都営バス資料館

杉並支所

車庫の概要

 杉並支所は、杉並区の青梅街道沿いに位置し、高円寺駅の南側、環七と青梅街道の交差する高円寺陸橋の近くにある。都営バスのエリアとして定められた山手線西側より都心寄りというエリアからは完全に外れているのは、元々は東京乗合自動車(青バス)の開設した車庫であったのを、戦中の陸上交通事業調整により統合したのが由来となっているためである。
 営業所は品川のA、渋谷のB、新宿のCに引き続き、Dを名乗る。環七・青梅街道を走る路線を中心に所管しているほか、新宿駅西口から山手線の内側や、練馬区の端まで向かう系統を持つなど、営業エリアは幅広い。元は電車の車庫だったこともあり、とても縦長の敷地となっている。バスが顔を揃えて一列に並ぶように格納されているのが特徴でもある。

所管系統(H30.4現在)

系統番号 枝番 起点、経由地、終点 備考 キロ程(往) キロ程(復)
渋66 阿佐ヶ谷駅~杉並車庫~和田堀橋(←宇田川町、神山→)渋谷駅 京王と共同運行 12.380 12.320
折返-1 阿佐ヶ谷駅~杉並車庫~和田堀橋 3.850 3.850
出入-2 杉並車庫~阿佐ヶ谷駅 1.940 1.940
出入-1 杉並車庫~和田堀橋(←宇田川町、神山→)渋谷駅 10.440 10.380
プロム 阿佐ヶ谷駅~→杉並車庫→和田堀橋→渋谷区役所→渋谷駅 12.920
プロム-2 阿佐ヶ谷駅~杉並車庫~和田堀橋~新国立劇場~渋谷駅 12.920 12.920
プロム-2出入 杉並車庫~和田堀橋~新国立劇場~渋谷駅 10.980 10.980
高71 高田馬場駅~大久保通り~東京女子医大~市ヶ谷駅~九段下 6.545 6.545
王78 新宿駅西口~鍋屋横丁~野方駅北口~豊玉北~大和町~王子5~王子駅 18.270 18.270
出入-1 杉並車庫~野方駅北口~豊玉北~大和町~王子5~王子駅 14.540 14.540
折返 大和町→豊玉北→野方駅北口→鍋屋横丁→新宿駅西口 13.290
出入-2 杉並車庫→野方駅北口→豊玉北→大和町 9.560
宿91 新代田駅~和田堀橋~堀ノ内~鍋屋横丁~新宿駅西口 8.210 8.210
折返 堀ノ内~鍋屋横丁~新宿駅西口 4.880 4.880
出入-1 杉並車庫~鍋屋横丁~新宿駅西口 4.770 4.770
出入-2 杉並車庫~堀ノ内~和田堀橋~新代田駅 4.480 4.480
品97 -1 品川駅高輪口~魚籃坂下~広尾橋~青山一丁目駅~新宿駅東口~新宿駅西口 平土のみ 10.060 10.510
-2 品川駅高輪口~魚籃坂下~広尾橋~青山一丁目駅~歌舞伎町~新宿駅西口 休のみ 10.320 10.770
折返-1 品川駅高輪口~魚籃坂下~広尾橋~青山一丁目駅 休夜のみ 6.260 6.710
出入-1 品川車庫→品川駅高輪口→青山一丁目駅→新宿駅東口→新宿駅西口 平早朝のみ 10.820
出入-2 品川車庫→北品川→品川駅高輪口→青山一丁目駅→新宿駅東口→新宿駅西口 平早朝のみ 12.460

基本データ

住所 杉並区梅里一丁目14番地22号 (昭和43年7月1日住居表示実施)
開設期間 昭和17年2月1日~
交通機関 バス:杉並車庫前、高円寺陸橋 鉄道: [地下鉄]新高円寺
基本配置 旧基本車種:日野、旧合成音声機:クラリオン、旧次停留所機:クラリオン

沿革

年月日 できごと
S 7. 1.30 東京乗合自動車の堀ノ内営業所が開所
S13. 4. 1 運営が東京地下鉄道に変更
S17. 2. 1 陸上交通事業調整法に基づいて一元化、東京市電気局の堀ノ内営業所となる
S24. 8. 7 堀ノ内営業所青梅支所が開所
S38.12. 1 都電廃止により、杉並電車営業所廃止
S41.11.30 電車営業所の跡地に移転、杉並営業所に改称
H12.12.12 早稲田営業所杉並支所に格下げ、青梅支所も早稲田営業所管轄となる
H15. 4. 1 はとバスに運行業務を委託開始

