都営バス資料館

上46

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担当営業所

南千住営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
南千住駅東口~南千住駅入口~吉原大門~浅草寿町~上野松坂屋 8.103km
南千住車庫~吉原大門~浅草寿町~上野松坂屋 5.113km
出入 南千住駅東口~南千住駅入口→南千住車庫
出入 南千住駅入口→吉原大門→浅草寿町→上野松坂屋

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
16 S23.12.15 新谷町 4.584km 浅草寿町~汐入が開通
16 S26.12.15 新谷町 6.803km 新汐入(南千住10)~上野広小路(現上野松坂屋)に延長
16折 S28. 4. 1 新谷町 2.979km 浅草六区~上野広小路を開設
16 S38.12. 5 新谷町 7.253km 汐入終点~汐入を延長
上46 S47.11.12 新谷町 *** 新系統番号化、上46とする
上46  S50.12.21 南千住 7.253km 新谷町営業所の南千住への移転改称により南千住へ移管
上46  S57. 4. 1 南千住 7.253km 終点を上野広小路から上野松坂屋に改称
上46  H 3. 4. 1 南千住 7.023km 汐入終点~汐入都営住宅を短縮
上46  H 5.12.10 南千住 *** 消防署~汐入都営住宅を(旧)都立航空高専経由から一本西側の道路に変更
上46  H 7. 7. 1 南千住 6.693km (新)上野松坂屋~南千住汐入に短縮
上46 H 9. 9.28 南千住 *** 南千住8~南千住汐入間の経路を水神大橋の通りの経由に変更
上46 H11 .9.17 南千住 *** 汐入操車所を(現)南千住汐入の位置に移転(回送経路のみ変更)
上46 H12. 7.26 南千住 *** 南千住汐入を操車所脇に移転、南千住8~南千住汐入の経路変更
上46 H13. 4. 9 南千住 *** 南千住8~南千住汐入をはなみずき通り経由の経路に戻すよう経路変更
上46 H14. 4. 1 南千住 8.103km 南千住駅東口~南千住汐入を延長

路線概要

atozk_216  上野松坂屋から浅草寿町を経由し、千束通りの商店街、吉原大門、山谷と台東区北部をジグザグに進む。南千住駅入口(隅田川)からは汐入地区をぐるっと回って南千住駅東口が終点となる。これ以外に、昼間を中心に上野松坂屋~南千住車庫の折り返しと、出入庫として南千住駅東口~南千住車庫(駅方面は南千住駅入口始発)が運転される。
路線
 上野松坂屋を出発したバスは、上野の山を左に見て上野公園山下、そして上野駅前と停車する。この3停留所からの利用客で車内は混雑する。上野駅前からは浅草通りを東へ進む。この区間は[上23]や[S-1]とも並行する。
 さらに浅草通りを進み、銀座線の田原町駅が最寄りとなる浅草寿町停留所。他の浅草寿町始発のある系統と異なり、[上46]は浅草郵便局前の浅草通り上に停留所がある。
 交差点を左折し、バスは国際通りへ。国際通りは現在の浅草ビューホテルの場所に松竹が「浅草国際劇場」を建設し運営しておりその前に面している道路と言うことで国際通りという名前が付けられた。国際通りと言えば沖縄のそれが有名なために、浅草国際通りと呼ばれることもある。
 次の浅草公園六区はその浅草国際劇場をはじめとする浅草地区の歓楽街の入口にある停留所で、かつては映画館やレビュー劇場などが立ち並び東京を代表する歓楽街として有名であった。また浅草国際劇場はSKD(松竹歌劇団)の本拠地でもあった地で、「西の宝塚、東の松竹」としても名が知られていた。
 西浅草三丁目交差点を右折して国際通りから言問通りへと入ると奥浅草。近年まで浅草三丁目という停留所だったが、地元観光協会の思惑もあったのかこの名に変わった。ここを発車するとすぐに左折して千束通りへ進む。この千束通りは吉原方面に約1.2kmの商店街で、大正時代初期にこの辺り一帯にあった千束田んぼを埋め立てられ、浅草ひさご通りに通じる道幅三間の道路が建設された。戦前も遊郭・吉原への通い道として非常に賑わっていたという。
 千束通りを抜けると土手通りへと左折し吉原大門停留所。左手には吉原の風俗街が広がり、江戸時代から通じるかつての区割りも現在に残っている。バスはすぐに右折して清川方面へとバスは進み、東浅草二丁目交差点で吉野通りへと左折して[東42甲]と合流して南千住方面へ向かう。
 明治通りを越えて、車庫手前の交差点でバスは右折して「南千住駅入口」に停まる。初見ではどこに南千住駅があるのか全く分からないだろう。左手にはJR貨物の隅田川駅の広大な敷地が広がり、むしろ「隅田川駅前」に改称してもいいのではと思うくらいだ。ちなみに、並行する「汐入さくら」の停留所名は隅田川駅となっている。
 南千住清掃車庫前を過ぎ、貨物駅が車窓から途切れた辺りから車窓の景色は一変し真新しいマンション
群と道路の中を走って行く。最初に姿を見せるのはリバーハープコート南千住。 UR都市機構が開発したマンションで、土地の形状が楽器のハープに似ていることから名付けられたのだろう。
 そして都立産業技術高専荒川キャンパス前停留所。以前は都立航空高専という停留所であったが、現在は都バス一長い停留所を品川キャンパス停留所と分け合っている。汐入地区唯一の商業施設であるリバーパーク汐入が見えてくると右折し、程なく左折して汐入の再開発地帯を丹念に回っていく再び先ほどのリバーパーク汐入の裏手を通過すると、南千住・汐入停留所。以前はここが終点であった。
 昭和62年から南千住汐入地区は再開発事業が行われ、大規模な区画整理が行われ、[上46]の経路や終点の場所は年々変わっていた。その辺については別の項でで述べるとしよう。
 東京メトロ日比谷線の車庫が見えてくると左折し、南千住四丁目交差を右折して再び隅田川貨物駅の敷地に沿うように走る。南千住エリア再開発に伴い完成したLaLaテラスが見えてくると、程なく終点の南千住駅東口である。真新しいロータリーも完成から10年以上が過ぎ、住民で賑わうようになってきた。

