都営バス資料館

系統番号のひみつ

都営バスには、ほぼどの路線にも系統番号がついている。たとえば[都01]だったり[品99]だったり、系統の数は130以上にも及ぶ(平成19年現在)。配布される路線図(みんくるガイド)にも停留所にも、運行している車の前面・側面・背面にも全て掲示がなされており、案内に関してはマメに行っている事業者と言えるだろう。まずは、路線の基礎知識とも言える系統番号について取り上げてみよう。
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現在の系統番号の概要

現在の系統番号は、全て「漢字+数字2ケタ」という体系で成り立っている。近郊の大手事業者もほぼ全てこのシステムを採用しているが、東京バス協会と都区内大手事業者が主導して昭和47年より実施しているものである。それまでの状況については、6節以降を参照されたい。
さて、いろいろな事業者の系統番号を細かく見ていくと、系統番号のつけ方に各社なりのポリシーがあることがおぼろげながら見えてくるだろう。例えば、同じターミナルから出て同じ方面に向かう系統は十の位が同じで、一の位が違ったり、途中止まりに枝番号が振られていたりと、さまざまな法則がある。
事業者によって「路線」と「系統」の指し示す概念が異なるが、都営バスの系統は、系統番号によって管理されている。例えば、東急バスでは「大田品川線」という路線名がまず存在し、その配下に[品94]品川駅~大井町駅~池上駅~蒲田駅、[井03]大井町駅~池上駅~蒲田駅、[井09]大井町駅~池上駅のように複数の系統番号が存在するが、都営バスでは「●●線」という呼び名は存在せず、もっぱら[都01]や[田87]といった系統番号が路線名の代わりに存在している。

現在の系統番号の詳細

都営バスの方式の特徴として、「本系統と、それに付随する系統」を全て同じ番号で扱うという特徴がある。ややこしく書いたが、つまり[都01]と言えば本系統は「渋谷駅~六本木駅~新橋駅」だが、枝線や折返線である「渋谷駅~東京ミッドタウン」・「渋谷駅~赤坂アークヒルズ」・「渋谷駅
~六本木ヒルズ」・「渋谷駅~溜池」・「渋谷駅~南青山七丁目」等を全て含んでいる。他の事業者で
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▲同じ[都01]でも、さまざまな運行区間がある
あればそれぞれに他の数字を振ることも考えられるが、都営バスではあくまで全て[都01]である。
もちろんそれでは紛らわしいので、適宜方向幕の表示を変えたり「途中止まり」を強調したりすることで乗客への案内を図っている。
ただし、異なった経路を走る路線を一緒の番号にしてしまったのでは区別したいときにできないので、重要なものについては数字の後に枝番をつけることことがある。国際興業や西武バスでは数字の後に「-1」「-2」をつける例もあるが、都営バスは十干十二支の前の部分、「甲」「乙」「丙」「丁」…をつけることで対処した。例えば、[錦13]は[錦13甲]錦糸町駅~晴海埠頭と[錦13乙]錦糸町駅~深川車庫に分かれている。
もっと場合分けの多かった系統だと、平成12年に廃止された[田70](港区スポーツセンター~新宿駅西口)は以下のように分かれていた。

  • 田70甲 港区スポーツセンター~三の橋(←鳥居坂下、飯倉片町→)六本木~新宿駅西口
  • 田70乙 港区スポーツセンター~三の橋~飯倉片町~六本木~新宿駅西口(午後8時以降)
  • 田70丙 港区スポーツセンター~赤羽橋(←鳥居坂下、飯倉片町→)六本木~新宿駅西口
  • 田70丁 港区スポーツセンター~赤羽橋~飯倉片町~六本木~新宿駅西口(午後8時以降)

