅八重洲口、南千住の巻参照)が竹町~豊島町を通るようになったため、浅草発着をやめ[26]は秋葉原駅発着に変更した。豊島町から靖国通りを進まず、一旦神田駅に寄ってから須田町を経由するようになったのが今考えると興味深い。ビジネス街を経由しようとしたのだろうか。
 これで秋葉原駅から清洲橋通り経由で葛西橋方面という現在に至る路線の形が完成する。昭和32年には江東へと移管された。
 昭和35年12月には秋葉原駅から先、休日のみ上野公園(寛永寺)まで延伸した。書類上は昭和54年まで存在したことになっているが、どの程度運転されていたかは定かでない。詳しくは後述。
 昭和36年5月には葛西橋から番所橋通りに入って北上し、番所橋南側の北砂十丁目(現・東砂二丁目)まで延伸した。当時の[28](→[亀24]、江戸川の巻参照)は番所橋北側の(旧)船堀橋が終点となっており、 [28]を延伸しなかったのは興味深い。昭和40年の乗降調査では110往復、14,500人/日と多くの乗客を運んでいた。白河~馬喰町では終日平均で定員の70%程度の混雑(平均して乗客1輛50名弱)が続く区間になっており、ラッシュ時は超満員だったと想像できる。
 これが7年間続き、昭和42年2月に[28]の新葛西橋(現・葛西橋)延伸にあわせ、[26]も秋葉原駅~新葛西橋に変更され、ともに葛西橋下の操車所で折り返すようになった。
 昭和46年3月には神田・日本橋地区の大規模な一方通行指定実施により、清洲橋通りが清洲橋方向への一方通行となったため、秋葉原駅方面は水天宮・小伝馬町を経由するようになり、神田駅~浜町中ノ橋の間は往復の経路が大きく異なるようになった。警視庁の渋滞対策の一環で始めたもので、将来的には他の地区にも拡げる予定だったようだが、東京ではあまり広まらなかった。
 昭和47年10月には葛西営業所の開設により葛西に移管となり、秋葉原駅~葛西車庫に延長。さらに昭和54年10月の西葛西駅開業に伴う改編で[新小21](新小岩駅~宇喜田~葛西駅:当時)が西葛西駅発着に短縮される代わりに[秋26]は葛西駅に延伸、今の路線の形が完成した。
 これ以降は秋葉原駅のターミナル変更程度で、小幅な変化に留まっている。乗客と本数は微妙に減少傾向で、昭和60年代は7,000人/日あった乗客は平成10年度に6,250人/日に、平成13年度は前年の大江戸線清澄白河駅開業の影響もあり5,100人/日となった。本数も元から多いほうではなく、90年代の70往復程度から、平成11年1月、12年12月、平成15年11月に少しずつ削られ51往復へと減らされた。平成16年度からはとバス委託(臨海移管)となった。長距離を乗り通す乗客が多く、
混雑ほどには儲からない路線ということなのだろう。
 だが、近年は朝ラッシュ時を中心に少しずつ本数が盛り返している。沿線のマンション増加や、渋滞緩和(後述)により所要時間が短縮し効率が改善したこともあるのだろう。朝ラッシュ時は江東区内で集客して、清澄白河駅で地下鉄に乗り換えるという乗客も多い。今の臨海支所の中では代表格の系統でもあり、今後も少しずつ盛り返していくのか注目したい。願わくば、葛西駅発20:45の終車がもう少し繰り下がるとありがたいのだが。