歴史

 汐入は、南千住駅の東側、隅田川が東向きから南向きへと大きく流れを変えるところに突き出し、川に囲まれた地域である。16世紀に川中島の合戦で落人となった上杉謙信の家臣らがこの地を開墾し定住して農民となったという伝承があり、関東大震災にも戦災の被害にもほぼ遭わず、平成初期まで古い建物や路地が入り組んだ集落の名残が残っていた。だが、90年代後半以降の再開発で一変、中~高層マンション群が整然と立ち並ぶエリアへと変貌している。[上46]は、昭和23年以降、汐入の激変を見つめながら走り続ける大切な公共交通機関である。
atozk_224 ▲東京市及附近番地入地圖(大正5)「塩入」の文字が見える
atozk_225 ▲大東京全圖改正新町名入(昭和7)東京市編入による改正
明治~戦前の汐入の歴史をひもとくと、明治29年に南千住駅と隅田川貨物駅が開業し、石炭・木材・砂利などが隅田川を介して船運が用いられることになり、汐入には貨物駅に向けて多くの船着場が作られた。明治39年には東京毛織(後の鐘紡)の、明治42年には東京紡績(後の大日本紡績→ユニチカ)の工場が作られ、大正12年には一時的に隅田川の河川敷に魚河岸(千住鮮魚販売所)が作られ、多いに賑わったという。関東大震災後は宅地化が進み、人口も大幅に増加した。昭和7年には第五瑞光小学校(→汐入小)が汐入の地域内に、昭和13年には東京府立航空工業学校(→航空高専)が隅田川の東岸に開校した。
 しかし、戦前はバスが通らなかった。バスが通れる程度の道路整備は昭和初期にはなされていたが、住民は南千住駅か市電の南千住、もしくは明治通り上のバス停まで歩いて出ていたと思われる。汐入町会のサイトによると、昭和15年に東武鉄道が南千住~汐入にバスを開設したとあるが、それ以外の資料がなく詳細は不明である。少なくとも終戦時には存在していないので、あったとしてもごく短期間だったのだろう。これ以外では、隅田川に汐入の渡しが運行され、対岸の千住曙町までを結んでいた。対岸には鐘紡の工場があり、女工の通勤用としても使われたという。
 南千住から南側の路線については、昭和5年7月に南千住~千束町一丁目に新たに路線が引かれ、南千住~田原町~砂町という系統が開設されたのが最初である。南千住からは現在の[上46]と同じく清川、吉原大門、浅草四丁目の商店街を通って国際通りに出るルートで、このように通りをジグザグに結ぼうとしたのは面白い。雷門側には市電が通っており、バスが通っていない地域をそれぞれ結んで独自性を出した結果かもしれない。田原町から先も蔵前・浅草橋まで南下し、清洲橋通りを砂町(現扇橋三丁目付近)まで結んだが、2系統を1つにつなげたというところか。
 その後、砂町側が延伸されていくも南千住側の経路は変わらなかったが、昭和18年6月の改編で南千住側は丸ごと廃止されてしまった。
atozk_226 ▲荒川区詳細図(昭和22、日本地図)
グレーは戦災焼失地、太線は都市計画道路(未成)
 戦後は昭和23年12月に路線が復旧し、[16](浅草寿町~汐入)として開業した。浅草~南千住までは戦前と同様で、南千住を終点とせずに汐入地区に入り込んだところが新しい。当初の終点は汐入地区のメインストリートの途切れるところで終点となっていた。そこから南側の隅田川沿いにはバスの通れる道路がなかったこともあるだろう。昭和26年12月には上野広小路まで延伸されて路線の骨格が完成し、昭和38年12月には道路整備や汐入都営住宅の利便性を図り終点の先、隅田川沿いに南下して道路の終点を操車所とし、汐入終点まで延伸された。これで汐入地区をほぼ一周するように路線が引かれたことになる。汐入終点から汐入橋(現南千住三丁目付近)までは直線距離はすぐだが直接結ぶ道はなく、行き止まりの終点といった観であった。なお、開設初期は上野広小路~浅草公園六区という短距離の折り返し運転があったようだが、昭和30年代前半には消滅したようだ。