もちろん、このような区別を実際に乗客案内でしているわけではない。形態が本線と大きく異なり親番号だけ同じならば路線図や行先表示上に明記する例もあるが、ほとんどは書類上のための区別にとどまる。例えば上の[田70]は案内上は全て[田70]に統一されていたし、[錦13]も同様である。
案内上でも甲乙込みで案内している例としては、[東42甲](東京駅八重洲口~南千住)と[東42乙](浅草雷門~南千住)等が挙げられる。
ただし、これら枝番の取り扱いについては統一した基準というものは存在せず、どのくらい異なったら枝番をつけるかというのも系統によりまちまちである。[草39](甲:上野松坂屋~浅草寿町~金町駅、乙:金町駅~浅草寿町)のように途中折り返しで甲乙を分けるもの、[海01]のように大きく枝分かれする枝線を持ちながら番号を振らないという例もあるし、かつての[錦28甲](錦糸町駅~東大島駅)と[錦28乙](東大島駅~平井駅循環)のように全く関係ない系統を同じ番号にするという例もあった。同じ親番号であれば営業収支が共通で算出されるといった大人の事情もあったと思われる。
逆に、[田92](田町駅東口~品川駅港南口)・[浜95](東京タワー~品川駅港南口)のように番号が違うが同じ系統グループでダイヤも共通という系統が現れてきており、この流れが加速してきているほか、「-2」のようなハイフンつきの枝番も見られるようになってきている。
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▲方向幕での区別の例

都営バスの系統番号の意味

系統番号ごとに路線が区別されることは分かったものの、この「漢字+数字2ケタ」というあらわし方に意味はあるのだろうか。もちろんランダムにつけているわけもなく、法則はしっかり存在する。ざっと路線図を眺めただけでも、城南を走る系統には、[都01]は例外としても80番台や90番台が、新宿や池袋では70番台や60番台、王子では40番台、城東や江戸川では10番台や20番台の系統が多いことが分かるだろう。また、漢字が始発地の駅名から1文字か2文字取っているという系統が多いことも同時に分かる。
このシステムは前述の通り昭和47年の11月12日、都電が今の荒川線を残して全廃された日から実施された。この当時はまだ東京駅など、都心を中心として外に伸びていくという都バスの路線網が健在だったこともあり、法則は以下のようになった。付番当時に都営バスが用いた漢字は36種類あったが、「草」が浅草橋・浅草で重複しているため、純粋な漢字の種類で言うと35種類となる(臨時系統を除く)。この次点では、五反田の「反」や「葛西」、高田馬場の「高」、木場の「木」など、後から出来たものはまだ存在しない。逆に、「楽」「塚」など、今は存在しない漢字も存在する。
漢字と数字の関係は「漢字」の示すターミナルから「数字」方面へ伸びる路線だということになる。[田87]なら、田=田町駅から、80番台=渋谷方面に伸びる路線となる。このルールにより、2つ以上のターミナルを通る系統は都心側の漢字を名乗ることになった。[飯64](小滝橋車庫~九段下、付番当時は小滝橋車庫~九段下~茅場町)のように高田馬場駅・飯田橋駅を通る場合はどう考えても高田馬場のほうが大きそうであるが[飯]を名乗った。
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▲付番時の資料抜粋
番号体系としては、ターミナルごとに方面別に番号を振ることも考えられる。しかし、都営のように数多くのターミナルが存在し、各ターミナルの路線集積度がさほど高くない事業者では事業エリア全体で番号を割り振ったほうが番号の重複なく利用できるという意味あいもあったのだろう。他の事業者のように各駅ごとに[xx01]というのを発生させないことで、数字が主で漢字が従、数字で区別できれば良いという思想が読み取れる。なお、一の位はなるべく重複しないで付与するくらいの意味あいしかなかったようだ。
また、青梅・八王子地区の都バス路線にはまとめて70番台が割り振られた。00番台には築地市場の路線や特別運賃だった学バス、催物のある日だけ運行される劇場バスや競艇バス、球場バスなどに割り振られ、一般系統は全て10~99の枠に収まった。
なお、何事にも例外はあるもので、上記の番号体系に収まっていないものとして[渋66](渋谷駅~阿佐ヶ谷駅:京王と共同運行)がある。決まりからすると渋7xになるところだが、渋谷には別のルールが働いたためである。渋谷駅には各社の多数の系統が集まるため、各事業者で調整を行い、会社に関係なく方面別に番号を割り振った。[渋0x]は玉川通り(旧道)方面、[渋1x]は玉川通り(新道)方面、[渋2x]は世田谷通り方面……という具合である。そして、[渋6x]は富ヶ谷方面の系統となったため、[渋66]もそれに従った。
新宿・池袋でも同様な調整が行われたのだが、都営はそれを無視して番号をつけている。例えば、新宿では新宿駅西口~池袋駅東口を山手通り経由で結ぶ西武バスは[宿20]だが、同一の方面に向かうのは[宿62](新宿駅西口~大泉学園駅:短縮)だし、[宿73][宿91](新宿駅西口~新代田駅・大森操車所)は民営が使っていない60番台以降を割り当てている。新宿駅西口~目白駅~練馬車庫の系統番号はなぜか途中のターミナルをあてた[白61]だし、大幹線である池袋駅東口~王子駅~西新井駅も[王40]であり、[池xx]ではない。ターミナルの漢字をつけることで番号の縛りが発生することを嫌ったとも考えられ、都営の番号体系を優先していたということなのだろう。

