車庫の概要
錦糸町駅から東に数百メートル進んだところ、京葉道路と総武線の築堤の間の敷地に車庫が設けられている。車庫の大部分は江東橋四丁目都営アパートの建物に蓋をされる形で一階に車庫があるため、道路からは一部分しかうかがうことができないが、夜間になれば都営アパートの下には車が整列してぎっしりと並んでいる。平成24年度では114輛が所属し、江戸川・深川・品川に次ぐ規模となっているが、昔からほとんど所属車輛数には変化がない。錦糸町・亀戸というターミナルから至近で便利な車庫であることから、常に上限いっぱいまで車輛が所属していると推測できる。
主に総武線より南側、江東区を走る路線を中心に担当している。多くの路線が錦糸町駅・亀戸駅を発着しているが、[都04](東京駅南口~豊海水産埠頭)のみエリアからやや外れた都心部を走っている。都市新バス系統を2系統所管し、それ以外にも本数・乗客の多い路線を持つ重要な営業所と言える。なお、いかにも江東区にありそうな名前だが、実際の所在地は墨田区江東橋である。
大島営業所は太平洋戦争の戦災にて廃止された営業所である。現在の西大島駅の北側、明治通りに面した東側にL字型の敷地があった。現在は間に道路が通り、バスの車庫があったことをうかがわせるものは少ない。
所管系統
系統・枝番 | 起点、経由地、終点 | 備考 | キロ程(往/復) | 平日 | 土曜 | 休日 | |||
→ | ← | → | ← | → | ← | ||||
亀21 | 東陽町駅~元八幡~亀高橋~大島駅~亀戸6~亀戸駅 | 7.580km | 53 | 52 | 46 | 45 | 45 | 46 | |
亀21折返-2 | 東陽町駅←元八幡←東砂4 | 3.780km | 1 | ||||||
都07 | 錦糸町駅~亀戸駅通り~境川~東陽町駅~門前仲町 | 6.840km | 168 | 165 | 156 | 155 | 147 | 148 | |
都07折返-2 | 錦糸町駅~亀戸駅通り~境川~東陽町駅 | 4.830km | 3 | 4 | 2 | 4 | 2 | 2 | |
都07折返-3 | 亀戸駅通り→境川→東陽町駅→門前仲町 | 5.810km | 1 | ||||||
都07折返-1 | 西大島駅→境川→東陽町駅→門前仲町 | 5.020km | 1 | ||||||
東22甲 | 錦糸町駅~住吉駅~東陽町駅~門前仲町~茅場町~東京駅北口 | 8.080km | 153 | 155 | 134 | 133 | 132 | 131 | |
東22甲折返 | 錦糸町駅~住吉駅~東陽町駅 | 3.000km | 55 | 56 | 44 | 45 | 33 | 33 | |
門33 | 亀戸駅~押上~本所1~門前仲町~勝どき駅~豊海水産埠頭 | 10.604km | 63 | 64 | 50 | 50 | 24 | 23 | |
門33折返-2 | 亀戸駅←押上←本所1←緑1←門前仲町 | 7.484km | 2 | 2 | |||||
門33プロム | 亀戸駅~押上~本所1~門前仲町~勝どき駅~豊海水産埠頭 | 11.004km | 15 | 16 | |||||
錦18 | 錦糸町駅~亀戸駅通り~境川~新木場駅(構内) | 7.100km | 33 | 28 | |||||
錦18折返 | 亀戸駅通り→境川→新木場駅(構内) | 6.070km | 1 | ||||||
急行05折返 | 錦糸町駅←亀戸駅通り←境川←新木場駅 | 7.100km | 1 | 1 | |||||
急行05 | 錦糸町駅~亀戸駅通り~境川~新木場駅~日本科学未来館 | 14.176/14.736km | 32 | 37 | 32 | 37 | |||
急行05折返-4 | 亀戸駅通り→境川→新木場駅→日本科学未来館 | 13.146/13.706km | 5 | 5 | |||||
急行05折返-3 | 錦糸町駅←亀戸駅通り←境川←新木場駅←東京ビッグサイト駅 | 12.110km | 3 | 3 | |||||