 これでしばらくは路線の形は安定していたようだが、昭和40~50年代にかけて工場群が移転し空き地になり、再開発の計画が持ち上がる。「東京都都市計画事業白髭西地区 第二種市街地再開発事業」である。
工場移転により人口が減少していたこと、戦災を免れ古い建物が密集していることなどを理由として、東京都が進める震災対策の一環として、災害時における避難広場の確保、安全で快適な生活環境の整備を目的として事業を始めることとなった。混在していた住宅・商業・工業地域を計画的に再配置して、災害時にも有効な都市計画道路や生活道路を引くことや、隅田川と一体となった公園、また学校・保育所・コミュニティー施設などを整備する事業計画であり、道路網も含めて一から引き直されることになった。施行面積は48.8ha、住宅戸数は4,500戸という大規模な再開発である。民間や組合によって行われる第一種でなく、公的機関による第二種だったのは防災の重要性もあってのことだろう。
atozk_227 ▲都営バス路線案内(昭50)
昭和48年12月に計画素案が発表され、紆余曲折を経て昭和60年11月までに都市計画決定、昭和63年春から再開発事業が始まった。
これにより、[上46]も大きな影響を受けた。街路工事があちこちで行われ、土地の利用できるスペースも年々変化していくため、それに対応するように臨時の迂回も含めれば毎年経路変更を行うくらいの勢いだった。
年に2回発行される都営バス路線案内でも終点の変遷を知ることができるが、路線図にも収録されずに移動したケースがたびたびあった。詳しくはこの後のコラムに譲るが、大まかに分けると以下のように変化していった。南千住汐入のように、同じ名前でも停留所の位置がどんどん動いた例もあるので注意が必要である。
・平成3年4月 汐入終点廃止、終点を汐入都住に短縮
・平成7年7月 汐入都住廃止、終点を南千住汐入に
・平成9年9月 終点区間を南の街路に変更
・平成11年9月 南千住汐入の操車所移転
・平成12年7月~13年4月 終点付近の経路迂回
 これらを経て、平成14年4月には南千住汐入~南千住駅東口が延伸され、新設された南千住駅東口に乗り入れる形で路線の形が固まった。再開発はこの時点でも進行中だったが、かつて住宅のあった川沿いの地域もスーパー堤防の整備とともに急速に整備が進み、平成18年2月の千住汐入大橋の完成とともに道路網は一定の完成を見た。そして平成22年3月に公共施設工事完了公告が都から出され、工事から20年以上が経ってついに街は生まれ変わった。
 今、汐入地区に降り立ってみても、十数年前はここがのどかな細かい路地の走り、家が密集していた下町だったとは全く想像もつかない。再開発のもう一つの側面とも言える。
 南千住駅東口への乗り入れ以降は路線形態が安定したが、平成20年3月に荒川区コミュニティバス「汐入さくら」(南千住駅東口~汐入地区~南千住駅西口)が運行を開始した。[上46]とは停留所がなるべく重複しないようになっていたが、運賃100円という競合関係もあり、少なからず影響を受けたと言える。
 元々沿線の人口減少・高齢化もあって本数は年々少しずつ減少していたが、ここで棲み分けを狙ったのか平成21年4月には上野松坂屋~南千住車庫という折返便が新設された。車庫発着だが出入庫ではなく、平日の昼間を中心に折り返しとして設定された。これにより、上野松坂屋側では増便、南千住側では減便となり、混雑するところを手厚くしたとも言える。
 もともとこの時点で、朝夕ラッシュ時に本数が増えず、平日昼間や土休日の本数が多いという通勤特化型の系統ではなくなっていたが、なかなか興味深い動きと言える。もっとも、朝ラッシュ時の雨降りダイヤ(前日の降水確率が一定以上のときに臨時便として走るダイヤ)が南千住三丁目→南千住駅東口に設定されており、朝は汐入から南千住方面への需要も少なからずあるようだ。
現在でも昼間は時間5~6本と使いやすい本数を保っており、上野・浅草の両方を経由するのを利点としているが、どのように推移していくだろうか。