歴代所管一覧

年月日 所管開始時の区間 所管開始 所管終了 備考
5→宿73 新宿駅~堀ノ内 S20以前 H 2. 3.30 →統合(宿91)
6[1] 代田橋~杉並区役所 S21. 3.15? S32. 6.30 →延長(131)
102→300→東75 荻窪駅~東京駅南口 S22. 2.15 S52.12.15 →短縮(宿75)
304 荻窪駅~築地 S25.12. 1 S45. 3.26 廃止、→分離(35)
35→市02 新宿駅西口~築地中央市場 S26. 8.28 S54.11.22 廃止
131→渋66 阿佐ヶ谷駅~渋谷駅 S32. 7. 1 H15. 3.31 →移管(新宿)
130→中77 江古田駅~代田橋 S32. 8. 1 S57.12.25 廃止
6[2] 阿佐ヶ谷駅~築地 S32.12.15 S45. 3.26 廃止
9 代田橋~高円寺駅北口 S35. 3. 1 S39.12.19 →延長(136)
305 新宿駅西口~奥多摩湖 S36. 7. 1 S46. 3.16 廃止
79 新宿駅西口~四面道 S38.12. 1 S41. 4.19 廃止
500 東京駅八重洲口~新橋駅循環 S39. 3. 1 S41. 3.31 廃止(夜間バス)
502 東京駅八重洲口→堀ノ内車庫 S39. 3. 1 S41. 3.31 廃止(夜間バス)
139→高79 代田操車所~高円寺駅北口 S39.12.20 S52.12.15 廃止
66 新宿駅西口~王子駅 S41. 4.20 S47. 7. 1 →移管(志村)
138→宿91 新宿駅西口~大森操車所 S42. 6.25 運転中
513→銀71→都03 新宿駅西口~晴海埠頭 S43. 2.25 H12.12.11 →移管(深川)
701 銀座→荻窪駅 S44.11. 4 S48ごろ? 廃止(深夜バス)
512→秋72 新宿駅西口~市ヶ谷駅~岩本町 S45. 3.27 S55. 3.15 廃止
宿75 新宿駅西口~清水操車所 S52.12.16 S54.11.22 廃止
王78 新宿駅西口~王子駅 S57. 3.29 運転中
深夜中距離 銀座→荻窪駅→三鷹駅北口 H 2. 6.18 H12.12.12 →撤退(関東バス)
品97 新宿駅西口~品川駅 H17. 4. 1 運転中
渋66 渋谷駅~阿佐ヶ谷駅 H18. 4. 1 運転中
新江62 新江古田駅~大泉学園駅 H21. 4. 1 H25. 9.30 廃止