急行05折返-5 | 亀戸駅通り→境川→新木場駅 | 6.070km | 1 | 1 | |||||
陽20 | 東陽町駅~江東高齢者医療センター~南砂町駅~旧葛西橋~東大島駅 | 6.506km | 11 | 11 | 12 | 12 | 12 | 12 | |
直行03 | 錦糸町駅~亀戸駅通り~境川~新木場駅~日本科学未来館 | 14.176/14.736km | 5 | 5 | |||||
錦18-2 | 錦糸町駅~亀戸駅通り~境川~新木場駅~国際展示場駅 | 12.125/12.095km | 6 | 6 |
現在
基本データ
住所 | 江 東…墨田区江東橋四丁目30番地1号 (昭和42年5月1日住居表示実施) |
開設期間 | 江 東…昭和17年2月1日~ |
交通機関 | 江 東…バス:江東車庫前 鉄道: [JR・メトロ]錦糸町 |
基本配置 | 旧基本車種:日産ディーゼル、旧合成音声機:クラリオン、旧次停留所機:レシップ |
沿革
年月日 | できごと |
S13. 7 | 地下鉄バス江東営業所が開所 |
S16. 4. 1 | 大島営業所が開所 |
S17. 2. 1 | 陸上交通事業調整法に基づいて一元化、東京市電気局江東自動車営業所となる |
S19. 3.28 | 戦災で被害を受けた洲崎営業所の機能を吸収 |
S20. 4. 1 | 戦災により大島営業所を廃止 |
S21.10. 1 | 東荒川営業所を江東自動車営業所東荒川分車庫に格下げ |
S22. 8. 5 | 洲崎分車庫を開設 |
S24. 3.18 | 洲崎分車庫を洲崎自動車営業所に格上げ |
S24.12.10 | 東荒川分車庫を東荒川営業所に格上げ |
S43. 9.29 | トロリーバス廃止により今井無軌条電車営業所を廃止、代替で今井支所を開設 |
S46. 3.18 | 今井支所の所属を江戸川営業所配下に変更 |
S47.10.15 | 葛西分車庫を開設 |
S47.10.20 | 葛西分車庫を葛西自動車営業所に格上げ |
S52. 4.30 | 営業所の建物が建て替え完成、新庁舎にて営業開始 |
歴代所管一覧
年月日 | 所管開始時の区間 | 所管開始 | 所管終了 | 備考 |
15[1] | 錦糸町駅~大島7 | S21. 3.15 | S21.夏 | →系統番号変更(16[2]) |
16[1] | 錦糸町駅~三角 | S21. 3.15 | S21年度 | →系統番号変更(15[2]) |
17[1] | 亀戸駅~葛西橋~新田 | S21. 3.15 | S22.12.30 | 休止→廃止 |
15[2] | 錦糸町駅~三角 | S21.夏 | S46. 3.16 | →移管(江戸川) |
16[2] | 錦糸町駅~大島7 | S21.夏 | S21. 7.31 | 廃止 |
19 | 東雲~東京駅南口 | S21. 5.20 | S24. 3.16 | →移管(洲崎) |
22 | 新小岩駅~今井 | S21. 8. 1 | S24.12. 9 | →移管(東荒川) |
25[1] | 亀戸駅通り~東京駅北口 | S22. 5.15 | S23. 9.30 | 廃止 |
107 | 市川駅~東京駅北口 | S22. 6.25 | S45. 8.15 | 廃止 |
16[3] | 錦糸町駅~浦安 | S22. 7.16 | S23. 7.31 | 廃止 |
26 | 境川~浅草寿町 | S22. 8. 5 | S24. 3.16 | →移管(洲崎) |
27 | 袖ヶ浦~門前仲町 | S22. 8. 5 | S24. 3.16 | →移管(洲崎) |
特区 | 東荒川~西荒川 | S22.12. 1 | S24.12. 9 | →移管(東荒川) |
25[2] | 同潤会~浅草寿町 | S23.10. 1 | S24.12. 9 | →移管(東荒川) |
28 | 錦糸町駅~大島7 | S24. 4.15 | S47.10.14 | →移管(葛西) |
29 | 錦糸町駅~浦安橋東詰 | S24. 8. 8 | S37. 5.31 | →移管(江戸川) |
