担当営業所
杉並営業所
運行区間
系統 | 区間 | 距離 | 備考 |
本 | 高円寺駅北口~堀ノ内~代田橋~代田操車所 | 5.260km |
年表
系統 | 年月日 | 営業所 | 距離 | 概要 |
9 | S35. 3. 1 | 堀ノ内 | 4.230km | 代田橋~堀ノ内~高円寺駅北口が開通 |
9 | S36年度 | 堀ノ内 | 5.280km | 代田2(現新代田駅)~代田橋を延長 |
9 | S38.12. 1 | 堀ノ内 | 5.260km | 方南町・高円寺陸橋付近の経路を環七の現道に変更 |
136 | S39.12.20 | 堀ノ内 | 5.260km | 京王と相互乗り入れを開始、136系統とする |
136 | S41.11.30 | 杉並 | 5.260km | 堀ノ内営業所の杉並営業所への移転改称に伴い、杉並に移管 |
136 | S46. 8.31 | 杉並 | *** | 京王との相互乗り入れを中止、区間はそのまま |
高79 | S47.11.12 | 杉並 | *** | 新番号化、高79とする |
高79 | S52.12.16 | 杉並 | *** | 代田操車所(現新代田駅)~代田橋を廃止 |
路線概要
高円寺駅北口と代田操車所(現新代田駅)を、環七を介して南北に結ぶ短距離系統。関東バスとの共同運行路線であった。高円寺駅北口に乗り入れている唯一の都営バスでもあった。朝夕のみの運転で本数は少なかったようだ。
関東バスが集まる高円寺駅の北口から出発すると、線路沿いに走って環七に出た後、一路南下を始める。青梅街道を越えて環七を南北に通り抜ける唯一の系統でもあったが、高円寺陸橋は上を通過せず、他の系統に合わせて側道を通り、蚕糸試験場(現高円寺陸橋)停留所に停車していた。そこからは[宿91](新宿駅西口~駒沢陸橋)等と同じく環七を南下し、代田橋を過ぎて代田操車所を終点とした。
歴史
昭和35年3月に[9]として高円寺駅北口~代田橋が開通したのが始まりである。都営バスとしては初の高円寺駅北口乗り入れとなったが、多少都営のエリアから外れたところであり、都営単独での開通が可能だった理由は興味深いところである。堀ノ内~代田橋からは阿佐ヶ谷(→[渋66])・新宿(→[宿73])・中野(→[中77])とのバス路線が既に開通していたが、直接結んでいなかった高円寺との足も確保させるという意味合いだったのだろうか。そういう意味では、他の系統の補完のようにも思えるし、また、当時建設中だった環七の線上に当たるため、先行して開通させておいたという意味合いもあったのかもしれない。昭和35年現在では32往復程度と、かなり本数が少ないグループであった。
昭和36年には代田二丁目(現新代田駅)まで延長された後、昭和39年12月には京王が参入してきて、系統番号が[136]に変更された。京王固有のエリアではないことから、参入する必然性は薄いようにも見えるが、どのような経緯で共同運行となったのか、環七の全通によるバス路線の強化を見据えていたのかは気になるところだ。
しかし、昭和46年に京王は撤退してしまい、都営単独の路線となった。末期も18往復の運転と、本数自体が少なかった。混雑度が低く、乗降客数も低い(昭和50年の調査で644人/日)とあっては真っ先に廃止対象に挙げられるのも必然的である。昭和52年12月の改編で全線廃止され、高円寺駅前から都営バスの姿が消えることになった。