車庫の歴史

▲最新杉並区明細地図(東京日日新聞、昭11)
 杉並の歴史は昭和7年に遡る。当初は堀ノ内営業所として現在の環七の堀ノ内停留所の近くに開設され、市バスのライバルであった東京乗合自動車(青バス)の手によって開設された車庫であった。当時は環七は都市計画上の予定線があるのみで、蚕糸試験場(現東高円寺駅)方面に抜ける一車線の旧道があるのみだった。
当時の市バスは旧東京15区の市域を主なエリアとしており、路線は新宿駅から山手線の内側方面のみであった。それに対し、青バスはさらに郊外の青梅街道方面から新宿駅へ、さらに都心方面へと直通するバスを開設しており、新宿駅から都心方面へは市バス・市電・青バスの三つ巴の争いとなっていたという。昭和13年に青バスは当時の新橋~浅草の地下鉄を経営していた東京地下鉄道に買収されたが、運行形態は特に変更はなかった。昭和15年現在では、堀ノ内関連では荻窪三丁目(現荻窪駅南口付近)・西馬橋~新宿駅~築地、代田橋~新宿駅~築地の2路線を運行していたようだ。
 ここで出てきたのが戦時中の市バスへの統合で、陸上交通事業調整法の公布(昭和13年8月)により、中小の事業者を集約し国の管理統制を進めるという流れが全国に起こっていた。東京でも昭和15年より協議が行われ、東京市(現23区)の西部については、山手線を境に内側が原則として市バスの運行とすることになった。これを文字通り解釈すれば、新宿駅から外側の部分は民営に任せるところであったが、青バスは全て市バスに引き継ぐこと、また、流動が青梅街道から新宿駅を跨いで都心方面に向かうのが目立っていたということもあったのか、青梅街道関連の系統は全て市バスの運行とし、運行拠点として堀ノ内営業所も市バスに引き継がれた。こうして、従来の市バスのエリアからは離れた車庫が誕生した。
 統合直後は新宿駅をまたぐ長距離系統は分割され、[13]代田橋~新宿三丁目、[14]堀ノ内~新宿駅~築地、[15]荻窪駅~新宿三丁目、[16]天神前~新宿駅~東京駅~門前仲町という4系統を所管した。青バスから引き継いだ資産としては、西馬橋の派出所などがあって、統合後も戦中までは使用していたようだ。
 ただし、青梅街道には西武から引き継いだ市電が、また新宿通りの区間は元から市電と並行していたこともあり、戦中の物資不足で並行区間は縮小が続く。昭和18年6月の改編では[9]代田橋~新宿三丁目、[10]荻窪駅~新宿三丁目に短縮され、昭和19年5月の改編では[9]代田橋~新宿駅のみに縮小。昭和20年6月の大空襲後の改編では[2]堀ノ内~新宿駅、[2例外]代田橋~堀ノ内が走るのみとなった(昭和18年7月に東京都交通局に改組)。

▲国土変遷アーカイブ(昭和22、米軍撮影)
 終戦後は、これらの系統をベースに路線が発展していくことになる。昭和21年3月の改編で言うと[5](→[宿91]、新宿駅西口~駒沢陸橋)、[6](→[渋66]、渋谷駅~阿佐ヶ谷駅)が生え抜きと言えるだろう。
 その後、昭和22年に[102](荻窪駅~東京駅南口)が開通、[304](荻窪駅~築地)は昭和25年に、毛色の異なる市場輸送[35](新宿駅西口~築地中央市場)は昭和26年に、[6](阿佐ヶ谷駅~築地)は昭和32年と、さまざまな系統が青梅街道を走った。異色なのは、都営バス唯一と言ってよいレジャー用の長距離路線、[305](新宿駅西口~奥多摩湖)であろう。当時でも3時間かかったらしいが、今の世に走ったら何時間かかるのか見当もつかない。[305]を除いても、西は荻窪駅を越えて関東バスのエリアを貫通する東伏見まで、東は晴海・豊洲までと、最盛期は都営バスでも随一の営業エリアの長さを誇った。ただし、他の営業所のような面的な拡がりではなく、線的な拡がりだったのはこの営業所の独自の特徴と言ってもいいだろう。

▲杉並区詳細図(日地出版、昭29)
 昭和30年代に入ると、民営各社と手を結び南北に走る系統も開通していった。京王と手を組んで阿佐ヶ谷駅から代田橋・初台経由で渋谷駅までを結ぶ[131](→[渋66])、中野区を南北に貫通する[130](江古田駅~代田橋→[中77])などが代表である。

▲goo地図(昭38、国土地理院撮影)
 しかし、昭和37年に営団荻窪線(現丸ノ内線)が荻窪まで全通すると、四谷から新宿を経由して荻窪まで地下鉄が並行することになり、既存の系統は大きな影響を受ける。一足先に青梅街道を走った都電14系統(新宿~荻窪)が昭和38年12月に廃止され、代替バスとして[79](新宿駅西口~四面道)が開通したが、この時点で青梅街道の乗客数は下り坂となっていた。昭和41年の[79]廃止を始めとして、青梅街道筋の系統は次々と整理されていく。昭和43年2月には都電11系統(新宿~月島~新佃島)が、昭和45年3月には都電12系統(新宿~岩本町)が廃止され、それらの代替バスの運行([銀71]、[秋72])は杉並が担うことになったため、車を回すという目的もあったのだろう。
 昭和41年11月には環七に敷地を削られて敷地が手狭だったこともあり、前述の都電の車庫として機能していた杉並営業所跡地に移転して、杉並営業所に改称した。杉並車庫は細長い都電車庫としても有名で、転線のためのトラパーサーを備えていないほどであったが、バスの車庫となった後もそれを引き継ぎ、入口から奥までずらっとバスを2列横並びにして駐車させる形態となった。