128→橋27 | 小岩駅~新橋駅 | S26. 4. 1 | S49. 8.14 | →短縮(錦27) |
37[1] | 両国駅~東京駅八重洲口 | S26.12.25 | S45. 3.31 | 廃止 |
41 | 押上駅~東京駅八重洲口 | S27. 7. 5 | S47.10.19 | →移管(葛西) |
66[1] | 亀戸駅~北砂町1 | S29.10. 2 | S39. 5.14 | 廃止 |
26 | 葛西橋~秋葉原駅 | S32年度 | S47.10.14 | →移管(葛西) |
137 | 錦糸町駅~千住2 | S40. 9.25 | S44. 8.31 | 廃止 |
26乙 | 新葛西橋~東京駅八重洲口 | S45. 4. 1 | S47.10.14 | →移管(葛西) |
516 | 大塚駅~錦糸町駅 | S46. 3.18 | S47.11.11 | →撤退(大塚) |
536→錦11 | 錦糸町駅~築地駅 | S46. 3.18 | H17. 3.31 | →移管(臨海) |
東22 | 東京駅北口~東陽町駅~錦糸町駅 | S47.11.12 | 運転中 | |
門33 | 豊海水産埠頭~亀戸駅 | S47.11.12 | 運転中 | |
上35 | 亀戸駅~須田町 | S47.11.12 | S52.12.15 | 廃止 |
錦27 | 小岩駅~箱崎町 | S49. 8.15 | S57.12.25 | →移管(江戸川) |
亀21 | 東陽操車所~亀戸駅 | S52.12.16 | H1ごろ | →撤退(深川) |
銀16→都04 | 東京駅南口~豊海水産埠頭 | S57.12.26 | H15. 3.31 | →移管(深川) |
錦27 | 小岩駅~箱崎町 | S63頃 | H21. 3.31 | →撤退(江戸川) |
東22乙 | 東京駅北口~IBM箱崎ビル | H 1. 4.10 | H 5. 3.26? | →撤退(巣鴨・千住) |
深夜08 | 錦糸町駅~旧葛西橋循環 | H 1. 6.19 | H 7.12.29 | 廃止 |
上26 | 亀戸駅~上野公園 | H11. 3.31 | H21. 3.31 | →移管(青戸) |
亀21 | 東陽町駅~亀戸駅 | H12.12.12 | 運転中 | |
東22乙 | 東京駅北口~IBM箱崎ビル | H12.12.12 | H20. 3.31 | →移管(臨海) |
東20 | 東京駅北口~白河~錦糸町駅 | H13. 7.20 | H17. 3.31 | →移管(臨海) |
都07 | 錦糸町駅~門前仲町 | H15. 4. 1 | 運転中 | |
亀23 | 亀戸駅~江東高齢者医療センター | H16. 3.29 | 運転中 | |
急行05 | 錦糸町駅~テレコムセンター駅 | H17. 3.28 | 運転中 | |
錦13 | 錦糸町駅~晴海埠頭 | H17. 3.28 | H21. 3.31 | →撤退(深川) |
錦18 | 錦糸町駅~新木場駅 | H17. 3.28 | 運転中 | |
急行06 | 森下駅~テレコムセンター駅 | H17. 7.17 | H24. 3.31 | →移管(臨海) |
陽20 | 東陽町駅~江東高齢者医療センター | H19. 3.26 | 運転中 | |
都04 | 東京駅南口~豊海水産埠頭 | H21. 4. 1 | 運転中 |
車庫の歴史
ここでは、江東・大島営業所の歴史について述べるが、まずは先に東京市バスの営業所として開設された大島について記そう。大島は、営業所としては昭和16年4月に開設された。昭和初期、旧東京市外に路線網を広げていくべく各地に車庫が増設されて行ったが、財政難や用地買収の遅れで難航し、かなり遅れての開設となった。
▲市営バス案内(昭和12、東京市電気局)
▲国土変遷アーカイブ(昭11、陸軍撮影)