系統番号の変質

しばらくはこの番号体系でうまくやりくりしていたのだが、再編計画による都心での相次ぐ路線廃止や短縮、また江戸川区でのフィーダー路線の新設などによって一部この規則に従わない系統も出てきた。例えば昭和54年に短縮されて誕生した[渋88](渋谷駅~東京タワー:当時)は[橋88](渋谷駅~東京タワー~新橋駅)を短縮したものだが、経路上のターミナルが渋谷駅しか存在しないため「渋」を冠した。ほか、路線が短縮・変更されてターミナルを変更した例を挙げる。
[浜59](浜松町駅~水道橋駅~巣鴨駅)→[水59](一ツ橋~水道橋駅~巣鴨駅)
[東71](東京駅北口~九段下~高田馬場駅)→[高71](高田馬場駅~九段下)
[茶60](御茶ノ水駅~東大農学部~池袋駅東口)→[上60](上野公園~東大農学部~池袋駅東口)
また、路線を分割した際も、番号は両方に同じものが引き継がれた。会社をまたいで番号が引き継がれた例もある。
[上26](上野公園~亀戸駅~今井)→[上26](上野公園~亀戸駅)・[亀26](亀戸駅~今井)
[新小22](新小岩駅~今井~浦安終点)→[新小22](新小岩駅~今井~葛西駅)・[浦22](浦安終点~今井循環)
[宿91](新宿駅西口~新代田駅~大森操車所)→[宿91](新宿駅西口~野沢交番:都営)・[森91](新代田駅~大森操車所)
また、都心から志村・葛飾・墨田方面の系統の廃止によって元々多くなかった30番や50番台は廃止された系統も多く、番号にかなりの歯抜けが生じた。逆にニュータウンが拓かれ、路線の新設が多かった江戸川区は20番台の系統が多く開通し、重複が多くなった。湾岸地区の路線新設が多い90番台も同様であった。
さらにこの法則を骨抜きにしたのが都市新バスの存在であった。本来臨時系統の番号である00番台を転用し、昭和59年3月に[橋89](渋谷駅~六本木~新橋駅)を[都01]と名を変えて大々的なサービスアップを行って好評を博した。その後も[塚20]→[都02](大塚駅~錦糸町駅)、[銀71]→[都03](新宿駅西口~晴海埠頭:当時)…と続き、現在では[都08]まである。
そのほか、普通の系統とはちょっと違うという意味あいで00番台が多く使われるようになった。嚆矢は昭和54年開通の[海01](品川駅東口~海上公園)だろう。当初は台場への行楽輸送という非日常的な系統だったが、年を追うごとに一般系統[門19]を飲み込んで巨大化し(→第1巻参照)ていった。[海0x]シリーズは他に[海02](東陽町駅~フェリーターミナル:廃止)、[海03](東京テレポート駅~清掃局庁舎:廃止)と続き、他に[虹01](浜松町駅~東京ビッグサイト等)、[夢01](錦糸町駅~新木場駅→[急行05])、[梅01](青梅駅~玉堂美術館)、そして平成12年の改編で誕生した[FL01][急行01][直行01]等、0番台が乱立状態となった。
現在のお台場はほぼ全て数字が0番台の路線だけという状態で、前掲の表に「00~09 都心より南東方向を主としたお台場方面」と加えておけば良いのではと感じるくらいだ。
このように現在では法則性も薄れてきており、単に「この地区を走るのでこの番号」といった意味合いが参考程度にあるくらいとなっている。

