担当営業所
杉並支所
運行区間
系統 | 区間 | 距離 | 備考 |
本 | 大泉学園駅~谷原2~練馬区役所~練馬駅~新江古田駅 | 7.800/ 8.080km | |
折 | 大泉学園駅~谷原2~練馬区役所~練馬駅 |
年表
系統 | 年月日 | 営業所 | 距離 | 概要 |
132 | S34. 3. 1 | 練馬 | 16.180/15.480km | 大泉学園駅~新宿駅西口が開通、西武と相互乗入 |
132 | S45.12. 1 | 練馬 | 14.350/13.930km | 西落合3~目白5~中落合の間を新目白通り経由にショートカット |
宿62 | S47.11.12 | 練馬 | *** | 新番号化、宿62とする |
宿62 | S48. 6.10 | 練馬 | 14.350/13.930km | 西武との相互乗入を中止、運行区間はそのままとする |
宿62出入 | S52.12.16 | 練馬 | *** | 大泉学園駅~練馬車庫を開設 |
新江62 | H 9.12.19 | 練馬 | 7.800/ 8.080km | 大江戸線の新宿延長により大泉学園駅~新江古田駅に短縮、新江62とする |
新江62 | H13. 9.25 | 練馬 | (7.800/ 8.080km) | 大泉学園駅周辺の一方通行規制の変更に伴い経路変更 |
新江62 | H15. 4. 1 | 練馬 | 8.870/ 9.380km | 大泉学園駅の乗り場変更、練馬区役所~練馬駅通り間が練馬駅経由に変更 |
新江62 | H17. 3.28 | 練馬 | *** | 練馬車庫→練馬駅→大泉学園駅を開設 |
新江62 | H21. 4. 1 | 杉並 | *** | 杉並に移管、はとバスに運行を委託 |
新江62出入 | H25. 4. 1 | 杉並 | *** | 練馬車庫発着を廃止、本線を大幅に減便 |
新江62 | H25.10. 1 | 杉並 | *** | 大泉学園駅~新江古田駅を廃止 |
路線概要
都営大江戸線の新江古田駅から練馬駅を経て大泉学園駅までを結ぶ。23区の西の端、都営バスのエリアからは離れ、西武バスのエリアを走る路線である。
新江古田駅では[白61](新宿駅西口~練馬車庫)と接続しており、大江戸線の真上、目白通りの路上に始発と終点のバス停が経っている。付近を見渡しても折り返せるような場所はないが、実はこれ、近くの練馬車庫まで1km程度回送して折り返しているのである。もっとも、最近は新江古田駅発着となる本線の本数はごく僅かとなってしまった。
新江古田駅を発車するとそのまま目白通りを直進する。練馬界隈は都営以外にも関東バス・国際興業・京王・西武と、各社局の運行エリアが重なることもあって様々な系統が縦横に走っているが、桜台駅通りまでの区間は[新江62]のみが走る区間となっている(ただし高速バスは多数走っている)。停留所名も統一が取れておらず、環七を通り抜けて次の停留所は「桜台駅通り」だが、交差する[池65](池袋駅東口~練馬車庫)や合流する国際興業の[光03](光が丘駅~練馬区役所)は「豊玉北四丁目」となっている。
練馬警察署南の交差点でいったん右折して小道に入り、西武池袋線の高架をくぐって練馬駅のバスターミナルに入る。運行上もここで折り返しとなる本数が目立ち、実質的な起点となっている。
練馬駅を出ると、来た経路を戻って目白通りに出る。練馬駅からは細い道や信号もあって5分程度はかかることが多く、新江古田駅から乗った場合は大きなタイムロスとなるが、大江戸線と乗り継ぐにしても練馬駅が使えるわけで、気にする人も少ないのだろう。目白通りに出ると「練馬駅通り」停留所だが、ここも国際は「練馬駅前通り」、関東や京王は「下新街」と、全く違う停留所名になっているのが面白い。
練馬区役所の建物を左に見て、千川通りと交差すると少しばかり西武池袋線と並走し、高架の下をくぐる。かつては線路が下、道路が上という立体交差だったが、一夜にして上下を入れ替える大工事を行ったことで有名な場所でもある。
向山町の停留所を過ぎると右折し、小道に入る。旧道をなぞっているのだろうか。右折したところに「中村橋駅入口」停留所があるが、駅からは600mほど離れている。ここからは片側一車線の昔ながらの道路と歳月を経た郊外の住宅街といった風景が続く。練馬中学校の先で石神井川を渡り、環八の練馬中央陸橋を斜めにくぐると高松二丁目、高松三丁目と続く。この先をまっすぐ走ると練馬総合体育館にて目白通りと再び合流するのだが、大泉学園駅方面のバスは東京ガスの敷地の手前で左折し、ガスタンクの並ぶ風景を右に見ながら目白通りに先に出てしまうい、練馬総合体育館~高松三丁目の旧道は練馬駅方面のみの通行となっている。一方通行ではないが、今までの道よりも一段と狭いからであろうか