▲国土情報ウェブマッピングシステム(国土地理院、昭49)
堀ノ内は跡地を再利用することになり、付近では大型となる14階建ての都営堀ノ内三丁目アパートが昭和44年に完成した。
この前後で新たな活路として求めたのが環七への路線である。東京オリンピック(昭和39年)のアクセス改善として急速に開通が進んだ環七は新たなバスが走る幹線道路としても期待され、都営バスも昭和41年4月に[66](新宿駅西口~王子駅→[王78])が、翌昭和42年6月には東急と手を新たに組み、長距離路線[138](新宿駅西口~大森操車所→[宿91])が相次いで開通し、高円寺陸橋から四方へ長距離路線が伸びることとなった。
 昭和50年代は交通局の財政再建に伴い、青梅街道・新宿通りに複数走っていた系統を整理し、また相互乗り入れ系統を原則として縮小していくこととなり、杉並は系統数が減少し、系統数も集約された。昭和52年12月の改編では新宿駅をまたぐ[東75](東京駅南口~清水操車所)が短縮されて[宿75](新宿駅西口~清水操車所)となり、新宿駅より都心寄りは[銀71](新宿駅西口~晴海埠頭)に集約、また[中77]は乗り入れを解消して短縮、[高79](高円寺駅北口~代田操車所)は廃止された。昭和54年12月には[市02](新宿駅西口~築地中央市場)・[宿75]が、昭和55年3月には都営新宿線の新宿延伸で[秋72](新宿駅西口~岩本町)も廃止された。昭和57年12月では残った[中77](中野区役所~新代田駅)も廃止、そして昭和59年2月に[宿91]も東急との共同運行を解消して短縮し、以降の路線網が完成した。それでも高円寺陸橋から四方に路線が伸びるという構造は変わらず、線的な拡がりというのは変わっていない。平成2年には終電が終わった後の郊外への足として深夜中距離(銀座→三鷹駅)が開業し、再び荻窪駅方面への路線が復活した。
 [銀71]は昭和63年3月に都市新バス化され、[都03]と名乗った。都心を横断する路線として、杉並の代表とも言える路線となった。しかし、平成8年に沿線の大きな集客施設だった晴海見本市会場が閉鎖されると、営業成績が黒字とは言えなかった[都03]は平成12年の改編で四谷駅~晴海埠頭に短縮され、杉並の手を離れた。大きな幹線を失った杉並は支所に転落し、残るは収支の良いとは言えない系統ばかりであった。このときに営業所の看板の「営業所」が外され、「東京都交通局杉並自動車」というよく分からない表示になった。
かつては100輛以上が収容されていた車庫も40輛程度となり、残る敷地の有効活用として他社の高速バスの駐車場として貸し出すようになったのもこれ以降である(この後のコラムも参照)。

 そのような中で、都営バスとしての路線を維持し、運行コストを見直す目的もあり、平成15年度から「はとバス」に運行を委託することになった。正確に書くと管理委託と言うもので、交通局が運行ダイヤや運賃の決定権は所有したまま、車輛・施設等を委託先事業者に貸与し、運行管理・車両整備業務を委託する方式である。
この当時は経費節減を目的とした公営の外部委託は京都市・神戸市バスなどで実施していた。京都市は民間会社への委託、神戸市は第三セクター(神戸交通振興)へ委託する方法で、都営は一見京都市方式にも見えるが、実際は神戸市方式と言える。
 株式会社はとバス(昭和38年までは新日本観光株式会社)は、昭和23年8月に東京都といすゞ自動車などが出資して設立された第三セクター会社であり、都が保有していた遊覧自動車の営業権と自動車の現物を出資したもので、東京都は現在でも株を保有しているためである。
杉並は都営バス初の委託車庫となった。当初は[王78][宿91]の2路線でスタートし、[渋66]は放出されてわずか所管2路線のみとなったが、平成17年度からは[品97](品川駅~新宿駅西口)を新たに持って新宿駅から都心寄りの路線を再び持つようになり、平成18年度は[渋66]を、そして平成21年度からは[新江62](新江古田駅~大泉学園駅)も所管するようになり、営業エリアは再び拡がりを見せている。平成21年には親営業所が早稲田から小滝橋に変更された。何か見た目が変わったわけではないが、組織上の都合だろうか。

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