近年の系統番号の変化

平成に入ると、系統番号を分かりやすくしようという試みが起こる。まず平成6年に肥大化した[新小29]グループから、葛西駅から南側を走る環七系統や臨海車庫発着の出入庫を全て[臨海28]として独立したり、大井町駅東口~天王洲アイル循環を[品91]から[井96]に、大井町駅東口~大井埠頭を[品98]から[井98]に独立したりという系統番号分化の動きが起こった。このときは上記の系統が変更を受けた程度だった。
しばらく経って、ここ数年でまた系統番号の変化が起こっている。例えば、平井で全く異なる系統を同じ番号にした[平23甲](平井操車所~葛西駅:当時)と[平23乙](平井駅~上野松坂屋)は[平23]・[上23]に改番、前述の[錦28甲][錦28乙]も同時に[錦28][平28]となった。また、新宿では新宿駅西口~東京女子医大を結ぶ[宿74甲](抜弁天経由)と[宿74乙](医療センター経由)、そして抜弁天経由で女子医大の先、三宅坂まで結ぶ[宿75]が改編され、医療センター経由は[宿74]、抜弁天経由は全て[宿75]となった。
この他、上で挙げた[里22]と、後から開通した[南千47][南千48]も同様に番号を分けた例である。
30番台と言えば、20番台の番号が数多く走っている江戸川区内では、飽和した結果30番台の転用も起こってきている。平成11年から1年間試験運行を行った船堀駅~一之江駅~小岩駅の系統は[船31]を、また平成14に運行を開始した東新小岩駅北口~葛西駅~東京臨海病院は[新小30]を名乗った。双方とも江戸川区内でほぼ完結しているが、20番台が飽和してきたということで、境界エリアであれば転用もやむなしといった観がある。前述の[南千47][南千48]も[里22]との番号の関連性が薄く、どうせならあまり使っていない30番台を割り当てて、[里32][亀32]等一の位を合わせたほうが良かった気もする。
逆に、大人の事情で分かりにくなっている例も存在する。臨海車庫は平成16年からはとバスに委託されたのだが、臨海車庫から環七経由葛西駅・一之江駅の出庫には[葛西22(出入)]という番号が与えられた。もともとこの区間には前述の[臨海28]があったのだが、これはこれで江戸川営業所担当で同一区間を走っている。[葛西22]は臨海支所担当の葛西駅~雷~一之江駅であり、環七とはほとんど関係がない。紛らわしいばかりか、葛西駅から全く違う方向に走る一之江駅行きが[葛西22]を名乗っていることになる。委託系統と本局所管系統で同じ番号を名乗れないという事情でもあるのだろうか、乗客案内上でも不満の残る内容だ。同様の例が、[西葛26(出入)]と[西葛20]の臨海車庫~葛西臨海公園駅にも見られる。
また、枝番についても変化が見られる。最近の開通した系統については今まで述べてきた通り、番号を分けることが多くなってきている。甲乙も新たに振ることとは少なくなり、枝番も形骸化してきている。
そのような中で登場したのが、平成15年3月に開通した[王46](王子駅~加賀団地)である。朝ラッシュ時のみ、荒川土手→宮城二丁目間で江北橋下を経由するのだが、これの方向幕には[王46-1]の表記があった。都営でハイフンつきの枝番を採用したのはこれが初めてである。ハイフンつきの案内があったのは方向幕のみで、他は全て[王46]と一括した案内であった。方向幕の担当者が間違えたのか、それとも意図的にこうなったのかは謎だ。もっとも、この枝番表記も平成18年1月の経路変更で朝のみの専用経路が消滅したため、短い期間で過去帳入りした。
もうひとつ枝番と言えば、平成17年3月に開設された[錦27-2](小岩駅~船堀駅)が挙げられる。[錦27](両国駅~小岩駅)の弟分で、江戸川区内の連絡と出入庫を兼ねて運行している。錦糸町駅を通らないので[船27]あたりにしておけば良さそうなものだが、LED行き先表示では[錦27-2]となっている。