再び広い道路に戻ると、ほどなくして谷原二丁目の停留所がある。笹目通りと目白通りが交差する六差路であり、渋滞の名所としても有名である。練馬駅からここまでが西武バス[練42](練馬駅~成増町)と練馬駅付近を除き並行する区間であるが、共通定期券の取り扱いはない。[梅70]と[武17]の共通定期券([梅70]の項参照)よりは需要がありそうなものだが。
次の谷原小学校で目白通りとも別れ、ガードレールもセンターラインもない宅地の中の細い道に突っ込んでいく。次の三原台一丁目から東大泉二丁目までは、石神井公園駅発着の西武・国際興業の路線と並走するが、停留所は都営のポールだけが建ち、他社の系統もまとめて都営ポールに記載されているのが面白い。もっとも、西武・国際興業が多数運行されるのに対して、都営の発着回数はわずかなものだが……。
東大泉二丁目はかつて、「東映撮影所入口」という停留所名だった。角を曲がって数分で東映の東京撮影所があり、その縁かアニメで町興しを行っている。ここまで来ると終点まではもうすぐで、妙延寺を過ぎ、大泉学園の街を南北に貫くメインストリートを左折すると終点となる。駅周辺はループ状に折り返すようになっており、降車場は駅前にあるものの、乗り場は駅からやや離れている。かつては線路脇に折返所があって駅前から出ていたが、連続立体交差化(平成26年度完成予定)の工事により使わなくなって移動した。
これ以外に練馬車庫発着の出入庫が複数パターンあるのが[新江62]の特徴でもあったが、これは後の項で別途記すことにしよう。
歴史
走っているエリアが元々の都営のエリアから外れていることからも推測できるように、西武との共同運行を行っていた。
終戦後に数多く設定された共同運行系統の中では、比較的後発の昭和34年3月の開通である。新宿駅西口から山手通り・目白通りを経由して大泉学園駅までの16kmの道のりであった。開通が遅かったのは、経路となった山手通りの整備が遅かったためであろう。昭和30年に概ね完成し、複数社で免許の競願となって西武に免許が下りて、昭和32年頃に単独で西武百貨店(池袋駅東口)~新宿駅西口(→[宿20])を開通させているが、この[132]系統も山手通りを通る系統の拡張の一環として開設されたと思われる。昭和50年代に事業者をまたいだ共通定期券制度が誕生した時には、[宿62]と[宿20]は共通定期の対象となった。
当初は中落合~西落合三丁目(現落合南長崎駅)は、目白五丁目を経由していたが、新目白通りの延伸とともに昭和45年に新目白通り経由でショートカットするように変更された。
しかし、収支は元からあまりいい系統とは言えなかったようで、西武は昭和48年6月に手を引いている。昭和40年代の西武バスは、都区内を中心に不採算路線の整理を大胆に行っており、その一環だろう。
その後は都営単独での運行が続いたが、営業係数(100円の収入に必要な支出)は昭和50年代から150と下位の状態が続いていた。それでも廃止されなかったのは、他の都営バスの系統がなく、並行する民営系統もなかったためだろう。山手通りや目白通りの渋滞の影響は大きかったものの、西武池袋線沿線から新宿に乗り換えなしで安価に出られる系統ということもあり、収支の割には席が埋まる混雑が続いた。昭和59年度からは当時の所管だった練馬に、燃費による収支改善を目的として中型車が導入され、主に[宿62]で使われていた。ただし、中型車の効果は限定的ということもあったのか、平成5年頃からの中型車の代替は通常の大型車となり、[宿62]は再び大型運用となった。
状況が一変するのは平成9年12月の大江戸線の練馬~新宿延伸時である。練馬と新宿が乗り換えなしで17分で結ばれてはバスの役目は終了したと言うことか、新江古田駅発着に短縮され、系統番号は[新江62]に変更された。新江古田駅はターミナルすらない終点となり、[白61](練馬車庫~新宿駅西口)と僅かに接するだけの路線となった。新江古田駅には折り返すスペースがないため、練馬車庫まで回送してわざわざ方向転換しており、このときに練馬駅(または練馬車庫)発着にならなかったのがむしろ不思議なくらいである。
短縮時には大江戸線との乗り継ぎ割引も設けられた(後述)が、結局根付くことなく終わっている。新宿方面まで直通しないのであれば都営バスを積極的に選ぶ意味はないということか、短縮直後は短縮前と同じく昼間でも23~24分間隔と1時間に2~3本は確保されていた本数は、平成11年改正で30分間隔に、平成12年12月改正で40~45分間隔、そして平成15年4月の改正では50分間隔とどんどん減らされていった。
