都営バス資料館

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担当営業所

青戸支所

運行区間

系統 区間 距離 備考
市川駅~新小岩駅北口~四つ木橋~東向島広小路~浅草寿町~上野広小路 15.250km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
124 S25. 8. 8 新谷町 15.720km 市川駅~上野広小路が開通(京成単独路線に参入)、京成と相互乗り入れ
124 S27. 7.31 新谷町 15.250km 四ツ木橋の架け替えにより、(新)四ツ木橋経由に変更
上34  S50.12.21 青戸 *** 新谷町営業所の南千住への移転により青戸支所に移管
上34  S52.12.16 青戸 *** 市川駅~上野広小路を廃止、京成は運行を継続

路線概要

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 上野広小路から市川駅までを結ぶロングラン系統。浅草通り・水戸街道・奥戸街道を経由し、ほぼ直線状に結んでいた。
 上野広小路から浅草寿町までは[上46]などを、浅草寿町から四ツ木橋までは[草39]と並行しているため、そちらも参照のこと。
 四ツ木橋を渡ると本田警察署で右折して水戸街道と分かれて平和橋通りに折れ、単独区間に入る。京成押上線の踏切を渡るとヤマト化学(現:渋江公園)ですぐに左折して奥戸街道に入る。京成立石駅付近は商店と町工場、住宅が混在している。本奥戸橋で中川を
渡ると奥戸車庫。京成の担当営業所である。奥戸新橋の停留所を過ぎて新中川を越えると新金貨物線の橋の下をくぐり、右手からやって来た蔵前橋通りと合流し、小岩駅北口の停留所に着く。駅前に入るわけではなくJR小岩駅までは徒歩数分を要するが、乗降は多い。バスはそのまま蔵前橋通りを進み、都県境の近くで右手から合流してきた国道14号・千葉街道に名を変え、市川橋を渡って千葉県に入る。市川橋を降りて市川広小路の停留所を過ぎれば、終点まではもうすぐ。次の信号を右折し、市川駅北口のロータリーに入って終点となる。

歴史

 市川駅を発着していた相互乗り入れ系統である。水戸街道上には、葛飾と都心を結ぶさまざまな京成との相互乗り入れ系統が走っていたが、これもその一つであった。[草39]の項でも述べたが、元々は都営の免許を一部流用する形で昭和22年11月より京成が単独で運行していた系統で、昭和25年8月から都営・京成の共同運行となり、[124]を名乗るようになった。
 水戸街道から市川まで街道筋に一直線、というルートで、都営バスの市川駅発着系統は京葉道路を経由する[107](東京駅北口~錦糸町駅~市川駅)と合わせて2系統となった。上野と市川を結ぶというよりも、奥戸街道沿線から浅草・上野・市川への足を確保する意味合いも大きいのだろう。上野広小路~四ツ木橋では金町行きの[109]と並行していたが、本数の少ない[109]と比べると、2社合わせて1日70往復程度とそれなりの本数が確保されていた。昭和40年の調査では都営のみで50往復と、多く
 路線変更といえば四ツ木橋の架け替えによるルート変更程度で、大まかな停留所設置状況も開通当初からほとんど変わっていない。しかし定時性の低下や都の財政再建で、このような長距離路線の見直しが進んだ結果、昭和52年の第一次改編であっさりと都は撤退することになった。
 都が撤退した後も、京成は単独で上野広小路乗り入れを維持し続けた。昭和57年に中央通り上の上野広小路が「上野松坂屋」に改称された後も、京成だけは上野広小路という停留所名を守っていたのも今や懐かしい思い出である。しかしその京成も、平成8年の改編で四ツ木橋より西は全て廃止することになった。廃止直前まで毎時3本程度の運行と普通に使える本数が維持されていた路線のいきなりの上野撤退は衝撃的であった。残った市川側は [新小52](新小岩駅~四ツ木駅~渋江公園~市川駅)と総武線の駅と葛飾区南部とを結ぶ系統となっている。

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