都営バス資料館

平23

[平23]←[34]

担当営業所

臨海支所

運行区間

系統 区間 距離 備考
葛西駅~三角~松江~京葉交差点~平井駅 8.121/8.371km
折2 葛西駅~三角~松江
出1 東小松川1→京葉交差点→平井駅
出入2 葛西駅~臨海車庫

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
34 S26.5.13 東荒川 6.150km 三角~江戸川車庫~東小松川3~小松川3~平井駅が開通
34 S27.7.13 東荒川 8.988km 浦安橋~江戸川6~三角を延長
34 S27.10.1 東荒川 *** 平井4(現平井7付近)~平井駅を延長
34 S30.9.15 東荒川 7.260km 三角~浦安橋を短縮
34 S35.4.15 江戸川 7.260km 東荒川営業所の江戸川への移転改称により江戸川に移管
34 S38.10.15 江戸川 7.260/7.480km 平井終点付近での経路変更
34 S43.7.21 江戸川 (9.400km) 長島(現東葛西3付近)~三角を延長(ラッシュ時のみ)
34 S44.10.15? 江戸川 (9.060km) 東西線開通により葛西駅~三角を延長、長島発着は折返系統に
34折 S45.8.13 江戸川 *** 長島発着系統を廃止
34 S45.8.16 江戸川 (11.871km) 浦安終点~平井4終点に変更延長(細かな経路不明)
34 S45.11.1 江戸川 (12.236km) 東小松川1~三角を江戸川車庫経由から一之江5・松江経由に変更
34 S47.2.1 江戸川 9.891/9.991km 葛西駅~平井4終点に変更短縮
34 S47.11.1 江戸川 9.891/9.991km 終点を平井4終点から平井7終点に改称
平23 S47.11.12 江戸川 *** 新系統番号化、平23とする
平23 S48.11.1 江戸川 9.591/10.011km 葛西駅の終点ループを変更
平23甲 S50.8.1 江戸川 10.581/11.291km 平井7終点~平井操車所を延長、平23乙開通のために甲とする
平23甲 S57.12.26 葛西 10.581/11.291km 葛西営業所へ移管
平23甲 S59.11.13 葛西 10.581/11.371km 葛西駅ターミナルの変更による経路変更
平23甲 S61.9.14 葛西 *** 葛西駅~一之江駅を開設
平23甲 H2.11.5 臨海 10.581/11.371km 錦28と所管振替、臨海営業所に移管
平23甲 H8.4.15 臨海 10.651/11.371km 一部経路変更
平23甲 H12.12.24 臨海 10.751/11.001km 放射120号線の開通により平井駅~小松川3間の経路を放射120号線経由に変更
平23甲折 H12.12.24 臨海 *** 葛西駅~一之江駅を廃止
平23 H15.4.1 葛西 8.121/8.371km 平井駅~平井操車所を短縮
平23 H16.4.1 臨海 8.121/8.371km 臨海に移管、はとバスに運行を委託

路線概要

 江戸川区内から小松川橋を渡り総武線の駅まで向かう系統のうちの一つ。平井地区も江戸川区のため、全区間江戸川区内にある。区内の南北連絡を行う都営バスの中ではほぼ唯一新宿線の駅に接続していない。
平井駅発着だからなのか、小松川橋を渡る各系統の中では一番地味な系統という印象もある。
葛西駅を出発すると[錦25]と同様に環状七号線を北上し、長島町交差点で左折してすぐに共栄橋交差点を右折して三角葛西通りに入り、新川橋を渡る。
三角停留所の先にある交差点を右折して並木道へと進んでいくが、この区間が[平23]の単独区間である。かつては田畑や金魚養殖池が多くあり、マンションや一軒家がだいぶ増えた今でも所々に面影が残る。
春江町五丁目、春江町四丁目と春江町と名乗る停留所が続く。春江町と聞くと[新小29]の春江町終点を思い出す人も多いだろう。その春江町終点からはずいぶん離れているが、誤りではない。春江町という地域は新中川を挟んだ東岸と西岸にわたる広範囲の地名であったものが、道路整備や住居表記実施により、その一部が一之江に組み込まれたためで、現在では飛び地状態になっている。
今井街道との交差点でバスは左折し、小松川方面へと進んでいく。バスは松江の商店街を進む。最終便・始発便は松江発着となり、臨海車庫まで回送している。
船堀街道へ右折し、首都高速の高架下を抜けると[平23]の東小松川一丁目である。[新小21][新小22]や[錦25]を待つ客が常に多い停留所だが、総武線の駅まで出る目的で混雑度が少ない[平23]を選ぶ乗客の姿も見受けられる。
京葉交差点停留所の先で京葉道路に左折し、荒川放水路に架かる小松川橋を渡る。この橋を走行する都営バスの多くは歩道寄りを走るが、[平23]の平井駅方向は内側を走行する。橋を渡った先の交差点でゆりのき橋通りへ右折するためで、バスは北上して小松川区民館に停まり、総武線の高架橋が見えてくると五叉路を左折し平井駅通りへと進んでいく。乗客のほとんどは平井駅南口停留所で降車し、総武線のガードを抜けた先が平井駅前の終点となる。
 