東26

 [秋26]の兄弟路線として、昭和45年に[26乙]として開設された。葛西から水天宮までは[秋26]と同じように進んだ後、いったん隅田川側に戻り、箱崎町を通り
霊岸島・亀島橋から八重洲通りに出て東京駅八重洲口に向かっていた。水天宮からそのまま新大橋通りを進んで八丁堀まで出れば良いと思えるが、八重洲口から水天宮までの区間は同日に廃止された[37](東京駅八重洲口~両国駅、江東の巻参照)の廃止代替も兼ねていたためだろう。
 開通当初から朝夕のみの運転で、通勤利用を主眼としていたようである。また、朝を中心に東京駅八重洲口~旧葛西橋の設定もあった。昭和46年8月の事業概要では都庁前まで延伸されたような記述があるが、11月の路線図では今まで通り八重洲口発着となっており、実態はよく分からない。
 残念ながら利用は伸びなかったようで、昭和54年に[秋26]が葛西車庫から葛西駅まで延伸されたときも、この系統は葛西車庫止まりであった。結局その3年後に廃止されてしまった。
 この系統の廃止で箱崎町~亀島橋はバス路線が消滅したが、平成元年に[東22乙](東京駅北口~IBM箱崎ビル)が開通したことで、新川1~箱崎町の区間が復活し、同時に湊橋のバス停も復活した。その後経路変更により湊橋バス停は使用されていない。詳しくは[東20乙]の項を参照。

秋葉原駅の思い出 

平成17年まで、[秋26]の秋葉原駅の乗り場は電気街口、ラジオ会館とサトームセン(当時)の目の前にあった。土曜日の午後など賑わう時間帯は、人をかき分けるようにして停留所につけていた。発車後はトランジットモールのように人波の中をゆっくりと進み中央通りへと戻っていく姿は都バスらしい風景の一つだった。発車待ちの間にサトームセンのテーマソングをエンドレスに聴かされたのも今となっては懐かしい。
 秋葉原駅周辺の再開発で中央口に駅前広場ができ、[秋26]の乗り場もターミナル内に移転したが、広場から南側へ直接右折できない構造のため、秋葉原駅発は昭和通りを大回りすることを余儀なくされており、結構なタイムロスとなっている。書泉ブックタワー前には千代田区風ぐるまの和泉橋出張所停留所があり、せめてここに停まってほしい、と乗るたびに思う。
 しばらくは移転の告知を出して残っていたバス停もいつしか撤去され、サトームセンもヤマダ電機に統合されてLABI秋葉原パソコン館となっている。店の前に残る斜めにカットされた歩道と、バスベイのように石畳の色が変わっているのがわずかな名残である。

上野の山も周遊してました

 昭和35年12月から、物日に限り秋葉原駅から上野公園まで延長運転された。秋葉原駅の構内には入らず中央通りを北上し、秋葉原駅から上野広小路まで途中は通過。上野公園山下・上野駅と停車し、国道4号から上野駅をまたぐ両大師橋を渡って上野公園に入り、都道を直進して科学博物館・国立博物館・東京都美術館と停車する。黒田記念館の角を右折し、国会図書館分館(現在の国際こども図書館)を脇に見ながら寛永寺に停車、そして芸大音楽学部のブロックを回る途中に「東京芸大」停留所があった。一周すると東京都美術館に再び停車し、ここから先は来た道を戻っていたようだ。
 こんなところに都営バスが走っていたのかと思うが、昭和40年の乗降調査では31往復が運転されていたと記録されている。ただし乗車効率は1%程度、平均1人しか客がいなかったようだ。
 昭和44年の「バス路線表(友交社)」には新葛西橋発8:00~18:00の物日のみ運行、と明記されている。このときは外神田三丁目・五丁目にも停車していたと記されている。しかし、案内で確認できるのはこれが最後で、昭和44年6月から配布された都営バス路線案内図各号には[26]の上野公園乗り入れは描かれておらず、昭和46年の車内路線図でも上野公園発着の案内は一切ない。書類上では昭和54年10月の改編まで設定があったことになっているが、本当はいつまで運転されていたのだろうか。

