担当営業所
巣鴨営業所
運行区間・運行回数
系統・枝番 | 起点、経由地、終点 | 備考 | キロ程(往/復) | 平日 | 土曜 | 休日 | |||
→ | ← | → | ← | → | ← | ||||
草63 | 池袋駅東口→西巣鴨→巣鴨駅→西日暮里駅→三ノ輪橋→浅草寿町 | 12.881km | 60 | 64 | 66 | ||||
草63-1 | 池袋駅東口←西巣鴨←巣鴨駅←西日暮里駅←三ノ輪橋←雷門1 | 13.751km | 64 | 66 | 67 | ||||
草63折返-1 | 巣鴨駅→西日暮里駅→三ノ輪橋→浅草寿町 | 8.831km | 4 | 2 | 1 | ||||
草63折返-2 | 巣鴨駅←西日暮里駅←三ノ輪橋←雷門1 | 9.701km | 1 | 1 | 1 | ||||
草63出入 | 池袋駅東口~西巣鴨~とげぬき地蔵 | 3.870km | 64 | 53 | 57 | 52 | 58 | 54 | |
草63折返-3 | 池袋駅東口←西巣鴨←巣鴨駅←千駄木3 | 7.106km | 1 | ||||||
草63-2 | 東池袋1~池袋駅東口~西巣鴨~とげぬき地蔵 | 4.100km | 7 | 7 | 7 | 7 | 5 | 5 | |
草63折返 | 巣鴨駅南口~(急行)~東洋大学(臨時) | 1.126km | ** | ** | ** | ** | ** | ** |
現在
年表
系統 | 年月日 | 営業所 | 距離 | 概要 |
43 | S27. 7.10 | 滝野川 | 9.252km | 巣鴨駅~道灌山下~浅草雷門が開通 |
43 | S32. 1.12 | 滝野川 | 14.878/14.578km | 池袋駅東口~巣鴨駅を延長 |
43 | S33. 9.18 | 大塚 | 12.931/13.931km | 三ノ輪~竜泉の短絡経由に変更、大塚に移管 |
43 | S30年代? | 大塚 | 13.581/13.281km | 終点を浅草雷門から浅草寿町に変更 |
43乙 | S30年代? | 大塚 | 12.773km | 池袋駅東口~巣鴨駅~道灌山下~荒川区役所~吉原大門~観音裏が開通 |
43 | S44.10.26? | 巣鴨 | 13.581/13.281km | 巣鴨支所に移管 |
43乙 | S45. 7.12 | 巣鴨 | *** | 池袋駅東口~巣鴨駅~道灌山下~荒川区役所~吉原大門~観音裏を廃止 |
43 | S46. 3.18 | 巣鴨 | 13.581/13.281km | 巣鴨支所が営業所に昇格 |
43 | S46. 6.25 | 巣鴨 | 12.931/13.551km | 浅草寿町付近の一部経路変更?? |
草63 | H15. 1.14 | 巣鴨 | 12.991/13.071km | 池袋駅東口~浅草雷門に変更、寿町は非経由とする |
草63 | H15. 4.20 | 巣鴨 | 12.991/13.621km | 池袋方面のみ、浅草雷門南→浅草雷門を延長、起点を浅草雷門南とする |
草63 | H22. 4. 1 | 巣鴨 | 12.881/13.751km | 浅草付近の経路変更、池袋駅東口→浅草寿町、雷門一丁目→池袋駅東口とする |
路線概要
池袋と浅草を巣鴨、白山経由で結ぶ。路線の途中にはとげぬき地蔵(巣鴨車庫)があり、毎月4がつく日縁日の日には、多くのお年寄りで混雑する。また、出入庫として池袋駅東口~とげぬき地蔵の区間便が数多く運転されている。
池袋駅東口は他の西巣鴨方面の系統とは異なり、PARCOの前から出発するが、浅草行と出入庫系統であるとげぬき地蔵行の乗り場は前後に別れている。入庫故に遅延も生じやすく、本線のダイヤに迷惑をかけないためであろうが、入庫が頻発する時間帯ともなると、とげぬき地蔵までの乗客は出入庫系統のバス停に並ぶことも多く、乗客の遠近分離という副産物的効果も生まれている。
池袋駅東口を出発すると、明治通りを北東へと進む。西巣鴨までの区間は[草64]と並行する。
首都高中央環状線の高架と接するように西巣鴨の交差点で右折し白山通り(中山道)へと進む。巣鴨四丁目を過ぎると右側に見えてくるのは、都内では最も規模の小さいといわれる中央卸売市場豊島市場。主に野菜・果物を取り扱い、豊島、北、板橋、文京区など城北地区の八百屋へ供給している。このあたりは道路の拡幅も完了し、高層建築物が少ないことも相まって、写真で切り取ると、まるで郊外の路線バスといった趣がある。
