都営バス資料館

葛西22

[葛西22]←[浦22]←分割[新小22]

担当営業所

臨海支所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
葛西22 葛西駅~雷~今井~一之江駅 5.568/5.588km 28 28 27 28 28 28


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
浦22 S50.8.1 江戸川 10.027km 新小22を分割、浦安終点→浦安橋→西瑞江5→今井→浦安橋→浦安終点が開通
葛西22 S53.11.1 江戸川 9.847km 葛西駅→浦安橋→西瑞江5→今井→浦安橋→葛西駅に変更、葛西22とする
葛西22 S59.11.13 江戸川 9.777km 葛西駅ターミナルの変更による経路変更
葛西22 S61.9.14 江戸川 5.642km 新宿線篠崎延長により亀29の末端部と統合、葛西駅~雷~浦安橋~一之江駅に変更
葛西22 S62.5.5 臨海 5.642km 起終点を逆転、今井支所・江戸川営業所を臨海営業所へ新設統合、臨海へ移管
葛西22 H16.4.1 臨海 5.642km はとバスに運行を委託
出入 H16.4.1 臨海 *** 一之江駅~葛西駅~臨海車庫、葛西駅~富士公園~コーシャハイム南葛西を[臨海28]から改番
出入 H26.4.1 臨海 *** 出入系統の名義を[臨海28乙]に変更

路線概要


 葛西駅から一之江駅を江戸川沿いに結ぶ。歴史的経緯上、葛西駅から南側を一旦回り込んで一之江駅に向かう。本数はやや少な目で、中型系での運転が主となっている。
葛西駅から一之江駅に出る場合、選べるルートは3通りの選択肢がある。その内で最もマイナーで、しかし最も面白いのが[葛西22]だろう。葛西駅の地下鉄博物館側から発車したバスは、いったん環七を南下していく。清砂大橋通りとの交差点をすぎ、仲町西組停留所の先にある中葛西八丁目交差点を左折し、新田仲町通りへと進んでいく。
「この先道路が狭く、危険ですから、窓から手や顔を出さないようお願いします」と注意放送が流れる。一応センターラインはあるが、すれ違うのがやっとという道幅である。今となっては信じられないが、この道が東西線開業前は葛西の集落のメインストリートであった。
次の停留所名は「小学校通り」で、第二葛西小学校を指しているのだろう。そのまま直進すると「雷」停留所。都営バスで最も短い1文字の停留所であるが、さて読み方はというと、「かみなり」ではなく「いかずち」。清砂大橋通りとの交差点にある真蔵院が、通称雷不動と呼ばれており、地名の由来となっている。
雷交差点からは道路が90度曲がり、旧江戸川沿いに北上していく。葛西橋通りの下をくぐると浦安橋停留所。この付近から地下鉄東西線に乗る場合は浦安橋を渡り浦安駅に出る方が近い。旧江戸川に浮かぶ珍しい天然島「妙見島」も、ここが最寄りとなる。
さらに進み新川口停留所。停留所は新川口橋を挟んで設置されているが、ちょうどここが新川の入口にあたる場所だから「しんかわ-ぐち」であって、「しん-かわぐち」ではない。
江戸川五丁目停留所からは[新小22](新小岩駅~葛西駅)が合流し、同じ経路で一之江駅へと向かう。堤防に沿うように北上し、水門が見えてくると瑞江中学校前停留所に停まる。

ここで交差点を右折して架け替えとなった瑞穂大橋を渡ると今井児童交通公園があり、その先の交差点を新大橋通りに左折すると、かつてのトロリーバスの終点だった今井に到着。瑞江大橋を渡ると程なく一之江駅に到着し、葛西駅方面へと折り返していく。