車庫自体は昭和10年12月に開設されていたようで、「大島車庫」の停留所名も同時期に見えるが、操車所程度の扱いだったと思われる。当初は[28](三ノ輪~大島車庫・南砂町、新谷町(後の南千住)と共管)、[31](大島七丁目~東京駅降車口)、[10](新宿駅~浜町中ノ橋、新宿と共管)、[24](千住車庫~浅草~大島車庫、千住と共管)の4系統を所管し、他車庫との共管が多いのが特徴であった。車庫の正確な用地は不明だが、航空写真で既に宅地化が進んでいるところにあった空き地から考えるに、西大島駅交差点の北西、左図の110, 137~140番地に相当する土地にあったのは間違いないと思われる。
▲火災保険特殊地図(昭28、都市製図社)
▲本所区詳細地図(昭16、日本統制地図)
江東営業所は、昭和13年7月に東京乗合自動車(通称青バス)の営業所として開設された。既に宅地化が進んでいた地域であり、元々何かの敷地として使っていたのかは不明である。東京乗合自動車は、昭和12年に城東電軌を買収して、錦糸堀(錦糸町駅)から小松川や境川・宇喜田・浦安方面の路線などを手中に収めており、主にこれらの路線を所管していたと思われる。同じく昭和12年には、隣接する総武線沿いの錦糸町駅前のスペースを使い、劇場・映画館が集まるレジャー施設「楽天地」が開業した。それ以前の昭和初期の地図では該当部分はまとめて空き地となっていることから、再開発のようなことを行ったのだろうか。
昭和17年2月現在(統合後) 2つの車庫の名が見える▲
▲昭和16年1月現在 明治通り上に路線が延びる
昭和17年2月に戦時中の陸上交通統合により、全て東京市の運行に一元化することになったが、このとき大島は永代通りを走る[56](南砂町~永代橋~東京駅降車口)、江東は新たに再編で誕生した[41](小松川~平井駅~雷門~日暮里駅)や葛飾乗合が運行していた[58](洲崎~元八幡~袖ヶ浦)も新たに所管した。
戦中の改編により路線の短縮・廃止が進んだが、都電と重複しない部分は引き続き運行が続けられた。下町の路線網は比較的安定しており、昭和19年5月の改編の時点でも、都営バスで残っていた全34系統のうち大島・江東関係分は少なくとも12系統あり、重要な役割を占めていたと言える。なお、同時に戦時統合で誕生した洲崎営業所は廃止されて分車庫に格下げされており、江東の配下になっていた。
しかし、昭和20年3月9日の東京大空襲では折からの強風にあおられて瞬く間に火災が拡がり、現在の江東区・墨田区の大半が消失した。都営バスも江東・洲崎・大島の各車庫が被災したが、大島は車輌・建物の区別なく焼け野原になったという。洲崎も車庫と事務所が全焼し、鉄筋車庫の外形だけを残すのみとなった。江東車庫は奇跡的に全焼を免れたものの事務所に直撃弾を受け、死者1名を出している。
▲国土変遷アーカイブ(昭22、米軍撮影)
これにより路線網も壊滅的となり、昭和20年4月の改編では江東の手によって[14](三角~亀戸駅)・[15](今井~錦糸町駅)・[16](新田~錦糸町駅)・[17](南砂町~東京駅)の4系統が運行されるのみとなった。
これと同時に、大島営業所は廃止となった。資料によっては廃止日を昭和21年4月1日としているものもある(代表格は交通局40年史で、その後の50年史以降もこの記載を継いでいる。)が、東京都の当時の公報で記された廃止の日付は昭和20年4月1日であり、誤植であろう。
洲崎は、放棄されなかったもののまともに使われておらず、戦後の昭和21年3月には、江東は[15](錦糸町駅~大島七丁目)・[16](亀戸駅~小松川橋~三角)・[17](亀戸駅~葛西橋~新田)の3系統のみを受け持っていた。その後、昭和21年は[19](東京駅南口~門前仲町~東雲)、[22](新小岩駅~今井)、昭和22年には[25](東京駅降車口~亀戸駅通り)、[26](境川~新大橋~浅草寿町)、[27](袖ヶ浦~門前仲町)、[特区](東荒川~西荒川)などが相次いで開通し、江東・江戸川区全体を受け持つ営業所となっていった。