平成15年4月改正では、練馬駅北口に完成したバスターミナルに乗り入れるようになった。大江戸線との乗り換えも練馬駅の乗り換えが便利となり、新江古田駅まで行くメリットはほとんど無くなってしまった。これを反映して、平成17年3月のダイヤ改正では多くの便が練馬駅で折り返すようになり、新江古田駅発着は1日6回のみとなった。それも練馬車庫で休憩する出入庫の運用が中心となっており、もはや練馬駅~新江古田駅はおまけで運行しているといっても差支えない状態である。
平成21年には杉並支所に移管された。至近に練馬車庫がありながらはとバスの委託対象となったのは興味深いが、それだけ削減効果があるということだろうか。ダイヤの骨格は全く変わらず、杉並車庫~練馬車庫・新江古田駅までは回送となり、始発・最終の練馬車庫発着も変わらずに継続している。しかし、平成25年4月の改編では廃止を前提とした削減となり[新江62]の本数は1/3以下の4往復になり、その代替で西武バスが同区間に[練48]という系統番号で走らせることになった。共通定期等の取り扱いは行っていない。
これと同時に、早朝深夜に運転されていた練馬車庫への出入庫(下図の点線区間)が全廃され、大泉学園駅~練馬駅・新江古田駅の運転のみに統一された。
走っているエリアが元々の都営のエリアから外れていることからも推測できるように、西武との共同運行を行っていた。西武バスは一旦昭和48年に手を引いたが、結果的にまた西武が運行することになったというのは皮肉なものだろう。そして半年後の9月限りで全線が廃止され、ついに都営バスが大泉学園から撤退した。なお、[練48]は特にダイヤ改正を行わず、[新江62]が走っていた時間帯だけ穴のままとなっている。
東京都交通局、初の試みも…
平成9年に[宿62]が短縮された際、大江戸線との通算運賃が割高とならないように、また公共交通利用促進のため、東京都交通局初の「地下鉄・バス乗継割引」が1年の期間限定で実験された。定期券での都営地下鉄・バス乗継割引は実以前から施されていたが、乗車券での乗継割引は初の試みであった。このとき、大島駅での都営新宿線と[亀21]の乗継割引実験も行われていた。
具体的な方法であるが、都営地下鉄から[新江62]に乗り継ぐ場合は、新江古田駅の有人改札口で新江古田駅までの切符に100円を支払い、[新江62]から都営地下鉄へはバス乗車時に270円支払うことで乗継券を受け取るシステムとなっていた。しかし、ポスティングによる広告程度だったためか、知名度は今ひとつ。そして、実験期間終了後も継続することはなかった。そしてIC乗車券が多数となった現在でも、東京都交通局での地下鉄=バスの乗継割引は実施されていない。
多彩な出入庫
[新江62]の本数は少ないものの、出入庫のパターンが豊富なのが特徴であった。
まず、[宿62]時代から走っている入庫系統として、大泉方面から練馬区役所手前の交叉点で左折し、西武池袋線沿いに走って練馬車庫で終点となる系統がある。途中には練馬区役所入口・練馬駅・桜台駅の各停留所が設けられており、特に前2つはこの路線専用の停留所である。かつて[白61](練馬車庫~新宿駅西口)・[池65](練馬車庫~池袋駅東口、それぞれ練馬の巻を参照)が昭和52~53年まで豊島園を発着していた時代の名残で、免許維持の目的もあって運転していると思われる。その証拠に、昭和50年頃の入庫の運転区間は大泉学園~練馬区役所であり、そこから練馬車庫までは回送となっていたことが挙げられる。
一方、営業出庫は入庫と同一ルートではなく、練馬車庫から[池65]の出庫と同じように桜台駅・豊玉北四丁目と進み、本線とぶつかるところで合流していた。[新江62]の桜台駅通りと出庫の豊玉北四丁目は同じ交差点にあるのだが、それぞれの通り上にある停留所の名前が異なっている。こちらはかつての練馬区役所始発であった出庫を全区間営業運転としたものだろう。
平成15年の練馬駅バスターミナル開業による経路変更では、これらの出入庫に関しては変化がなく、入庫はターミナルに入らず路上の練馬駅前停留所を経て練馬車庫へ、そして出庫は豊玉北四丁目から目白通りに出た後、本線とは異なり練馬駅に寄らず、豊玉北四丁目の次は練馬駅通りとなっていた。
そこに、新たにもう一種類の出庫が昼間に設定された。練馬車庫から西武池袋線沿いに走り、練馬駅ターミナルから本線と合流するというパターンである。練馬車庫の次は桜台駅も停車せずに練馬駅となるが、これは桜台駅→練馬駅を走る系統がなく、停留所が存在しないためと思われる。かつては [白61]豊島園行きがここを通っていたが、停留所を復活させることもないということだろう。練馬駅まで回送とせず全区間営業なのが面白い。