歴史

 昭和50年8月に[新小22](新小岩駅~浦安終点:当時)から分離して誕生した[浦22](浦安終点~今井循環)がこの系統の源流である。[新小22]や浦安への乗り入れについての歴史は。
[浦22]は浦安終点→浦安橋→新川口→(環七)→今井→浦安橋→浦安終点という循環路線になったが、分断後の本数は35回程度と少なく、今井・一之江付近の住民にとって、敢えて[浦22]で浦安に出るよりも本数の多い[新小22]で葛西駅に出る方が便利であり、昭和52年度の運輸成績では乗客408人/日、収支係数278という当年度ワースト1を記録した。
 そこに初代浦安橋(昭和14年架橋)が老朽化で昭和53年に架け替えられ、取り付け道路も立派になって江戸川沿いの道路から浦安橋に出入りできなくなるのを機に、[浦22]は葛西橋通り経由で葛西駅発着へと変更され、系統番号も[葛西22]と改められた。
 葛西駅変更後は[新小22]の経路違いのような感じになり、[葛西22]の独自区間は葛西工業高校か新川口
付近のみとなった。宅地化が進んだからか、[新小22]が来ないからたまたま乗ったという乗客が意外といたのか、昭和55年度には1,000人/日を越えたものの、営業係数は170前後とかなりの赤字だった。
 昭和61年9月の都営新宿線篠崎延伸に伴う再編で、葛西橋通りの区間を捨て、[亀29]が走る雷を経由するようになった。このとき、[亀29]の葛西駅発着は大幅減便となっている。

平成2年3月には細々と走っていた[亀29]の葛西駅発着も廃止されたため、路線の半分以上が単独区間となり、葛西駅と一之江駅を旧江戸川沿い経由で結ぶフィーダー路線としての性格が明確となった。
 これで乗客数も安定するようになり、平成12年頃までの記録では、営業係数は依然として150前後と赤字だったが乗客数は1,300~1,400人/日と安定していた。
 そこに、平成11年に東葛西エリアを南北に走る [葛西21](葛西駅~葛西臨海公園駅)が開業した。[葛西22]は平成15年春改正で本数を削られ、道路が狭いこともあって日産ディーゼルのCNG中型車(G代)がほぼ専属で運用されるようになった。それ以外も中型ロングで運用が占められ、大型が入ることは非常にまれとなっている。
 平成27年度の乗車人員は1,058人/日とは減っており、営業係数は174と赤字である。平成28年改正ではさらに減便され、昼間は30分間隔になった。路線の片側が川で集客に限度があることを考えると仕方ないのかもしれないが、葛西駅から微妙に遠い浦安橋近辺はこの系統しかなく、やや不便ではある。

出入庫は番号流用

 平成16年のはとバス委託(臨海移管)後、一之江駅・葛西駅~臨海車庫の出入庫便の系統番号が、[臨海28]から[葛西22出入]に変更された。だが、同区間を運転する直営江戸川の便は [臨海28]の表示だった(冒頭の営業所の章も参照)。そもそも[葛西22]本線とは何の関係もない区間なのだが、当時葛西を冠する臨海の系統が[葛西22]だけだったためだろう。無番の葛西駅~富士公園~コーシャハイム南葛西も[葛西22出入]名義となった。なお、富士公園経由や葛西駅~臨海車庫の歴史については江戸川の[臨海28]の項を参照のこと。
 直営と委託で系統番号を分けたのは何らかの事情があったのかもしれないが、乗客の案内上は分かりづらい。結局、平成26年から[葛西22出入]は富士公園経由も含めて全て[臨海28乙]に改められた。この時点で僅かに残る方向幕車の表示は更新されず、一之江駅・葛西駅~臨海車庫の絡む運用には入らないようになった。

雷(いかずち)

 東西線のやや南、旧江戸川のほど近くに位置する停留所。「雷」はこの地域の字名であったが、今はバス停等に痕跡を残すのみとなっている。古くからの葛西の集落の外れの方にあたり、戦後すぐの時点で現在の[亀29]が通るようになった。「仲町東組」や「雷上組(いかずちかみぐみ)」などの停留所名や、区画整理されていない道路、通りをちょっと入ると屋敷があったりするところにかつての面影を感じさせる。
 また、毎年2月最終日曜に「雷の大般若」という奇祭が開催される。女装して本尊を収めた箱を担ぎ、地域の家々を回って歩き、無病息災を祈願するというもの。江戸川区のWebサイトによれば、江戸時代末期にコレラが流行ったとき、ある和尚が大般若経を背負って家々を回ったらコレラの被害が生じなかったこと、女装は結核にかかった妹のために兄が長襦袢を身に着けて厄払いしたことがきっかけと言われている。一時期は途絶えていたが、地元有志の手で約40年前に復活。区の指定無形民俗文化財に指定されている。

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