程なくしてとげぬき地蔵に到着となる。以前は巣鴨車庫に入庫する便のみ停車する停留所だったが、今では全便停車となっている。新築された巣鴨営業所の庁舎を左に見て巣鴨駅に到着する。次の停留所も巣鴨駅南口と駅の名がつくが、三田線・山手線ともに巣鴨駅のほうが便利と言えるだろう。
ここから先は山手線の内側に入り、沿線の景色もビルが目立つようになる。千石駅を過ぎると、バスは片側3車線の広い道から1車線の旧白山通りへと進む。白山通りの新道が整備されてから相当の年月が経つが、国道17号は今なお旧道の方が指定されているのが不思議だ。
次は東洋大学。目の前に装いも新たに建て替えられた白山キャンパスが広がるが、東武東上線沿線に2カ所キャンパスが存在することや、池袋駅から乗り換え無しで大学の前に来ることが出来るためか、[草63]でも東洋大学生の姿をしばしば見かける。
都心部ではあまり見かけなくなった生協の店舗が見えてくると白山上の交差点となり。ここを左折して白山上の停留所に停車する。すぐそばの本郷通り上には[茶51][東43]が停車する向丘二丁目の停留所がある。数十メートルしか離れていないが、あくまで別扱いということか、停留所名が統一される様子はない。
本郷通りを交差すると、大観音通りを走り団子坂へ至る。団子坂の由来は、その昔、坂の下の千駄木に団子屋があったからという説と、急坂で雨降りの日に転ぶと泥まみれの団子のようになるからという説があるが、確かに武蔵野台地の縁の部分にある坂道の中でも勾配はきつく、雪の日などは坂道を上り下りできない車が続出するほどである。平成25年の成人の日の大雪では都営バスも上り下りできずに「団子」状態になった。江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」など文学作品にも登場する、東京でも有名な坂と言える。
団子坂を下るといわゆる「谷根千」エリア。バスは不忍通りを上野方向ではなく、左折して巣鴨方向へと戻る方向に向かう。道灌山下交差点で右折し、坂を下ると西日暮里駅となる。JR線へはこちらが便利だが、[里48]や日暮里舎人ライナーへの乗換えは次の西日暮里五丁目停留所が便利である。
西日暮里五丁目を出発すると、都内では珍しくなった踏切を渡る。田端操車場と三河島駅を結ぶ常磐線貨物支線の踏切で、旅客列車は原則として通らず、常磐線方面や隅田川貨物駅へと向かう貨物列車が通過する。そのため列車本数も多くなく、ここで踏切待ちに当たったら、むしろラッキーな瞬間であろう。
この先の宮地交差点を右折して明治通りへ入り、西巣鴨で別れた[草64]と合流、荒川区役所を過ぎ大関横丁までが[草64]との並走区間となる。大関横丁は三ノ
輪橋商店街最寄りの停留所であり、イトーヨーカドーやホームセンター等もあるため乗降客が多い。
大関横丁の交差点で右折、すぐに左折して国際通りを南下する。[都08](日暮里駅~錦糸町駅)と合流して竜泉を過ぎると、進行方向左手にひときわ賑やかな鳥居が見えてくる。鷲(おおとり)神社の鳥居である。毎年11月の酉の日に酉の市が開かれるが、ここでは鷲神社の隣にある長国寺も同じ日程に市を開き、寺社両方の「おとりさま」にご利益をお願いできることから「神と仏の酉の市」といわれ、商売繁盛を願う商売人など縁起物の熊手を買う人々が絶えない。
西浅草三丁目停留所を過ぎるとバスは浅草の中心部に入る。浅草随一の歓楽街の浅草公園六区を左に見て、雷門通りとの交差点を過ぎると終点の浅草寿町である。
浅草寿町で客扱いを終えると、バスは一旦回送車となって寿四丁目交差点を左折した先の停留所で時間調整を行う。かつてはここも浅草寿町と呼称していたが、今は雷門一丁目と改称された。そのため、浅草側の始発は雷門一丁目発となり、方向幕等の表示も往復で異なっている。雷門一丁目を発車すると、駒形橋・吾妻橋の交差点を回り、雷門の前を抜けて浅草公園六区で元の[草63]の経路に合流する。池袋側からは浅草雷門まで通しで乗れないので注意が必要である。
歴史
ほぼ戦後のオリジナルな設定であり、戦前にルーツをたどれる部分は少ない。巣鴨駅から白山上の部分は巣鴨~御茶ノ水駅~東京駅([水59]も参照)、団子坂の区間は東京駅から本郷通りを経由して団子坂、道灌山下までを結ぶものが、さらに道灌山下~荒川四丁目は尾竹橋通りを直進する西新井橋~道灌山下のような路線が戦前から存在したが、これらは現在の[草63]の区間を結ぶという意味で直接の祖先とは言い難い。