大回りの出入庫

 出入庫は主に南千住駅東口~南千住車庫間で運転されている。徒歩で行く場合は、駅東口から常磐線に沿って、貨物線を歩道橋で越えればすぐ車庫であり、5分程度である。しかしバスの場合は、通る道路がないということもあり、汐入地区をぐるっと大回りして帰っていく。
 一応律儀に営業運転しているのが偉いところであるが、回送となる運用も存在するほか、[南千48]の南千住駅東口発着からの出入庫は全て回送となる。
 なお、出庫は南千住駅入口→南千住駅東口となり、車庫始発ではなくなるが、上野松坂屋~南千住車庫も運転されている中で、ここだけ昔の通りに車庫から1区間だけ回送というのも不思議な感じだ。
 また、早朝に限り南千住駅入口始発の上野松坂屋行きという便が存在する。これも出庫で、元々は[東42甲]の泪橋の並びに停留所があった名残である(車庫と停留所の項も参照)。現在は貨物の隅田川駅沿いに停留所が移動してしまったため、一旦車庫から明治通りを大回りして南千住駅入口まで回送してから営業となる。今となっては、明治通りとの乗り換えが不便なことも考慮して、[上46]を泪橋にも停車させて泪橋始発としてしまえばいいようにも思うのだが。

浅草寿町止まり

 [上46]の方向幕には、以前は南千住汐入(駅東口)→浅草寿町という設定があった。上野側での交通規制時や、ダイヤ乱れ時の回復を目的として設定されたと考えられ、いかにもありそうな行き先ではあるが、実際に使われたことはほとんどないようだ。側面方向幕の途中経由地が「浅草六区」しか書かれていない省略しすぎな表記も興味深いところだったが、その後の方向幕全交換の際に設定がなくなってしまった。

浅草警察署経由

 千束通り商店街のイベント等による通行止めの際は、奥浅草~吉原大門が[草64]のルートを通って浅草警察署経由となり、千束通り商店街内の浅草四丁目の代わりに経路上の停留所に停まる。祭りやイベントの多い浅草地区ということもあってか、年に数回迂回の機会があり、LED行き先表示では「浅草警察署経由」の表示を出すようになっている。普段の[上46]も何か経由地を出すといい気もするのだが……。
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