歴史

平井駅と葛西の近くを結ぶ系統で、昭和26年5月開通の[34]平井駅~(京葉道路・船堀街道)~船堀小学校~三角が原型といえる。当初は今の[錦25]のように陣屋橋を経由していた。
 平井駅から京葉道路の間は、今の商店街の通りを通り抜けていた。今では一方通行、かつ一部区間は歩行者専用の道だが、当時はこの狭い道しかなかったのである。
 昭和27年7月には三角から今井方面に北東に進み、下今井から川沿いに南下して浦安橋まで延伸されたが、昭和30年9月には短縮されてしまう。他の系統に余力を振り分けようとしたのだろうか。途中には江戸川区六丁目・江戸川稲荷の停留所があったがそのまま休止になってしまった。
 昭和27年10月には平井駅から北側へ平井四丁目まで延長された。終点の平井四丁目は今の平井七丁目付近、公務員平井住宅の前にある堤防道路近くの少し広いT字路の辺りである。戦災で大きな被害を受けず、人口も増えていたが適当な交通機関がないこと対応するため、と免許申請資料には書かれている。終点ではUターンするように折り返していた。
平井駅からそのまま北東に進み、燈明寺や後の平井操車所付近を通り平井四丁目交番(現・平井六丁目交番)へと抜けていた。
 昭和38年には平井駅~平井三丁目が一部変更となった。さらに昭和43年7月には蔵前橋通りの開通や一方通行の指定がかかったことで、平井駅→平井四丁目が蔵前橋通り・堤防道路沿いに大回りとなり、終点停留所名が平井四丁目終点となった。平井四丁目方面の平井三丁目は大きく移設され、蔵前橋通り上に平井四丁目弁天通が新設された。弁天通は七丁目の交番から道なりに蔵前橋通りに抜ける商店街の名称であり、かつての賑わいはないが、今も商店がいくつか残っている。
 そこから堤防道路を経由して平井四丁目終点まで1kmは無停車だが、適当な停留所を置けるところもなかったのだろう。ここまで大回りするということ自体に、都道開通前は大型バスを通せるような道路がほとんどなかったということが分かる。
 昭和40年代に入ると三角側の経路変更が活発になる。昭和43年7月にはラッシュ時のみ三角~長島(現・東葛西三丁目)が延伸された。昭和20年代の延伸とは異なり、新川沿いに現・江戸川五丁目まで東に進み、そこから南下して長島が終点となった。この地区のラッシュが酷かったための補完で設定されたのだろう。
 昭和44年には東西線の開通で三角から葛西駅まで延伸された。このときも長島発着は残ったが、昭和45年8月にはなぜか一旦葛西駅を捨てて、長島から浦安橋・浦安終点まで延伸された。葛西駅は[15](錦糸町駅~葛西駅→[錦25])に任せて別の需要を開拓しようとしたのだろうか。ただしこれも長くは続かず、昭和47年2月からは葛西駅発着に戻った。
 昭和45年11月には[15]との差別化もあってか、東小松川一丁目~三角を現在のように松江経由に変更した。現・一之江四丁目~三角はバスが初めて通るようになった。これにより、葛西側の経路はほぼ現在と同じになったことになる。
 一方、平井地区は経路変更が続く。昭和45年11月には平井駅~小松川三丁目の商店街の一方通行指定で平井駅→葛西方面は平井都営アパート経由で大回りするようになった。さらに昭和50年8月には[草32](東日本橋駅~平井操車所~平井駅)も含めた分割再編で、往復ともに平井駅~平井七丁目~平井操車所という経路に統一された(図参照)。平井小学校付近の道路開通によりようやく往復同じ経路にできるようになったのだろう。このときより、押上駅~両国駅が[平23乙]を名乗るようになったため、[平23甲]という名義になったが、案内は[平23]表示のままが多かった。
 これで経路変更はいったん落ち着くが、平成に入ると、補助120号線(ゆりのき橋通り)の整備に伴う変更が進んだ。まず平成8年4月に小松川区民館→平井駅南口の一部区間が新道経由に変更、旧道の商店街は歩行者専用となった。そして平成12年12月には京葉道路から蔵前橋通りまでの全区間が開通したことに伴い、小松川三丁目~平井駅が往復新道経由となり、一方通行指定からおよそ30年が経ってようやく経路がシンプルになった。ちなみに、この時の切り替えは昼間から行われたため、午後から新経路となった。このとき、平井駅付近はループ状経由として新道上に「平井四丁目」停留所を新設している。
 さらに平井駅の北側は[上23]に任せるということか、平成12年12月の改正で平井駅折り返しが誕生。このときは僅かな本数だったが、平成15年4月に平井駅~平井操車所が短縮されて現在の姿になった。廃止代替で青戸担当の[上23折返](平井駅~平井操車所)が新たに設定されている。
 所管は2営業所の間を行ったり来たりしている。開通当初から長らく(旧)江戸川担当だったが、昭和57年の改編で受け持ちが減る葛西に移管した。当初の出入庫は江戸川車庫~平井操車所・(松江経由)葛西駅が中心で、葛西移管後は葛西車庫~葛西駅が中心となったが、船堀駅(江戸川車庫)~平井操車所の設定は葛西時代もしばらく残ったようだ。