戦前の系統番号

それでは、昭和47年に今の形式の番号を使い出すまでは、どのようなシステムで番号をつけていたのかというと、もっぱら数字のみで区別していた。現在でも横浜市営が使っている数字式の系統番号である。
いつから系統番号を使い始めていたかだが、年史等によると本格運行を開始した大正13年の時点で既に番号が振られている。ただし、これがどこまで案内として使われていたかは分からない。これが昭和初期に番号が振り直され、昭和5~6年に大改編があってほとんどの系統の番号が変化したものの、昭和17年1月まで使われた。昭和になると、各種案内図にも系統番号の記載があり、案内として使われていたのは確実である。この当時は、[1]~が通常系統、[51]~が割安な特区系統(5銭均一)と区別されていた。
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昭和17年1月には戦時中の交通調整で現在の都営バスのエリアの運行を全て東京都(当時は東京市)が行うことになり、統合されて[1]~[64]まで全64系統に肥大した。しかしそれも長く続かず、戦中の燃料不足や軍需輸送への振り分けのため不要不急路線の休止が急速に進み、1年に1回以上のペースで大改編が行われ、そのたびに番号が振り直された。ここまで何回も変化すると案内の意味をなしていないのではないかと思うが、路線図や新聞にはその都度、新番号つきの案内が出ていたので一応案内としては使っていたのだろう。しかし最後の昭和20年6月の改編で残ったのはわずかに12系統([1]~[12])で、山手線内の路線はほぼ全滅していた。
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▲終戦時(昭和20年8月)の路線概要図(丸数字は系統番号)
戦後すぐの昭和21年3月に輸送力増強の改編が行われ、番号が振り直された。このとき全18系統へと組み替えられたが、これが最後の旧番号の振り直しであり、昭和47年まで残る大本となった。
なお、ここまでの番号振り直しには共通した特徴がある。それは、いずれも品川~浜松町をターミナルとする系統を1系統とし、目黒・渋谷・新宿・池袋・荒川・墨田・江東……とと半時計回りに原則として番号を振ったことである。この振り方は、現在の都営バスの営業所の順番(A品川、B渋谷、C新宿……)や、かつての都電の系統番号、また都市計画の放射道路(1号第一京浜、2号中原街道、3号目黒通り……)と相通ずるところがあり、興味深い。
旧番号の[1]系統と言えば、現在の[田87](田町駅~渋谷駅)であるが、なぜこの系統が[1]なのかというと、戦中も最後まで生き残り、城南地域はこの系統しかなかったからである。となると、品川から半時計回りで振ったときに[1]となるのは必然であったと言える。このサイトでの「旧系統番号」は、原則として昭和21年3月以降に付けられた数字の系統番号を指している。

戦後の旧番号

昭和21年3月の改編で旧番号のシステムは出来上がったのだが、あまり分かりやすい体系とは言えなかった。系統の種別が増える度に種類を増やしていったためであるが、最初から行き当たりばったりであった。ここでは一つ一つについて解説していこう。
まず存在したのは[1]~の一般系統である。最初に存在した[1]~[18]以外は、欠番がない場合はほぼ開通順の番号をつけており、年代順の番号と言える(これは100番台にも言える)。ただし廃止・改番によって欠番が生じた場合は頻繁に使いまわしが行われており、あまり利便性の高い番号とは言えなかった。
そこに最初に現れたのが、昭和22年2月に誕生した[102]荻窪駅~東京駅南口である。急増する利用客により車輌の超大型化が模索され、牽引式のトレーラーバスが投入された。[102]はトレーラーバス専属だったようで、一般系統と区別するという意味があったのかもしれない。しかし、その4ヶ月後にはご都心・郊外の民営相互乗り入れバスが誕生し、こちらも100番台を名乗ることになり、昭和24年9月には[102]は[300]に改番されてしまった(後に[102]の番号は東急との相互乗り入れ路線、東京駅八重洲口~渋谷駅~等々力が使用)。100番台はその後は相互乗り入れ(共同運行)系統が専門で使うことになり、こちらも年代順に番号が振られた。ただし、一般系統と相互乗入系統には厳然たる壁があり、相互乗入化したときや相互乗入を廃止したときは改番が行われ、全く関連性のない番号になった。例えば、[122]東京駅八重洲口~五反田駅~多摩川大橋→短縮後は[6]東京駅八重洲口~五反田駅となっている。
昭和24年7月には、通学輸送を主とする割引運賃の学バスが運行を開始した。こちらは[学1][学2]…と初の漢字入り系統を名乗ったが、ほどなくして[50][51]…に改番された。また、8月には多摩地域の振興を目的として青梅~荻窪駅(現在の[梅70])が開通、[301]を名乗った。前述の通り、荻窪駅~東京駅南口も[300]を名乗り、次いで京王と乗り入れて昭和24年12月に開通した新宿駅西口~八王子駅北口は[302]となった。このように300番台は一言ではくくれないグループである。都の扱いでは「単独長距離系統、青梅系統」となっているが、どうも後付けの感が否めない。
50番台を名乗った学バスも、まさか一般系統が49個埋まる日はそうそう来ないと思っていたのかもしれないが、路線開設はハイペースで進み、昭和28年4月には[49](新宿駅西口~浅草→[草79]:廃止)が開通してついに番号が満杯になり、2ヶ月後の新路線には[60]を割り当てることになり、一般系統は[1]~[49]・[60]~といういびつな構成になってしまった。