開業は昭和27年7月、当時は巣鴨駅と浅草の間を結んだ。池袋~西巣鴨、西巣鴨~巣鴨にはそれぞれバスが通っており、まずは既存路線のない区間を結ぼうとしたのであろう。白山上~団子坂下、道灌山下~宮地(現荒川四丁目)は新たにバスが通った区間となったほか、大関横丁~浅草が今の[草64]と同じく吉原大門・浅草松屋経由となっているのも特徴である。池袋駅まで延伸されて今の路線の形が概ね完成するのは昭和32年1月のことである。
▲昭和44年1月現在(細線が[43乙])
開業当初は滝野川の所管だったが、昭和33年9月のトロリーバス開通時に大塚に移管された。この当時は池袋駅東口~大塚車庫を中心に出入庫を行っていたようである。また、これと同時に、大関横丁~浅草の経路を現在と同じ竜泉経由に変えた。今までの吉原大門経由の区間にトロリーバスが開通するための措置だったが、吉原大門経由についても[43乙](池袋駅東口~大関横丁~吉原大門~観音裏)が1日数本運転され、免許維持のような存在で残った。観音裏は現在の浅草二丁目停留所に相当するが、どのように折り返していたのか、実際に浅草まで運転していたのかはよく分かっていない。昭和38年のデータでは観音裏止まりで4回運転、昭和43年のデータでは観音裏経由で浅草雷門が終点となっており、運転回数は僅か1回だった。
[43乙]は、昭和43年3月のトロリーバス廃止で[604](→[草64])が開通し、運行意義がなくなっていたためか、昭和45年7月に廃止された。
浅草側の起終点は時代により変化するが、基本的には現在と同じように、公園六区→浅草寿町→浅草雷門→公園六区というループ状に折り返していた。開通当初は浅草雷門止まりだったのは間違いないが、昭和40年代までには浅草寿町が終点となり、そこで一旦運転を打ち切るようになった。
これ以降は、ほとんど変化なく現在に至っている。路線距離は13kmと都区内ではかなり長い部類に入るが、区間需要も多く、分断に適したターミナルもないためであろう。昭和50年以降も安定して乗客数1万人を維持しており、営業係数は110~120程度の赤字だが、若干の減便でで乗り切っている。昭和50年代に時は、開業当初のように巣鴨駅~浅草に短縮する再編成案もあったが実施されなかった。仮に行っていたら、乗客数は確実に落ち込んでおり、今の本数を維持できていたかは怪しいと言える。
平成15年1月に浅草の折返し方法が変更となり、浅草寿町に寄らず、浅草一丁目で左折して雷門の手前で終点とするようにした。より浅草の中心部に近い所を終点とする意図があったのだろう。雷門の停留所到着後に回送となって雷門前を右折、[草64]の浅草雷門南を過ぎて駒形橋(東)を鋭角に左折、吾妻橋(東)を左折して雷門の始発停留所に戻るようにしていたが、3ヶ月後の4月には池袋方面は浅草雷門南から営業運転するように改められた。少しばかりの延長だが、さすがに方向幕は作り直されず、次のタイミングまで浅草雷門始発の表示で運行されていた。この時期は[草64]との区別で「国際通り/竜泉・浅草公園六区経由」の札を前面に架けていた。
▲~平成15年1月
▲平成15年1月~平成22年3月
▲平成22年4月~
しかし、平成22年の改編で元の平成15年以前の経路に近い形に戻された。浅草雷門南を回るのは渋滞の面でも懸念があったのかもしれない。再び池袋からの便は浅草寿町行きとなり、池袋行きの便は始発停留所の名が「雷門一丁目」と改称されて復活となった。
浅草一丁目発着
平成20年春改編で方向幕が変更され、[草63]池袋駅東口~浅草一丁目の表示が誕生した。これは、浅草一丁目で雷門方面に折れるため、交通規制時用に設けたものである。浅草一丁目からは回送で南下し、イベントによって異なるが、[草39](浅草寿町~金町駅)等が折り返す寿町操車所か、浅草通り上で適宜転回していた。
平成22年以降は本線が浅草寿町行きとなったため、イベント時の影響を受けなくなったために浅草一丁目止まりは目にしなくなった。ただし、池袋駅行きについては国際通りを走るのが浅草一丁目以北となるので、浅草一丁目始発の設定は現在も使われている。
千駄木三丁目発
平成25年春から、千駄木三丁目始発の池袋行きが誕生した。[草63]の巣鴨~浅草間の池袋行き始発便は、巣鴨出庫で浅草まで行った便が返ってくるのが初便となっており、白山上あたりだと7:30近くまで始発が来ないようになっていた。
この改正で始発を繰り上げ、巣鴨車庫→(不忍通り)→千駄木三丁目までを回送し、千駄木三丁目始発7:05の便が誕生して、始発事情は少しばかり改善された。十数分の繰り上げになったが、今後はさらにダイヤの改良が進むのか期待したい。