だが、昭和24年に洲崎・東荒川営業所が相次いで営業所として復旧すると、江東区南部の路線は洲崎に、江戸川区の路線は東荒川に移管された。これにより、江東の所管路線は総武線以南・永代通り以北のエリアに集中した。ただし、昭和30年代までは[15](錦糸町駅~三角→[錦25])、[29](錦糸町駅~浦安→[亀29])を江東が持っていたのは興味深い。このほか、江東区をあまり走らない路線としては、昭和26年12月開通の[37](両国駅~東京駅八重洲口)、27年7月開通の[41](平井三丁目~押上駅~東京駅八重洲口→[草32])が挙げられる。
▲goo地図(昭38)
江東区内は都電が密に引かれていたため、並行する区間はあまりバス路線が設定されず、都電の路線網を補完する役割であった。
民営との相互乗り入れ路線の数は少なく、昭和22年6月に開通した[107](東京駅降車口~市川駅)、昭和26年4月の[128](小岩駅~新橋駅→[橋27])の2系統のみで、いずれも京成と相互乗り入れを行っていた。元々城東方面は山手線内から都県境近くまでが都営バスのエリアであり、他社エリアまで乗り入れる必要性が乏しかったのだろう。
路線開設も昭和20年代後半に一段落となり、昭和30~40年代前半は移管・新設はほとんどなかった。昭和32年に[26](秋葉原駅~葛西橋→[秋26])が洲崎から移管されてきたが、逆に江戸川区に飛び出る[29]は昭和37年に江戸川(旧)に移管された。他には、昭和40年9月には3番目の京成バスと共同運行系統として[137](錦糸町駅~千住二丁目)が開通したが、乗客数が少なかったことから昭和44年8月限りで廃止された程度である。
大きく変わるのが、都電の全廃と葛西営業所の開設である。江東区内には南北に結ぶ鉄道路線がないため、都電の利用率は高いものがあった。これらが全てバス代替されて多くの車輛が必要となることもあり、昭和47年に新たに葛西営業所を開き、江東・葛西の間で路線の所管の見直しが実施された。葛西については江戸川営業所の項を参照されたい。
昭和46年3月の都電廃止時には、[536](錦糸町駅~築地)のほか、[516](大塚駅~錦糸町駅→[塚20]→[都02])を大塚と共管で担当することとなったが、この時は [107]が既に廃止されていたこともあり、[15]を江戸川(現臨海)に移管することで対応した。また、トロリーバスの廃止により開設された今井支所は当初江東営業所の配下であったが、昭和46年3月に江戸川配下へ変更された。
昭和47年の都電廃止では、より多くの車輛数が必要となるため、まず10月の葛西開所時に[26](秋葉原駅~新葛西橋)・[28](浅草寿町~新葛西橋)・[41](平井駅~東日本橋駅)を葛西に移管し、準備期間を置いて11月に[東22](東京駅北口~錦糸町駅)・[門33](豊海水産埠頭~亀戸駅)・[上35](亀戸駅~須田町)の3系統を受け持つとともに、[516]からは撤退した。なお、漢字+数字2桁の新系統番号が施行されたのはこの代替のときからである。当初は昭和47年9月末に廃止される予定であったため、前ページの図では500+都電系統の旧番号となっていたが、結果的にこの番号が使われることはなかった。
この結果、戦後直後から持ち続けた路線は[橋27](昭和49年8月からは短縮されて[錦27])の1路線のみとなり、大きく受け持ちが変更されたことが分かる。これにより、主に江東区西部の路線を受け持つ営業所となり、明治通り沿線など東側は葛西が中心として担当した。
▲柳島…上/国土画像情報(昭49)、下/goo地図(昭38)
この間に営業所の建て替えも行われた。京葉道路に面して格納庫が並行に並ぶ露天の車庫であったが、上に都営住宅を建設して今の姿に生まれ変わった。この工事に伴い、昭和48~52年の間は柳島の都電車庫の建物と跡地を利用していた。昭和52年5月に新庁舎が完成して再び元の土地に引っ越した。都営江東橋四丁目アパートに大部分蓋をされる都営バスでは斬新な構造で、所属車輛数からすると夜間は車でびっしり埋まってしまうため、入れ替えを効率よく行うためにトラバーサーやターンテーブルも車庫の奥に備え付けられた。