ちなみに飛んだ200番台は何かというと、もともとは昭和23年12月に休日運転系統として[201]新橋駅~浅草、[202]荻窪駅~築地が運転開始されたときに使われた番号であった。それが、昭和24年9月に臨時系統として[203]東京駅八重洲口~日本スポーツセンター、[204]品川駅~日本スポーツセンター(今の港区役所付近にあった施設。詳細は不明)が開設され、臨時路線の番台として転用された。この系統自体はすぐに休止となったものの、[201][202]も昭和25年までに一般系統に吸収されて通年運転となり、以降200番台は臨時系統として使われるようになった。今も残る劇場バスから球場バス、初詣バス、晴海会場、江戸川競艇場などさまざまな臨時バスがこの200番台を名乗ったが、路線図等の資料にはほとんど出てこないこともあって全貌をつかむのは難しい。
400番台についてもここで説明しておこう。400番台は相互乗り入れ系統のうち都営エリアでの折り返し系統を指していた。例えば[100]東京駅南口~五反田駅~丸子橋なら、[400]東京駅南口~五反田駅という具合である。100番台とは下2桁が同じという特徴があり、折り返しが設定されていない番号は欠番となっていた。
しかしながら、400番台の実態はよく分かっていない。書類上には現れてくるものの、路線一覧や乗客向け案内では決して現れてこない。区間自体は出入庫として運転されるものも存在したが、そのときも系統番号は元の乗り入れの番号か無番で運行していたはずである。もしかしたら、相互乗り入れという路線の形態上、書類上は用意しておく必要があった系統なのかもしれない。
500番台はおなじみ都電代替系統と言いたいところだが、その前に使用例があった。昭和39年3月から運行を開始した夜間バスがそれで、東京駅八重洲口から新橋循環が1系統と渋谷車庫・堀ノ内車庫・小滝橋車庫へそれぞれ向かう計4系統があり、[500]~[503]を名乗っていた。しかし、乗客数が少なかったようで昭和40年3月限りで廃止され、昭和42年12月の第一次都電代替で改めて500番台を使うことになった。しかしこれもひと悶着あり、代替当初はバス代替された都電が1、3、4、5、6、37の各系統だったのに対し、バスは[501]、[503]、[504]…系統とせず、それぞれ[500]、[501]、[502]…系統と都電の番号を気にせずつけていた。さすがにこれではまずいということになったのか、次の昭和43年2月の代替時には都電の系統番号を継承するよう([501][503][504][505][506][537])に改番された。
なお、昭和47年に最後にバス代替された都電([門33]など)は、直接新番号になってしまったため旧番号が存在しない(もちろん計画時は500番台の仮番号が与えられていたが)。昭和47年の番号変更以降、昭和55年頃までは交通局の公式路線図にしばらく新旧対応表が系統一覧についていたが、そこでは[門33]の旧番号は「電23」と書かれている。都電23系統がそのまま変化したことを示しているが、なかなか分かりやすい書き方であった。
600番台はトロリーバス代替系統である。トロリーバスが10x系統を名乗っていたため、都電の100番後を名乗ったのであろう。こちらは[601]~[604]まで、トロリーバスの番号をそのまま引き継いで運行がなされていた。
案内上の旧系統番号はこれでおしまいであるが、実は書類にはもう少し上の番号が存在した。[701]と[724]である。[701]は二代目の夜間バスで、昭和44年に民営の各事業者と歩調を合わせて運行を開始したものである。銀座から郊外各方面へと伸びる6系統が設定され、都営は銀座~辰巳団地(深川車庫)を担当した。これが[701]なのであるが、数年も経たずに廃止されてしまい、一般の路線案内には少しも出てきていない。[724]は一般系統とは少し異なる変り種で、上野駅~須田町を走っていた都電の連絡系統である。昭和47年4月に上野地区で歩行者天国が開始され、最後まで残った上野口の都電24系統(福神橋~須田町)の上野駅以南が走行できなくなることに伴うものであった。昭和通り経由で運転され、[24]連絡という案内がなされていた。これも7ヶ月後には都電が廃止され、[上35](亀戸駅~須田町)にバス代替されることになったため、[724]自体は短い命であった。
ということで[724]が旧番号体系では最後に設定された、かつ最大の番号であるのだが、他ではどうかというと、一般系統は昭和44年10月の[80](品川車庫~東京駅北口→[東91]:廃止)、相互乗り入れは昭和45年3月開通の[143](王子駅~亀有駅北口・綾瀬駅→[王30・31]:短縮)、都電代替は昭和46年3月開通の[516][519][520][522][536]の計5系統が最も新しい番号であった。
そして昭和47年11月12日、最後の都電代替と同時に一斉に新番号へと切り替えられた。基本的には旧番号と新番号には関係なく番号が当てられたが、[60]→[茶60]、[22]→[新小22]、[74]→[宿74]のように番号をそのまま引き継いだもの、[12]→[里22]、[3]→[品93]、[13]→[草43]のように下一桁を揃えたものも存在した。