葛西橋渋滞対策

 図は、平成5年・12年・25年改正の平日上りの時間帯別の全線所要時分の時間帯別グラフである。濃線の平成5年改正では、ピーク時は葛西駅→秋葉原駅が80分以上、特に葛西車庫(現・江戸川車庫)→旧葛西橋は36分もかかっていた。当時は荒川放水路を渡る最下流の一般道が葛西橋だったため交通の集中が激しく、最も混む月曜日は葛西橋の区間を歩いて渡ったほうが速いという有様。
 この渋滞を避けるため、東砂六丁目始発が平日土曜の朝ラッシュ時に数本設定されていた。葛西車庫・葛西駅始発のいずれかと交互に発車するようになっていたが、時刻がアテにならないため、東砂六丁目には始発便の時刻が抜き書きして書かれていた。
 なお、夕方以降にも秋葉原駅~旧葛西橋が数本設定されていたが、主に境川操車所の入庫用だったのだろう。葛西橋下の操車所で折り返していたと思われる。
 平成8年7月に国道357号の荒川河口橋が完成したことで渋滞は劇的に改善された。平成11年では既に朝の旧葛西橋始発は1本残るのみで、葛西車庫→旧葛西橋も13分と今までのダイヤがウソのように短縮された。午後に2往復残っていた秋葉原駅~旧葛西橋も平成12年12月改正で全て廃止された。所要時間の短縮で朝の葛西駅始発も増え、利便性も運用効率はかなり良くなったと思われる。
 平成28年4月改正でなぜか16時台に旧葛西橋→秋葉原駅の始発が誕生している。[亀26]の早番ダイヤと組むのが基本で、臨海車庫から旧葛西橋まで回送して、秋葉→葛西→秋葉→葛西と2往復する。普通に葛西駅から営業しても良さそうだが、何の都合だろうか。

秋葉原プロムナードと万世橋

休日の中央通りは歩行者天国となるため、秋葉原駅の乗り場はかつての[秋76]の秋葉原駅東口停留所、書泉ブックタワー前から発車していた。
葛西駅行きは万世橋を直進して中央通りから一本西の昌平橋を渡り、靖国通りに入った後は神田駅を回らず、東神田まで靖国通りを直進してショートカットしていた。神田駅を回ることもできたが、休日は需要がないと見られたのだろうか。秋葉原駅行きは人形町通りを岩本町一丁目から直進し、岩本町の交差点を直進して秋葉原駅までショートカットする経路となっていた。
 昭和57年の案内では、秋葉原駅を出ると須田町・東神田のみ停まる案内となっていたが、後に万世橋・岩本町駅にも停まるようになっていた。
 平成17年8月の秋葉原駅ターミナル乗り入れにより歩行者天国時の経路も大きく変わり、葛西駅方面は秋葉原駅からそのまま昭
和通り・靖国通り経由で岩本町駅までショートカットし、万世橋・須田町は通らなくなってしまった。
 これで細々と歩行者天国専用で残っていた万世橋停留所は一旦廃止されたが、1年半後の平成19年3月に[茶51](巣鴨の巻参照)が秋葉原駅まで延長され、万世橋停留所が復活している。

和風停留所

 平成初期の頃に、街づくりの一環でロイヤルパークホテル~小伝馬町までの各停留所が和風デザインのポールに交換された。
後にロイヤルパークホテルの停留所は廃止されてしまったが、平成28年現在も無地になったポールだけが謎のオブジェとして残っている。また、水天宮はポールが通常のものになっているが、上屋が和風タイプになっている。

ヨドバシカメラとCNG

 平成17年に秋葉原の新しく完成したターミナル前にマルチメディアAkibaが開店し、その宣伝も兼ねて臨海の車にヨドバシカメララッピングが登場した。三菱のK・L代三菱製のCNGノンステップバスに対象車が集中した結果、[秋26]はこれらの車が運用され続け、除籍まで半ば専属のように働いた。
 ラッピングの意匠は家電を各面にあしらい、タイヤを一眼レフのレンズに見立てたもので、近年の新デザインでもこの部分は引き継いでいる。
 平成27年に入るとこれらCNGの除籍が進み、ヨドバシラッピングは新車のZ・A代に移植されている。これらの車が新たな[秋26]の主になるのだろう。

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