余裕がなかったという意味では、葛西営業所の境川、現在の江戸川営業所の東小松川分駐所のように夜間停泊を別途行う分車庫を作らなかったのは興味深いと言える。東陽操車所はまとまった広さではあったが、夜間は無人となる折返所であった。都は当初は柳島を折返所として存続することを提案していたが、地元との交渉がまとまらず、結果的に全て亀島小学校の敷地として使われた。
以降も、錦糸町駅と亀戸駅の中間にあるという立地条件の良さから、他営業所との担当交換が比較的多く推移した。営業所の歴史は所管交換の歴史ともいえる。
昭和52年12月には[上35]が廃止されたが、代わりに深川から[亀21](亀戸駅~東陽町駅)を受け入れた。昭和57年12月には[錦27]を江戸川に移管し、代わりに [銀16](東京駅南口~豊海水産埠頭)を受け入れた。[銀16]は昭和63年には都市新バス化されてグリーンアローズ[都04]となり、杉並とともに都市新バス担当営業所に加わった。
▲国土画像情報(昭59)
昭和63年頃より[錦27]を再び受け入れて江戸川・江東の共管となり、平成元年頃には[錦27]が再び江東の単独所管となるのと入れ替えに[亀21]が深川に出されている。平成元年には [東22]の枝線として東京駅北口~IBM箱崎ビルが巣鴨・千住との3営業所共管で開通、また城東地区初の深夜バスとして[深夜08](錦糸町駅~旧葛西橋)が開通したが、[東22乙]は平成5年頃に撤退し、深夜バスは利用不振で平成7年末をもって廃止されてしまった。
平成11年3月には[上26](上野公園~亀戸駅)を巣鴨から受け入れ、大塚との共管となった。路線の位置から考えると江東の所管は自然であり、車庫容量の関係でかつては所管できなかったものが、他系統の減便・運用効率化で多少の余裕が生まれた故の所管と見るのが妥当だろうか。
平成12年12月の大江戸線改編では、路線廃止はなかったものの[門33]が半減されたのをはじめ減便改正となった。この改編で、[亀21]・[東22乙]を再度江東に移管している。[亀21]は3度目の移管である。平成13年7月には[東20](東京駅北口~東京都現代美術館~錦糸町駅)が開通し、久しぶりの新設路線となった。
これで所管路線網は安定するかと思いきや、再度城東地区はシャッフルが起こる。臨海のはとバス委託に伴い、江戸川区内の直営系統を葛西改め江戸川に担当させ、江東区側で葛西が持っていた路線は葛西から江東に移管、そして臨海には江東・葛西の不採算路線を中心に段階的に移管された。その過程で深川ともバランス調整で移管が生じた。
葛西から江東への移管路線の代表としては、[都07]が挙げられる。江東の前を通りながら路線から遠く離れた葛西の所管であったが、平成15年4月から江東・葛西の共管になり、平成16年3月からは江東単独所管になった。その他、平成16~17年に起こった路線の転出は次の通りである。
・江東→江戸川…[錦27](共管化)
・江東→臨海…[錦11][東20]
・江東→深川…[都04]
また、転入は以下の通り。
・葛西→江東…[都07][亀23]
・深川→江東…[錦13](共管化)、[急行05][錦18]
この後、平成19年3月に[陽20](東陽町駅~江東高齢者医療センター)が開通した。平成20年4月より[東22乙]は臨海に、平成21年4月からは[上26]は青戸に、[錦13]は深川の単独所管に、[錦27]は江戸川の単独所管になってそれぞれ運行から撤退し、一方で深川に移した[都04]を再び江東所管に戻し、現在の路線網が出来上がったと言える。
平成24年4月には[急行06](森下駅~日本科学未来館)も臨海に移管された。平成17年に開通した新しい江東区西部からお台場へのアクセスを改善すべく、区が補助を行っている路線だが、より運行経費の圧縮を図る目的もあるのだろうか。
この結果、所管系統数は一時期より減っているが、所属車輛はそこまで減っていない。[都04][都07][東22]などの増便により所要車輛数が増加している影響と思われる。深川とともに、都心回帰に合わせて乗客が多く見込める路線が多く、今後も動きに期待できる営業所と言えるだろう。