他社に拡がる系統番号

都営バスだけでなく、民営他社に関しても東京近辺のほとんどの事業者が都営と同様の「漢字+数字」方式を採っている。かなり広域にわたって同様のシステムを取り入れているのは珍しい。これは、都営以外では横浜市を除き、昭和40年代までは系統番号が存在しなかったためである。このまま各社がバラバラに系統番号を採用すれば、利用者にとって不便であると考えられたため、昭和46年に出された「大都市交通におけるバスタクシーに関する答申」に基づき、東京バス協会を中心に東京都交通局と大手民営9社の間で検討を重ね、昭和47年に23区内の事業者が系統番号を採用した(→裏表紙)。
その後、昭和48年には埼玉県内の国際興業と東武が、昭和51年までには京王・西東京・立川バスも完了して東京都内は全域がこのシステムになった。昭和53年頃には川崎市・臨港バスが参入し、千葉県でも新京成が導入を開始した。昭和60年代に入ると、神奈川県内の京急バスと神奈中や富士急グループでも付番がなされ、神奈川県内の大部分や、一部は静岡県までもこの系統番号システムが普及した。その後はしばらく止まっていたが、長らく系統番号が存在しなかった神奈川県内の東急バス・千葉県内の京成バス系列も平成13年から順次導入が始まっている。
現在、東京近郊でこの系統番号システムを導入していないのは、独自の数字だけの番号を貫く横浜市営バスやベイシティ(浦安)と、系統番号が存在しない江ノ電バスや東武バスの撤退エリアを引き継いだ朝日自動車等の各社(埼玉県北部)くらいである(各地で運行されているコミュニティバスもほとんどが独自の系統番号だが、ここでは割愛する)。
もともと、なぜこのようなシステムがまとめて導入されたかといえば、連綿と事業エリアが広がっている東京圏では、全ての系統を数字だけで区別するためには4桁の系統番号が少なくとも必要で、とても現実的でなかったためであろう。そのため、数字は覚えやすい2桁までに限定し、日本語を使う人にとっては視覚的に分かりやすい漢字を添えて区別することで桁数の増大を抑えたものと推測される。
もちろん、この系統番号システムは外国人や観光客に優しくないという批判もある。確かに番号のみの横浜市は系統番号の浸透度合いが他よりも高いと言われており、覚えやすい。しかし、京都のように各社がバラバラに数字だけの番号をつけて同じターミナルで番号の重複が起こったり、横浜市のように同じ系統番号で何種類もの路線があって紛らわしい([23][41]等)という問題があったりと、決して利用者にとって分かりやすい部分ばかりではない。
番号だけが良いか、東京式が良いかという結論は読者に委ねたいと思うが、数字の部分がしっかりと振られていれば、東京式もターミナル数や系統数が膨大で、エリアが絡み合っているという現状では、そう悪いものではないと筆者は思う。

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