 平成2年には運行の効率化という名目で、[錦28]と交換で臨海に移管された。出入庫は葛西駅~臨海車庫となり、始発のみ東小松川一丁目→平井操車所の設定が残った。
 平成15年度の1年間のみ再び葛西が運行した。臨海をはとバスに移管する前準備で葛西は[都07]を江東に放出するなどしており、営業所間の組数のバランスで葛西が持つことになったのだろう。平成16年度からははとバス委託とともに臨海に戻っている。葛西再移管時に始発・最終時間帯に葛西駅~松江が設定され、これは現在のダイヤでも変わっていない。
 以後のルートに変化はないが、乗客数は減少傾向にある。平成27年度は2,174人/日、営業係数152とかなり悪い。昭和50年代後半は7,000人台の乗客数がいて、都営新宿線開通後の平成初期も5,000人台を維持していたが、平成9年度は4,300人、12年度は約3,200人と近年の減り方が激しい。沿線の高齢化や、都営新宿線の駅に接続していないこと、総武線の接続駅が平井駅というのも今一つな要因だろうか。
 本数は昭和時代も平日昼15~20分間隔とあまり多くなかったが、ダイヤ改正のたびに微減となり、平成10年頃は22~23分間隔になっていた。平成12年の改正で一旦増えたもののすぐに減少に転じ、平成17年改正で25~30分間隔に、平成28年改正では30分等間隔になった。車輛も古参車が中心となっている。分かりやすくなったとは言えるが、周囲の幹線系統に比べると見劣りしている。何かテコ入れできるといいのだろうが。

灰色幕

 平成15年の葛西移管時に[平23]は灰色地の方向幕になった。[錦25]や[亀26]、[上23]などとの区別を各地でできるようにするためだろうか。
 臨海移管後も灰色地の方向幕は引き継がれたが、LEDになってからは系統番号の部分も含め一般系統と変わらない表示に戻っている。

一之江駅折り返し

 昭和61年9月の一之江駅開業時に葛西駅~一之江七丁目~一之江駅という[平23]の折返系統が設定された。沿線から都営新宿線へのアクセスを狙ったが、平日23.5往復、休日11.5往復と本数も少なかった。需要が少なかったためか平成2年の改正では平日が開通時の半分に、さらに平成5年には平日土曜は朝夕の僅かな本数に減らされていた。末期の土曜休日は始発最終1本のみという有様で、平成12年の改正で全廃された。
 一之江駅西口も整備された現在では全便一之江駅に寄り道したほうが親切に見えてくるが、所要時間が伸びてしまうため難しいところだろうか。

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