都営バス資料館

×王54

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担当営業所

志村営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
常盤台教会~大和町~北区神谷町~王子駅 7.200km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
64 S29. 4. 1 滝野川 5.019km 王子駅~板橋10(現大和町)が開通
64 S34. 5.25 滝野川 7.200km 大和町~常盤台教会を延長
64 S37 志村 *** 志村支所に移管
64 S41. 5.21 志村 *** 志村支所が志村営業所に格上げ
王54 S47.11.12 志村 *** 新系統番号化、王54とする
王54  S53.11. 1 志村 *** 王子駅~常盤台教会を廃止

路線概要

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今でも国際興業が単独系統として王子駅~上板橋駅を運行しているが、共同運行当時は王子駅~常盤台教会であった。王子駅を出ると北本通りを進み、北区神谷町で環七に左折して姥ケ橋・大和町と進む。ここまで並行してきた[王78](王子駅~新宿駅西口、杉並の
巻参照)と分かれ、富士見町へと右折する。公園入口(現・富士見台小学校)の先を左折しときわ台駅を経て、操車所がある次の常盤台教会が終点となっていた。

路線の歴史

 戦前は似たような設定はなく、戦後のオリジナル設定として昭和30年に都営単独で[64]系統として王子駅~板橋十丁目(現・大和町付近)が開通した。宮堀(現・北区神谷町)から板橋十丁目までの環七の区間は東北本線・赤羽線をオーバーパスする部分を含め昭和20年代に完成しており、それをさっそく活用した形となった。都営のエリアからは幾分はみ出た形だが、単独系統となったのは興味深い。当時はまだ[王78]に相当する路線はなく、このエリアの環七は[64]のみが走っていた。
 昭和34年に常盤台教会まで延長された。このときに国際興業も同一区間の運行を始めたが、共同運行の関係ではなかった。そのため100番台に系統番号を変えなかった。同様の例としては[68][69](浅草寿町~新小岩駅・金町駅)がある。まだ大和町以西の環七は工事中で、前野町方面への道路があるのみだった。この区間は大部分で既に[117](→[東52])が通っており、常盤台教会~公園入口の区間が新たに都営バスが通る区間となった。昭和35年の乗降客調査では王子駅~常盤台駅は27往復、常盤台教会は3往復とほとんどが常盤台駅で折り返していた様子がうかがえる。国際興業が同程度を運行していたとしても当時としてはかなり少ない部類だった。もっとも、最混雑区間の1台あたり乗客数は20人以上とそれなりに乗車しており、常盤台駅・王子駅それぞれ同程度の乗客が乗っていた。
 所管は滝野川だったが、昭和37年の志村開設により志村へ移管された。昭和41年には環七経由の[王78]や国際・関東の[赤31](赤羽駅~高円寺駅北口)が一斉に開業し、大部分で並行するようになった。
 その後も運行区間は変わらずだったが、昭和53年の改編で他の志村の系統ともども廃止された。 [王78]の枝線のような役割だったが、都営で運行する意義が薄いと判断されたのだろうか。
 国際興業はそのまま[王54]の運行を続け、平成7年には[赤32](赤羽駅~環七~ときわ台駅~上板橋駅)の廃止を受けて、全便が常盤台教会から上板橋駅に延伸された。

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